片山事務局長からのe-mail 其之弐(1999年5月30日付)

[片山事務局長がAMDA日本支部宛に送った現地報告です。一部文字化けした部分を推定・復元し、片山氏の趣意を変えない範囲で、段落分けや句読点を補いました]

5月19日 Tiranaにて
 6時起床。アルバニア人の朝は早い。6時半にもうカフェは開いています。9時過ぎReko & Bujar Dida夫妻と会う。つい先日まで東北大学に4年間留学していました方達です。小川さんは遂に携帯電話のSIMCARDを入手できました。
 Dida氏とこの国の情勢について話し合い、今日はホテルを変えました。近くのElerです。
 さてアルバニアに来て色んなかたに質問することの一つは政治家の話である。サリ・ベリシャはもう人気がないしナノやフィノも同じである。但しパンデリ・マイコ首相は人気が高いが大衆はもっと別の大きな変化を期待してるようである。過去9年間のこの国の変化は凄まじいが丁度10年を迎えるにもっと大きなカンフルを期待してる。知識人や金持ちはこの国を何時でも去る覚悟もあると見受けられる。その気持ちも解からない訳ではない。95年に訪れた熱気と何かが違う感じがする。
 夕方7時にティラナ救急病院のケルチク医師、ベチーリ医師と食事、帰路偶然に元ATA(アルバニア通信社)社長のイリル・ジーラ氏と会う会話後11時過ぎ就寝。

5月20日 Tiranaにて
 6時過ぎ起床少し雨がぱらつく。街の埃が収まり嬉しい。相変わらず小生鼻の調子が悪い。9時過ぎホテルを出て小川さんRekoさんとデュレスへ行く。到着後メールを久しぶりに見る。その他事務的な仕事を整理し3人のデュレスチームと再会し夕方ドライバーのSAMIの家に誘われる豪勢な食事で一同もてなしを受ける。アルバニア人の伝統的なホスピタルである感謝感謝。

5月21日 デュレスにて
 朝6時起床4人で朝食昨日の残りのビュッレク(ほうれん草のパイ)りんご、コーヒー、水である。女性2名胃の不調らしい。カバヤ市の高台で診療活動。13時終了し移動。
 次はゴサ村である。約1000人の難民が点在してる。食糧配給は小麦、米、油、水、パスタ等十分である。ここは週2回巡回。
 難民の中に珍しく英語の堪能な(これは本当に珍しい)女性を見つけた。ジュリエタ21歳でプリシュテーナ大学文学部在籍してたらしい。父親も教授のインテリである。家族5人で逃げてきた彼女の恋人はマケドニアに逃げて音信不通との事だ。
「毎日が単調で何もする事がなく退屈だ」
とこぼしている。彼女に嫌な質問だがと断りセルビア兵のレイプの質問もする。予想していた内容であり、傍らの子供の様な女性も被害者だそうだ。それにしても元来貧しい村だ。診療は黒山の人である。アルバニア人の恰幅の良いご夫人が文句を言ってる;
「コソボ人は兄弟よ!」
等と叫んでる。18時過ぎ前線基地へ戻る。

5月22日 デュレス
 午前7時起床。ジャフゾタイ村から活動開始。
 本日大変な出来事が起きました!撮影機材のカバンが車から盗難に遭いました。Samiも私も一瞬目を離した隙にやられたのです。赤十字の大橋さんから注意しなさいと言われた矢先の出来事でした。大切なクケスでの記録や全てやられました。
 その後、午後の診療終了後、メット・デルヴィシのところに行き警察へ。通訳のAgimとSamiも事情説明。担当は犯罪捜査課のジウジ・フラムウリ刑事である。月曜日9時に来て欲しいとのこと。
 デルヴィシは外務省高官であったので、秘密警察(SHIK)からもハッパかける。
彼の機転で新聞にも出す。全国紙のリリンディア・デモクラティケ[Rilindja Demokratike 民主党機関紙]とシェクリ[Shekulli アルバニアでは『コハ・ヨネKoha Jonë』と並んで人気のある独立系日刊紙]である。日本人が被害に遭遇したが日本は大援助国であり影響が懸念されるといった内容だ、勿論小生の名もKatajana Naukiと出た。

5月23日
 昨日の盗難で元気がない。休日ですが海に散歩に行く。朝新聞を買うと出てました!私の名が。
 アルバニア人の最大の娯楽は散歩であり、私も散歩中にAgimと出会う。撮影機材出てくるのは難しいだろう、だってここはアルバニアだから最悪の心構えが必要だとの事、当然である。但しデルヴィシは冷静である。今の所彼を信頼するしかない。

5月24日
 モバイル班は9時に出発しデルヴィシと待ち合わせて警察へ。刑事は昨晩現地へ行き、今[判別不能]カバンを掲げてガッツポーズである。遂に戻ってきた!警官待機所で内容確認[判別不能]コニャックで祝杯。デジカメがないが、犯人解かってるので心配無用との事、盗品ビデオに犯人が写ってるからだ。
 暗に刑事からは捜査協力費要求されているが、署内での飲酒やその後の刑事の飲酒運転など日本と全く違う世界に、ここはアルバニアと実感した。

5月25日
 早いものでもう半ばに近づいてきました。それにしてもカメラが出てきた事でアルバニア人、コソボ人も驚き大喜びでした。何よりも親友が大きな働きをしてくれた事が大きいし、最後まで諦めない事が大切でした。
 昼から単独でTiranaへ移動、Muço博士と意見交換し滞在する。

5月26日
 情報収集でWFP、NGOセンター、財務省、外務省、Tirana救急センター回る。
 財務省は、親友のジェルジ予算局長ベルギーに出張中で、メモ渡す。
 外務省は、昨年ミロ外相来日の際の随員のクイティム・ジャーニ アジア・アフリカ局長に写真を渡す。今度ゆっくりと会談予定とする。
 夕方ケルチク医師と会う。彼に南部地域の視察につき協力を依頼するがベラート、ブローラはギャング多く絶対に避けるべき地域であるとの事である。彼も親しい医師が全国に点在してるので紹介するとの事。

最近のTirana事情
 ウクライナ、モルドバ、ブルガリア、ルーマニアからの夜の出稼ぎ女性が進出。影には東欧一円のマフィアが介在中。
 建設業が最大の活性産業である。リスクは高いが土地の高騰を狙いバブル成り金も多い。
 2年前よりも生活は向上している。各家庭にも洗濯機、冷蔵庫。TVも3台ある家庭も多い。
 中国人の中小企業投資が目に付く、商いに敏感な中国人ならではといえる。
 こんなご時世だが'99ミスアルバニア選考会は大にぎわいで、この国の不思議さを感じる。
 車も台数はうなぎ上りで、新車ディーラーも郊外にショールーム設置し健闘中。ゼネラルモータースと三井物産の新たな国鉄の受注が大きな期待で見られてる。特需景気で近年のインフレを懸念する空気がある。
 ポスト危機のマーシャルプランでアメリカに大きな期待を寄せている。EUはコソボとアルバニアの合併で大アルバニアになることは絶対に望んでないが、ナショナリストが多いアルバニアは、経済が対等になればやむをえないとかなりの知識人も考えてるし望んでいる。無論庶民は多数が考えてる。
 アルバニア人とコソボ人の間にはわだかまりはないが、戦争の長期化でこれも不明だ。元来アルバニア人はコソボを低く見るきらいがある。例えは悪いが、大阪の漫才で東北人を揶揄する事に近いニュアンスだ。セルビア憎いが心の中は特需景気に関心多いのが国民だ。
 日本・アルバニア協会代表の中津孝司大阪商業大学教授は、2005年を一つの目処にマーシャルプランの効果が顕著に現れてきてこの国が良くなると推測している。観光投資の充実が急務である。



日本人記者 おいはぎにあう
(ドゥラス)ドゥラス区で日本人の記者がおいはぎにあった。
 昨日11時、ドゥラス区のヂャフゾタイで数人の強盗がセンセーショナルな盗みをはたらいた。日本の中央テレビ局の技師で「日本・アルバニア協会」の幹事・総代表でもあるカタヤナ・ハコキが「アジア医師団」の医師数名を同行してヂャフゾタイを訪れた際、武装した数人があらわれ、撮影済のビデオテープとビデオカメラを強奪した。
 ビデオテープには、コソヴォから来てクカスで暮らすアルバニア人の生活が撮影されており、それによって日本の世論を喚起し、さらなる援助を実現させるはずだった。それが、3000ドルもするビデオカメラもろとも盗まれたのである。
 日本は、コソヴォの悲劇的事態に応え、2億ドルの援助をおこなったことで知られている。
 今回のセンセーショナルな強盗事件はドゥラス警察に通報され、現在同署が犯人逮捕へ向け活動している。
(民主党機関紙『リリンデャ・デモクラティケ』 1999.05.23)

[注意;かなり事実と異なる点があるが、たぶん記者に悪気はないので大目に見てあげて下さい(99.06.25)]
 

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