空爆開始以後の最新情報(3月25日~4月30日)

緊急閣議召集
アルバニア情報省によれば、アルバニア共和国政府(パンデリ・マイコPandeli Majko首相)は29日午後1時に緊急閣議を招集。現状を分析し、空爆開始時点でのコソヴォからの避難民50000人を北部の町クカスKukes他周辺都市へ受け入れることを協議。併せて、コソヴォにおける非人道的な惨状の早期解決を求める宣言を採択。

難民受け入れ準備開始
  一方、3月28日付閣僚評議会の特別決定にもとづき、アルバニア各地でコソヴォからの避難民を受け入れる準備が進んでいる。北部の町カヴァヤKavajaのゴレミGolemi村では430人から500人、またプレゼPreze村でも100人を受け入れる態勢が整った。首都ティラナでも、第3学生宿舎に通常の定員数100人を越える避難民の収容を準備。また「アスラン・ルスィAsllan Rusi」体育館に1000人の収容を準備。この他、近隣の宿泊施設や「ディナモDinamo」競技場にも施設が準備されており、また各市民が自宅の敷地内に避難所を作るなど個々に受け入れ準備を進めている。食料など生活用品の供給にはUNCHR(国連難民高等弁務官事務局)、ティラナ市当局、軍のティラナ師団、文化省などが協力。ここ2日で約3000人が到着予定で、更に受け入れ枠の拡大が進められている。
(ATSh 99.03.29)



知識人5名殺害される
  NATO報道部によれば、3月29日までにコソヴォで少なくとも5名のアルバニア人作家、知識人が、セルビア軍に殺害された模様。
殺されたと見られるのは;
  「コソヴォ共和国」大統領府政治顧問で、ランブイエ会談の代表団にも参加者したフェヒミ・アガニFehmi Agani氏、
  コソヴォ議会の議員で、ランブイエ会談の代表団にも参加したイドリズ・アイェティIdriz Ajeti氏 [!!アルバニア言語学界の重鎮]、
  コソヴォ民主連盟(LDK)秘書官アルシュ・ガシAlush Gashi氏、
  コソヴォ民主連盟指導部委員ラティフ・ベリシャLatif Berisha氏、
  作家ディン・メフメティDin Mehmeti氏、
  同じくテキ・デルヴィシTeki Dervishi氏、
  弁護士で人権活動家バイラム・ケルメンディBajram Kelmendi氏、
  コソヴォの日刊紙「コハ・ディトレKoha ditore(日刊時代)」編集長バトン・ハヅィウBaton Hadziu氏、
  同じく副編集長ヴェトン・スロイVeton Surroi氏。
  ただし、何人かについては殺害の事実が確認されていない。スロイ氏の場合、コソヴォ民主連盟代表で「コソヴォ共和国」大統領イブラヒム・ルゴヴァIbrahim Rugova氏と共に地下に潜伏中との情報も。また、デルヴィシ氏とケルメンディ氏の生死について、Reuterは伝えていない。
  こうした事態に対しヘルシンキの国際人権委員会は、セルビア軍がパリ会談に関わった著名な人物を「計画的」に殺害し「未来を奪う」ことに加担していると非難、コソヴォにおける「民族浄化」に抗議する声明を発表。
(ATSh 99.03.30, taz 99.03.30, Reuter他) 



難民、続々入国
  3月29日の日中から翌30日の朝にかけて、ティラナ西方の港湾都市ドゥラスDurresには3000人のコソヴォ・アルバニア人が到着。このうち700人はカヴァヤKavajaへ向かった。また300人が工業学校の校舎に収容され、さらに400人がシュカルヌルShkallnurとシュコゼトShkozetの各家庭へ、200人が労働者キャンプへ、375人がマミナスMaminasへ、150人がマンザManzaへ、そして100人がドゥラス市内の一般家庭へひとまず落ち着いた。ゴレミGolemiの場合と同様、ホテルなど宿泊施設の部屋も提供された。UNHCRの担当者によると、既に2000台の簡易ベッドと1000人分の食料が用意されている。 ベッドの配分は、カヴァヤに700台、工業学校に300台、マミナスに350台、ティラナ北方の町クルヤKrujaに400台、シュコゼトに130台、シュカルヌルに120台、等。またドゥラスにおける食料の備蓄は、麦、米、砂糖、食用油など20000人分まで用意されている。
  コソヴォ、モンテネグロと国境を接する最北部の都市シュコダルShkoderには、30日未明、ワゴン車18台、バス9台に便乗した620人のコソヴォ・アルバニア人が到着。UNHCRによって改修された獣医養成学校と音楽学校の各校舎に収容された。同施設にはまだ1000人程度が収容可能だが、同日中にさらに1500人の避難民が到着予定。
  北部の都市クカスKukesには夜のうちに3000人が到着した。大半は老人、女性、子供。30日朝になって到着したのは5人連れの1家族だけだったが、他のコソヴォ・アルバニア人もクカスへ向かい、30日までにさらに22000人が到着した。クカスには、26日から数えると、セルビア軍の弾圧を逃れたコソヴォ・アルバニア人84000人が流入している。350人の避難民が病院で治療を受けたが、50人がセルビア軍の火器により負傷、既に4人(男2人、女2人)が死亡した。
  難民の北部集中に対応してヴロラVlora、ベラトBerat、スクラパリSkrapari、ディブラDibraなど中部・南部の都市からバスが到着。各都市へ、難民23800人の分散を進めている。ディブラでは4000人、またテペレナTepelenaやメマリアイMemaliajではそれぞれ1000人の受け入れ準備が進んでいる。農業省は、避難民の流入がきわめて大きいことから、クカスへ担当官を派遣、パンの生産状況について情報収集を始めた。
  ギリシアに近い南部の都市サランダSarandaでは、観光ホテルや別荘を開放し、300人程度のコソヴォ・アルバニア人受け入れを準備。コニスポリKonispoliなど周辺自治体でも、100人規模で同様の措置がとられている。
(ATSh 99.03.30)
 

首都ティラナでは
  3月30日夜までに、アルバニアの首都ティラナには約6500人のコソヴォ・アルバニア人が到着した。地区当局によれば、避難民のうち数家族がティラナの親戚宅へ落ち着いた。収容施設として準備された「アスラン・ルスィAsllan Rusi」体育館の収容人員は1000人までで、あくまで臨時の避難施設として使用予定。「ディナモDinamo」競技場の収容可能人数も1500人。近隣のカヴァヤKavajaには2000人が受け入れ可能で、そこのゴレミGolemi村の寮施設2つ、ティライTilaj村の学校校舎などが収容施設として準備されている。現在までのところ大規模な流入は始まっていないが、首都へ向かう街道には、既に多数の避難民が待機している模様。
  なお、ティラナの地区当局は、コソヴォ・アルバニア人救援のための募金口座を開設した。
  Banka e Kursimeve nr.2 ne Tirane (Savings Bank of Albania No.2, Tirana)
  Nr. i llogarise (account No.) 317/1700
(ATSh 99.03.30)

UNICEFによる救援
  ティラナにあるUNICEF事務局は、30日、コソヴォからの難民に向けて医療チームを派遣した。同チームは特に、戦闘による女性や子供のストレスやトラウマの治療を受け持つ。クカスには4名の専門医が向かっており、また小児用医療器具、抗生物質、その他医薬品や浄水用設備が現地へ運ばれた。
(ATSh 99.03.30)

イタリア軍とスイス軍より救援車輌
  3月30日朝、イタリア・スイス両軍より難民移動用の車輌が到着した。イタリア南部のBari港より船でドゥラス港へ輸送された車輌の内訳は、イタリア軍「サン・マルコ」大隊からバス4台、またスイス軍からは軍用トラック30台、救急車2台、リフト車2台、バス2台に消防車1台。
(ATSh 99.03.30)

個人レヴェルでの救援活動
  ドゥラス市では、一般市民やビジネスマン[アルバニア語biznesmenは、他の旧東側諸国に見られる用法と同様、成功した個人実業家や篤志家を指す]が、コソヴォからの避難民に対し食料・衣服の提供を行っている。食料品をワゴン車2台に満載していちはやく避難民に配った商店主は、厨房を開放して毎日50人のコソヴォ・アルバニア人に食事を提供している。別のビジネスマンは、マミナスへ10万レク相当の食糧援助を行った[約10万円。ただし、アルバニア人の平均月収は1万レクにもならない]。「経済的困窮にある家族を救う会」なる団体も、5万レク相当の食料・衣料援助を行った。
  ドゥラス産業センターは、援助活動が可能な市内企業のリスト作成を市当局に申し出ている。それによって1000万レク相当の物資援助が可能になるという。
  ある商店では、1200平方メートルの店舗敷地を避難民に開放。別の店でも避難民のための施設用地として500平方メートルを提供した。
  なお、ドゥラスの民放TV局テウタTeutaでは、これらの個人の氏名を番組内で紹介した。
(ATSh 99.03.30)

国際機関の動き
  現在、クカスに到着した避難民への救援を展開している主な国際機関の、その他の活動として、UNHCR(国連難民高等弁務官事務局)がクカスへビスケット10トン、欧州バプティスト連合が小麦22トン、赤十字が22キロ相当の食料品を1500箱現地へ送っている。またECHO(欧州理事会人権機構)は、UNHCR及びティラナの製パン工場の協力でパン15000斤を送った。ECHOはこの他、食肉12,5トンを用意し、10トンをクカスへ、残り2,5トンをシュコダルへ送っている。
(ATSh 99.03.30)

コソヴォ解放軍声明
コソヴォ解放軍総司令部は29日、クカスへの避難民、特に若者に向けた声明を発表し、各々の故郷に戻り郷土防衛に参加するよう訴えた。声明は翌30日、クカス市中心部に集まった難民の前で読み上げられた。声明では「アルバニア人諸君がコソヴォを愛していることを示せ。そこにこそ諸君の生活と未来がある。故郷を離れてはならない」と呼びかけている。
(ATSh 99.03.30)

一つのエピソード
  コソヴォの町ペヤPejaから遠くアルバニア南部の町ヴロラVloraまでやってきた人々の中に、21人の大家族があった。ハヂウHaxhiu一家の最年長は84歳、最年少は生後2ヶ月。29日の午後アルバニアに入国し、30日深夜の間にヴロラまでたどりついた。移動の間じゅう一家は眠り続けたが、何かに脅え続け、目には涙があふれていた。男性は84歳と60歳の二人だけ、あとはみんな女性と子供。2ヶ月前に生まれたばかりの子はずっと乳を求めていた。一族の長である84歳の老ハヂウは、語り尽くしようのない恐怖を語った;故郷にあるのは殺戮と破壊ばかりだった。ものを持ち出す暇もなく、裸同然で逃げ延びた。息子達はみな向こうにいてコソヴォ解放軍に加わっているが、どうなったかは分からない。逃げ出した時には、覆面の連中が火を放っていて、道端には殺された者達が転がっていた。武装した連中は誰でも見つけ次第狙撃し、死体は道に放置した・・・
(ATSh 99.03.30)



ちなみに
日本政府はUNHCRを通じ、食料・毛布・医薬品に1500万ドル、テント1000枚の緊急援助を決定。



 
 
 
 
 
 

(ATSh 99.03.31)



 

(ATSh 99.04.01)



 

(ATSh 99.04.02)



続 一つのエピソード
  こうした困難な状況下、コソヴォから逃れてきた妊婦の出産が伝えられている。産院の医師によれば、母親の多くが単身ここまでやって来ており、不安や疲労や設備の不足でストレスを感じており、必ずしも完璧に喜べる状態ではない。それでも、ティラナでは4月3日までに7人、また難民が集中している北部のクカスでも13人の新しい生命が産まれた。
(ATSh 99.04.03)



続々 一つのエピソード
  クカス及びハスHasへ到着したコソヴォ・アルバニア人の中では、セルビア軍の攻撃による負傷、また疲労と栄養失調に加え、衛生状態の悪化で病死する者が増加している。4月4日までで既に20人が死亡しており、うち17人は新生児である。死者の最高齢は80歳だった。
 だが一方、国境付近のヅェルヅェXerxeからモリナMorineへ至る50キロの間では4日だけで3人の赤ん坊が産まれており、この時点で計17人[!]の誕生が確認された。
(ATSh 99.04.04)



北では
 コソヴォとの国境に近いハニ・イ・ホティトHani i Hotitには、この6日間で更に3100人のコソヴォ・アルバニア人が到着した。国境を越えシュコダルShkoderまで15キロというこの地には、5日だけでもコソヴォの町ペヤPejeから500人が着き、シュコダルの体育館に収容された。始めの頃は500人だった避難民もその後急増しており、シュコダルでは3つの収容施設と一般家庭の受け入れで対応している。
 テペレナTepeleneにも5日、46人が到着し、市内の病院に収容された。既に92人が滞在しているが、更に700人の到着が見込まれており、食料供給の準備もまだ十分整っていない。
 一方、アルバニア情報省によれば、パンデリ・マイコPandeli Majko首相は5日午後5時に閣僚評議会を開き、現在コソヴォ・マケドニア国境地帯で立ち往生している避難民についても、臨時措置としてアルバニアへ受け入れる決定を下した。
(ATSh 99.04.05)

港町ドゥラスでは
 ドゥラスDurresには4月5日の時点で既に9000人のコソヴォ・アルバニア人が到着した。市当局が用意した収容施設の数は倍増している。事前に準備されていた「ヒュセン・ツェラHysen Cela」工業学校や労働者キャンプ場は収容人員を650人増やし、またホテル8軒が500人以上に部屋を提供している。シュカルヌルShkallnur村では400人の難民に5つの住居が用意された。シヤクShijakには250人、またマミナスMaminasでも学校にが収容施設となった。ドゥラスから7キロ離れたヂャフトザイXhaftozajの中心部にある工場では200人に食事を保証し、更に600人の受け入れを準備。丘陵地帯にはイタリア軍の支援で2,6ヘクタールにわたってテントが設営された。ドゥラス北方のスピタレSpitalleにもドイツ人の援助で受け入れ施設が予定されている。
 ドゥラス市当局によれば、避難民の約半数は近隣の一般家庭に滞在している。
 一方、ドゥラスでは学校レヴェルでの救援活動が始められた。「ジェルジ・カストリオティGjergj Kastrioti」高校の生徒達は募金によって海岸の労働者キャンプに落ち着いた避難民に食料・衣服を提供した。また「ヤン・ククゼリJan Kukuzeli」美術学校では、青年センターが救援情報の整理に乗り出し、「ロザナ・サリツァRozana Salica」青年団も活動に参加。宗教団体の協力も目立つ。シヤクの旧製パン工場では、プロテスタント教会から30人の若者達が老人や子供の世話をかって出た。避難民のための食堂で170人の避難民のために食事の準備をしている。
 イタリアのアンコーナAnconaでは4月29日と30日、同じくイタリア南部のバリBari、他スロヴェニアやクロアティア等の29都市の代表が集まって「アドリア海沿岸都市フォーラム」を開催、コソヴォ・アルバニア人救援の方策を議論する予定。
(ATSh 99.04.05)

首都ティラナでは
 首都ティラナへ到着したコソヴォ・アルバニア人は5日午後までに3000人、計28000人に達した。5日到着組のうち666人は一般家庭へ、250人は「ディナモDinamo」スポーツセンターに特設されたテント村へ収容された。カヴァヤKavajeには夜までに7000人が入り、ホテル、店舗、一般家庭に投宿した。
 ところでここ数日、夜のティラナ上空に妙な轟音が響いている。これはNATO軍機がアルバニアの領空を飛行する際に起こる一種の航空力学的現象であり、周辺の町でも聞くことが出来るという。
(ATSh 99.04.05)

エルバサンでは
 ティラナの南方、工業都市エルバサンには5日昼までに9619人のコソヴォ・アルバニア人が到着した。このうち約6割が市内、他は周辺の都市へ分散して受け入れられた。ペチンPeqinに1100人、リブラジュドLibrazhdのトケズィトTokezitにあるキャンプ施設には511人分のところ769人、グラムシGramshには333人。更にシュクムビンShkumbin川かツァリクCerrik市に新しい施設を作る政府案が持ち上がっている。
(ATSh 99.04.05)

南では
 ギリシアに近く、ギリシア系住民も多い南部のサランダSarandeでは、ギリシア系の団体「人権のための行動」Shoqata e Aktiviteteve per te Drejtat e Njeriutなどがコソヴォ・アルバニア人の受け入れに向け、救援活動の集約を進めている。活動の中には、コソヴォ出国時に奪われた身分証の手配、避難民のためのコンサート開催などが含まれている。
(ATSh 99.04.05)

衛生状況
 この2週間でコソヴォからアルバニア(主にクカスとティラナ)への流入は約213000人となった。UNICEF及び保健省は、特に子供のいる母親や若い女性に衛生施設の支援を行っているが、避難民の衛生状況は悪化しており、熱や下痢、腹痛といった病状を訴える者が増えている。
(ATSh 99.04.05)

勉強できるの?
 コソヴォからの避難民のうち、35%が就学生だが、アルバニアのエトヘム・ルカEthem Ruka教育相はこの生徒達のために、まずクカスやシュコダルShkoderなど北部の町を手始めに、臨時の学校を開設すると述べた。ただし、教科書など学用品の不足や、子供達が戦争で受けた心の傷、また3万人から4万人といわれる大学卒業予定者への対応など、問題は残っている。
(ATSh 99.04.05)

周辺国からの支援
 5日、UNHCR(国連難民高等弁務官事務局)とアルバニアのアルベン・デメティArben Demeti地方自治相との間で、月当たり150万ドルの支援に関する合意書の署名が行われた。(ATSh 99.04.05)
 ポーランドの慈善団体からは4日、鶏肉の缶詰3.6トンが届いた。
 サウディアラビアからは、救援物資を積んだ特別機2機が4月4日と5日、ティラナのリナスRinas空港に到着した。救援物資の中身は、米、砂糖、小麦や乳製品など食料品が120トン、寝具2000組にテント1000組。
(ATSh 99.04.05)

その頃、国境の向こうでは
 スハレカSuharekeから逃れてクカスへやって来たハサン・ベリシャHasan Berisha氏(47)によれば、同地ではセルビアの軍と民兵団が4日夜、住民40人余りを殺害、死体は郊外で2つの穴にまとめて埋められたという。
(ATSh 99.04.05)



緒方貞子ティラナへ
 UNHCR(国連難民高等弁務官事務局)の緒方貞子高等弁務官は4月7日にティラナを訪問する。ちなみに、OSBE(全欧安保協力会議)のクヌート・ヴォルベク議長(ノルウェイ外相)も6日ティラナを訪問、イリル・メタIlir Meta副首相及びカストリオト・イスラミKastriot Islami危機調整局長と会談。
(ATSh 99.04.06)

もうこんなに
 空爆開始直後の3月26日から4月5日までに、アルバニアへ流入したコソヴォ・アルバニア人は256550人に達した。しかも6日午前0時から午後11時までの間に、コソヴォからクカスKukesまでの間には既に32778人が到着、正確にはこのうち19000人が国境のモリナMorineから、また11000人がチャファ・エ・プルシトQafa e Prushitからアルバニア領内に入っている。また同じ時間帯にクカスから他の都市へ14000人が移動しており、こうした避難者は全体で104000人にのぼった。この移動のために公用車600台が使われた。この日午後11時の時点で、クカスには14万人が来たことになる。
(ATSh 99.04.06)

空港で
 ティラナのリナスRinas国際空港には5日、周辺国からの支援機が21機到着した。内訳は、フランスから10機、アメリカから4機、ノルウェイ、ギリシアから各2機、デンマーク、サウディアラビア、ブルガリアから各1機となっている。リナスには食料品など115トン、またドゥラスにも海路168トンの物資が到着。またヘリ12機(イタリアとフランスから各5機、アルバニア2機)が物資輸送のためクカスへ向かった。
(ATSh 99.04.06)

港町で
 ドゥラスDurresでは赤十字が

南で
ジロカスタルGjirokasterでは
 
 

(ATSh 99.04.06)



イブラヒム・ルゴヴァ ドイツ誌に語る >こちらへ

空爆から2週間、ドイツの輿論は
 4月5日付のドイツ週刊誌 Der Spiegelはコソヴォ問題に関する輿論調査結果を掲載した;
NATOによるユーゴスラヴィア空爆は正当だと思いますか?
 ずっと正当だと思う 50  現在は正当だと思う 28  ずっと不当だと思う 18
交渉打開のため空爆を中止すべきだと思いますか?
 中止すべきだと思う 64  中止すべきだと思わない 33
地上部隊が派遣された場合、ドイツ連邦軍も参戦すべきだと思いますか?
 参戦すべきだと思う 36  参戦すべきだと思わない 61
現在の紛争はヨーロッパ規模の大戦に発展すると思いますか?
 発展すると思う 45  発展すると思わない 54
NATOは今後「世界の警察官」になると思いますか?
 なると思う 50  なると思わない 40
もしドイツ機が撃墜されたり、マケドニアでドイツ人兵士が攻撃されたらドイツ連邦軍は撤退すべきだと思いますか?[マケドニアのテトヴォTetovoにはドイツ連邦軍兵士1200人が駐留している]
 撤退すべきだと思う 47  撤退すべきだと思わない 47
(Der Spiegel 99/14 (04.05))

イブラヒム・ルゴヴァをめぐる謎
 コソヴォ・アルバニア人指導者イブラヒム・ルゴヴァの言動が、新たな疑惑のタネとなっている。先週初めには同氏の消息不明が伝えられていたが、1日木曜日になると氏はベオグラードでミロシェヴィチ大統領と会見し、NATOに空爆終結を呼びかけた。NATOはルゴヴァ氏が本人の意思でベオグラードへ赴いたのか疑問視しており、報道された映像に問題があると主張している。西側諸国は紛争に関する氏の見解を求めるため、週末に氏を招請した。5日月曜日のユーゴスラヴィアのタンユグTanjug通信によれば、氏は当局に出国許可を申請したという。NATOは、ルゴヴァ氏が現在プリシュティナに自宅拘束されているとしているが、5日に氏と会見した在ベオグラード・ロシア大使はこれを否定している。
(taz 99.04.07)



 

(ATSh 99.04.07)



 

(ATSh 99.04.08)



国境で衝突
 アルバニアのムサ・ウルチニMusa Ulqini情報相は4月9日、同日トロポヤTropjeにあるアルバニア・コソヴォ国境のパデシュ・カメニツァPadesh-Kameniceでセルビア軍による「明白な挑発行為」があったと述べた。また同氏がアルバニア国防省の発表として伝えたところでは、衝突はセルビアの戦闘部隊とコソヴォ解放軍の間で起こったものと考えられ、同日早朝から午前中にかけて続いたという。
 またアルバニア外務省の発表によれば、セルビア側は機関銃及びその他の重火器類でアルバニア領内に向かって攻撃を行った。これにコソヴォ解放軍が応戦し、対してセルビア側は国境の検問所や付近の農家を銃撃。この「明白な挑発行為」は午後も続き、北部国境地帯の「緊張を十分に高めた」。このセルビア側の戦闘部隊はトロポヤに滞在中のOZSE(全欧安保委)職員や外国記者達にも目撃されている。同省はこの部隊を「コソヴォ外への紛争拡大を意図したユーゴスラヴィア政府の意思表示」と見ている。
(ATSh 99.04.09)



国境で衝突 続報
 4月9日のパデシュ・カメニツァPadesh-Kameniceにおけるセルビア側からの攻撃に砲弾が用いられていたと、アルバニア公安省が伝えた。同省によれば、砲撃は午後3時から5時45分まで、セルビア戦闘部隊とコソヴォ解放軍との交戦において行われた。また砲撃は国境検問所にも行われ、国境警備兵は砲火の下で状況を見守っていた。同様の攻撃は午前中も行われた。
 一方ムサ・ウルチニMusa Ulqini情報相は、4月10日の記者会見で、アルバニア・コソヴォ国境で他にも武力衝突があったこと、また正確な数は不明だが砲弾が数発、アルバニア領内に着弾したことを明らかにした。ところで今回の問題についてサリ・ベリシャSali Berisha前大統領(民主党党首)は、セルビア側の戦闘部隊が直接アルバニア領内に侵入した、と発言していたが、ウルチニ情報相はこの発言について「事実に反する」と否定した。
(ATSh 99.04.10)

それでも知的生活は続く!
 アルバニアにおける新刊書案内、そのごく一部;
 ブラム・ストーカーが1897年に著した古典「ドラキュラ」のアルバニア語訳が出版された。OMSCA社刊、定価500レク[ほぼ1レク=1円]。翻訳新刊では他にフィッツジェラルド「夜の魔術」も。エグナティアEgnatia社刊、350レク。トマス・ペインによる第二次大戦の記録「Historical Biography」はヴァスィル・ジュムシャナVasil Gjymshanaの訳でアルゲタArgeta LMG社刊、500レク。
 アルバニア人作家では、ミトハト・フラシャリMit'hat Frasheriが1915年に著した紀行文「旅の印象記Mbresa udhetimesh」。ルモ・スケンドLumo Skendo社刊、300レク。
 「ユーゴスラヴィア 民族の悪夢Makthi etnik i Jugosllavise」はジャーナリスト、学者、政治家らによるユーゴスラヴィア問題をめぐる論集。Albin社刊、600レク。
(ATSh 99.04.10)

それでも知的生活は・・・ってこれも???
 4月10日、毎年恒例の「ミス・アルバニア」参加者の第一次募集が行われ、15歳から22歳まで60人の女性が参加した。この中から24人が候補者として選ばれ、5月28~29日にティラナで開催される大会で栄えある「ミス・アルバニア'99」が決まる。参加者はアルバニア全国から、ちなみにコソヴォからの参加者は「まだいません」(主催者談)。主催は1998年秋に音楽ユニット「プロイェクト・ヨンProjekt Jon」でアルバニアのヒット・チャートを席巻したアルディト・ジェブレアArdit Gjebreaの企画会社「ヨン・ミュージックJon Music」。
[いくら何でも本当にこんなことやってていいのか?と訳しながら不安になりました;訳者]
(ATSh 99.04.10)



国境で衝突 再び
 4月11日午前11時半から終日、アルバニア北部国境トロポヤTropojeのパデシュPadesh、カメニツァKamenice、ルグ・イ・ズィLugu i Zi、旧トロポヤTropoja e Vjeterの各村落にセルビア軍から砲撃があり、ペトロ・コチPetro Koci公安相によれば市民2人が死亡、12人が重傷を負った。重傷者はティラナの軍病院へ収容されたが、そのうち4人は国境警備兵。公安省は、ここ数日来のセルビア戦闘部隊によるアルバニア領内への攻撃に対処するため、NATO軍の介入が必要であると述べている。
(ATSh 99.04.11)

アルバニア政府の反応
 この4月11日の事件の死者はその後3人となった。アルバニア共和国政府は同日午後6時、セルビア軍によるトロポヤ一帯への砲撃に関し、ユーゴスラヴィア連邦政府に対して「最近のベオグラード政府の公然たる軍事行動はアルバニア共和国の領土にも及んでいる」「こうした行為はミロシェヴィチ大統領の戦略の一部を成すものであり、バルカンの平和と安定を脅かすものである」と非難し、NATO諸国と緊密な連絡を取りつつ、必要なあらゆる手段を講じる用意があるとの声明を発表した。
 また同夜9時半、パンデリ・マイコPandeli Majko首相は閣僚評議会(内閣)を召集し、ルアン・ハイダラガLuan Hajdaraga国防相、ペトロ・コチPetro Koci公安相、レオナルド・ソリスLeonard Solis保健相ら閣僚と、今回の事態や救援活動の進展について話し合った。またこの席で、ユーゴスラヴィア政府に対するアルバニア政府の抗議声明が正式に了承された。
(ATSh 99.04.11)



 

(ATSh 99.04.12)

ボスニアと同じことを
 米国防省が入手した「信頼し得る情報」によれば、コソヴォ南西部の町ダコヴィツァDakovicaの軍事キャンプで、多数のアルバニア人女性がセルビア軍兵士に集団で強姦され、うち少なくとも20人は強姦された後に殺された。コソヴォにおけるセルビア人男性のアルバニア人女性に対する性的虐待・殺害の噂は既に存在していたが、具体的な事件が伝えられたのは今回の空爆開始以来初めて。同省は現在情報を確認中。
 OSZE(全欧安保委)がUNHCR(国連難民高等弁務官事務局)からの情報として伝えたところによると、セルビア軍は既にコソヴォの全地域を「無人化」するという「典型的な『民族浄化』」をほぼ完了した。UNHCRスポークスパーソンのユディト・クーミンJudith Kumin氏は、一連の事態がセルビア軍による住民の強制退去・家財の放棄・国境地帯への放逐と、明らかに組織的に行われていると述べた。セルビア軍は3日ほど国境を閉鎖していたため、その間避難民の流入は途絶えていたが、10日午後、4200人のコソヴォ・アルバニア人がアルバニアのモリナMorineへ移動。更に夜には、プリシュティナPrishtine近郊から1500人が到着した。(taz 99.04.12)

コソヴォ解放軍参加相次ぐ
 アルバニア北部の町クルマKrumeは実質的にコソヴォ解放軍の駐留地として機能しており、町では解放軍憲兵がアルバニア警察の警官と共に警備に当たっている。現地のOSZE(全欧安保委)職員は国境付近で解放軍への参加募集に多数の男性が応じているのを目撃。現在その数15000人。同氏の見た限り、強制的な徴兵は行われていない。
 周辺諸国でも在住アルバニア人が「義勇軍」として解放軍へ参加する動きが目立っている。スイスから来たという人物は「大学卒業間近だったが、学業を中断してクルマへ来た。コソヴォのためなら命も賭ける」と語った。
 オーストリアの国境では、解放軍に参加するべくドイツのシュトゥトガルトStuttgartからバスで通過しようとしたアルバニア人43名が出国を阻止され、ドイツへ送還された。(taz 99.04.12)

日本では(1)しか報じられていないから注意
(1)英紙「サンデイタイムズSunday Times」(ロンドン)は、ロシアのエリツィン大統領が国内のミサイルの標準をNATO側に合わせる様指示した、と報じた。
(2)一方、伊紙「ラ・スタンパLa Stampa」(トリーノ)はこれに対して否定的;「時間が経つにつれ、空爆だけではコソヴォの悲劇を阻止するに充分でないことがますます明らかになっている。ミロシェヴィチによる『民族浄化』を止めさせる手段としては、交渉の再開だけでなく、地上部隊の派遣も避けられない。難民の生存、故郷への帰還のため、ひいては周辺国の安定のため、NATOは未来を切り開こうとしているのであって、それにはロシアの協力が不可欠だ」
(taz 99.04.12)
 
 
 

Spendenkonten fur Kosovo-Fluchtlinge
(taz 99.04.12)


(ATSh 99.04.13)



 
 

(ATSh 99.04.14)



 
 

(ATSh 99.04.15)



それでもNATOを信じる人々
 アルバニアの北大西洋委員会が行ったアンケート調査によれば、コソヴォからの避難民のほとんど全員がNATOの作戦成功に期待していることが分かった。
 調査対象となったのは、ティラナの「アスラン・ルスィAsllan Rusi」体育館やその他のキャンプ地、親戚宅、またエルバサンElbasanに避難しているコソヴォ・アルバニア人で、計322人。結果は;
 調査対象者の100%[つまり全員!]がNATOの作戦活動に期待していた。
 全体の92%がコソヴォ解放軍に信頼を寄せており、8%が信頼していないと答えた。
 全体の53%は、空爆開始より前から「民族浄化」が行われていたと考えており、47%は空爆開始以降「民族浄化」が始まったと考えていた。
 全体の98%は自らが脅されてから初めてコソヴォを離れたと答え、単に混乱の中で脱出を決めたのは2%に過ぎなかった。
 全体の62.5%は家族の誰かを失っており、家族が皆無事なのは37.5%だった。
 現在の生活状況について全体の22.9%が「良い」、30.1%が「まあまあ」、52%が「悪い」と考えていた。
 また調査対象者全員がミロシェヴィチの停戦案を「欺瞞」だと考えており、同時に、アルバニア政府がコソヴォへのNATO介入を受け入れたことについて賛成していた。更に対象者全員が、NATOの作戦を成功させれば、コソヴォに戻れると考えていた。
(ATSh 99.04.16)



コソヴォ出身ジャーナリストの主張 >こちらへ

(ATSh 99.04.17)



 

(ATSh 99.04.18)



本当ならば
 NATO軍広報官のジュセッペ・マラーニGiuseppe Marani将軍は、集団埋葬地と思われる43箇所の航空写真を公開した。同広報官によれば、ペチPec郊外では45人が殺害され、またイズビツァIzbicaには更に埋葬地が確認された。
 またNATOのジェイムズ・シェイJames Shea報道官は、空爆開始から3週間で3200人のコソヴォ・アルバニア人が殺害されたと発表した。一方、ユーゴスラヴィア政府はこれを否定している。
(taz 99.04.19  Reuter, AFP 他)

(ATSh 99.04.19)



(ATSh 99.04.20)



(ATSh 99.04.21)


(ATSh 99.04.22)


(ATSh 99.04.23)

(ATSh 99.04.24)


(ATSh 99.04.25)


(ATSh 99.04.26)



アパッチ墜ちる
  4月26日午後10時15分、アメリカ軍が誇る(?)戦闘ヘリAH64「アパッチ」が、演習中ティラナ北方50kmの地点に墜落。乗員2名が負傷し、ドイツの軍病院へ移送された。兵士の身元は「防衛機密」のため明らかにされていない。人家、住民への被害はなし。原因は不明。駐留軍側は、事故後も作戦方針に変更がないことを強調している。
(ATSh 99.04.27)

(ATSh 99.04.27)



国内募金3億円に近付く
  アルバニアの銀行に1998年6月から開設されているコソヴォ救援口座への募金額は、4月28日の時点で2億8200万レク(1レク≒1円)に達した。内訳は、98%が法人からの募金。残り2%が個人からで、その人数は23の支店で1065人。
(ATSh 99.04.28)

(ATSh 99.04.28)



ルゴヴァがティラナへ?
  先頃ミロシェヴィチ大統領との会見が報道され物議をかもしたコソヴォ民主連盟代表・「コソヴォ共和国」大統領イブラヒム・ルゴヴァ氏について、アルバニアのパスカル・ミロ外相は「家族ともどもティラナで生活できるようにしたい」と述べた。コソヴォにおける重要な指導者の一人であるルゴヴァ氏をティラナへ招くことで、コソヴォ・アルバニア人の政治活動の拠点をアルバニア国内へ集結させる狙いがあると見られる。
(ATSh 99.04.29)

(ATSh 99.04.29)


(ATSh 99.04.30)

4月末のドイツ輿論
空爆で効果が上がらない場合、ドイツ連邦軍からもユーゴスラヴィアに地上部隊を派遣すべきだと思いますか?
      空爆のみ継続すべきだ    41% (うち旧西ドイツ43% 旧東ドイツ33%)
      地上部隊を投入すべきだ 17% (うち旧西ドイツ19% 旧東ドイツ11%)
      空爆を停止すべきだ        34% (うち旧西ドイツ30% 旧東ドイツ49%)
(Der Spiegel 99/17)



 

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