片山事務局長からのe-mail (1999年5月21日付、ドゥラス発)

[片山事務局長がAMDA日本支部宛に送った現地報告です。氏ならではの味わいのある文体につき、全文そのまま転載します。]
 

片山調整員から報告が入りました。

それでは本日Durrësに戻りましたので、久しぶりに報告いたします。

5月14日   3日目
DurrësからTiranaへ移動18時小川氏とDajti Hotelでお会いする。
アルバニア日本友好協会のメンバーのNiko FrashëriとAida夫妻の4人で
面談、スポーツ文化省裏手のUNHCRで明日のKukës行きのヘリを予約
その後小川さんと夕食中、店内でジャパンプレスの佐藤夫妻とお会いする
アフガン、コソヴォを取材する日テレ関係の方です。
明日に備えて早めに就寝。

5月15日  4日目
6時起床 市内撮影カメラ&ビデオ
昨晩感じたが人は本当に増えた。ホテルにはアラブ系のNGOが多い
11時Rinas空港へしかし本日北部方面の飛行中止との事。
ゲート前に米軍の兵士が警備中、仕方なくTiranaへ戻る
途中AMDAの供与したスポーツコンプレックスの浄水機のある難民収容所
に立ち寄る。子供の無邪気にはしゃぐ姿が痛々しい。
大人は諦めきった表情で、阪神大震災の映像とダブる
インマル電話も問題なく使用できる。
午後、読売新聞ベルリン支局の三好支局長来訪
19時三好さん、佐藤さん、小川さん、Betim Muço博士と会う
会食後カフェでニュースを聞いてアルバニア人がざわめく
聞けば今夜アパッチへりの攻撃が有るかもしれないと放送中
今日の昼に空港の警備が厳重な意味がわかりました。

5月16日  5日目
5時半起床6時に散策、アルバニア人の朝は早い
しかし年々この街は汚くなってくる。
昨日Muço博士に聞けば人口60万人との事確か4年前は30万弱
70年頃は8万と聞く、インフラは崩壊に等しい。
9時にKukës行きのミニバスに乗る。料金800レク
車内にコソヴォ難民のBashkim(エコノミスト)が英語で話しかけてくる。
家族を迎えに行くとの事。初めて乗るのかと聞いてきたので
そうだと答えると、きつい道のりだとの事
さすがにKukësまでの9時間の山越え3回はハードでした。
17時頃アルバニア陸軍のT型戦車(中国製ノックダウン製)
7台のトレーラーと遭遇、バシュキムのあれじゃ勝てないぜの言葉に同感!
18時にKukësの相原Drと会えるチャンスを求めて、アメリカンバーへ
各国メディア、NGOでごったがえしてる。
日本人は自分一人、顔の見えない国際貢献を実感。
今般我が国は2億$の資金を拠出したが日の丸のランドクルーザー
1台も無い。仮に朝鮮半島有事の時には世界中が此れくらいの援助を
してくれるのか?又、受け入れる準備があるのか?
今般難民を思い切って受け入れればどうか等と考えてるうちに
相原Dr登場!もしかしてここに今日来たのではと考えてくれたらしい
場所を変えてTirana大学病院のDrアルベン・ベチ―リとも会う
小生の親友のDrケルチクの同僚でハンサムな青年医師である
以前ケルチクが九大医学部に留学中にこんな男が留学を希望してるので
力を貸して欲しいと言われてCVや論文を頂いた。その後1度だけメール
交換し松前財団の奨学金を紹介した人にこんな所で会えた事に、嬉しさが
込み上げてきた。11時過ぎ就寝。

5月17日  6日目
Kukësにて起床
8時に相原DrとKukës市民病院(Spital CIVIL Kukës)前でアポ
市内で唯一の病院の中に入る。250床
おそらく町中で最も清潔な所は病院であるが、現状に唖然!
例えは悪いが廃屋に毛が生えた程度である。
しかも断水中である。ただし現地医師はこんな状況でも精一杯頑張ってる
と相原先生に聞く、玄関でIMC(International Medical Corp)
英語圏の医師達が活動中、緊急相談所なるものを開設中
米、豪、加のチームである。
コソヴォに対する各国の取り組み方が凄い!欧州或いは世界の問題を実感
IMCの案内でイタリア軍のKukës1と2のキャンプ見学
イタリアは以前からアルバニア難民の問題は正に対岸の深刻な問題で
水際で止める作戦を展開中両キャンプで1万人のキャパ
全てが有るといっても過言ではない。警備も厳重!簡易トイレは凄まじく
不潔で暑い時期には健康状態の悪化も懸念される。
外部との電話もしたい難民には不便です。人間としての最低の尊厳が辛うじて
保たれてる程度である。子供は相変わらず無邪気である。
その後病院で彼らとブリーフィング途中16時過ぎに重傷患者が運ばれる。
木の下敷きで骨盤骨折した若い男性だ
腎臓の一つが機能してなく肛門からの出血もある。母親が涙を浮かべキスをしてる。
相原先生も診察するがここの設備では死に至る時間はそう長くないとの事
IMCとアルバニア側の連携でイタリアキャンプに搬送、相原先生の彼にとっては
コソヴォ問題があってこそ一命を取りとめる事ができたとの言葉にこの国の
抱える課題と巨大な矛盾を痛いほど感じる。
その後整形外科専門の相原先生骨折患者3名治療
麻酔無しの処置に泣き叫ぶ幼子の声が今でも耳に残ってる。
21時終了

5月18日  7日目
Kukës6時起床
UNHCRクケス事務所で本日のヘリ予約を取りに行く
アルベン医師はどうしても戻らなければならない事情ができて
我々も同意する。予約はプライオリティー3で上位ランク
11時過ぎ甲状腺摘出の女性手術開始、相原先生立ち会う
水は断水中、片山は手術を撮影 14時半終了16時イタリアキャンプで
スイス軍のヘリ搭乗16時半Tirana到着
本日ブレア英首相アルバニア入り警備厳重、訪問の目的がいまいち曖昧
地上戦の前の激励か?小川氏も不明とのコメント

                                                  不一
Durrës ALBANIA

片山直樹

追伸
相原先生との交代の次の先生(上田先生)が石川県出身の32歳の方と
判り奇遇です。
 
 
 

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