アルバニア 死刑を正式に廃止
アルバニアのレヂェプ・メイダニRexhep Meidani大統領は3月31日午前のアルバニア人民議会総務会で開かれていた「死刑廃止に関する委員会」で、改正アルバニア共和国憲法にもとづいて死刑に関する条項を削除することを宣言した。
これにより、1998年11月の国民投票で既に違憲性が認められていたアルバニアの死刑制度は正式に廃止された。
(Kosovapress 2000.04.01)
「モンテネグロ語」?
先週ワシントンで開催された「バルカンの政治における民族と言語」の討議の席上、ユーゴスラヴィア連邦からの脱退・独立の動きを強めているモンテネグロ共和国の言語政策が話題に上った。これまで「セルビア・クロアティア語」とされていたモンテネグロの公用語を「モンテネグロ語」とする可能性はあるのか?という点について、ノースキャロライナ大学のロバート・グリーンバーグRobert Greenberg教授のコメント
「モンテネグロがセルビアからの独立を達成すればそれはありえる事だが、仮にモンテネグロがユーゴスラヴィアの中に留まるとしても、『モンテネグロ語』の公用語使用は既に宣言されているし、その言語はセルビア・クロアティア語とは異なるモンテネグロ固有の言語特徴を有している」
(Kosovapress 2000.04.17)
3月19日 OSCE(全欧安保機構)と国連の難民支援団 コソヴォ現地より帰還
3月23日 NATO(北大西洋条約機構) ユーゴスラヴィアへの空爆を決定 / ユーゴスラヴィア(セルビアとモンテネグロ)のミロシェヴィチ大統領 非常事態を宣言
3月24日 NATO軍 国連の承認を受けずに空爆開始 / ドイツ連邦軍 第二次世界大戦後初の戦争参加
5月6日 G7(英・独・仏・伊・加・米・日)とロシア ボンで停戦案に合意
5月7日 ユーゴスラヴィアの首都ベオグラードで中国大使館に爆撃
5月27日 国連戦犯法廷 ミロシェヴィチ大統領を起訴
6月9日 ユーゴスラヴィアとNATO セルビア人部隊撤退で合意
6月10日 セルビア人部隊 撤退開始
6月12日 KFOR(コソヴォ停戦監視軍)進駐 / ユーゴスラヴィア軍撤退
6月18日 ロシア軍 KFORに参加
6月20日 NATOのハビエル・ソラナ事務総長 空爆終結を宣言
結果:コソヴォのアルバニア人のうち約10000人がセルビア人部隊によって、また少なくとも150人がNATOの爆撃によって殺された。800000人が国外へ避難し、セルビアもコソヴォも壊滅した。
(taz 2000.04.17)
イブラヒム・ルゴヴァ 空爆1年後に語る
イブラヒム・ルゴヴァへの独誌インタヴュー
(Der Spiegel 2000.04.17)
ナシュもきたる
ミトロヴィツァMitrovicëの暫定統治にあたるウィリアム・ナシュWilliam Nash行政官が18日から現地での公務を開始した。行政官は同地の政治勢力の代表らと会談し、ミトロヴィツァの現状について報告を受けた。ミトロヴィツァではこの3ヵ月間に行政官が3回も交代している。
(Kosovapress 2000.04.18)
まぼろしの銃声
コソヴォ東部に接したセルビア共和国南部で発砲があり、未確認の情報によれば、アルバニア人1名が死亡した。アメリカ軍Bondsteel駐屯地で停戦監視にあたっていたラッセル・バーグRussell Berg広報担当によれば、21日の正午頃にコソヴォ暫定当地区の外側に面したジョルジェヴァツDjordjevac村附近で銃声が聞こえたが、発砲そのものは目視できなかったという。
なおこの情報に先立って、ユーゴスラヴィアBeta通信も同様の報道をしている。
(Associated Press 2000.04.22)
ユーゴスラヴィア 要人暗殺の系譜
ジカ・ペトロヴィチŽika Petrovićは最初の犠牲者ではない。少し前には
民兵部隊の司令官だった「ビジネスマン」ことゼリコ・ラズナトヴィチZeljko Raznatović(またの名をアルカンArkan)、
パヴレ・ブラトヴィチPavle Bulatović国防大臣
が射殺されており、さらに前には
ラドヴァン・ストイヴィチRadovan Stojivić内務副大臣、
ユーゴスラヴィア左翼連合のメンバーで国営製油企業「ベオペトロルBeopetrol」社の社長でもありミロシェヴィチ大統領夫人[ミラ・マルコヴィチMira Marković左翼連合党首のこと]にも近いゾラン・トドリヴィチZoran Todorivić、
通称「ビジネスマン」でミロシェヴィチ大統領の実子の盟友でもあるアレクサンダル・コヴァツェヴィチAleksandar Kovacecić、さらに
独立系新聞「ドネヴニ・テレグラフDnevni Telegraf」のスラフコ・チュルヴィヤSlavko Ćuruvija編集長
も暗殺されている。いずれの事件も犯人は捕まっていない。
(taz 2000.04.27)