最新情報 (5月1日~5月31日)

ヴォイヴォディナで反政府勢力一斉逮捕
 セルビア共和国北部ヴォイヴォディナVojvodinaの中心都市ノヴィ・サドNovi Sadで9日、反政府学生組織「抵抗Otpor」のメンバー25人以上が逮捕された。ベオグラードB2-92ラジオの報道によれば、逮捕されたメンバーは同地の社会党本部前で文書を撒いていたという。逮捕された中には5人のジャーナリストも含まれている。
(ATSh 2000.05.09)


ヴォイヴォディナ州代表暗殺 犯人逮捕
 13日正午頃、ヴォイヴォディナVojvodinaの中心都市ノヴィ・サドNovi Sadで農業施設を視察中のボスコ・ペロシェヴィチBosko Peroševićヴォイヴォディナ代表(43歳・社会党)が警備陣の1人に狙撃され、同市病院に収容されたが午後4時頃死亡した。犯人は逃亡したが間もなく逮捕された。ミリヴォイェ・グトヴィチMilivoje Gutovićという1950年生まれの男性で、ペロシェヴィチと同郷の出身であることの他は明らかにされていない。ここ数ヶ月続いているユーゴスラヴィア要人の暗殺で、犯人が捕まったのは今回が始めて。
 目撃者の証言によれば、施設を視察していたペロシェヴィチ代表の携帯電話が鳴り、同代表が周りから離れた時に犯人が近付き、銃で同代表の頭部を撃ったという。
 今回の事件について与党・社会党は先頃メンバーを拘束した「抵抗」など反政府組織を非難しているが、社会民主党など野党側は「セルビアは無法状態である」としてストイリコヴィチVlajko Stojljković内相の責任を追及している。
 ちなみに5月13日は社会主義時代からの「安全の日」にあたり、セルビア警察の功労を称える記念日になっている。
(Reuter 2000.05.13)


ベリシャ強行軍
 アルバニア民主党(PD)のサリ・ベリシャSali Berisha党首は記者会見で、警備上の理由から内務省に中止を求められているヴロラVlorëへの遊説について、当初の予定通り、14日に「旗広場Sheshi i Flamurit」で集会を行うつもりであることを明らかにした。「ミフォリMifoli橋に陣取って、すべての人々にこの国の政治の実態を明らかにする。空からであれ、海からであれ、私はヴロラへ行く」と本人は強気だった。
 これに対して、ヴロラ現地では非政府形組織を中心とする抗議の集会が行われ「ベリシャはいらない」と書かれたプラカードも登場した。
(Kosovapress 2000.05.13)


ベリシャあやまる?
 アルバニア民主党(PD)のサリ・ベリシャSali Berisha党首は14日、ヴロラVlorëの「旗広場Sheshi i Flamurit」で予定通り集会を行い、3000人余りが参加した。ベリシャ党首のヴロラ訪問には現地の反発が強く、不測の事態に備えて内務省と警察が警備にあたることにしていたが、同党首はこれを不必要であつと述べると共に、自分がヴロラで歓迎されていないことを認めた。そして、1997年騒乱の発端となった「ねずみ講」を認可した自らの政策の誤りについて謝罪した。
(Kosovapress 2000.05.14)


農民党 与党と地域協力
 アルバニア農民党(PA)のエドリル・ペタニEdlir Petani党首は19日、社会党を中心とする与党連合「国家のための同盟Aleanca për Shtetin」に、地方選挙のレヴェルで参加する用意があると述べた。
(ATSh 2000.05.19)


運輸相 辞任
 アルバニアのイングリド・シュリIngrid Shuli運輸相は19日、イリル・メタIlir Meta首相に辞表を提出した。同相は、自らの言動に対する報道機関の態度について「不正確で根拠はないが、一定の目的を持った攻撃」があったと述べている。
 同相は、社会党(PS)と連立政権を組む社会民主党(PSD)からの数少ない入閣者の1人。同党党首でもあるスカンデル・ジヌシSkënder Gjinushi人民議会議長は辞任に難色を示している。ただメタ首相は、18ヶ月の在職期間中における彼女の貢献を評価しながらも、辞表は受理する見通し。
 後任はソコル・ナコSokol Nakoと見られている。同氏は現在31歳、チェコで学び、アメリカで学位を取得、現在は首相の法律顧問を務めている。
(ATSh 2000.05.19 Shekulli 2000.05.20)


今年の「ミス」
 5月21日、ティラナのPallati i Kongreseveで今年度の「ミス・アルバニアMiss Albania」選考が行われ、シュコダルShkod&eeumlr出身のゲンティアナ・ラマダニGentiana Ramadani(21)が選ばれた。彼女には「ミス友好Miss miqësia」の栄冠も与えられた。また報道機関から授与される「ミス報道Miss press」にはアニサ・ヒュカAnisa Hykaが選ばれた。
(Kosovapress 2000.05.21)


改名
 ハシム・サチHashim Thaçiコソヴォ暫定評議会代表が党首を務めるコソヴォ民主進歩党(PPDK=Partia e Progresit Demokratik të Kosovës)は5月20日、プリシュティナの「グランドホテルGrand Hotel」で最初の党大会を開き、綱領等を作成すると共に、21日からは党名をコソヴォ民主党(PDK=Partia Demokratike e Kosovës)に改める事などを決定した。
 指導部の選出では、新党首候補にハシム・サチ現党首の他、バルヅュル・マフムティBardhyl Mahmuti副党首、プレウラト・セイディウPleurat Sejdiuの計3人が立候補したが、結局サチ現党首が圧倒的多数の得票で他の候補2人を破り、再選された。また22日には指導部の選出が行われ、118人の候補者に対して計61人が選出された。
(Kosovapress 2000.05.20, 05.21, 05.22)


ベリシャ vs 民主党
 ロンドンで行われていたヨーロッパ民主同盟(EDU;ヨーロッパの保守派・右派政党の連合組織)の会議で、アルバニア民主党(PD)におけるサリ・ベリシャSali Berisha党首の問題が取り上げられ、ゲンツ・ポロGenc Pollo前党首ら民主党の若手改革派メンバーがベリシャ党首の独断専行と権威主義を批判した。
 また、会議から戻った民主党のフェルディナンド・ヂャフェリFerdinand Xhaferri(ドゥラスDurrës地区党代表)はインタヴューに答え、ベリシャ現党首とそれを支える党首脳陣について「こんな古いシステムは、今の政治のやり方にあわない」と述べた。
(Koha Jonë 2000.05.20)


ベリシャ 対立を否定
 民主党(PS)の改革派メンバーがサリ・ベリシャSali Berisha党首に対して党の民主化を求める書簡を送った、とされる報道について、26日に記者団から質問されたベリシャ党首は「そのような話があるとは驚きだ」と述べ、申し入れ書の存在自体を否定した。
(ATSh 2000.05.26)


西側からベリシャ批判
 ヨーロッパの保守派・右派政党の連合組織であるヨーロッパ民主同盟(EDU)は、サリ・ベリシャSali Berisha率いるアルバニア民主党(PD)に対して、次の13項目から成る批判勧告を出した;
  1) 党内民主主義の蹂躙
  2) 野党に対するマイナスイメージの惹起
  3) 法的手続きに則った活動ができていない
  4) 人民議会へのボイコット、対決姿勢の未解消
  5) 立憲政治の無視
  6) 党内における権威主義
  7) 党内反対派を排除する形での問題解決
  8) 軍国主義、超国家主義的志向
  9) 「大アルバニア主義」の鼓舞
 10) 対立者を攻撃するような集会の開催
 11) 国民の支持を得ているとは思えない態度
 12) 選挙に勝てるとは思えない対決本位の政治手法
 13) ヨーロッパ民主同盟の枠組みには置いておけない権威主義の横行
(Shekulli 2000.05.21)


それでもベリシャは…
 民主党(PD)のサリ・ベリシャSali Berisha党首は、ゲンツ・ポロGenc Pollo前党首ら若手改革派メンバーから送られた党民主化の申し入れを無視した模様。ヨーロッパ民主同盟(EDU)からの勧告も無視した形となる。
(Shekulli 2000.05.27)

一方、与党では…
 社会党と共に連立政権「国家のための同盟Aleanca për Shtetin」に加わっている中道左派政党の一つ、社会民主党(PSD)から入閣していたイングリド・シュリIngrid Shuli運輸相が事実上更迭されたことについて、同党のスカンデル・ジヌシSkënder Gjinushi党首(人民議会議長)は6月1~2日に開かれる社会主義インターナショナルの国際会議でこの点を非難する用意があることを明らかにした。
(Shekulli 2000.05.27)


今日は何の日(ふっふっふ~ from おもいっきりテレビ)
 5月25日は、近代アルバニアの黎明期を代表する文学者ナイム・フラシャリNaim Frashëri(1846~1900)が死去してから100周年にあたる。アルバニア人の世界では2000年を「偉大なるナイムの年Viti i Naimit të Madh」と位置付け、彼の故郷フラシャルFrashër村があるペルメトPërmet市はもちろん、ドゥラスDurrësでも大規模な式典&パレードが行われる。コソヴォのプリシュティナPrishtinëやマケドニアのテトヴォTetovëでも記念行事が予定されている。
(ATSh 2000.05.19)


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