0. アルバニア語・文学・文化国際セミナー
2001年8月13日から8月25日まで、ユーゴスラヴィア・セルビア共和国内コソヴォ Kosovo (アルバニア語名コソヴァ Kosovë )で第20回アルバニア語・文学・文化国際セミナー( Seminari Ndërkombëtar për Gjuhën, Letërsinë dhe Kulturën Shqiptare /International Seminar for Albanian Language, Literature and Culture )が開催された。
1974年から始まったこのセミナーはアルバニアの言語・文化に関する最大の国際学会であり、数年間の中断(主に政治的理由と財政的理由による)はあったものの、ほぼ毎年、アルバニアとコソヴォの科学アカデミーによって共同運営されてきた。
現在のセミナーは、ソロス財団などの支援を受けて、2001年の第19回から再開されている。筆者はこの第20回セミナーに、アルバニア科学アカデミーを通じて招待を受け、参加した。以下はその概要である。
1. セミナーの概要
主会場は、コソヴォの中心都市プリシュティナ Prishtinë のプリシュティナ大学言語学部 Universiteti i Prishtinës - Fakulteti Filozofik で、筆者を含む外国(隣国アルバニアを含む)からの招待参加者約40名を含む200名前後の研究者、学生が参加した(出席者数は日によって若干異なる)。
参加者の国籍はアルバニア、カナダ、アメリカ合衆国、ドイツ、イギリス、ハンガリー、シリア、スロヴァキア、イタリア、スイス、トルコ、モンテネグロ、日本(正式登録のみ Koha Ditore, 14.08.2001)。
非アルバニア語圏ではドイツからの参加者が多数を占め、ハンガリーやスロヴァキアなど中央ヨーロッパ各国からの参加者も多いことから、会場外の懇談ではドイツ語の使用が目立った(セミナー全体の公用語はアルバニア語)。
日本からの参加は筆者のみであり、初めての日本人参加者として扱われていたが、事前に入手した過去の発表原稿集によると、1986年の第11回セミナーに日本人2名の氏名が記載されている。これについては、地元の古参研究者らに訊ねてもこころあたりがないとのことで、実際に出席していたのかどうかは定かでない。
また、マケドニア共和国からもアルバニア人研究者多数の参加が見込まれていたが、折悪しくマケドニア情勢が不安定だったこともあり、ほぼ全員が欠席した。
プログラムは午前中のアルバニア語講座(有志参加 初級・中級対象)と講演1本、午後の研究発表会から構成され、最終日にあたる24日と25日には「言語学」と「文学」の二分野に分かれてセッションが実施された。通常の日程では6本の講演、19本の研究発表がおこなわれ、最終セッションでは「言語学」と「文学」で各41本の研究発表がおこなわれた(公式プログラム及び Koha Ditore, 26.08.2001 ただし前述の事情もあって若干の欠席者あり)。またこれらとは別に、文学の分野における特別プログラムとして、コソヴォの作家 Azem Shkreli を研究対象とする10本の発表もおこなわれた。
言語学の分野ではコソヴォの Idriz Ajeti (1999年の戦争に際して死亡が報じられたが、すこぶる健在だった)やハンガリーの István Schütz によるアルバニア語の歴史的起源をテーマとする講演をはじめとして、アルバニア、コソヴォ及びその他のアルバニア語圏地域のフォークロア(民謡・舞踊を含む)、アルバレシュ arbëreshe (イタリア南部のアルバニア語方言)の社会言語学的研究、ラテン語やトルコ語などとの対照言語学、音韻、語彙、地名・人名論、文体論や正書法の問題、考古学及び書誌学、各国のアルバニア語研究の動向など多岐にわたっていた。全体的に個別・実証的な論考が多いという印象を受けた。また、筆者の関心分野である人称代名詞の統語論については、同様の発表を2本聞き、議論に参加することができた。
最終セッションは言語学では「現代標準アルバニア語の公共使用の現状」、文学では「二十世紀のアルバニア文学」と題して、それぞれ別会場でおこなわれた。メディアにおけるアルバニア語の使用とその形式(例えば動詞の形態論、各種専門語彙の選択、翻訳の問題など)をめぐって議論が進んだが、アルバニア人研究者らはそれぞれの地方出身の事例をもとに活発な論争を展開した。これについては人口200万程度というコソヴォの地域内でさえも見解の相違があり、30年前に統一標準語が確立したにもかかわらず、アルバニア語を母語とする知識人の間に、なおこの問題をめぐって細かな争点が残っていることをうかがわせた。なお2001年の第19回セミナーでも「2000年のアルバニア語」と題して標準語使用の問題や辞書論を扱った発表が大半を占めている。
文学セッションについては、筆者は参加していないが、20世紀初頭から現在までの個別の作家論に加えて、同時代の外国文学(エリオットなど)との相互の影響をめぐる研究発表がおこなわれた。
2. セミナー外の活動
二週間にわたるセミナーは、各国のアルバニア・バルカン研究者が交流し親睦を深める年に一回の貴重な場としても位置付けられている。
午前と午後の学術プログラムの間には、市内の主要施設を見学する機会が用意され、コソヴォにおけるアルバニア語・文化の研究拠点であるアルバニア学研究所 Instituti Albanologjik で現所長 Rexhep Qosja (文学)との会見がおこなわれた他、希望する参加者はコソヴォ科学アカデミー Akademia e Shkencave dhe e Arteve e Kosovës 、学長執務館 Rektorati i Universitetit 、大学図書館 Biblioteka Kombëtare-Universitare 、美術館 Galeria Kombëtare 、コソヴォ・テレコム Posta dhe Telekomi i Kosovës などを訪問し、戦後コソヴォの復興の計画と現状について説明を受けた。
また、アカデミーから外国人研究者に対する名誉会員の資格授与式なども併せて催された。2001年の名誉会員は中世・近世アルバニア語文学の収集と翻訳で評価の高いカナダの Robert Elsie 氏である。
この他、コンサートや週末の遠足が企画され、バスで南部プリズレン Prizren からジャコヴァ Gjakovë (セルビア語 Đjakovica )、ペヤ Pejë (セルビア語 Peć )を一泊二日で訪問した。南部の古都プリズレンでは、地元出身の文学者 Zef Serembe の死後百周年を記念する講演会が実施された。招待参加者の受け入れにはコソヴォ・ホテル協会が全面的に協力し、市内の主要なホテルで宿泊施設と食事が無料で提供されるよう手配されていた。セミナー関連刊行物の扱いは同地最大手の出版社である Dukagjini とプリシュティナ大学書籍部が担当し、セミナー内で紹介された文献類が可能な限り各店舗で入手できるようにはかられていた。
なお、セミナーの内容は現地の主要なアルバニア語紙( Koha Ditore, Zëri, Bota Sot, Rilindja 他)で連日にわたり詳細に報道された。