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ラーオコオーン

 昨日、プリアモスに呼び出された。日が暮れていた。目の下のたるみは(宮廷つきの彫刻家も、自分の最後の彫像を作っている間じゅう、そのことを気にかけてくれていたのだが)いつもよりひどく垂れ下がっていた。これほど重いのは経験したことがなかった。
 彼の話題は憂鬱で、うんざりするものだった。彼は言った。
「ラーオコオーンよ、お前は、自分が置かれている状況をきちんと理解すべきだ・・・」
 自分自身に何が起きているかなんて知る由もなかったし、何を理解すべきなのかもさっぱりわからなかった。それでも、何がしかの説明があるだろうという望みを託して、こちらからは何の質問もしなかった。
 だがようやくのことで私は気が付いた。問題になっていたのは、私自身に反対する(それも大半は匿名の)書簡のことなのだ。
「ですが陛下、それは何も今に始まったことではございません」
私は言った。
プリアモスは荒々しく振り返った。
「今回は違うのだ、ラーオコオーンよ」
と彼はしわがれた声で言った。
どうやって黙って堪えたらいいのか、私にはわからなかった。
『そんないまいましい話はもうたくさんです!ギリシア人どもと和平を結びたいのなら、そうなさればよいではありませんか。どうせ私の票など、求めてはいらっしゃらないくせに』
 彼は先ほどに劣らず憂鬱にしゃべり続けていた。私をかばい続けるのはますます難しくなっている、と彼は言った。それでは誰から私をかばってくれているというのか?彼はそれには答えなかった。
「今回は違うのだ、ラーオコオーンよ」
プリアモスのもとを辞去した後も、その言葉は私の心から離れることがなかった。
 その日の午後、政府の会合で私は、自分とプリアモスとのやりとりがすでに知られているような印象を感じた。私に反対している者たちの視線はこれまでにないほど何かを探り出そうとしているようだったが、私自身からは何も言わなかった。ただ、私が警察長官に
「二週間前、トロイア人が大勢いる城門のところに目印を残したという連中は、その後見つかったのか」
と訊ねた時のこわばった口調は、彼らを驚かせたようだ。長官が「いいえ、まだです」と答えた時私はもう少しで声を荒げそうになった。
『何故だ?』
 城門じゅうにチョークで書きつけられた白い目印は、トロイア内の親ギリシア派勢力が更に勢いづいている証拠と見なされていた。それらの目印は、起こり得る大虐殺の全面的なあらわれとするに充分なものだった。

 ついに私は、匿名書簡の内容を知ることができた。それは私が多かれ少なかれ予想していた通りのものだった。いわく、私が和平反対派だとか、トロイアの内紛の元凶だとか、その他、その他。書簡の中では私の辞任も要求されていたが、それはまだましな方だった。それ以上のことが要求されているような感じだった。何らかの裁判とか、投獄とか、いやそればかりではない、死刑も含まれているだろう。
 今日の政府の会合では、ギリシアとの和平会談が再び議題にのぼった。私は、以前もそうであったように、自身の変わらぬ態度を堅持した。和平のための条件は、我々の側から提示すべきである、なぜなら我々は被害者なのだから。要するに、ギリシアの方が責めを負うべきなのだ。ギリシア軍は即刻撤退し、戦争による被害に対して賠償金を支払うべきである、と。
 私はこれまでと同様、状況は困難なものだが、ギリシア側のそれはさらに厄介なものだと主張した。敵側はもはや、これ以上この戦争を継続できる状況にはない。船による軍隊への物資補給だけでも日々の経費はかさむ一方だ。かてて加えて、司令官らの間に対立があることも、我々がずっと以前から承知していることだ。兵士たちの間に募る不満、戦況へのいらだち。そしてそんな子供たちの帰還を待つギリシアの民衆の中にさえ、不満は広がっている。我々の得た情報によれば、ギリシア軍司令官の一部は彼らはひた隠しにしているが自分たちの陣営内での権限を既に失っているというではないか。総司令官であるアガメムノーンを筆頭に、オデュッセウスから、そして間違いなく他の者たちに至るまで・・・
 私の主張は、沈黙をもって迎えられた。

 ついてない日だ。きっと反撃を受けると思って待ち構えていたのに、私のもとにもたらされたのは、そういう方向からのものでは全くなかった。
 それは、子供たちだった。
 家に戻ると子供たちが泣いていた。学校を追い出されたという。理由は同級生との喧嘩だった。相手はこう言ったらしい。
「お前の親父は、トロイアの国益を損なう裏切り者だ」
取っ組み合いになるには充分な理由だった。
 私は担任教師を呼んで事情を聞いた。教師は目を伏せたままだったが、ようやく事実を認めた。
「上からの命令です」
 その日の午後になって、最初の脅迫めいた書状が届いた。
「辞任しろ、さもなくば我らはお前を殺す。トロイア人民の憂国の名において。お前を殺すのがギリシア人だとしても、お前の墓を用意するのは我らだ、おぼえておけ。お前にとって最も不幸なことになるぞ」
 今となっては、自分に求められているものが何なのかは明白だ。私は自らの誤謬を公然と認めよう。こうした新たな段階において私の投ずる票が必要なのは、火を見るより明らかだ。
 日が暮れて第二の、それも多かれ少なかれ似たような感じの書状を受け取った。しかし最初の書状についても、そして第二の書状についても、私は誰にも言わなかった
 かばい続けるのはますます難しくなっている、というプリアモスの言葉が頭から離れなかった。何もかも、自分が考えていた以上に周到に、計算し尽くされていたのだ。

 憂鬱な雨だ。今日のトロイアは何か見捨てられたように感じられる。ギリシアからの和平使節団が、受け入れられることになった。明日にはメンバーの名が公表されるだろう。そして明後日にはやって来るのだ。
 それも全て、他でもないプリアモス自身の口から聞かされたことだ。彼は夜も明けやらぬうちに私を呼びつけ、自分の決定を伝え、私にトロイア側使節団の代表を務めるよう命じたのだ。驚き、唖然となったことは言うまでもなかろう。だが私だけではない。トロイア全体がそうだったのだ。事態は二通りの語られ方をした。
「プリアモスがギリシアへの態度を硬化させた」
「ラーオコオーンが態度を軟化させた」
 私自身は、どちらも正しいとは思わない。
 ひと晩中、私は、条約の草案を作る仕事に追われた。翌日にはプリアモスがまた私を待っているだろう。

 双方による最初の和平会談は、ろくに始まりもせずに中断された。ギリシア側が激怒して宿舎に引き上げてしまったからだ。
 プリアモスが私に対して向けた憤怒は、到底言い表せないものばかりだった。「不実者」「背信者」「お前は私の破滅を望んでいるのだ」というのは彼が口にした中ではまだ穏やかな方だった。空しい努力と知りつつも私は、今回のギリシア側の態度硬化に自分は責任がないことを説明しようと努めた。
 私はギリシア側に粘り強く、非常に粘り強く語ってきかせた。しかし彼らは初めから、私に紛争の責を負わせて追放することに決めていたのだ。
 そのきっかけとして、彼らは私の言葉尻をとらえてきた。『トロイア人もまた、苦しんだのです』これを向こうは、挑発であり、ギリシア人が流した血を侮辱するものであるように受け取ったというのだ。だが、どうして私にそれがわかる?もちろん私は空しくも説明を試みた。しかし一方で、何もかもが最初から仕組まれたものだったのだという思いは大きくなるばかりだった。彼らの怒りも本物ではなく、怒りどころかお芝居に過ぎなかったのだ、と。
 だがプリアモスは話を聞こうとしなかった。何だか彼も私と一緒になって芝居を演じているようにさえ思えてきた。狂気じみた叫び声、祝典で軍隊に向けてしか投げかけられることのない、あの頭が割れそうな声が・・・私は思った。神よ、みんながどうかしているのか?それとも間違っているのは私なのか?
 午後遅くになって第三の書状が届いた。これまでの中で、最も身の毛のよだつような内容だった。
「お前ではなく、お前の子供たちを手始めに殺してやる」
 私は書状を見るとすぐに、家の玄関のところに二匹の毒蛇を放しておいた。ギリシア人たちがトロイアの町なかを自由にうろつきまわっていることは、はっきりしていた。
 脅迫状を手に、私はプリアモスのもとへと急いだ。私は叫びたかった。
「私を罰してください、鎖につないでください、はりつけにしてください、それでトロイアが救われるのなら!」
 だが、彼は私に会おうとしなかった。

 私をトロイア側の代表団長から解任するという勅令が出たのは、夜明け前のことだった。続く攻撃は昼になって、政府の会議の席で、それも思わぬ方向からやってきた。スレモフの問題だった。
[訳注;原語Thremohは『ホメーロス』のアルバニア語名Homerを逆につづり、頭にthをつけた造語]
 かつて我々がその問題を明らかにしたことに言及した途端、大勢の声が私の発言をかき消した。どうしてこのようなおぞましい出来事が、そうもやすやすと隠蔽できるものだろうか。トロイアで一番の詩人にして『ユーリアス』の作者が、ヒッタイトへ逃亡したというのに、我々はそれをゲームか何かのようにやり過ごしたのだ。
[訳注;原語Ylliadaはアルバニア語ylli『星』とIliada『イーリアス』を組み合わせた造語。なお、ホメーロスがスミュルナSmyrna(現在はトルコのイズミル)の出身だとする説は実際にある]
 私は彼らの間に割って入って、スレモフは逃亡したのではなくヒッタイトへ行くことを許されたのだと伝えようとしたが、彼らが余りにも大声で叫び立てたので、いかなる弁明も不可能だった。ましてや、なぜスレモフはそこへ行くことを許されたのか、正確に言えば、なぜスレモフはヒッタイトへ送り込まれたのか、その理由を彼らが知っているのだということを思い出させるなど、到底不可能だった。スレモフは粘土板に自分の詩を刻みに行ったのだ。そしてそれは、トロイアが滅亡した場合(神がそのようなことをもたらさぬように)せめて地上にその証しが残るようにとの目的でのことだった。
 私はもう一度、微に入り細にわたって説明する用意ができていた。なぜ彼はヒッタイトへ行ったのか?なぜヒッタイト人だけが、今日に至るまで粘土板に文字を書いているのか?なぜそんなものに?と問い直してもいいだろう。それは、もし焼かれたとしても、手稿にとって最大の敵である火によって損なわれることがないからだ。
 そしてなぜ、それほど急いで?それは、いつかトロイアに最後の日が訪れたら、『ユーリアス』はただ一人の人間の声と肺腑にさえ残らなくなるからだ。
 その他のことについても説明しようと思えばできたのだが、急に何もかもどうでもよくなってしまった。おまけに、彼らは説明など要求しては居ないのだということに気付いた。彼らはただ、わめきたいだけなのだ;これは許されざることだ、これは裏切りだ。そしてわめき散らすほどに一層怒り狂うというわけだ。
 ようやくひとしきりの沈黙が訪れた時、出席者の一人が私に対して、挑戦的としか言いようのない質問を投げかけてきた。私が以前からスレモフを擁護してきたというのは真実か?というのだ。
 私は答えた。
「確かに私はあの詩人を非難から守ってきた。そして私はそのことを後悔するどころか、誇りにさえ思っているのだ。それには理由が二つある。第一に、彼は第一級の詩人であり、トロイアの誇りである。そして第二に、彼に対する非難攻撃は根拠のないものだったのだ」
「スレモフの逃亡は、彼に対する疑いが正しかったことを示している」
蔵相が私の言葉をさえぎって言った。
「スレモフは何度も批判されてきたではないか、彼は詩の中で、我らの敵たるギリシアへの徹底した怒りを表明するどころか、全く逆のことをしているのだ」
 私は彼に答えた。
「それは、我々のような政治家が口出しすべきではない芸術の問題だ」
 議場は再び騒然となり、私は前にもまして空しさにとらわれた。

 私は数日間、家にこもって過ごした。外へ出ることも、誰と会話を交わす権利も認められなかった。その命令を出したのはプリアモスその人であった。彼は、こう言ったという;
「ラーオコオーンにはもう堪忍袋の緒が切れた。あの者が口を閉ざさないというなら、我々があの者の口を閉ざさねばなるまい」
 日毎に希望が粉々に砕かれていくような思いだった。あらゆる道筋が次から次へと閉ざされていった。そして今は手も足も縛られているような気さえする。だが他のどんなことよりも悲惨なのはことばを封じられることだ。プリアモスはこう言った;「あの者の口をふさいでしまおう」
 しかしそう言いながら、彼は既にそれを行っていたのだ。私はただ、石のようになるしかない。まさにエジプトのミイラだ。だがさらに悪いことには、ミイラならばその姿から、その人物の最期について何がしか思い起こすこともできると言えようが、私はといえば、闇に埋もれて消えていくだけなのだ。真実もろともに。
 こうしている間も、彼らはあちこちで妄言をふれまわっているに違いない。ラーオコオーンはトロイアの国益に反して蜂起しただとか、トロイアはラーオコオーンを追放し厳しく処罰したのだとか、神々もまた同じことをなさったのだとか。

 今日は雨だ。気が滅入る。昨日はデーイポボスとヘレネーの結婚式が行われた。婚礼、正確に言えば異様な黒婚礼だった。
[訳注;デーイポボスはプリアモスの子の一人。兄パリスの死後、パリスの妻だったヘレネーを引き取る]
 神よ、トロイアをお救いください!不安が私の胸に巣食って離れなかった。窓の外では、別の祝祭の準備をしているのが見えた。どうやら和平会談が進展して、まもなく和平条約に署名が行われるらしい。
 どうかそれが真実であるように。私が追放されることもなく、罰せられることも、汚名を着せられることもないように。
[訳注;『追放される』は、原文では動詞mallkohemが用いられているが、これは『(教会から)破門される』とか『(党から)除名される』といった意味でも使われる。]
 子供たちが、昨日スカイアイの門のすぐそばでギリシア人が何かを建てていたと言う。馬のように見えるそれは実際、木製の老馬だったという。子供たちの目がどうかしているのか、ギリシア人どもの頭がどうかしているのか。それともみんなの目も頭もおかしくなってしまったのか。
 今や、私を慰める唯一のことといっては、スレモフのことを想う他なかった。少なくとも彼はあらゆる危難から遠く離れて、不死の板の上に詩を刻んでいるのだから。そこに記された真実は、何人たりとも傷つけることはできないのだ。

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