e-mail from Balkan

[プロテスタント系人道援助団体ADRAからコソヴォ支援のため現地に滞在されている野田弘二郎氏からの報告です。御連絡は
ping@iris.dti.ne.jp またはnoda@med.showa-u.ac.jp へ]
 

日本時間7月6日午後7時。関空発ウイーン行きオーストリア航空558便機内にて

フライトスケジュールの都合により予定より2日遅れでウィーンへ向っております。我々を乗せたエアバスA340は現在ロシアのウラル山脈を越えたあたりを東南東へ飛行中で、モスクワからだと西へ500キロくらいのところでしょうか。眼下には濃い緑色の広大なロシアの平原が広がり、曲がりくねった河の川岸を中心にいくつかの集落を見ることができますが、視界に入る多くのものは手付かずの自然そのままです。すでに離陸後7時間が過ぎており、あとウイーンまでの飛行時間も残すところ3時間ほどとなっています。
  今回私が参加いたしますコソボ難民医療支援プロジェクトは、キリスト教系NGOであるADRA(7th Adventist Development & Relief Agency)の日本国政府外務省後援による難民支援活動の一環として行われます。以前より鬼塚先生、吉本先生を中心にADRAの医療援助活動をサポートしており、今回のプロジェクトに関してもADRAから医師を紹介してほしいというファックスが千葉県こども病院に届いたことが私が参加することになったいきさつです。
  実際には参加決定に至るまでには多くの非常に難しい問題があり、一時は参加をあきらめかけた時期もありましたが、皆様の力強い御助力によりなんとか全ての問題を解決することができまして、今はこうして現地へ向かう飛行機の機内で最初の報告メールを書けることをうれしく思います。このような貴重な経験を与えてくださった皆様には心より感謝いたしております。
  さて、コソボ紛争の終結による当地情勢の急速な変化は我々の活動にも大きく影響を与えつつあります。当初、ADRAでは夏ごろまで紛争は長引き、アルバニア国内の難民は増えつづけるものという予測の元で活動の予定を立てていたのですが、すでに活動予定地の難民の9割以上が移動を開始しており、アルバニアのブロラにある難民キャンプを中心に活動するという当初の予定を変更せざるを得ない状況になっています。
  しかしながら、依然コソボでは小競り合いが続いており、比較的危険性が高いということから現在はユーゴスラビア国内に入る予定はありません。実のところ、今後ADRAが活動をどこでどのように行っていくのかということに関しては現状では未だ流動的で、現地のスタッフも混乱する状況の把握に追われている状態のようで、我々への情報は十分ではありません。アルバニアに居る難民の帰還が予想以上に急速に進んだこと、イタリア系マフィアの台頭によりアルバニア国内の治安が悪化していることなどから活動の中心はアルバニアからマケドニアに変更になりそうとのことです。今夜ウイーンで一泊したあとハンガリーのプダペストを経由して、とりあえずアルバニアの首都であるティラナへ入り現地スタッフと合流する予定となっています。(このような理由からこの報告メールはfrom Albaniaではなくfrom Balkanというタイトルでお届けしたいと思います。)
  アルバニア、マケドニアでの通信事情はあまりよくないようでメールの送受信が行えるのかどうか不安もありますが、なんとか毎日報告を配信できるよう努力するつもりです。


アルバニア時間7月7日午後5時、日本時間8日午前0時

  ようやくアルバニアのティラネに到着しました。
  ようやくここまでたどり着いたと思うと感無量です。
  あらためて皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。
  本日午前中の便でウィーンからハンガリーのブダペストを経由して午後4時頃ティラネ国際空港に無事つく事ができました。機内から見下ろす風景は平野に高い山々が迫っていて、頂には残雪が見えます。小さな家々が点在しており、首都らしい都会はどこにも見えません。
  空港ではADRAのスタッフ二人とハワイ在住日系医師のDr.Miyasiroが迎えに来てくれました。以外にも近代的だったハンガリーのブダペスト空港と比べると、わずか2時間弱のフライト、しかも同じヨーロッパであるここティラネの空港は、以前に行った中国海南島の海口の空港を思わせる平屋の質素な煉瓦造りです。手荷物受け取り所の中までタクシードライバーが入り込んでいて、入国審査を終えたところで早速客引きをしています。同行している看護婦さんの荷物が見つからず、盗まれたのか届かなかったのかわからないままホテルに向かうことになりました。
  ウィーンも暑かったのですが、ここティラネも相当な暑さです。恐らく35度を越えており、ひどく埃っぽい。空港の外にも客にあぶれたタクシー運転手が盛んに声をかけてきます。空港の入り口には警察車両と書かれた装甲車が停めてありますが、さび付いていて何年も動いていないようで今回の紛争とは無関係のようです。空港から市内への道は舗装が悪いのですが、ADRAがドライバーごと借り上げている三菱のパジェロはエアコンつきでこの国としては快適なんではないかと思 います。
  市内へ向かう道路の左右には、あまり手入れの行き届いていない畑と荒地が広がっており、貧しい生活を思わせる質素な家々がぽつぽつと点在しています。 ADRA日本支部長の塚本さんによると、アルバニアはヨーロッパの最貧国でコソボのほうが生活のレベルはずっと高いそうです。車は少なく、人も大して歩いていなくて活気が無いようですが、夕方涼しくなるとぞろぞろ出てくるとのことです。
  結局たいした建物も見ないままホテルに到着しました。まだできたばかりの新しいホテルは、思った以上にきれいですが、エアコンやエレベーター、電話などホテルならあって当たり前のものもありません。宿泊料は1泊20ドルだそうですが、マスコミやNGOが沢山入り込んでいた数週間前は50ドルだったそうです。
  ホテルの従業員はあまり英語がわからないようで、ウィーンやブダペストの人たちがほとんど英語を話す人のと対照的です。ホテルの一階にはカフェがあり冷えたビールを飲むことができるのは発展途上国の中ではいいほうでしょうか。
  明日はやはりマケドニアに陸路で移動することになり、大変そうです。ティラネは紛争の影響による危険な雰囲気は皆無ですが、マケドニアはもっと落ち着いているとのことです。私の健康状態はとりあえず良好ですのでご心配なく。マケドニアの通信事情が心配ですが、今後もメールによる報告を続けるつもりですのでよろしくお願いします。
 

マケドニア時間7月9日午後1時30分、日本時間9日午後8時30分

  疲れのせいか毎日良く寝ています。体調にも問題ありません。

  朝食後、ドイツ、マケドニアのADRAの人たちと共に食べ物や日用品の配布を手伝うことになりました。配るのは難民ではなく、ジプシーの人たちで難民はやはりここにも居ない様です。途中で病気の人たちを探して診察しようとしましたが、一人二人診たところですぐやめるようにと指示がきました。そのうちクリニックもやるけれど、いまはやると混乱するからという理由だそうです。
  僕は医師としてここに来たのに相変わらず何もせずにぼんやりしているしかなさそうです。このレポートも観光客の日記のようになってしまい残念です。今後の予定は未定ですが、そのうちできることも見つかるだろうと思いますが・・・。
  夕方、マケドニアの唯一の大学病院である国立病院を見学しに行きました。広大な敷地にいくつもの建物が散在していて、内科、外科、脳外科など、科別に建物があるようです。実際中まで診ることができたのはICUだけでしたが、思っていたよりはるかに充実しているようです。この病院には形成外科スタッフも20人居るとのことでした。
サンフランシスコでの国際形成外科学会にはマケドニアからの参加者もあったので、形成外科も見に行きたかったのですが、時間切れで残念です。そのうちチャンスがあれば、また行きたいと思います。
  今日は金曜日で夜、教会でアドベンティストのミサがあるようで、皆さん出かけましたが、僕は宿舎に戻って寝ることにしました。明日は安息日ということで、オフィスで手伝いをします。
  未だ皆さんの期待に添える仕事をしていませんが、そのうち何か報告できるかと思います。
 

ティラナ時間7月8日午前8時、日本時間午後3時

 朝日がさしていたせいか、あまりの暑さに目がさめました。7時前だというのに、すでに室温は30度近いのではないかと思います。じっとしているだけで汗をかき、昨日機内でもらったチョコレートはすっかり柔らかくなっています。ホテルの向かいには建設中の建物があり、まだ早いというのにそこで働く大工たちのどなり声が聞こえます。おそらく気温が高くなる前にひと働きするということでしょうか。窓をあけると、外の空気は涼しく、気温は22.3度くらいのようです。つかれていたせいか、ひどい暑さにもかかわらず昨晩は熟睡することができました。1階のカフェでコーヒーを頼むと、デミカップに注がれたイタリア式のエスプレッソコーヒーが出てきました。周りに住んでいるらしい沢山の人がカフェで談笑しています。
 車三台に分乗して9時にティラネの町を出ました。すぐに建物は途切れ、がたごとの山道に入ります。僕の乗った三菱のパジェロはエアコンつきで、この道にしては快適なほうと思われました。マケドニアに向かう車は少なくなく、大型ダンプカーやバスで所々に小さな交通渋滞ができています。山賊が出るとの噂もありましたが、少なくとも昼間はその心配は全く無いようです。むしろ怖いのは現地のドライバーの運転が乱暴なことで、途中何度も危ない目にあいました。峠には時々イタリアやフランスのNATO軍の車両が止まっていましたが、トラックに積んでいるのは大砲ではなくトラクターでした。
 途中短い休憩を入れて、お昼頃マケドニア国境にたどり着きました。国境にはADRAマケドニア支部の人たちが迎えに来てくれていました。マケドニアに入ると道路は急に良くなり、快適なドライブとなりました。車窓から見える家々はアルバニアのそれよりはるかにきれいで、生活レベルの違いを感じさせました。岩山の多かったアルバニア側と比べると土地も肥えているようで、畑もきれいに手入れされ、時々道路脇でカボチャやスイカらしきものを売っているのを見かけます。
 マケドニアもアルバニアと同じ位蒸し暑く、国境から乗り換えたエアコンの無い小型バスでのドライブが辛くなり始めた頃、ようやくマケドニアの首都スコピエに入りました。国境から3時間、ティラネから6時間の道のりでした。スコピエの町は高層アパートや近代的なオペラ劇場があり、ティラネとは全く違う風情です。
 市内のレストランで遅い昼食を取った後、ADRAマケドニア支部所有の簡易宿泊施設に到着しました。まだ建設途中でしたが、板剥き出しの室内には簡易ベッドが並べられていました。もちろんエアコンは無く、扇風機がたよりなく回っているだけです。室温は26度くらい。湿度が非常に高く、快適とは言えませんが、テントで寝るよりはましといったところでしょうか。
 一休みした後、マーケットに行ってみることになりました。宿泊所のすぐ近くが商店街となっていて、貴金属店や洋服屋が並んでいます。物資はアルバニアよりはるかに豊富のようで、隣の国で戦争をやっていたなんて感じることはできません。もちろん西ヨーロッパの国々とは比較になりませんが。
 明日の予定は不明ですが、この国にもほとんど難民はいないようです。
 

スコピエ時間7月12日午後1時、日本時間午後8時

 昨日はADRAマケドニアの人たちとともにアルバニア国境近くにある湖に遊びに行きました。とてもきれいな湖でしたが、なんだか何しにここに来ているんだろうなと思ってしまいます。
 昼食を食べているうちに携帯電話で連絡があって、やはりコソボに入ることになりました。もちろんNATOに守られている範囲しか行動しないので、心配しないでください。
 今はコソボからの車を待つためにADRAのオフィスに来ています。ここではメールが送れるようなので試してみます。だめなら、ここにあるコンピュータで試してみます。ただしその場合ローマ字になってしまうかもしれません。
 とりあえず体調は非常にいいので心配しないでね。
 

スコピエ時間7月12日午後1時、日本時間午後8時[別便]

 突然ですが、コソボに入ることになりました。もちろんコソボでの安全は確保されているとのことです。ここスコピエには難民は居ないのでただ待機していたわけですが、やはりここに居てもしょうがないのでコソボに行きます。すでに日本をはじめ大変多くのNGOが入っていて特に問題無いようです。向こうでは5日間ほど活動する予定です。仕事の内容はまだ決まっていないのですが、当初の予定通り移動クリニックをやることになりそうです。
 体調のほうは万全ですのでご心配なく。もし、コソボからもメールが送れるようなら試してみることにします。

 野田弘二郎
 

もどる