イスマイル・カダレの葬儀におけるエディ・ラマ首相の追悼演説(2024年7月3日)
この、イスマイルの亡骸に影を落とすマザー・テレサですが、今回の国葬を準備した誰かが持ち込んだわけではありません。
それはここにありました。
最初からここに来ていたのです。
会場が満員で、マザー・テレサをここから動かせないという知らせが、この場面を写した写真と共に私のもとに届きました。それは今夜の催しのために組み上げられていました。
そのままにしておいてください、と私は言いました。これ以上に素晴らしいものはありません。
誰一人思いもよらなかったでしょう、こんな偶然が、それもイスマイルのためにもたらされるとは。世界に属するアルバニア人、その影の下で、これまた世界に属するアルバニア人が世を去ったその式を執り行う、これ以上のことはないでしょう。
旧知の間柄だからこそわかります、敬愛する聖女の影の下で目を閉じるイスマイルは、自らがこの世界から別の世界へと去りゆく中、自分のことを好ましく思っていなかった多くの人々全て、そして傍にいて欲しくないとさえ願っていた少なからぬ人々の、その見守る下に自分がいることを、狂おしく感じているだろうと。
一方、イスマイル・カダレの訃報がこの地を捉えて以来、私の日常に頻々とメッセージが届くボックスには、彼の埋葬地をめぐっての奇妙な不安に駆られた意見が折々目につくようになりました。
それらを読みながら、イスマイルのことを思いました。
想像してみたものです、埋葬するならフラシャリ兄弟[訳註:近代の民族復興運動で活躍したアブデュル・フラシャリ、ナイム・フラシャリ、サミ・フラシャリのこと]の墓地だ、ログネルホテルの前の公園だ、首相官邸裏の緑地だ、国民解放戦争の殉死者の墓地だ、挙げ句にはコソヴォの殉死者の墓地だ、という頼まれもしない提案を、彼自身がどう受け取るのだろうと。
彼なら何と言ったでしょうか、知る由もありません。
ですが彼の亡骸が横たわるその棺ほどにはっきりしていることがあります、もし私が昨晩の、この式の前夜のことを、あのドゥラスの海辺の家、彼が長い人生の絶頂から降りてきた傍観者のごとく自らの黄昏を見届けようと引き籠っていた、あの家で話して聞かせていたなら、彼は大いに面白がったことでしょう-そしてガブリエル・ガルシア・マルケスがそうであったように、自分の葬式に参列できないことへの不満をぶちまけていたことでしょう。
ヘレナ夫人から、この葬儀は私の話だけでいいとのお言葉をいただきました。人の集まりに、賞讃されることに、とりわけ式辞の類に重いアレルギーを抱えている、そんな彼にいかなる時も忠実なればこそ、彼女はまだましな選択をされたと思います。
折々に避けがたい式辞というものがありますが、少なくともこれは、誰かが義務として求められて話すのではなく、イスマイルとの滅多にない会話を楽しみとし、彼と繋がりを持っていた者が話しているのです。
こうした特別な名誉は、単なる責任の重荷にとどまりません。アルバニア語をその探究者の誰一人として到達し得なかった高みへと、またアルバニア文学を文学界全体の神殿へと引き上げた人物の、その棺のまさに傍らで、嘲笑めいたざわめきの中、皮肉めいた表情を浮かべるイスマイルの前で、人の集まりと賞讃と式辞の中で審問に臨むという、余りにもまれなことなのです。
実際、彼の死を知り、式の準備が避けがたいものになり、私自身も人の集まりと賞讃と式辞の中に身を置くことが避けがたいと悟った時、まるで切手のようになって私の目を離れなくなったものがあります。それは旅団宮殿での叙勲式、フランス大統領手ずから最高位のレジオンドヌール勲章を受ける最中の、彼の居心地の悪そうな光景です。
そして国葬のための特別委員会、それに並行して、彼自身と彼の埋葬地をめぐる意見の対立が舞台上でも舞台裏でも活気を帯び始めてからというもの、私は自分が、イスマイル・カダレが最後に残した文学的罠の登場人物であるように感じていました。失望の中でのめくるめく夢の渦、そして私自身が失望の中における夢宮殿の官吏であるようにです。
求められていたのは墓です。自ら文学への情熱を謳って競い合うがごとく、自らにこう言い聞かせる人もいたでしょう。『死者の軍隊の将軍』や『祝祭委員会』の著者の命なき亡骸を葬るに理想的な場所を見出した者は誰であれ、別の世界で彼に最も近い場所を確保できるのだと。
イスマイルの目に浮かんだ居心地悪げな表情と共に私の耳に残っているのは、死をめぐる彼の予知めいた詩の一節です。「私は合図をし、そして去る」この書かれざる物語そのものが、墓探しについてのものであるように私には思われます。その場合、墓を五度も移された偉大な同業者ナイムのことも欠かすわけにはいきません。現実と歴史と文学との間の熱を帯びたこの時間の中、イスマイルを自らの傍に置きたいがため、その墓を二つに分けようとした人々もいました、まるでかつて出獄して旧体制の生ける死者たちの住処に送り込まれた人々のように。この物語では、当地で埋葬され、掘り出され、また埋葬された他の全ての人々のことも欠かすわけにはいきません。
「国民の死せる頭脳のための神殿がないからこういうことになるのだ、世界中でそうなのに」と言う人々もいます。また他には「霊廟」を求める声もあります。それは例のもう一人のジロカスタル出身者[訳註:エンヴェル・ホヂャのこと]の霊廟、かつて彼を敬愛した者たちの怒りをかい惨めな廃墟と化した霊廟とは違うのだ、と私たちを説得してきます。かつて『石の町の記録』で少年だった人物の霊廟は、仏教寺院のごとく、『ハンコナタ家の一族』の著者への敬愛に裏打ちされた世代によって、ありとあらゆる歳月を耐え忍ぶだろう、そしてせいぜい五百年と少々もすれば、ただ一人の大いなる喪失の中から、幾千人もの少年イスマイルたちが立ち上がるだろう、というわけです。
私はといえば、こうしてカダレ的世界が現実の生活にグロテスクに拡張する中の、自らは望まざる一部分として、政府から葬儀の万全な進行を任された官吏たる役割において、こう思っていました。スカンデルベウの背後に塔を建て、そこに偉大な名を有する死者たち、或いはこの国によって名を高からしめた死者たちの部屋を作れば、今回のような場合に必要な埋葬地を探すという歴史的課題にもおそらく永久にけりがつくことだろうと。ですがその後、私は恐れに駆られ思いとどまりました。それは、多数の死者に対してここ数年、余りにも多くの「国民栄誉賞」が与えられたがため、入居申し込みが激流のようになり対応しきれない可能性が現実にある、というだけではありません。ありそうな話として、その塔の部屋を確保するためにと、関連する履歴書を携え、死を願い出ようとする生者の長い行列ができるのではないか、そんな考えが浮かんだからでもあります。
親愛なるイスマイル、あなたの葬儀に関わりつつ自分の目で見たこと、心に思ったことをどれほどあなたに伝えたかったか、到底伝えきれません。ですが少なくとも私は感謝せずにいられません。この書かれざる物語、言うまでもなくあの、去り際に見せるだろうとあなたが書いた合図のことですが、加えて、生にあっては決して得られない答えをあなたは私に与えてくれました。それは、自分はもう書かないとあなたが言い、なぜ書かないのかと私が訊ねた時の、「私は全て語った」というあなたの返事です。
全く納得できなかったし、彼のペンがあの海辺の家の何処かに命なく放置されることが、私には罪なことに思われました。ですが今日、私は確信しています。イスマイル・カダレは確かに語るべきことを全て語ったし、この国が彼のそうした強固な信念を失望させないであろうことに疑う余地はないと。なぜならこの国は、イスマイル・カダレが彼自身について、またここに生き、或いはこれから生きる人々について語った全てを、おそらくは新たな形で、されど何一つ新たなことを語らず、繰り返し続けることを決してやめはしないのですから。
ですから何をさておいても私は申し上げます。生を得たばかりの物語の登場人物という望まぬ役割でなく、単なる一個人としてそう思うからでもなく、ただただアルバニア政府を代理する立場で、ここに申し上げます。イスマイルは彼のためだけの最後の住まいで安らかに眠るに値する、と。
殉死者たちと共にではありません、なぜなら彼は殉死者ではないし、彼の細胞の一つにさえ、殉死者たらんとする願望も心構えもなかったからです。
フラシャリ兄弟と共にでもありません。彼が心底敬愛し尊敬していた数少ない存在ではありますが、その墓に彼が身を置く義理などありませんし、またイスマイルがこよなく愛した孤独を私たちが妨げる義理もありません。たとえ彼が私たちを一切制止せず、ただ私たちを見つめて独特の皮肉めいた笑みを浮かべ「そんなのごめんだね」という決まり文句を言うだけだとしても、です。
ログネルホテルの前の公園でも、首相官邸裏の緑地でもありません。文明化された国で、開かれた都市環境の中で、せめて高い壁か、十分な距離をとり日々互いに顔を合わせないようにでもしなければ、生者と死者は共にいられないのです。それに、人が往き交い集まる場所をイスマイルが極力避けていたことから思うに、そんなことをすれば地獄で生きるに匹敵する、死に至る永劫の罰を彼の死と共に科すようなものでしょう。
イスマイル・カダレは言葉の証人として生きましたが、その言葉は世界からありとあらゆる賞賛と栄誉を受け、自身が生まれた国からありとあらゆる嫉妬と侮辱を受けました。彼はノーベル賞を受賞しませんでしたが、ノーベル委員会の議事録には唯一の候補者として残っており、同胞たちからの匿名の書簡のファイルもありました。
彼は来た、書いた、そして去ったのです!
私たちが為すべきことはただ一つです。彼の旅立ちを尊重し、しかるべき時と場所において、最後の住処を彼に与えようではありませんか。彼を怯えさせた求めざる愛情や、彼を不安がらせた望まざる隣人愛を恐れずともよい、人の集まりとも、賞讃とも、そしてとりわけ彼を震え上がらせた式辞の類とも無縁な場を。
ひとまず本日は、彼にとり影の如く不可分なヘレナ夫人の正当な求めにより、彼の亡骸は一旦トゥフィナに、家族のみ立ち合いの下、安置されることになります。
これはイスマイルの遺志でもあり、彼自身に問うたとしても同様であろうことは疑う余地がありません。ですから彼女に代わって皆さんにお願いします。彼の遺志を尊重し、家族によるささやかな葬列がこの広場から市の墓地へと出発するその時までに、追悼を締めくくるようにしてください。
私の言葉はここまでで、我らが国民的作家の亡骸が最後の住処へ移されることで締めくくりとなります。そちらではフランスその他から来た友人らの臨席の下、イスマイル・カダレの栄誉を称える国の式典も締めくくりとなります。私はこの場をお借りして、私や、揺るぎなくアルバニア語を愛する全ての世代に向けてイスマイルから為された贈り物について、感謝を述べたいと思います。ヴラジーミル・マヤコフスキーの『ズボンをはいた雲』の魅惑的な翻訳です。
彼にはわかっているし、わかっていました、私は一度ならず彼にそう言ったし、今では私にもわかります。もし彼が自分の目と耳とで自分の葬儀に出席し、この節を聞くことができたなら、彼はとても喜んだことでしょう。
「きみらが考えること、ふやけた脳味噌でぼんやり考えること、垢じみたソファで寝てる脂肪太りの召使いにも似たそいつを、ぼくは焦らしてやる、心臓の血みどろの襤褸(ぼろ)にぶつけて。飽きるまで嘲り蹴ってやる、鉄面皮に、辛辣に。」[訳註:日本語訳は小笠原豊樹訳(土曜社)に拠る]
安らかに眠るがいいイスマイルよ、あなたは全て語った!
ありがとう!