XVI
朝早く、たて続けに電話が鳴った。宿直の警官がようやく起き上がって
「はい、警察です」
と鼻にかかった声で言った。そのため彼の口調はさらに小馬鹿にしたような感じになった。
「警察ですか?」
受話器の向こうから息遣いが伝わってきた。
「いいですか、いや、私のことは聞かないで下さい。町の外れの野原の、菩提樹林の左手の方で人が二人、殺されてます」
警官は額にしわを寄せた。
「もう一度!」
電話の主は同じことを繰り返したが、「私のことは聞かないで下さい」とも繰り返した。
警官はメモを取った。
「高速道路わきの林、平原」
十分後、パトカーが猛スピードで並木道に飛び込んできた。涼しかった。鳥の一群が四方から、おびえたように飛び上がった。
警察署長と検死医は、黙ったまま夜明けを眺めていた。運転手の傍にもう一人、犯罪撲滅課の職員と思しき人物が座っていた。膝の上でカメラが揺れていた。
平原にはうっすらと靄がたち込めていた。あちこちに干草が積み上げられていた。ハコヤナギの木、水路。また鳥の群れ。そして静寂。
「恋人同士かな?」
所長が訊ねた。
「だろうね」
道すがら、二人はそれ以上何も語らなかった。
「ストップ」
林に辿りついたところで所長が言った。
「さあここだ」
パトカーは停車した。遠く、右手の方に警官が一人いる。
彼らは車を降りて歩き出した。検死医は恰幅の良い男で、うしろを歩きながら、眠そうな目つきで、静まり返った平原を眺めていた。
彼らが近付くと、立っていた警官がそちらの方へ数歩進んだ。署長が警官の方を向いて挨拶を交わすと、一緒に死体の方へ近付いた。白のスカートと金色の髪が、遠くからでも見てとれた。そよ風が数回スカートをひらめかせ、再び生命を失った肉体の上に落とした。女は仰向けになって倒れていた。胸元に大きな傷があった。男の方はうつぶせで、背中に傷があった。いまわのきわに、どうやら頭を持ち上げようとしたらしく、肘をついて殺人者の方を見ようとしたものの、それもままならず、頭を両腕の間に落とし込んだ姿勢のままになっていた。
沈黙の中、カメラのフラッシュをたく音だけが響いていた。
警察署長は死体の傍にあったカバンを手に取った。カバンの中には手鏡と、口紅と、チンダールカ硬貨が少し、そして入構証が入っていた。
[訳注;チンダールカqindarkëはアルバニア通貨の補助単位。100チンダールカ=1レクだが、物価が上昇した現在では殆ど流通していない]
彼は入構証を開けて、それを読んだ。
『アナ・シュンディ 二十歳 研究員』
検死医は死体の上に身をかがめ、髪をかきわけると、しばらく胸の傷跡を覗き込んでいた。
「おそろしく妙な傷だな」
検死医は低い声で、独り言のようにつぶやいた。
あとの二人も、もっとよく見ようとかがみ込んだ。
「普通じゃないな」
と犯罪撲滅課の担当官が言った。
その傷は確かに尋常なものではなかった。大きくて真っ赤な、あちこちに裂け目が広がった傷跡だった。それは日没時の、周囲に幾本もの赤い光線を放ちながら沈む太陽のようだった。
「どんな凶器を使ったんだろうね、一体全体?」
警察署長が訊ねた。
検死医は肩をそびやかした。犯罪撲滅課の担当官はもう一度、犠牲者の上にかがみ込んだ。
「たぶん、博物館ものの古い武器だろうな」
彼はくぐもったような声で言った。
警察署長は辺りに目をやった。四方には荒涼とした平原が広がっていた。干し草の山も、小屋も見えなかった。そこいらじゅうが休耕地だった。ただずっと遠くの方に、片方だけ傾いだ古いトラックがあった。
三人はしばらく無言のまま、その方角を見つめていた。