ヤクプ・クラスニチ ドイツ紙に語る
 UÇK(コソヴォ解放軍)のスポークスパーソンであるヤクプ・クラスニチJakup Krasniqi氏が、ドイツの日刊紙die tageszeitung(ベルリン)のインタヴューに答えた。同氏は歴史家。セルビア当局の弾圧に抵抗して投獄された経験がある
コソヴォから3分の2のアルバニア人が追放されたにも関わらず、UÇKの見通しは楽観的です。コソヴォ奪還の見込みはあるのですか?
 コソヴォ解放軍はこれまで通り、コソヴォ全域で活動しています。多くの地域では他勢力より強くなっています。大部分の地域では武器不足のため守勢に廻らざるを得ませんが、既に攻勢に転じている地域もあります。NATOによる軍事・準軍事民間施設への爆撃以降、我々の闘争条件は以前より改善されました。とは言え我々は、矛盾した状況に置かれているのです。国際社会の道義的支援を取り付けることができても、そのことで武装する可能性を縮めなければならないのですから。我々に対する武器禁輸措置はなお続けられており、これさえなければ我々は重火気を入手して攻勢に転じることができ、戦争も早く終わらせることができるのです。
最初の空爆時に、これほど大量の難民を生み出すことになると予想していましたか?
 ええ、こうなる可能性は考慮していました。ベオグラードの過激な勢力はこうした可能性を持ち出し我々に脅しをかけていました。しかしそうなれば彼らも空爆への防戦に全力を傾けざるを得なくなるだろうと、我々は考えていました。憎悪が一般市民に向けられるとは、予想していなかったのです。住民移送が始まったのは農村からで、次第に都市部に拡大してゆきました。
戦争や住民追放や村落破壊は、一部地域で既に昨年から始まっていました。なぜこうもおとなしく、また抵抗もなく住民は追放に甘んじていたのでしょう?
 それはLDK(コソヴォ民主連盟)やその他の勢力による特定の政治哲学がもたらした結果です。平和的・消極的抵抗がこの状況を引き起こしたのです。こうした哲学は隷従の哲学です。彼らは、解放というものが自分たち自身によってではなく、どこか外からもたらされるという希望を抱いているのです。こういう考えが押しつぶされるのはたやすいことです。住民移送が始まると彼ら政治家はコソヴォを離れました。それより先に去った者もいます。我々にとってこのことは驚くに値しませんでした。彼らは以前から武装抵抗に反対する政策を進めていたからです。平和的抵抗を煽動してきた人達はプリシュティナで安全な地位にあるから、国内の状況が分かっていないのです。山岳地帯でなら戦争に勝てて、自由もそこからひとりでにやって来ると考えていたのです。戦争には負けそうだから、それに関わるのは無意味だと考えている人達もいます。だから平和的抵抗を訴える政治家達は、セルビアの政治家にされたのです。イブラヒム・ルゴヴァIbrahim Rugova[LDK代表]がたどった運命も、驚くに当たりません。彼の政治哲学の当然の帰結です。平和主義政策といいますが、実際は消極的なもので、抑圧に抵抗せず、抑圧に甘んじる政策なのです。
UÇKとNATOとの関係は?
 我々は共通の敵に立ち向かっています。UÇKとNATOは相互理解の下で、非公式に同盟を組んでいると言えるでしょう。
NATOの作戦活動はUÇKの戦闘能力にどう影響しているのでしょう?また、UÇKとNATOの直接共同はあるのでしょうか?
 これまでのところ、空爆による大きな成果はまだ上がっていません。しかしセルビアの軍事施設を破壊したことで、セルビアの実効自治範囲は狭められました。セルビア側には通信上の支障があり、戦闘車両の移動も縮小されています。しかも自前の空軍による援護もできないのです。UÇKに武器の購入が許されれば、戦争は短期間で済みます。NATOが地上部隊を導入したとしても同様です。空爆のみで、しかも武器禁輸が続くなら、戦争は非常に長期化するでしょう。
アルバニアにおけるUÇKの地位は?
 アルバニアでは、ハシム・サチHashim Thaçi政権も我が軍も共に承認されています。
しかしティラナには既に、イブラヒム・ルゴヴァの影響下にあるブヤル・ブコシBujar Bukoshiの亡命コソヴォ政府があり、大使館として機能していますが。
 彼らが影響を及ぼしているのはUÇKやコソヴォでなく、外国です。彼らはコソヴォ解放闘争を支援するどころか、外交活動にうつつを抜かし、多大な損害を与えています。我々は犯罪者集団との関係を取り沙汰されています[以前からUÇKには在外アルバニア人マフィアとつながる噂がある]が、それは真実ではありません。おかげで敷居を高くする国々もありますが、我々の活動に理解を示す国々もあります。
なぜコソヴォ・アルバニア人は戦いをやめず、また独自の政府を作ろうとするのですか?
 我々は二つの政治的構想に直面しています。UÇKは、自由や平和が天から降ってくるものではなく、闘い取らねばならないものだと思っています。ランブイエで我々は、アルバニアのあらゆる政治勢力とUÇKとの間での合意を達成しました。その後ルゴヴァ派は、政権内で一定のポストを与えるとハシム・サチに約束しましたが、我々はただ待たされただけなのです。
 目標ははっきりしています。我々はランブイエで、我々の独立を保障しない書面に署名しました。しかし今回の住民追放で、そのランブイエ協定さえも反故にされたのです。今や我々が求めるのは、自由で独立したコソヴォ、平和なヨーロッパに迎え入れられる、近代的かつ民主的な国家なのです。

(taz 99.05.05)
 

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