空爆から一年。コソヴォ現地ではかつての武装抵抗組織UÇK(コソヴォ解放軍)の後継政党PPDK(コソヴォ民主進歩党)が主導権を握り、これまで内外のコソヴォ独立運動を支えてきた穏健派の立場も微妙に変化しつつある。92年「コソヴォ共和国」大統領に選出された代表的な穏健派組織・コソヴォ民主連盟(Lidhja Demokratike e Kosovës; LDK)のイブラヒム・ルゴヴァIbrahim Rugova代表がドイツ週刊誌Der Spiegelのインタヴューに答えた;
-ミロシェヴィチ大統領が新たな戦争の火種を落とそうとしているのはどこでしょう?
ベオグラード当局はボスニア、マケドニア、コソヴォ、そしてもちろんモンテネグロに対しても、その切り札を使おうとしています[モンテネグロはユーゴスラヴィア連邦からの離脱・独立への動きを強めている]。モンテネグロが独立に固執すれば、事態の急展開は避けられないでしょう。
-ベオグラード当局はコソヴォの再占領を公言していますが、これではNATOとの不毛な衝突が起こり得るのでは?
ベオグラード[つまりセルビア]は今も軍事大国であり、NATOでもセルビア軍を殲滅することはできません。ミロシェヴィチの主たる目的はコソヴォを恒常的に不安定に陥れ、それによってコソヴォの民主化と経済振興を阻害することにあります。アルバニア人10万人が住むセルビア南部でも新たな騒乱が起きていますが、ミトロヴィツァMitrovicëもまた混乱の中にあります。
-ベオグラードだけが火種を蒔いているのではなく、かつてのUÇKの残党もセルビア南部を手に入れようとしていますね。
ベオグラードに武力行動の口実を与えないためにも、私たちはこうした挑発行為をやめさせるよう努力しています。私たちの側にいる一部の過激派は、こうした行為がどんな結末をもたらすか正しく判断できていないのです。ミロシェヴィチが考えているのは、セルビア南部からアルバニア民族を一掃し、ベオグラード~セサロニキ間を結んでエーゲ海へ至る道路を走らせることです。
-モンテネグロが独立すれば、それはユーゴスラヴィアの終焉を意味しますが、そのことは、国際法上依然として「ユーゴスラヴィアの一部」であるコソヴォにとっても独立の好機到来、ということでしょうか?
いや、私たちは既にユーゴスラヴィアの外に…
-ですが、国連決議1244号ではそうはなっていませんよ。
あれは戦争を終わらせるための大きな譲歩でした。しかし将来の独立の可能性を排除したものではありません。扉はいつでも開かれており、私たちにとって独立以外のものは考えられないのです。
-しかしもし国際社会が、ユーゴスラヴィア内にコソヴォがとどまることを維持しようとしたら?
それではまた新たな戦争が起こって、私たちコソヴォの全住民はバリケードの中に立てこもることになるでしょう。すべてのアルバニア人が単一の国家を持つべきだ、と考えている政治勢力もコソヴォにはいるでしょうから。マケドニアの人口の35%はアルバニア人ですし、モンテネグロでもその比率は高くなっています。私たちは、分断された民族なのです。
-では「大アルバニア」を目指すのですか?
アルバニアとの国家連合はあくまで将来の問題です。当面の問題は、コソヴォの住民が独立した国家を持つこと、そしてこちらの方が大事です。
-ここ数十年でアルバニア人はバルカン最大の民族となり、それがしばしば不安をもたらしているようです。
それはあるかも知れません。ですが、それがバルカンの他民族にとって脅威となることはあり得ません。私たちが独立を達成すれば、皆がそれぞれの住まいを持ち、隣人がセルビア人であっても、友人同士として生きていけるでしょう。それに経済振興が進めば、私たちの高い出生率も抑制されるでしょう[アルバニア人は一般に大家族で出生率が高い…と言われる]。
-しかしコソヴォが独立しても、経済的な生き残りは難しいでしょう。
無論、コソヴォの経済と社会基盤整備は西側の支援なしに成り立ちません。戦争前のコソヴォはセルビアの抑圧政策によって80%が失業状態、私たちの資源もセルビアに収奪されていました。しかし私たちは60万トンの穀物を生産し、ヨーロッパ最大のリグナイト[褐炭]やあらゆる種類の鉱物資源を有しています。エネルギー供給の面でも自立可能です。
-一年前、あなたはコソヴォに独自の軍隊が必要だとおっしゃいました。NATOでは国防に不十分ですか?
NATOは今後も、おそらく別に委任統治権を持ってコソヴォに残留するでしょう。私たちは北大西洋条約への参加を求めていますから。しかしながら、セルビアからの攻撃に備えるべく独自の軍を持つことも必要なのです。
-戦争中もあなたはコソヴォ在住セルビア人に安全を保障し、残留を求めていましたが、今そのセルビア人は流血の報復を受けています。
基本的に、私たちアルバニア人には寛容の精神があります。しかし[戦争によってアルバニア人が受けた]トラウマとフラストレイションがあるのももっともなことです。セルビア人に追い立てられ、戻って来たら目に入ったのが破壊と集団埋葬地なのですから。ベオグラード政権の処刑人としてコソヴォへ入り、10日間にわたって暴虐の限りを尽くし、そしてまた立ち去った民兵の数がいったい何人にのぼるのか、私たちはやっとそのデータを手に入れたばかりです。今も多くのアルバニア人が親戚を捜し求め、数千人がなおセルビアの獄中にあります。ですが、セルビア人を殺そうなどという作戦がとられたことは、見た限りありません。
-KFORの主任務は、今や明らかにセルビア人の護衛に移っていますが。
コソヴォには現在でも10万人のセルビア人が住んでいます。戦争前は20万人でした。その後にやって来たのが民兵、警察、それに行政機構だったのです。残念ながらコソヴォに住むセルビア人も数多くの虐殺行為に加わっていましたが、独立した後のコソヴォでセルビア人がとどまるか否かは、セルビア人自身が決めることです。
-セルビア人が謝罪する事を望んでいますか?
それは状況緩和の第一歩でしょうね。コソヴォの穏健派セルビア人は、その用意があることを既に示唆しています。しかしベオグラードには、私は何も期待していません。
-虐殺されたセルビア人の埋葬に加わらないのはなぜですか?
それは、住民[アルバニア人]が納得しないでしょう。
-戦争中にあなたがミロシェヴィチと会見した事で、あなたのイメージはずいぶん変わりました。あなたのライヴァルであるUÇKのハシム・サチHashim Thaçiはあなたのことを、銃殺に値する裏切者だと言っています。あなたは今も住民の信頼を得られているのでしょうか?
住民が私の姿勢に疑いを持ったことは一度としてありません。その話はティラナとベオグラードから発せられたプロパガンダですよ。もし明日大統領選挙があれば、私は再選されるでしょう。コソヴォの住民は、正しいものを評価することを知っているのですから。
(Der Spiegel 2000/16(04.17))