イスマイル・カダレ インタヴュー Intervista
ティラナ 2000年10月13日
NHKスペシャル取材班 収録

―10年たってようやくセルビアの政権が変わったが、コソヴォでは疑いを持つ声もあります。あなたはこの政変をどう見ているのですか?
 まず、ミロシェヴィチの失脚はたいへんよいことだと思います。ミロシェヴィチの退陣によってセルビアが民主化すれば、それはバルカン半島全体の民主化にとって重要な要素の一つとなるはずですから。
 ただ一方で、コソヴォのアルバニア人がこの変化に対して神経質になるのも当然のことだと思います。というのも、セルビアがこの数日で本当に変化し、民主的になったのか、という根本的な疑問はまだ残っているからです。まだ民主的な変革がなされていないのでないか、という疑いも当然あるでしょう。大統領が変わっただけでは、セルビアを変えたことにはなりません。セルビアそのものが変わらなければならないのに、犯罪行為の構造自体はそのままです。犯罪に荷担した数千の人々、政府機関、民兵、軍の一部、警察、知識人の一部、哲学者、みなその犯罪に責任を負っているのです。大統領を変えただけでは意味がありません。
 それに、新しいユーゴスラヴィア大統領は民族主義者で名高い人物です。悪い意味での民族主義者、バルカン風民族主義者の典型です。新しいセルビア、ユーゴスラヴィアの大統領であるコシュトゥニツァは、ティトーと争ったことを吹聴するような人物なのです。なぜ争ったのかですって?ティトーが、アルバニア人に多くの自由を与えたからです。
 諸民族には多くの自由があるがその自由には制約がある、そんなことをリベラルな野党指導者[コシュトゥニツァのこと]が主張するなんて、私はヨーロッパ史の中で聞いたことがありません。コシュトゥニツァはユーゴスラヴィアの犯罪行為に荷担した者達の一人です。これはまったく信じがたいことです。何かが変化し、それが発展するとしても、間違った考え方のままで発展すると思うのは正しくありません。
 大統領がおこなった声明は、まさに政治的蛮行だと思います。彼は、セルビアがボスニアやコソヴォに対しておこなった犯罪について何ひとつ認めませんでした。犯罪者を法廷に引き渡すことも拒否しました。要するにこの人物はこれまで通り、第一級のセルビア民族主義者であり続けるわけです。さらに恥ずべきことに、彼はセルビアの獄中に留め置かれている数千人のアルバニア人のことを問われても答えず、しかもそのアルバニア人の解放については、セルビア人難民の帰還次第だと発言したのです。このような声明は大統領として恥ずかしいものです。つまりこの大統領は、セルビアが、これまで通り人質をとり、テロリストをかばう犯罪的国家であり続けると認めているのです。このような声明では、ヨーロッパの楽観的気分も下落することでしょう。
 しかしヨーロッパの外交筋は楽観的な姿勢でこの声明を歓迎し、セルビアに賞賛を送っています。何も要求していないのです。ある国が他の国々に犯罪行為をおこなった場合、まず第一に、その国が責任を感じているのかどうか、監視しなければいけません。このことをユーゴスラヴィアに求めなかった点で、ヨーロッパは致命的なあやまりを犯したと思います。
 しかしまだ遅くはありません、きちんと要求すべきです。この時代における犯罪行為を、免罪してはなりません。だからコソヴォや他の国々のアルバニア人は、セルビアの姿勢に満足していないのです。そしてアルバニア人だけでなく、バルカンのすべての人々も同様だと私は思います。つまりバルカンの人々の大部分のことです。セルビアのように犯罪をおこなった国を懐柔するのは致命的なあやまりであり、ヨーロッパがバルカンの他の国民から敵対心をこうむることになります。それは許しがたく、悲劇的なことだと思います。

―コソヴォで取材をした時に、今回も、セルビア人とアルバニア人の間に恨みが残ることになったことがわかりました。これが続けば、コソヴォでは将来も平和や共存が実現することはないと思います。この永遠の問題を解決してゆくために、アルバニア人はどうすべきだと思いますか?
 私たちが問題の解決を受け入れようとしない時、そこにある種の神話が生まれることがよくありますね。つまり、これは説明できない、不可解な憎しみだとか、そういう風に言うことです。しかしこの世に不可解なことなどありません。すべては説明し得るのです。
 アルバニア人とセルビア人の紛争は古くからのもので、数世紀にわたるものだと言われます。しかし客観的に見て、紛争となる他にしようがなかった紛争などありません。そのような紛争は避けられるものなのです。紛争というものは、生活の基盤や土地の問題、農作物の問題など、根本的な問題で起こるものです。一方に関わる部分に他方が干渉しようとすれば、そのみずからに関わる部分を守ろうとするものです。紛争とは、宗教によるものなどではありません。その他いかなる形而上的なものでもありません。それは純粋に物質的なものです。
 私は、紛争はバルカンから取り除くことができると思います。そうなればアルバニア人、セルビア人双方にとっての勝利となるばかりでなく、全バルカンにとっての勝利と安定を意味するのです。紛争は、運命付けられたものではありません。私たちが紛争を主張しなければならない理由はないのです。
 しかしここで二つの政治文化には大きな違いがあります。セルビアにはアルバニア人に対し、許しがたく野蛮で、今日の世界にはありえないような差別主義が存在します。このような差別主義には終止符を打たなければなりません。セルビア人は、自分たちがバルカンの土地でアルバニア人と共に、人間的に生きる権利があることを、何よりも重要なこととして認識すべきです。誰であれ、他者の自由を否定する権利はありません。不幸なことですが、セルビアでは20世紀に入ってから、アルバニア人に対する差別主義の思想、学説が生み出されてきました。そしてそれに沿ってアルバニア人をバルカンから駆逐し、コソヴォばかりかアルバニアのアルバニア人をも消滅させるような協定、会議、文献が出されました。
 アルバニア人の側にそんな思想があったでしょうか?ありません。これは事実です。双方の責任を問うにあたって、同じくらいの責任があるかのように判断することに私は反対です。双方の責任を追及するにしても、それは正確であるべきです。一体アルバニア人のどこに落ち度があるのですか?アルバニア人がセルビア人を一掃しようとか、セルビアを破壊しようとか、そんな理論も学説も持ったことなどないというのに。
 確かに、アルバニア人がセルビア人に報復したことは事実です。事実であり、批難されるべきことです。しかし、セルビア人がアルバニア人に対しておこなった犯罪について、最近の国際世論が批難することはあっても、加害者であるセルビア人の内部でそうした批難がおこなわれたことはほとんどありません。それは本当に、わずかなものです。
 アルバニア人が何の罪もないセルビア人に報復した時、アルバニアの世論はみなこれを批難しました。ここに、二つの政治文化の大きな違いがあります。一年前、数ヶ月前のことですが、私自身がコソヴォに招かれて滞在した時です。コソヴォのテレビで、アルバニア人が、罪のないセルビア人に報復行為をしたアルバニア人たちのことを恥ずかしく思うと述べていたのです。なるほど恥ずかしく、許しがたいことです。そんなものは復讐とも言えません。ただのマンガです。
 これが事実です。私たちは私たち自身のことを批判できます。しかし彼ら[セルビア人]はそれをしない。これが彼我の違いです。私たちの犯した罪と彼らの犯した罪は、この点から言うと対称なものではありません。まったく違います。アルバニア人がセルビア人に対しておこなったことは、セルビアが警察、民兵、民衆の一部、それに戦車とヘリコプターと戦闘機とナパーム弾、その他、国家テロリズムの組織力がなし得るありとあらゆる手段を用いておこなった恐るべき犯罪行為に比べれば、ごくごくわずかなものなのです。私たちの側の責任は小さなものです。ですからあえて言うのですが、双方の責任を同一視するのは正しくないと思うのです。
 このように憎しみは休まることがありませんが、復讐の源泉は絶やさなければならない、そう思います。そこをつきつめていかないと、危険なことになります。一方の責任がどこまでか、他方の責任がどこまでか、当事者双方がそれを認めるべきです。両国民が歩み寄る第一歩を踏み出すために、主たる責任のある側、より大きな責任を負っている側がこれを認め、他方がその謝罪を受け入れて、報復におけるみずからの非を認めるべきでしょう。こうすることによって、初めて双方の歩み寄りが可能になります。
 犯罪の事実を明らかにすることは、この世の中で大変重要なことです。すべて人類の歴史とは、犯罪を明らかにするか、そうしないかのいずれかです。犯罪を認めることなしに人類の進歩はありえません。ですからセルビア人にとっては、その政府や軍、またそのメンバーがおこなった犯罪行為を認めることこそが一番だと思います。ミロシェヴィチひとりが犯罪行為をしたわけではありません。それは構造的なものです。彼らが罪を認め、許しを求めることはアルバニア人にとっても最良の選択であり、そうなれば復讐の連鎖を絶つこともできるのです。
 歴史の一頁を閉じて…それを忘れることはもちろんできませんし、私も忘れることには反対ですが…両国民は未来に向かって踏み出すことができるのです。生命をおびやかすような犯罪をくり返さず、心にとめて、前へ進むことができるはずなのです。

―難民として出ていったセルビア人には、一般の人もいました。彼らは犯罪者を渡すべきですが、何もしなかった一般のセルビア人もいるのではないでしょうか?コソヴォの将来はどうなるのか、また彼らはコソヴォのアルバニア人と一緒になることはできるのでしょうか?
 カダレ;コソヴォが二つの面を持った土地であることは当然です。それはアルバニア人にとっての土地であり、またそこに住むセルビア人や、その他の民族にとっての土地でもあります。アルバニア人だけの土地、セルビア人だけの土地、ロマだけの土地、そんな場所はこの地上にはありません。土地というのは、単なる地理的な概念ではありません。土地というのは、そこに住む人々と結びついており、土地はそこに住む人々のものなのです。
 そういう意味でコソヴォは、そこに一定の比率で住んでいるアルバニア人とセルビア人にとってのものです。一つの土地に92%のアルバニア人と8%のセルビア人が生活していて、それをセルビア人による体制ただ一つが統治するというのは無理です。不可能だし、異様なことです。ですから、この二つの民族が共存できるような仕組みを、世界の他の土地でもそうしているように、それぞれの民族の比率に従って構成しなければなりません。
 コソヴォが再びセルビアによって統治されるだろうと考えるのはおかしなことです。論理的でもないし、道義にも反しています。既に起こっているこれまでの事件や犯罪にはいかなる道義もなく、それは今日もまたしかりです。国際社会はこの地域を自由なものとするよう解決策を見出さなければなりません。
 自由は人間にとって最も崇高な概念であり、人がみずからの運命をみずからで決めることを意味します。コソヴォのアルバニア人の運命をセルビア人が決めることはできません。他のいかなる勢力もです。その土地に住む人々だけがその運命を決めるべきなのです。私はそう思います。

―アルバニア人とは何か説明してもらえませんか?
 カダレ;アルバニア人ですか、アルバニアですか?

―アルバニア人です、アルバニアのことではなくて。
 カダレ;アルバニア人とは何か、ということですね?アルバニア人とはアルバニア民族、アルバニア国民と結びついています。アルバニア人はヨーロッパでもっとも古い民族に属し、独自の言語、独自の文化、独自の伝統を持っています。それは途絶えることなく、ヨーロッパ文化の宝庫の一翼を担っているのです。
 アルバニア人は古くからのヨーロッパ人であり、またそのヨーロッパ人にあこがれ、5世紀に及ぶヨーロッパと全バルカンの断絶ののち、ついに他のバルカンの民ともどもヨーロッパに帰還したのです。これがアルバニア人です。私にとってアルバニア人という概念は、民俗学風のものでもなく、民族主義的なものでもなく、今日のバルカン、今日のヨーロッパにとってごく普通の概念なのです。
 ヨーロッパは、バルカンをそこに住む人々のありようそのままに受け入れるべきだと思います。アルバニア人、ギリシア人、セルビア人、ルーマニア人、スロヴェニア人、クロアティア人、ボスニア人、モンテネグロ人、これらの民族はすべて、この半島を構成する要素です。バルカンでは数世紀、数千年におよぶ民族間の均衡が存在してきました。この均衡は、民族排外主義や民族浄化など犯罪的、破壊的な手段によって損なわれるものではありません。これは数世紀におよぶ均衡であり、ヨーロッパ社会はこれを尊重しなければなりません。バルカンの人々がこうした基盤の上で自由に生きる権利があることを理解すれば、そこにはすばらしい未来が広がることでしょう。
 バルカンを軽んじること、これは正しくありません。バルカンの人々には大きな欠点もありますが、気品高い面も多いのです。積極的なエネルギーも、否定的なエネルギーも持っているということです。残念ながらこれまでは否定的なエネルギーの方が長く優勢でした。しかしヨーロッパがその積極的なエネルギーを引き出すようにつとめるならば、バルカンはヨーロッパにとっての懸念ではなく、むしろヨーロッパにとっての救いとなるでしょう。

―コソヴォで数世紀にわたって残っている憎しみは、将来なくなると思いますか?
 カダレ;ええ、なくなると思います。未来のヨーロッパは、そうしようと望むならば憎しみを取り除き、バルカンの人々もまたその憎しみに別れを告げることでしょう。それはフランス人とドイツ人が双方の憎しみに別れを告げたのと同様であり、日本人とアメリカ人が第二次世界大戦で負った双方の傷に別れを告げたのと同じことです。これこそが未来への道であり、他の選択肢はありません。
 バルカンはヨーロッパの一部であろうとしており、そのために、徐々にではありますが、憎悪からみずからの身を引き離そうとしてきたと思います。バルカンの人々が本気で憎悪から解き放たれようとするなら、バルカンはみずからの悪しき部分や病んだ部分を逃れ、他にうらやむところがないほど美しく花開く土地になれるでしょう。