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ドリテロ・アゴリ 『ズュロ同志の栄光と没落』

 *ズュロ同志、大会議で脚光を浴びる の巻
 *ズュロ同志、招待状を待ちかねる の巻
 *ズュロ同志、休暇どころにあらず の巻
 *ズュロ同志、客をもてなす の巻
 *ズュロ同志、病院に父親を見舞う の巻
 *ズュロ同志、民謡歌手を招待する の巻
 *ズュロ同志、現場へ向かう の巻
 *ズュロ同志、農村の兄弟らと汗だくで語らう の巻
 *ズュロ同志、一戦交える の巻
 *ズュロ同志、エッセイ草稿を書いて憂さを晴らす の巻


第1部

ズュロ同志、大会議で脚光を浴びる の巻

1.
 昔はよく新聞にいろいろ書いていて、私の名前も読者に知られていたものだった。だが今は全く書いていない。全く書いていない気がするし、苦い悲しみに襲われる時さえある。何故、どうして書かないのか?私は昔のままだし、思考も、両手もそのままだ。自分でも不思議だ。書くことを忘れてしまった!年齢のせいだろうか?いや年齢が何だ?私は年寄りじゃない。まだ四十にもなっていない。四十代は大いに活力ある年代だ。私の活力は何処へ行った?誰が私の活力を吸い尽くしたのだ、ええ?
 自宅のキッチンのテーブルに座り、砂糖少なめのコーヒーを飲み、考え込む。目の前には、黒く埋めなければならない白紙の山。省内の科学文化指導局から明後日までの報告書を頼まれている。最初から書かなければならない。誰が読むのか知らないが。知っていることは一つ:報告書を書くのは私であり、それは大きな会議で読まれるということ。
 コーヒーを飲み、書き始める。私のペンは紙の上でこすれ、手はテーブルの時計のチクタクというリズムに合わせて動く。報告書は長いものが必要だ、二十枚。妻はソファに座り、編み棒でセーターを編んでいる。時折、横目で私をちらちら見ては、溜め息をついている。胸が痛い。「そんな報告書、いやにならない?」妻はそう思っている。そんなことは言わないが、私にはわかっている。
「アデム・アダシの記事は読んだ?あれはよく書けていたわ」妻がうつむいたまま言う。アデム・アダシは私の知人だ。私は彼ほどへたくそなものは書いたことがない。なのに彼はずっと書き続け、出版し続けている、一方私は書かない。書くのは報告書、それを読むのは他の連中だ。
「読んだよ」私は言う。
 妻が溜め息をつく。溜め息の意味はわかっている。その溜め息はこう言っているのだ:あなただっていいもの書けるでしょ。
 テーブルから立ち上がる。両手をポケットに突っ込み、キッチンの中を上へ下へと歩き回る。アデム・アダシのことを考える、彼の記事、小説のことを、近頃立て続けに発表され出すや、観客の喝采を浴び、批評家や演劇通たちからも議論され、解釈されている彼の戯曲のことを。
「まだたくさんあるの?」妻が訊ねる。
「ある」と答えながら思うのは、報告書を出さなければならない明後日のことだ。
『えい、明後日には楽になるんだ!荷物を下ろすんだ!もう報告書の代筆なんか請け合わないぞ!自分たちで書けばいいじゃないか!これからまた新聞に評論や小説を出すんだ。もういやだ!もううんざりだ!報告書にエネルギーを奪われっぱなしだ!自動販売機になっちまう!もうこれきりだ!見てろよ、アデム・アダシめ!』
「疲れたの?」妻が言う。
 手で自分の額をぬぐった。どういうわけだか汗びっしょりだった。
「疲れたさ」私は言った。
 とその時、電話のベルが鳴る。その音が私の心にぶすりと突き刺さる。受話器を取りたくなかったのに、機械的に電話に近づいている。
「どなた?・・・ああ、セルマン同志・・・何でしょう?・・・いつです?・・・いやセルマン同志、今忙しいんです。明後日までに終わらせないと・・・え、十日以内に?テーマは?・・・『文化拠点と生産』、ページ数は?・・・十五?・・・講演でお使いになるんですか?・・・いいですとも・・・最善を尽くしますよ。おやすみなさい!・・・」
 受話器を置き、溜め息をつく。おいおい、とひとりごちる。このセルマンもだ、何ページかの原稿をだ、他人に書いてくれと頼んでくるんだ。何て連中だ、全く、何て連中だ!
 妻が私に憐憫の眼差しを向ける。
「報告書なの?」妻が訊ねる。
「講演だよ」私は言う。
「教育文化局長に頼まれたの?」
「ああ、セルマン同志だ」
「あらまあ、デムカったら。何で請け合ったの?誰のでも請け合うんだから。身体を壊すわよ・・・」と、妻が編み棒片手に言う。
 この時、己を呪う:「何で請け合ったんだ?俺は科学文化指導局の報告書をまだ終えてないんだぞ。まだ別の厄介を背負い込んじまった。そら、アデム・アダシならまずこんなことやらないぞ。前にそう書いていた。俺がアデム・アダシより才能が足りなかったわけじゃないんだ。ただ枯れ果てちまったんだ。それにあいつの女房のクレオパトラだって、まだぴちぴちだぞ、それに引き換えうちのゼネペときたら、イワシみたいにガリガリじゃないか。イワシでできてるんだ俺の報告書は、暑苦しいし鬱陶しい」[訳註;ここで「イワシ」と訳した原語cironkë(学名alburnus albidus alborella )はコイ科の川魚。また稚魚、小魚全般。日常的にはイワシ(サーディン)を指すことも多いらしいので、敢えてこう訳してみました]
 私は深い苦痛に襲われる。自分で自分が情けない・・・

2.
 報告書を仕上げると、頼まれていた省内の科学文化指導局に提出した。その局は文学と芸術も担当していた。執務室には、その部門を統括するシェムシェディン同志の他に、博物館部門の長であるズュロ同志もいた。シェムシェディン同志は報告書を受け取ると、科学文化指導局でもない、省外の、もっと重要な部局にいるQ同志のところへ持って行った。Q同志のところへは部長二人が出向き、私もお供した。執務室で座ったまま、私は報告書についてのやりとりを聞いていた。それは大きな会議で発表されることになっていて、そこには著名人も大勢来るらしい。
 Q同志は一旦、我々を部屋に残したまま、報告書を持って外へ出て行った。
「報告書を読むのは私だよ」シェムシェディン同志が言った。
 相手は、薄い唇に皮肉めいたものを浮かべながら聞いていた。
「できるさ、私だって」その相手であるズュロ同志が言った。
『この二人は、報告書の出来がいいと思っているんだな』私は思った。
『もしそう思っていなければ、どちらも自分が読もうなどとはしないだろう』
「何で君がするんだ?」シェムシェディン同志は飛び上がった。「デムカには私からアウトラインを渡しておいたんだ。そのアウトラインに私は十日もかけたんだぞ。そのことはQ同志だって知っている」
 私は顔を曇らせた。シェムシェディン同志は私にアウトラインなど渡してくれなかった。彼は私と報告書の内容について会話しただけだ。しかもその会話はごく一般的なもので、そこにはアウトラインも、アウトラインらしい形式すらもなかった。
「報告書を読むのは私だ。そのことはQ同志とも話した。Q同志は了解済みだ」ズュロ同志は短く、断固たる口調で言った。
 シェムシェディン同志は机から立ち上がった。
「驚いたな、ズュロ:報告をするのは私で、君もするだと!会議で脚光を浴びようというのか。そうはいかんぞ」シェムシェディン同志は言った。
「報告書を作ったのは君ひとりじゃない、我々みんなが手伝った。私も手伝った、彼も手伝った・・・」そしてズュロ同志は私を手で示した。
『驚いたな!俺が手伝っただと?俺が最初からこの手で書いたんじゃなかったのか?』私は思った。
「報告書は私のだ」シェムシェディン同志は大声で叫んだ。「何のつもりだ君は?君は別部門の担当じゃないか、いくら我々が同じ省内で、同じ社会活動の分野にいるとしてもだ!」
 ズュロ同志はにやりと笑った。
「文化と博物館は不可分のものだよ。そりゃ、デムカが勤めているのは君の部門さ、だが私の部門とも密接な関係がある!」そしてズュロ同志は私の方に首を振ってみせた。
 そこへQ同志が戻ってきた。彼の手には報告書が握られていた。
「何をもめているんだね?」彼が言った。
 シェムシェディン同志はズュロの方をじっと見たが、何も言わなかった。Q同志はシェムシェディン同志を見つめたまま、報告書をズュロ同志に手渡した。
「ほら、読んでおきたまえ!何か必要なことがあれば付け足して、喋る準備をしておくようにな!大いに重要な会議だ。重要という意味は、君もわかっているね!」そしてQ同志は指先をぴんと伸ばした。
 ズュロ同志は報告書を受け取ると、勝ち誇った視線をシェムシェディン同志に投げかけながら、椅子に腰掛けた。
「Q同志・・・」シェムシェディン同志が言った。
 「何かね!」Q同志が言った。
「報告書を読むのは、私だったはずです!」シェムシェディン同志は言った。
 Q同志は彼を見て、微笑んだ。
「報告書を読むのはズュロだ。彼は君より良い声をしている。読むのも上手いし、冷静だ。君は感情的すぎる」Q同志は言った。
「ですが私は頑張って・・・」シェムシェディン同志は言った。
「君の働きには感謝しているよ。君も、デムカも、報告書が正確かつ優れたものとなるよう手助けしてくれた。私が君たちに言ったことを、君たちはみんな守ってくれた・・・結局はだ、報告書のために同志諸君が働いてくれた、だが読むのは一人だ」Q同志は言った。
 その後、Q同志に肩を摑まれて、私は部屋から連れ出された。廊下で彼は立ち止まり、私にゆっくりと言った。
「私も上役の代理で喋ろうと思うんだ。短めの、八、九ページぐらいの発表の予定だ。でも私は忙しくてね。ほら、今から会議なんだ。頼むよ、午後じゅうに書いてくれないかな!テーマは監督幹部の養成についてだ。言い換えれば、未来の劇場監督要請のために我々は何を為すべきか、だ。発表は明瞭で、かつ理論的水準の高いものがいい。低劣な文化の話は駄目だ。真面目な会議なんだ。頼むよデムカ、頼むからさ!」Q同志は私の肩を叩いた。
「いつまでに必要で?」私は訊ねた。
「明日までに」
「わかりました」
 Q同志は部屋に戻り、私は廊下に残された。自分で自分にうんざりだった。また今夜もキッチンで原稿を書き、妻は編み棒片手に私を気の毒そうな目で見つめるのだ。妻はアデム・アダシの出来のいい記事の話をするだろう。
 考え込んでいたら、足音と乾いた咳が聞こえた。振り向くと、シェムシェディン同志の部門に勤めているアラニトだった。私と彼とは特に付き合いがなかった。噂によれば、偉ぶったいけ好かない人物らしい。アラニトの専門は経済だったが、それから文化関係に携わるようになったという。また別の噂では、文化のみならず歴史、考古学、芸術にも広く通じているらしい。彼が会議で喋った時など、眉間に皺をよせ、幅の広いがっしりとした顎と、重低音の声質のため、一同その威厳に圧倒され、静まり返ってしまったそうだ。そのうちズュロ同志かシェムシェディン同志のポストを奪うに違いないと考える者たちもいた。ズュロ同志もそういう噂を聞いていたから、こういう陰鬱な、いつも仕事や思索に没頭している人物を恐れていた。アラニトはいつも、太い眉毛と軽蔑したような目で見てくるのだった。彼はズュロ同志など眼中になかった。しかし、ズュロ同志率いる部門はシェムシェディン同志の部門に近く、アラニトもこの両部門の案件をめぐって絶えず交流があり、しかも彼らの執務室は同じ廊下に並んでいた。
「報告書は片付いたかね?」彼が軽蔑したような口調で訊いてきた。
「自分の心配をした方がよくはないかい」私は言った。
「いかにも、いかにもな!」彼は陰鬱な声で言うと、重い足音を響かせ廊下を歩いていった。

3.
 早めに帰宅する。黒いカバンを開き、紙の束を取り出す。これだけあれば、小説でも何でも書けるだろう。昔、長めの小説を書いて「十一月」[訳註;作家芸術家同盟の月刊誌]に載ったことがある。その小説は作品集の中にも収録されている。たまに自分を話題にして貰える唯一の作品だ。今、自分が話題になるとしたら何だろう、報告書か?紙の束を見て、もの思いにふける:もしQ同志に発表なんか書いてやらないとしたらどうだ?はっきり言ってやるんだ:もういやです、勘弁してください!身体を壊してしまう。病院で診断書を書いてもらって家に閉じこもるんだ。えい畜生め!ザンジバル訪問団にでも入れて貰って、一時でも報告書や発表から逃れられないかなあ!だがもしズュロ同志がアフリカ訪問団に参加して、国際会議に出席して『アフリカ文化とヨーロッパ文化との関係性』というテーマで発表するとしたらどうだ。そんなところに行った日には、またしても報告書から離れられない。あいつらアフリカのジャングルの耐え難い暑さの中でも追いかけてくるぞ・・・ええい、もしエスキモーの土地まで行ったとしても、後から後から報告書が!・・・は?ズュロ同志がアフリカに行くって言われてる噂は本当だって?何処にそんなチャンスがあったんだ!・・・
 妻がドアを開けると、私はテーブルの前に立ったままでいる。妻の顔に喜びと活気が見える。私に近付くと、私の首に両手を回し、こう言う:
「今夜はドゥラスに行きましょうよ。ねえ、デムカ?ザナが婚約したのよ」
 ザナは妻の妹だ、つまり私にとっても義妹だが、長いこと独身で、なかなか男が見つからなくて、悲惨な・・・
「そりゃめでたい」私は冷たく言う。
「五時の列車で行くわよ。二か月ぶりね」
「どうしようかな」
「どうしようかなって何よ。二人してみんなから離れましょうよ。向こうに籠もって、もう何処にも出かけないの」そう言って妻は、私の首から両手を放す。
 明日Q同志に原稿を渡すことになっていることを話すのが、私は本当に情けない。明日渡すとしたら、それは今夜書かなければならないということだ。
「俺は行かないよ、ゼネペ。一人で行けばいい」私は妻に言う。
 妻の顔がさっと曇る。ソファに座り、私に悲しげな視線を向ける。それから白い紙の束に目をやる。それから私の黒いカバンに目をやる。
「あなた・・・また・・・」妻がゆっくりと言う。
 私は無言だ。
「荷物は下ろしなさいって、私も言ったでしょ」
妻は溜め息をついた。
「Q同志に頼まれたんだ、大きな会議で発表するから俺に書いて欲しいって」私は妻に言う。
 妻は私のタバコを一本取り、火をつけると吸い始める。失望しているのだろうと思う。またしても彼女の機嫌を損ねてしまった。彼女一人ドゥラスへ行かせ、私はお祝いに参加できなかった。
「デムカ、あなた小説を始めるつもりでいるんでしょ。あなたが聞かせてくれた話、素敵だったわよ・・・」沈黙の後、指先にタバコを挟んだまま妻が言う。
 私は疲れて椅子に座る。額に手をやり言う:
「ちっとも始められないんだ、ゼネぺ!」
 ゼネぺは黙り込み、私はもう返事をして貰えないような気になる。もし返事をするとしたら、報告書のことで私を責めるのだろう。
 彼女はカバンから新しい本を一冊取り出すと、それをテーブルに置く。それから昼食の仕度を始める。私は本の表紙を眺め、そのまま考え込む。皿に料理を盛りつけながら、ゼネぺが言う:
「デムカ、あなたもうずっと一冊も本を読んでないでしょ。本なら何でもあるじゃない、アルバニア語に、ロシア語に、フランス語に・・・前はもっと・・・」
 ゼネぺにそう言われて、まるで他人に言われているような気がして情けなくなる。みんな私の本の虫ぶりを知っている。確かに、全く本のページをめくらなくなっていた。読むのは報告や決定ばかり、そしてマルクス、レーニン、スターリン、毛沢東の引用ばかり。その引用にしたって、頼まれた論文や発表に必要だからだ。
「その点において君は正しいよ。問題は、読書をする状況が困難になっていることだ。諸々の分野に密着した日常の活動に集中しなければならなくて、文学的創作以外の活動に関わらざるを得ないのでね」私は何を思うでもなく機械的に喋る。
 妻が立ち上がる。妻は私の言葉に驚いている。
「デムカ」彼女が言う。「自分が何を喋ってるかわかってるの?」
私は笑う。
「君が驚いてることに驚いてるよ」
「何で驚いてるのかって?あなたが『その点において』なんて言うからよ。そんな言い方、前はしなかったのに・・・」
 私は我に返る。自分でも気づかないまま、自分の妻に向かって、自分が書いている報告書の言い方で話しかけていたなんて・・・一瞬ぶるっと震えるが、持ち堪える。妻の眼を直視したくない。
「別に気にするなよ。冗談だよ」
「やめてよ冗談なんて、デムカ、やめてちょうだい」妻は言い、彼の前に皿を置く。
「もうデムカったら、何を言ってるの?」
 食事をしながら、私は自分の人生と、ズュロ同志と、そして奇妙にもアラニトについて考えを巡らせる。我々三人の間に何か変化が起こるだろうか。そんなことはあり得ない!何が起きたって、よその方へ流れて行ってしまうだろう。俺は一生報告書に関わり続けるのか?もしもアラニトがズュロ同志の立場だったら、あいつは俺に報告書を書いてくれと頭を下げたりしないだろう!
「あり得ない!」スプーンを持ったまま、皿の前で声を上げた。
「どうしたのデムカ?」ゼネぺが不安そうに言った。
「何でもないよ!ちょっと考え事を」
 妻は気の毒そうな目で私に顔を近付け、そして言った。
「デムカ、報告書を貰ってきてちょうだい」
 私は驚いて妻を見つめた。
「報告書なら毎日貰ってきてるだろ」
「まあデムカったら!私が言ってるのは診療の報告書よ!」
 妻は溜め息をついた。

4.
 翌日、私はQ同志に原稿を渡し、翌々日にその大きな会議が始まった。発表はズュロ同志が行うことになっていた。シェムシェディン同志は憮然とした顔で前列に座っていた。私は、ズュロ同志の妻アディラの隣に座っていた。ズュロ同志とQ同志は壇上にいた。
 ズュロ同志が発表する番になった。私は自分の言葉を聞いていた。ズュロは穏やかで、明瞭で、美しい声音で読み上げた。誰もが彼を見つめ、興味深げに聞き入っていた。ズュロ同志の妻は何度も私の耳元に口元を寄せ、こうささやいた。
「この二週間ずっとズュロはこの報告に悩まされてたのよ。夜十二時まで準備してたの。でもよかったわ、だって彼、よくできてるもの」
 私はうつむき、黙っていた。彼女の言葉に何度も吹き出しそうになった。
「まあ見てなさい、みんな気に入るはずよ。ズュロはね、どんな仕事をしたって、うまくいくの」彼女が言った。
「いくね」私は言った。
「ズュロのことがいまいましいって人たちもいるわね。ねえ知ってる?シェムシェディン同志があの人から報告書を取り上げるつもりだったんですって。ズュロが報告書を作ったら、シェムシェディン同志がそれを読んで自慢しようとしてたのよ。それを耳にしたQ同志が、シェムシェディン同志に冷や水を浴びせてやったのよ、これはもう一生忘れられないでしょうね!ねえねえ知ってる?」
 私の脳裏に怒りがわき上がった。この馬鹿女をのしてやりたい欲求が生まれた。だが我慢した。
「大変な仕事よねえズュロも!本当にお疲れ様だわ!報告書を書き終えた晩は、みんなでパーティーだったわよ。重い荷物を下ろしたんですものね。私たちだってそうよ。家じゅう解放された感じよ、ずっと緊張してたから」彼女が言った。
 その時、会場に拍手が鳴り渡った。ズュロ同志は汗を拭い、パチパチと打ち鳴らされる音が鎮まるのを待った。それは心からの拍手であった。その報告書の箇所こそ、私にとって会心の出来の箇所だった。そこには少しばかりのユーモアと、そして少しばかりの諧謔が込められていた。会場共々、私もまた感動を覚えていた、私も見知らぬ者の一人として、大講堂の椅子に腰かけているようだった。
「Q同志は本当にズュロの報告を気に入ってくれているのね!見てよQ同志ったらにこにこして」アディラはそう言いながら壇上に顔を振り向けた。
「そりゃもうね、あの人は報告書を読んでズュロに言ってたのよ、『読んでいて満足しきりだよ、ブラヴォー!君には感心したよ』ってね」
「ああそうかい」私はそう言って、自分の思考を何処か会場の外へ追いやって、このお喋りを聞かないようにしようと努めた。だが彼女はお喋りをやめなかった。
「あなたもズュロの報告書は読んだでしょ、それとも今初めて聞いてるのかしら?」アディラが訊いてきた。
 私はもう耐えきれなくなった。
「ズュロ同志より先に読んでるよ」
 彼女は一瞬固まった。それから笑い出した。
「もうデムカったら冗談ばっかり!」
「たまに冗談をね」私は言った。
 その時、またも会場内に拍手が鳴り渡った。ズュロ同志は報告書の原稿をまとめ、マイクの前から離れた。彼の発言が終了したのだ。
 午後から討論が行われることになっていた。
 私はズュロ同志の妻と一緒に会場を出た。会議が行われている建物の廊下には、人々がズュロ同志を待ち構えていて、握手を求めていた。
「実に良い報告だったよ、ズュロ同志!・・・」
「素晴らしい!・・・」
「重要な問題提起だ!・・・」
 広々とした階段を作家アデム・アダシが、その妻である、ブロンドのようにつややかに輝く顔の美貌の女性と共に下りてきた。その細長い首の端の方には、小さなほくろがあった。二人は、私とアディラに気付くとこちらに近付いてきた。クレオパトラは微笑みながら、まずはアディラに、それから私に手を差し出した。彼女は喜びを抑えきれない様子だった。思わず知らず、彼女はその小さな掌をぱちぱち叩いていた。
「まるで奇跡のようだわ、ズュロ同志は!ああ、あんな心を震わせる演説ができるなんて!」彼女が言った。
「大いに満足したよ」アデム・アダシが言った。
 アディラにすればこういう、感じがよくて教養ある女性から、自分の夫に関する情熱的な意見を聞かされるのは心地いいものだった。クレオパトラはこの首都の中で、現代的かつ教養ある女性の一人に数えられていた。
 その教養の高さを、ひとしずくのニヒリズムがさらに美しく引き立てていて、それをここぞという瞬間で絶妙に使いこなす術を彼女は知っていた。そして彼女がそのニヒリズムを表に出す時、その表情には軽く、心地良さげな憂鬱の影がさすのだった。
「それに私ね、素敵だと思ったところをメモしておいたのよ。バッグにあるから」そう言ってクレオパトラは彼女の白いバッグから紙を一枚取り出すと、読み上げた。
「『教養は人間に気高さを与え、太古の獣性の根幹を一掃し、人間を美しいものとする。教養ある人間は美しい』ですって!まるで奇跡だわ、ねえアデム!」彼女は声を上げ、自分の夫の方を見た。
 私は聞いていた。アディラは喜びと誇らしさで輝いていた。
 アデム・アダシは妻と共に立ち去った。アディラはそれを愛おしげな眼差しで見送った。広い廊下の真ん中では、ズュロ同志が十重二十重に囲まれていた。人々の顔には満足感と歓喜とが光り輝いていた。彼らはズュロ同志の報告書について賞賛の言葉を送り、その大いに重要な問題提起について評価を述べていた。彼らの姿勢には市民としての大きな懸念が表れていて、彼らが行動に己が身を投じ、それらの問題を早急に解決せんと備えていることは明らかだった。そんな人混みの中、ズュロ同志の傍らには、更に二人、高名な文学芸術批評家であるザイム・アヴァズィとミトロ・カラパタチがいて、一方はひどく背が高く、もう一方はひどく背が低かった。こういう大きな会議で、重要かつ総合的な問題について見解を表明してくれるこの二人の存在は欠くべからざるものだった。二人は単に文芸批評家というだけでなく、社会・文化生活の世界における当世きっての思想家でもあった。二人の記事を、まるで七月真っ只中の冷たい水のように、全ての新聞雑誌の編集部が待ち構えていた。それに忘れてはならないことだが、ザイム・アヴァズィもミトロ・カラパタチも才気煥発なる論客だった。その鋭いペン先に燃え上がる炎によって灰になりたいと思う者は誰もいなかった。
 私とアディラは離れたところで、飛び交う言葉だけを聞いていた。
「奇跡的な!・・・」
「きわめて重要な!・・・」
 それは、ズュロ同志の発表に冠せられた修飾語、ザイム・アヴァズィとミトロ・カラパタチの口から発せられた修飾語だった。
 ズュロ同志の妻は飛び上がらんばかりだった。自分の夫にみんなが握手を求めていることを彼女は喜んでいた。心のこもった言葉を耳にする度彼女は若返るようだった。
 シェムシェディン同志が、暗い顔で、我々の傍を通り過ぎると、ズュロ同志に近寄り、冷淡に手を差し出し、そして立ち去った。
「嫌でも応でも、握手はしていったわね」とアディラがシェムシェディン同志について言った。
「ああ見せつけられちゃ仕方ない」私は言った。
「確かに」彼女も言った。
 そうやってアディラと話していると、小会議室の方から出て来たのはアラニトで、いつものように眉間に皺を寄せ、深く太い皺が刻まれた額の、その上に重みのある髪をひとふさ垂らしていた。彼は我々の方に氷のように冷たい視線を投げかけると、そのがっしりした顎に手をやり、一旦立ち止まった、アディラは挨拶するつもりでいたが、アラニトは一言も口をきかずドアの方へ歩いていった。アディラはむっとして言った:
「あんな・・・あんな気取った奴、今まで見たことがない!ああもう、頭にくる!」そう言って彼女は唇を尖らせた。
「誰にだって性格というものがあるさ!」私は言った。
 人々が解散すると、私とアディラはズュロ同志の手を取り、一緒に外へ出た。彼は緊張で顔を紅潮させ、汗をかいていた。しかしその表情には大いなる満足感と、隠しようのない幸福感があらわれていた。
「座ってても気が気じゃなかったわ。ずっと思ってたのよ、『ズュロの報告はどう思われるんだろう?』って。でもよかった、よかったわねえ」アディラは自分の夫にそう言った。
 三人で通りを歩いていた。喋っていたのはアディラだけだった。彼女の言葉が私の耳元でわんわん鳴り響いていた。
「デムカにあなたの報告を読んだのって聞いたらね、この人何て言ったと思う?『ズュロ同志より先に読んでるよ!』ですって。面白いこと言うわねえ!デムカがこんな冗談言う人だったなんて知らなかったわ!」そう言って彼女はけらけら笑った。
 ズュロ同志の顔が曇った。彼は私に険しい視線を向け、そして妻の方を向くと、わざとらしく微笑んでみせた。
「デムカが冗談なんて珍しいな、でも、言う時は言うんだよ」
 そう言うと、我々は黙り込んでしまい、そのまま大通りの真ん中まで歩いた。
 別れ際、ズュロ同志は私にゆっくりした口調でこう言った。
「私は最近、科学文化・芸術指導局に移ることになったんだ。君も一緒じゃなきゃだめだと言うつもりだよ、シェムシェディン同志もろとも君まで異動ということになってるからね。シェムシェディンは飛ばされるよ、知ってたかい?君には私の右腕になって欲しいんだ。君のことは上層部にも、Q同志や他の人たちにも話しているよ。うちの部門で大規模な人事異動が行われることになっていてね。時代に合わせた仕事の手法や様式を導入することになるだろう、現代社会の発展段階が求める通りに、今日の人類の一般的な文化水準が求める通りにだ。全てが科学的な基盤のもとに執り行われるだろう」とズュロ同志は、情熱的かつ楽観的な口調で締めくくった。
 アディラは彼の口元をまっすぐ見つめていた。彼女は彼の言葉を、普遍的な価値を有するその言葉を、ひたすら丸呑みしていた。
「で、アラニトは?」私は訊いた。
 ズュロは私に厳しい視線を向けた。
「よしてくれよ、デムカ、幹部の問題に立ち入るのはやめたまえ。忠告しておくがね:幹部の問題は、文学の問題とは違うんだ、造形の問題とも、主題の問題ともね・・・」
 それでも私は続けて訊いた:
「じゃ、シェムシェディン同志は何処に?」
「別の地区に異動になるよ」彼は言った。
「どうして?」
「彼の部門には問題があったからね・・・そういうことだよ、知っての通りさ!」
「でもズュロ、あなたそんなこと言ってなかったじゃないの!」アディラが口を挟んだ。
「わかった、わかった。だから言ってるんじゃないか。それはもう幹部の問題だ、幹部については党の専権事項だよ、せん・けん・じこう!」そう言ってズュロ同志は私の方を見た。「君、私と一緒に仕事するのは嫌かい?」
「そう決まったことなら」私は言った。「しかし考えさせて欲しいな」
「よく考えて、返事を聞かせてくれよ」彼は言った。
 我々は握手を交わし、別れた。私はズュロ同志に必要とされていた。それも大いにだ。とその時初めて、シェムシェディン同志が報告書を読ませてもらえなかった理由がわかった:彼は飛ばされるのだ。

5.
 午後から討論が始まった。私はズュロ同志の妻アディラと、先程の会場の同じ席に座っていた。アディラは見栄えの良い婦人だった。彼女と知り合ったのは二年前、シェムシェディン同志の部屋だったが、あの時は彼に依存していた私が、これからはズュロ同志に依存することになるのだ。
「あなた、シェムシェディン同志よりズュロといる方がいいわよ」アディラは発表を聞きながらそう言った。
「私はどっちでもいいよ」
「シェムシェディン同志はいい人だけど、小さなことにこだわり過ぎ。私は文化会館の責任者で、あの人のことは上役としてよく知ってるの。マンドリンやチフテリ[訳註;アルバニアを含むバルカン半島で用いられる、弦二本から成る細長い楽器]の弦にまで口出ししてくるんだから。でもズュロが関わるのは芸術を通した美学教育という大きな問題だから、小さなことには口出ししないのよ」
 演台に、茶色の背広に身を包んだQ同志が姿を現した。最初、彼は低い声で発言を始めたが、やがて徐々に声を張り上げていった。
「Q同志はズュロが大のお気に入りなのよ。しょっちゅう家に電話してくるんだもの。それにズュロが科学文化指導局に入るのにだって口を挟んできたんだから」
 そこまで言ってアディラは口を閉じた。Q同志が、殆ど聴き取れないほどの勢いで原稿を読み上げていたのだ。場内はざわめき、私はQ同志が苛立ち、段落をまるごと読み飛ばしたことに気付いた。私は絶望に襲われた。Q同志は彼自身の発表を手早く済ませようとしているようだった。そんなわけで彼の言葉は会場どころか、壇上の面々にも好印象をもたらさなかった。
「駄目、駄目、ズュロだったらこんな発表で出てこようなんて思わなかったでしょうね。酷いわ!本当に酷い!Q同志もしくじったわね[訳註;逐語訳は「大頭」]。何でちゃんと準備しなかったのかしら?」ズュロ同志の妻は言った。
 場内のざわめきは更に増していた。私は顔を赤らめうなだれていた。
「あなたも恥ずかしいの?」彼女が訊ねた。
「みんな聞いちゃいない」私は言った。
「当然でしょ」彼女が言った。
 Q同志は発表を終えた。誰も拍手をしなかった。彼は憮然として壇上の席に座り、赤みをおびた額を掌で覆った。ズュロ同志がQ同志の方に振り向いて何か言った。Q同志はどうにか微笑んでみせた。
 なお数人の参加者が発表してから、休憩に入った。
 私は会場を出た、タバコを吸いたかったからだ。廊下でばったりQ同志と出くわした。彼は私の足元を見つめた;そこから私の顔にまで視線を遣った。
「聴いてたかね君の力作を?効果は絶大だよ!」彼が言った。
「あなたの読むのが速かったんですよ」私は言った。
「ゆっくり読んでいればあんなにざわつかなかったろうさ、それならそれでみんな寝ちまっただろうからな」彼が言った。
 私はつい吹き出してしまった。
「君が笑ってるのは君自身の失態だぞ」Q同志はそう言うと、私の前から立ち去った。
 私は会議の場にいたくなかった。こんなやっつけ仕事をしたのは初めてだった。Q同志にはちゃんとした原稿を書いていなかったのだ。私はズュロ同志のために作成した報告でくたびれていて、Q同志の原稿は通り一遍に済ませてしまったのだ。引き受けるんじゃなかった!・・・
 その時、私の頭に、書きたい小説の題材が浮かんできた。アデム・アダシの記事について話す妻ゼネペのことも頭に浮かんだ。そう今こそ!もう他人の報告も発表も書かないぞ!
 まさにその時、肩に手が置かれるのを感じた。ズュロ同志だった。
「相談した件、考えてくれたかい?」ズュロ同志が訊ねてきた。
「何のこと?」
「私のところで働いてくれるだろう?」
「私はどっちでもいいよ」私はズュロ同志の妻に言ったのと同じ言葉を繰り返した。
「それは有り難い」彼はそう言うと、こう付け加えた。
「Q同志は準備不足だったね。壇上からもそう見えたよ。具合でも悪かったのかな?私に言ってくれれば、手伝ったのに。私なら自分の時間を引き換えにする用意はあったんだよ。いや本当にね、二晩も原稿に取り組めば、論旨を手直しすることだってできただろうさ。ほら、君が頑張ってまとめてくれた報告書を、私が手直ししただろう?君は資料集めを頑張ってくれたが、私はそれを最初から書き上げたんだ。実際、報告というのは誰かが手伝ってくれても、最後の手間をかけるのは発表する本人だからね。私はこれを論文の形にして、『十一月』に載せてもらうつもりだよ。事業の組織的実践に関する若干の箇所は短くして、理論面で幾らか付け加えるんだ。編集部の例の連中にそうしてくれと頼まれてね。まあ何にせよ、やってみるさ」ズュロは言った。
 ズュロが話し終えようかというところに、教育文化局長のセルマンがやってきた。笑いながらズュロの肩を叩き、報告はこの上もなく気に入ったと話し、「十一月八日」地区の教員と住民に読んで聞かせたいから写しを貰えないかと言った。ズュロ同志が写しを差し上げると約束すると、セルマンはにっこり微笑んで立ち去った。私は、自分がセルマンのために書かなければならない論文のことを思い出し、憂鬱に押しひしがれた。
「デムカ、どうした?」ズュロ同志が言った。
「別に!」私は言った。
 ズュロ同志を呼ぶ声がした。
 私は廊下を数回うろうろしてから、建物の外へ出た。ズュロ同志の言葉が耳に残っていた。
「とんでもない奴だ!」そうひとりごちた。


ズュロ同志、招待状を待ちかねる の巻

1.
 ズュロ同志は省内の新しい部門のブレーキ桿を手にした。そして私もまた、その部門に就くことになるとの通知を受けた――つまり、ズュロ同志の下で働くということだ。その知らせから三、四日して、私は彼のところに顔を出しに行った。細長く、幅の狭い廊下を抜け、自分の新たな上司がいる扉の前に立ったが、そこには番号があるだけで、ネームプレートも何もなかった。人差し指を曲げ、扉を叩いた。
「はい!」中から声がした。
[訳註;原語“Alo!”は電話の「もしもし」にも用いられる]
 それこそ、ズュロ同志のかねてから念願していたことの一つだった:彼は「入りたまえ」でなく「はい」と言った。この言い回しは彼の海外留学時代の、と或る教授からの受け売りだった。
 ズュロ同志は机に向かい、右手で頬杖をついていた。視線は分厚い書類に注がれており、左手でページをめくりながら「ふむ、ふむ、ふむ」と口元でつぶやいていた。ゆっくりと、彼の静謐を妨げないよう注意しながら、私は彼の机に近付いた。ズュロ同志は白髪混じりの頭を上げ、それから無言のまま、受話器を取った:
「・・・あ、ツテか、もしもし!今夜は何処に?・・・え、今夜の式典?・・・私かい?・・・勿論!・・・そう、そうだ、招待状ならここにあるよ!」そうしてズュロ同志は顔を赤らめ、そして陰鬱にふさぎ込んでいた。
 そうして彼はふさぎ込んだままで、目の前の私のことなど忘れてしまっていた。彼は再び受話器を取り上げ、誰かに電話をかけた:
「こちら宛の招待状は何通かね?・・・三通?・・・で誰に?・・・バキルに一通・・・タチに一通・・・それで三通目は誰に出してる?・・・アラニトに?ああ了解、了解だ!それでいい。こちらの上層部はいつもその式典には出ているからね。みんなにも行ってもらうよ・・・」
 そして受話器を置いた時、彼は私に気付いた。
「やあ、デムカか!さあさあ!まあ掛けたまえよデムカ」そう言って彼は肘掛け椅子を示した。
「来たよ!」
「ああ、来てくれたね!新たな仕事の始まりだ。出だしは上々だな。来てくれたのに気付かなくて申し訳ない」と言って彼はぶ厚い書類を持ち上げたが、またそれを机の上に置いた。
「これを読むのに没頭していてね。大学の連中に厄介事を持ち込まれたのさ。『アルバニア史』の改訂第二版だよ。コメントをつけたら山のようになってね。連中、悪い仕事ぶりじゃないが、主観的な解釈だらけ、そればかりか不正確なところだらけで(ズュロ同志は普通「それだけでなく」と言うところを、代わりに「そればかりか」という語を使った)。まあ掛けたまえよデムカ、掛けたまえ!」[訳註;「それだけでなく」「そればかりか」の原語はそれぞれ“përve甓përpos”だが、後者は在外アルバニア人がよく用いるとも言われる]
 私は肘掛け椅子に腰を下ろした。机に敷かれたガラス板の下に、ヴァイオリンを持った子どもの写真が挟んであった。しげしげと見入ってから誰だかわかったのだが、それはズュロ同志の息子のディオジェンだった。するとズュロ同志が私の視線に気付いた。
「ディオジェンだよ、未来のベートーヴェンさ!」そう言うと彼は声を上げて笑った。「それがね、とんでもない子なんだよ。交響曲を書き始めたんだ。十歳にして、神童だね!譜面を見たら驚くと思うよ。その交響曲に何てタイトルをつけたと思う?『炎の春』だってさ。君ならどう見るね?息子がおかしくなりゃしないかと心配で・・・そのうち君にも会わせてやろうと・・・おやデムカ、どうかしたかい?」
「用があって来たんだが」
「そんなの言わずもがなじゃないか。万事わかっているよ。君にここにいてもらうための心積もりはできているさ。我々の仕事を軌道に乗せるまでにはいろいろ面倒もあるだろうがね。やれやれ!シェムシェディンだよ、彼が今までここの部門を率いていたんだが、どれもこれも混乱ばかりさ!仕事に規範というものがないんだな!仕事に対する思い入れがない連中ばかりだ!驚きだよデムカ!時代に合った仕組み作りが、仕事に科学的方法をうち立てることが必要だというのに。やれやれ!」
 ズュロ同志は立ち上がると、ズボンのポケットに両手を突っ込み、肘掛け椅子に座った私の前で、室内をうろうろし始めた。
「君なら私の右腕になってくれるだろう。我々の前には広大な事業の平原が広がっている。そこはまさに、知恵と知見と社会科学とを武器とすべき戦場だ。そしてこの戦場でも、求められるのは戦術と戦略と方法と制度だよ。制度とは、これすなわち仕事のやり方の弁証法的統一だ。シェムシェディンの失敗は、制度と方法の欠如ということで説明がつく。彼自身の能力の限界と文化的形成の空白が、敗北につながったのさ。それもこれも、なあデムカ、単純なことだと思わないかね。君も哲学的に考えてみることだよ。哲学によってこそ説明がつく・・・あともう一つ言っておくと、哲学って語を書く時のLは一つじゃない、二つだ」
[訳註;「哲学」のアルバニア語の綴りは本来filozofiだが、ズュロの発話では全て“fillozofi”になっている。]
 その時、電話が「さえずった」。ズュロ同志は電話がすぐ傍にあったにもかかわらず、すぐそれを取ろうとしなかった。彼は電話のベルが数回鳴るままにさせていたが、というのもそれが何年も前から仕事に追われている時の彼の習慣だったからだ・・・電話のベルが聞こえると、彼は首を振った:
「我々に仕事させないんだな!・・・」そして机に肘をつき、電話を取った。
「ああ、Q同志ですか?・・・忙しいですとも!・・・休む暇なんかありませんよ・・・はい?知識人と文化施設についての論文を書いてるところですよ。幹部向けのつもりですが・・・ええ、そうです、科学的見地に照らしての・・・えっ?いくつモスクがあったのか、1938年にいくつあったのかって?こっちじゃわかりませんよ。統計が使いものにならないんで[訳註;原語は「統計は川のために」]。でも数字だったら、私が五年前にやった調査から出せますよ・・・ええ、ええ、勿論。ご要望の通り、ご要望の通りにね!・・・奥さんはお元気で?お子さんは?ああ、そうですか!・・・今夜の式典ですか?・・・いつも通りですよ。向こうでお目にかかりましょう。勿論ですとも!・・・アディラなら元気ですよ。そちらに行きたがってましたがね、ディオジェンのことにかかりきりで、それどころじゃないんですよ。例の交響曲の件で・・・あっはっは!ええ、ええ、残るはオーケストラばかりでね。おっしゃる通り・・・ではまた後ほど!」
 ズュロ同志は電話を切ると、私の方を向いた。
「Q同志もとんでもない人だよ。私が招待されてるかどうかまで気にかけてるんだから。私のところに部局から招待状を送らせると言っていたが、彼を煩わせるまでもない。たぶん家に届いているだろうからね。Q同志こそは偉大なる探究者さ。私の論文にも興味を示している。昨日も私の家に来ていたんだ。いろいろ話したんだが、またその論文の話になってね。私はQ同志が心配だよ、大きな仕事のせいですっかりやつれていてね。馬車馬のごとき働きぶりさ。何度も言ったんだよ、健康に気をつけろって、だけど聞き入れやしない。実際、省内もQ同志に頼りっきりだ、君も知ってるだろう、彼が働いてる省内でさ。彼の前では、我らが閣僚さえ直立不動だよ。はっは!シェムシェディンだって、Q同志が異動させたんだからね。はっは!」
 廊下からゲラゲラ笑う声が聞こえてきた。あと数分もすれば終業時間だった。ズュロ同志は顔を曇らせ、私に意味ありげな視線を投げかけた:
「ほらね、どうしたらあいつらに礼儀を身に着けてもらえるんだろうな?誰が仕事中だとかもう終わったとか、こっちが知るもんかい!シェムシェディンのせいで行政にゆるみが出てしまったんだな。行政は国の顔だよ。行政が腐るっていうのは、国の顔が腐るってことなんだ」
 そして彼は机から立ち上がると、扉を荒々しく押し開けた。
「おい頼むから邪魔するのはやめてくれ!今日はお願いだが、明日は命令だからな。私をこれ以上の高圧的な仕事にかからせないでくれ・・・頭脳労働と調べものには絶対的な静寂が必要なんだ。もしも君らが騒がしい中で仕事するのに慣れっこだというなら、私はそんな状況を許さないぞ」そう言って、ズュロ同志は扉を閉めた。
 彼の手にはまだ大量の原稿が握られていた。最初は私もそれに気付いていなかった。やがて、原稿がずっとそのままであることに気付いて、私は思わず噴き出した。
「おかしいかいデムカ?あの連中にイライラして、ついこのいまいましい原稿まで摑んでしまったんだよ!」彼は微笑み、机に戻った。
 廊下の騒ぎは途絶えていた。ゲラゲラ笑っていた連中も、書類を手にしたままのズュロ同志を目にして、固まってしまった:なるほど自分たちは調べものをしている彼の集中を散らしてしまったのだ、と・・・
 部屋の中で再び電話が鳴った。ズュロ同志は両手を腰にやった:
「聞こえるだろ?こんな環境で仕事しろってのかねえ?!明日から電話に鍵をかけようかな。鍵は君の部屋に置いておこうか。我々二人で電話は一台にするんだ。重要じゃない連中には言っといてくれよ、私は仕事で忙しいって」それから彼は電話に向かった。「ええと、どなたです?・・・ええと、どなた?・・・ああセルマンか?・・・地区の会議?・・・いいよ、進めておくよ・・・先週のカンボジアの死者が何人かだって?おいおいセルマン!私が教えられるのは勢力の分布とか、戦況の進展とか、戦況の激化とかであってだな、一日何人死んだかなんてのはなあ、もう勘弁・・・いや、いや、勘弁してくれ、私にはまるっきり無理なんだ。そういうことは『ゼリ・イ・ポプリト』の外報部のサコ・バンゴ記者に聞いてくれ。彼なら知ってるから・・・」それから彼は私の方を向いた。「聞いたろ?これこそスキャンダラスというものだ!セルマンときたら、カンボジアの死者のことなんか聞いてきて・・・」
 ズュロ同志は一分刻みで仕事、移動、活動に追われていた。彼はまるで、国民生活のありとあらゆる悩み事と面倒事を背負い込んでいるかのようだった、それも、彼自身の子供たちへの教育、ディオジェンの音楽の才能を伸ばすことの悩みや苦労とはまた別にだ。ああディオジェンよ!どれほどこの息子にズュロ同志が頭を痛めてきたことか!ズュロ同志は、ディオジェンの才能がかくもか弱い年頃に開花することを望んではいなかった、自分の息子が頭でっかちになってしまうのではないかと恐れていたからだ。人間とはまずもって、穏健な市民であるべきで、然る後に才能があるべきなのだ。そうだ、ズュロ同志は、彼は望んでいなかった・・・アディラはというと、反対に、ディオジェンを音楽に関わらせようと躍起になり、気まぐれに欲しがるものも全て与えてやった。なるほど、確かに息子が音楽に関わるのはいいが、しかし交響曲などという大層なジャンルの作曲などできるわけがない。その件で家庭内には対立が勃発していた。ズュロ同志はディオジェンの譜面を隠してしまった。アディラは警告した:「ディオジェンの交響曲の譜面はどこなの?」そして大声で叫び出し、更には神経をたかぶらせ泣きわめき始めた。そうするとズュロ同志は譲歩を見せた:再び譜面を引き渡したのだ。さんざん振り回された挙げ句に・・・
「さてデムカ、君も家に来ないか。ディオジェンともお近づきになってもらいたいんだ」ズュロ同志が言った。
 私は首を振った[訳註;否定ではなく肯定のしぐさ]。がその後で不安になった。『ディオジェンとお近づきにだって!まるでディオジェンが俺と同い年みたいじゃないか!』私はそう思った。
 ズュロ同志は机に着いて、引き出しをごそごそやり始めた。両手を紙やメモ用紙に突っ込むと、その中からタイプ打ちした紙の束を取り出した。
「まだこの調査の件でやらなければならないことがたくさんある。思いついたことはメモにしてあるんだがね。公文書館にも入り浸らないと。二つか三つのデータで五十ページも書くような人たちもいるが、すごいね・・・いや勿論、私一人で資料なんか全然集められるわけがないよ。君にもあと少しだけ資料集めをして欲しい。なに心配はいらないさ!私もいくらか道筋をつけておくよ。そうやって大抵の連中は調べものをしてるんだからさ。みんながみんな自分だけであらゆる事実を集められるなんて、まさか思ってやしないよね?とはいえ、それを取りまとめるのは自分自身でね・・・例えばアンドレ・モロワという学者の話だが、彼が『フレミング』について書く前に呼び出したのが・・・」
[訳註;アンドレ・モロワ(André Maurois)はフランスの作家。ここで言及されているのはLa Vie de Sir Alexander Fleming(邦訳『フレミングの生涯』)のことだが日本ではむしろ『デブの国ノッポの国』の作者として有名]
 その言葉が最後まで終わらないうちに電話が鳴った。電話はすぐ鳴りやんだが、それからまた鳴った。また鳴りやんだ。また鳴った・・・
 ズュロ同志はにやりとした:
「アディラだ!三回鳴った。これが我が家の合図なんだよ。君も憶えておきたまえ!」
 彼は受話器を取った。
「アディラかい?・・・え、海辺の家かい?・・・勿論さ。うちの局長が部屋と調理場を・・・誰か職員に頼んであるよ。ええ?・・・ホテルの方がいいかな。うん、うん、ちゃんとやっておくよ・・・ん? Q同志かい?今夜の式典で会おうって言われたよ・・・演壇に立つかどうか訊かれたかな?いつも壇上には座らないんだ、まあ他の連中に任せて・・・僕の招待状来てるかい?・・・えっ、まだ来てない?・・・まあいいよ、今に届くだろうさ。あの老いぼれ連中が取り違えたかな。郵便配達の奴ら!・・・ディオジェンはどうしてる?・・・交響曲を?・・・根の詰め過ぎは禁物だよ!蜂蜜は食べさせたかい?・・・食べなかったって?・・・あれは記憶力がよくなるんだよ。あの子には活力が必要なんだ。創作活動をする人間に活力がないというのは、実に損失が大き・・・わかった、わかった、すぐ帰るよ」
 ズュロ同志は私を見て、溜め息をついた。
「ほらな、またQ同志と会わなきゃならん。しかも彼は宗教に関する論文の準備をしてるんだ。私に情報を求めてる。どうしたものかな。家に帰って、時々書いておいたメモをパラパラ眺めて、今夜の式典で会ったら渡しておこう。さて、郵便配達が招待状を持ってくるのなら、私は家にいて・・・」
 ズュロ同志は立ち上がった。カバンに自分の調査の「論文」を入れると、私に首を振って促したので、一緒に部屋を出た。
「デムカ、君は監査官のところへ行きたまえよ!明日には君の部屋も貰えるだろう」
 彼は狭い廊下を、ゆっくりと、カバンを小脇に抱え歩いて行った。

2.
 別の部屋に行きたいとは思わなかった。ズュロ同志の目の前で肘掛け椅子に座っていたらくたくたになってしまった。そんなことよりも、私はコーヒーが飲みたかった。それで、ズュロ同志に続いて私も外へ出た。カフェ「ティラナ」に入り、窓際のテーブルに腰を下ろした。座ったままあれこれ考えていると、自分で自分に笑えてくるのだった:『俺からすればズュロ同志は驚異的だ。俺は大勢の人間と一緒に仕事をしてきた。その大勢の心理も、性格も、道徳心も、気まぐれも見当がつく。だが俺が出会ったその人間たちだって、ズュロ同志とは比べものにならない。彼と仕事でどう付き合っていったらいいんだろうな、一体?どうやら彼は自力で発表や報告を書き上げているようだ。俺は資料を集めるだけでいいらしい。少なくともそういうことなら、まだ楽だろうが・・・』そんなことを考えながらテーブルに掛けていた。今まで私はシェムシェディン同志と一緒にいることに慣れていて、生活の変化を夢見ていた。すると不意に、こんな考えがひらめいた:『毎日、ズュロ同志とのやりとりの一部をノートに書いておいたらどうかな、電話で彼が話したこととか、他の人たちと話し合ったこととか――これは滅多にないものになりそうだ。そうだ、俺はまた文学に関われるぞ!ゼネペに見せつけてやるんだ、最も力強い作品はどちらなのか、アデム・アダシが婚約者だか破談者だか肩幅の広い男どもだかホヂャだかについて書いたものか、それともこの俺が書いたものか・・・』そしてまた笑った、ただし今度は声に出してだ。そうして笑った後で、急に私は理解しがたい悲しみに襲われた。脳裏[訳註;原語は「第二の良心」]に報告の文言がわんわん鳴り響いた。それはいつもこんな風に私を悩ませてきた。私が何かしら歓喜に打ち震えている時でさえ、報告の文言が私の意識の壁をがんがん叩き、その燃え上がったばかりの喜びを打ち消してしまうのだ。『ズュロ同志のところでだってそうだ』私は一人思った。『報告書からは逃れられない。私はズュロ同志に必要とされている、だから傍にいて欲しいと頼まれたんだ。しばらくは、彼も私をそっとしておいてくれるだろう。だがその後は?』私は自問した。『ズュロ同志に悩まされないとしても、Q同志に悩まされるだろうな。Q同志だって報告書が必要なんだ。お前の背には、なあデムカよ、真っ黒に埋め尽くされた原稿の紙が、真っ白な書類カバンに詰め込まれ、負わされるんだ』
 再び私は気でもふれたように笑い声を上げた:「いかん、いかん、どうも俺はしくじるところだったらしい・・・」
 テーブルで、ズュロ同志の招待状のことを思い返した。彼がそんなにあれを待ち望んでいるなんて!きっと招待状は届かなかったのだ。待たされ損というわけだ。招待状が来ないことは彼にだってわかっている。そしてもし来ていないとすれば、来てはいたんだ、ただ行く気がしなかったんだ、と彼は言うのだろう・・・Q同志は敢えて今夜の式典をすっぽかし、ズュロ同志の家に来ようとしているのだ(とズュロ同志は考えるのだ)。
 私はズュロ同志に対して申し訳ない気分だった。自分に招待状があればくれてやるのに。彼が行けばいいんだ・・・
 テーブルに掛けていると、窓の向こうに同僚のバキルの姿が見えた。彼は私に気付くと、引き返してきた。
「うちじゃ自分の机で仕事するようにってことになってるけど、君ときたら上司と並んでお仕事かね」彼が言った。
「行ったのは初めてだよ」
「へえ、ご指導を仰いでたとか?」
「相談してたんだよ」私は答えた。
「『科学的見地』の第一講でも聞かされたか?」
「もっと別の話さ」ズュロ同志の話題に触れられたくなくて、私はそう言った。
「それで、ディオジェンの楽譜は見せてもらったかい?」バキルがまた訊いてきた。
「いいや」
「そりゃ妙だな!あいつはあれをカバンに入れっ放しなんだが・・・」彼は笑いながら言った。
「コーヒーでも頼むかね?」私は彼に訊ねた。
「何もいらないよ」彼は言った。「ズュロ同志とは前から知り合いなのかい?」
「少しだけね」
「俺はあいつをよく知っているよ。昔から大いに親しくしていてね。あいつは、俺があいつのことを笑いものにしていると思って、それで避けてるんだ」バキルが言った。
「以前、一緒に何か仕事でも?」
「学校でクラスが一緒でね。それから、あいつは責任ある立場になった。それでも、まだ付き合いは続いている。今だって友達さ」
 私と彼はそこで沈黙した。窓からぬるい空気が流れ込んでいた。薄地のカーテンが、風が吹くたびに幾度も揺れ動いた。
「ズュロ同志の夢はね、何処かヨーロッパの国の大使に任命されることなんだ」バキルが言った。
「それは聞いたことがある」私は言った。
 バキルは笑った。
「いつか言っていたが、何処かの国の大使になって欲しいと頼まれたのに、断ったというんだよ、知ってる人もいなければ知ってる場所もない、そんな単調な生活は気に喰わないと言ってね・・・『一つの大きな社会に慣れきった者にとって、外国は厄介だ』だとさ」
 私もつい笑ってしまった。バキルはズュロ同志の声を実に忠実に真似してみせた。彼はズュロ同志の抑揚に乗せて言葉を発し、同じ身振り、同じ仕草をしてみせた。おそらくこれのせいで、ズュロとバキルの間は冷え切ってしまったのだ。誰かを笑いものの座に据えること以上に悲惨なことはない。哄笑は相手を武装解除させてしまう。アリストパネースは哄笑でもって神々を武装解除させた。バキルには、何かユーモアのある話をする際に大声で笑いながら相手の膝をぺしぺし叩き、さらに気を引こうと腕をつつき回す[訳註;原語cëmbithは余り一般的な語ではないが、アゴリの文章では「(食べ物をフォーク等で)つついて粉々にする」「(耳たぶを)いじくり回す」等の意味で用いられている]癖があった。
「で、あいつの家に行ったことは?」そう訊きながらバキルは私の腕をつついてきた。[訳註;どうでもいいことだが、こういうアルバニア人は割といる]
「ないよ」
「行ったら楽しめると思うよ」バキルはそう言って、片目をつぶってみせた。
「どうして?」
「何も教えられないな、興味が失せてしまっちゃいけないからね。ただ、行く時はこの俺も連れて行ってくれよな」そう言うと、彼は席を立った。
「そう急がなくても、もう少し」
「いやもう失礼するよ、デムカ」
 私は一人残された。頭の中で再び、ズュロ同志の生活について書くべきことについて思いをめぐらせた。ところが急に、その気分が途切れてしまった。思い出したのはアルフォンス・ドーデの『タラスコンのタルタラン』[訳註;原題Tartarin de Tarascon. 岩波文庫の邦訳名は『陽気なタルタラン』]で、自分の書くことなど、あの才気溢れる書物の中に書かれている事々とそっくりなような気がした。『みんな、おれが「タラスコンのタルタラン」を真似したんだって思うだろうな』そう思った。その後でまた、冷静さを取り戻した。『タラスコンのタルタラン』は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』やゴーゴリの『死せる魂』やサッカレーの『虚栄の市』よりずっと後に書かれているが、しかしドーデがこの三つの有名な小説を真似したなどと非難する者は誰もいないのだ。
 そんなことを考えながら、私は立ち上がった。昼を過ぎていた。妻も仕事から帰っているはずだ、それで私もぼちぼち帰宅することにした。
 帰宅すると机の上に封筒があったが、そこには『ゼネペ同志へ』と書かれていた。
 封を開けると、中から出て来たのは一枚のすべすべした厚紙だった。招待状だった。
 招待状を手にしたまま、私はキッチンに入った。妻は料理を更に盛り付けているところだった。
「今夜の式典の招待状だろ?」私は訊ねた。
「何かおかしい?あなたが報告を書いてるんだから、私が呼ばれるのは当然でしょ?」
そう言って妻ゼネペは狡猾な[訳註;原語dhelpërakは「狐のような」]笑みを浮かべた。
「おかしいな、そういう招待状が、ズュロ同志には来てないんだが」私は言った。
 妻は皿を手にしたまま、驚いて目を見張った。
「何ですって?ズュロ同志が招待状を貰ってないんですって」
「残念ながらね」私は答えた。
「あり得ないわ!」妻は言った。
「それがあるんだよ!」
 更に二言三言ほど言葉を交わしてから、私と妻は食事にかかった。
 午後の休息の後、妻は暗色系のスーツと白いブラウスを身に着け、私と一緒に外へ出た。妻が行くのは今夜の式典だが、私はアデム・アダシに会って、文学について意見交換をし、来たるべき自分の小説の構想を語るつもりだった。勿論、その構想を得た源泉が何かは言わないつもりだった、彼はズュロのことを知っているのだから。とは言え、気付かれるのではないかという不安はあった。
 私は妻と腕を組み歩いた。文化宮殿前の広場を通ろうとしたところで、ばったりズュロ同志と出くわした。彼は黒いスーツに小さな水玉の入ったネクタイをしていた。その顔には厳粛な雰囲気が漂っていた。私を見つけると彼は近付いてきて、微笑みながら、私の肩を叩き、こう言った:
「今夜の式典かい?」
「いや、妻の見送りさ。彼女が招待されたんだ」私は言った。
 ズュロ同志はゼネペの方に振り返った。
「これは失礼、気が付かなくて。ご機嫌いかが?」そうして彼女に握手を求めた。
「さあ行きたまえ・・・私も少し後から行くよ・・・」
 ちょうどその時、ツテ・バブリャがやって来るのが見えた、髪を幾らか片方に撫でつけ、ズボンは刀剣のようにがっちりアイロンがかけられていた。妻もツテ・バブリャと顔見知りだった。彼は民俗学研究所の所長だった。
「遅くなってしまったね。行こうか?」そう言って彼は私の方を見た。「デムカ、君もか?」
「ゼネペが招待されたんだ」
「じゃゼネペ、並んで座ろうよ、こりゃ嬉しいな最高だよ[訳註;逐語訳は「だって君が好きなのさ、抱きしめてくれよ」だが、あくまで軽口であり、深い意味はない]」 そう言ってからツテ・バブリャはズュロ同志の方を向いた。
「ズュロ、来いよ!」
 ツテ・バブリャは幼少期からズュロ同志のことを知っていた、バキルがそうだったのと同じように。彼はズュロ同志の、とりわけその聡明さを苦手に思っていた。ツテ・バブリャはバキルのように嘲笑こそしなかったが、それでも折につけズュロ同志をからかってくるのだった。
[訳註;このCute Babuljaは作者のお気に入りらしく、別作品『悪魔の棺(Arka e djallit)』にも同名の人物が登場する]
 ズュロ同志は黒いカバンを小脇に抱え、片手をポケットに突っ込んでいた。
「とっとと行けよ、ツテ!俺はQ同志を待ってるんだ。今俺が取りかかってる調査の件で話があるんだよ」彼はそう言った。
「少しは息抜きしろよ、旦那[訳註;原語は「白い扉」転じて「家長、主人」]!晩餐会でも仕事の話かい?」そう言ってツテ・バブリャは片目をつぶった。
 ズュロ同志は笑った。
「お前だってQ同志のことは知ってるだろう。あの人は一分だって無駄にしないんだ。俺にどうしろと?俺は頼まれたんだぜ。『後生だから』とね。『この研究発表の論文に目を通してくれたまえよ』とね。それは受け取ったがね。俺は笑ってこう言ったさ:『もし私が幹部会に選出されでもしたら、この件はどうなるんでしょうな?』そうしたらQ同志は俺に言ったんだ、俺が選ばれないよう幹部会に手を回しておくんだと、ここにいて欲しいんだとね」とズュロ同志は笑った。
 私はどうにか吹き出しそうになるのを堪えた。そのことはツテ・バブリャも気付いていた、見た目は毛深いが頭の切れる奴だ。
「それはそうだが、あんまり無理しない方がいいと思うぜ」ツテ・バブリャが言った。
「俺たちの年齢ともなると、働かなきゃならんのさ」ズュロ同志は言った。
「俺が部屋にいた間、配達係からは一通の招待状も届かなかったがね」私はこみあげてくる笑いを止めようとして、そう言った。
 ズュロ同志は右肩をすくめ、少しだけ赤面すると、私の方を向いた。
「配達の連中なんて頭が空っぽなのさ。家に妻の姿が見えないから、お隣さんに渡していったんだな。あいつは私に招待状を手渡すべきだったんだよ、『幹部宛』とでも書かれてあったなら尚更だ。私が幹部入りしないようQ同志が手を回してくれていなかったら、とんだ恥さらしだったところだよ。幹部会同志の面々はもう半時間も前に入っている。こっちは今しがた招待状を見つけたばかりなのに」とズュロ同志は言った。
 私たちは皆、彼の最後の言葉については信用することにした。
 ゼネペが私を肘でつついて、ズュロ同志の招待状のことなら大丈夫よとささやいてきたので、私はその言葉に同意した。
「さてそろそろだ、ゼネペ、行こうか?」ツテ・バブリャが言った。
「行きましょ」ゼネペはそう言うと、ツテと二人して文化宮殿へ続く広場を通り抜けていった。
 ズュロ同志は、ツテ・バブリャが我が妻ゼネペの手を取る様を横目で見て、溜め息をついた:
「いい奴なんだよ、あのツテ・バブリャという男、ただし大飯喰らいだが。以前、狩りに出かけた時に、鳩を二十羽ばかり仕留めたことがあってね。それでツテ・バブリャを夕飯に招待したら、あいつ私の鳩を十一羽も平らげやがったんだ、十一羽もだぞ!」ズュロはピンと指先を立てた。
 そうしているうち、私はズュロ同志がひどく落ち着きをなくしていることに気付いた。
「どうしたんだろうQ同志は!どういうことなんだろう、一体?!」と彼が訊いてきた。
「君は、下手すると今夜の式典に出そびれるかもしれないな」私は言った。
「それが心配なんだ」とズュロ同志は言った。
 彼と別れてから私は一軒の雑貨屋に行き、タバコを一箱買った。そこは文化宮殿の正面階段のすぐ目の前だった。最後の招待客たちが階段を上がっていった。しばらくすると、雑貨屋の前を足早にズュロ同志が通り過ぎた。彼はその歩みを進め、「十一月十七日」映画館のある狭い通りへと入っていった・・・私はタバコに火をつけ、溜め息をついた。ズュロ同志が気の毒に思えて・・・

3.
 私はアデム・アダシのところへ行かなかった。他人のために報告や発表を書き始めていなかったころのように、文学に関わりたい願望がまたぞろ戻ってきそうな感じがした。『この点に限っては、ズュロ同志に感謝すべきだろうな』と思った。彼は私の、意識の奥底で眠りかけていた創作への感覚を甦らせてくれた。他方で私は、型に嵌められてきた反動で、自分の小説に報告書の文言や、或いは自然主義じみた文言を溢れ出させてしまうのではないかと不安だった。いやそんなわけなどない。今夜から書き始めよう。何としても、ズュロ同志の形象を解体してやるんだ。畢竟、文学とは何か?人間の再創造だ、創造者の魂と思考というフィルターに通すことだ。対・人間だ。被造物だ。抽象だ。彫塑されたる煙の塊だ。
 そんなことを考えながらその晩を過ごしていたら、やがて式典の終了時刻になった。それで、瞑想に耽っていたそのカフェを出ると、妻を迎えに、文化宮殿の広場へと向かった。
 人々が外へ出始めていた。私はきょろきょろとゼネペを探していた。すると不意に、一体何処から出て来たのか、ズュロ同志がカバンを手に、汗をかきながら姿を現したのだ。
「奥さんも出て来る頃だろう」彼が言った。「私はもう暑くてたまらなくてね、急いで出て来たんだ。こんな集まりの晩はタバコが恋しくなるよ![訳註;逐語訳は「タバコで鼻が焦げるように」]
 ズュロ同志はタバコに火をつけると、うまそうに吸い始めた。
 ちょうどそこへゼネペと、ツテ・バブリャがやって来た。
「おい何処に隠れてたんだい旦那!ちっとも見かけなかったじゃないか!一番最後の列にいたんじゃないのかい?」とズュロ同志が言った。
「最後列の辺りだよ」ツテ・バブリャが言った。
「だと思った。俺はQ同志と一緒に最前列にいたんだ。全く休む暇もなかったよ、研究発表を読むのに没頭していてね。Q同志ときたらとんでもないね。偉大なる探究者だよ!『じゃこの思想は君ならどう定式化するね?じゃこの論文は何処が重要だね?じゃこの評論は何処に本質があるのかね?・・・』と、いやいや、もう何百と質問攻めに遭ってね!それで、まあ、会えなかったというわけだよ」ズュロ同志が言った。
「大した仕事が、君の肩にかかってたんだなあ」とツテ・バブリャが言った。
 私は何もかも知っていたから、笑ってしまいそうだった。雑貨屋の前を、会が始まった後でタバコを買っていた私の前を歩き去るズュロ同志の姿を思い出していた。
 私は妻の手を取り、おやすみの挨拶を告げつつ彼らと別れた。
 歩いている途中、ゼネペが私に言った:
「ズュロ同志って忙しいのね。今夜の式典でも大変だったんだわ!でもあなた、あの人には招待状がないって言ってたわね!」
 私はゼネペをまじまじと見つめ、そしてこう言った:
 「大した奴だよ、ゼネペ、彼は大した奴だ!・・・」
 途中で、相変わらずの書類挟みを小脇に抱えたアデム・アダシと出くわした。どうやら彼も今夜の式典に出ていたらしい。その集まりでの話をしてから、彼は小脇に抱えた書類挟みを左手に持ち、高く掲げてこう言った:
「やっとだよ、我が脚本『嵐は打ち倒されし』が人民劇場で上演だ。芸術評議会でも好評でね、曰く、我が国の作劇論に対する新たな貢献だとね」そう言って彼は笑った。
「そりゃよかった!」私は言った。
「まあ確かにね、連中も大袈裟に言い過ぎなんだよ、新たな貢献とはね・・・いずれにしても、私は新しいものを形作ろうと努力してきたんだ。たぶんズュロ同志だって、ゲネプロを見ればそう評価してくれるだろう。批評家連中にはどう映るか分からないがね、とりわけミトロ・カラパタチとザイム・アヴァズには」と彼は思案気に言った。
「彼らは正しく評価してくれると思うよ」と、今は望んでいなかったこの邂逅から逃れようと私はそう言った。
「もし時間があるなら、君にも読んでもらえないかな、ただ私の見るところ、君は忙しいようだ」アデム・アダシはそう言いながら書類挟みを見やった、その表紙の下にはタイプ打ち六十枚が収められていた。
 私は沈黙した。彼は、私に読む気がないのだと理解してくれた。
「そう言えば、ズュロ同志が休暇を取るそうだね」と脚本を書類挟みに入れたまま、彼は言った。
「そんな馬鹿な!」私は言った。
「私だって信じられないさ!ズュロ同志は忙しいからね」そう言いながら、彼はダイティ山に視線をやった、まるでその山筋に沿ってズュロ同志の魂を追ってでもいるかのように。
 それからすぐ我々は別れた。アデム・アダシは書類挟みを小脇に抱え、自らの芸術的創作が、既に多大な人気を得たかのように、誇らしげに歩き去っていった。


ズュロ同志、休暇どころにあらず の巻

 ズュロ同志は休暇に入るように言われていたが受け入れなかった、何故なら首まで仕事にどっぷり漬かっていたからだ。それで彼の部下が全員集合した:バキル、タチョ、そして私は彼に、休暇を取って骨休めして欲しい、あなたは過密な活動でひどく疲れ切っているのだから、と言った。
「休暇どころじゃないよ。そりゃ君たちの言うことは正しい。私だって、全ての市民と同様、骨休めが必要だ。だが私にはできない。ついさっきもQ同志から電話があって、休暇を取るよう言われたんだ。私は抗議して・・・」と、調査の論文を手にしたまま彼は言った。
 すると、省内の職能団体代表でもあるバキルが言葉を挟んだ。
「我々は幹部を守らなければならないんだよ、ズュロ同志。一昨日だって、すんでのところで君は気を失うところだったぞ。君は自分で自分を痛めつけている。私にはね、君が休暇を取り、休息に入るよう圧力をかけるという、職能組織としての義務があるんだ」
 ズュロ同志は我々全員を順々に見ていった。まあ想像してみたまえよ、それはまるで、顔を揃えて何かをお願いする子供たちを見つける善き父親のようだった。
「我々の部署が置かれている状況は、私が休暇を取ることなど許しはしないよ。私はまだこの部署に来たばかりだ、だから今年は休暇を取り消すことに決めたんだ。我々の前にはすべきことが山積みだ。十月には大きな民俗祭もある。祭典を成功に導くには、汗をかき、頭だって使わなきゃならん。私は現場へ出向き、そこで起きていることを見て、参加する芸術家グループが置かれている状況を仔細に調べる[訳註;直訳は「匂いを嗅ぐ」]つもりだ。私はそれらのグループの、物質的基盤における諸問題を解決するつもりだ。私がやり合うのは官僚ら、監督ら、管理者ら、責任者ら、協同組合の代表者ら、あれこれと芸術家グループの足を引っ張る連中さ;そういう連中は才能ある要素を認めようとせず、雑務に縛りつけたままにしておくんだ、何故ってあいつら、計画通り実行することしか頭にないんだからね。私にはわかるよ、自分はこういう官僚連中と格闘しなきゃならないってことがね、しかし勝利は我らの側にありだ。あと、そういう国内での格闘だけじゃない、我々は国外でも、国際会議を通じて格闘することになるかも知れない。歴史が我々に、歴史の拠るべきところ、それすなわち我々の拠るべきところを守るために、闘争し、行動せよと呼んでいるんだ。我が国は、歴史の正しき拠りどころを守る唯一つの国であり、人間にとってのまっとうな偽りなき幸福がある唯一つの国なんだ。それなのに君らは私に休暇を取れと言ってくる。よしてくれ兄弟諸君!全体の利益は個人の狭量に勝る!それが私の原則さ!さあ頼むから、君らの仕事に戻ってくれ、各々の部署の持ち場に着いてくれ。君らの中に休暇を取るつもりの者がいるなら、今すぐそうするがいいさ、骨休めして来たまえ、ドゥラスでも、ヴロラでも、シャンジンでも、ディヴヤカでも、ダイティでも・・・そうして新たに英気を養って戻ってくればいいさ」
 そんな、我々にとって大きな教訓となるような演説を終えると、ズュロ同志は椅子から立ち上がり、もうこれで面会は終わりだと言わんばかりに両手を広げてみせたので、我々は揃って彼の部屋を退出することになった。
「まあ、そうだな」私は思った。「実際その通りだな!この人ならアフリカまで行ってしまいそうだな!いやはや!俺はそんなアフリカなんてごめんだね!そんな大陸を、あんなところを、ポケットに演説原稿を突っ込んで縦断するなんてごめんだね!」それから、ふと他の連中を見た。
 タチョは興奮で顔を真っ赤にしていた。彼はぶつぶつ呟きながら、ズュロ同志への大いなる尊敬の念を感じて微笑んでいた。
「大した男だよ、我々が今まで見てきた上司連中とは違うね!」と廊下で語るタチョは、ズュロ同志との面会から受けた印象でまだ顔を紅潮させていた。
「ズュロ同志は俺たちが大事にしなければな。ズュロ同志が俺たちのせいで倒れてしまうことだってあり得るぜ」とバキルが、口の端に或る種の感情をにじませ言ったが、タチョはそれが気に喰わないらしかった。
「おいバキル、いつだって君は高潔な人間性を馬鹿にしようとするんだな」
「俺は馬鹿になんかしてないよ。ズュロ同志は俺たちが大事にしなければ・・・」バキルが言った。
 タチョはそれでも、バキルの言い分に納得していなかった。
「君は好きに言うがいいさ、それでもズュロ同志は大した男だよ!シェムシェディンとはまるで違う!」タチョは大真面目にそう言った。
 そんなことをしているとズュロ同志が、調査論文の書かれた紙の束を手に、ドアを開けた。
「おいおい!」ズュロ同志が言った。「邪魔になっているのがわからないかね君たち?」
「すみません、ズュロ同志!」タチョはそう言って真っ先に廊下から姿を消した。私たちも後に続いた。
 その時、ズュロの呼ぶ声が聞こえた。
「デムカ、待ってくれよ!君に用があるんだ。おうい!」
 私は引き返した。ズュロ同志は私の肩に手をかけて、部屋へと引っ張り込んだ。そして肘掛け椅子に座るようにと手招きした。私は座った。彼はアルバニア語や、それ以外の言語で書かれた書類と本で溢れ返った机に腰掛けた。大きな黒縁の眼鏡をかけ、表紙が灰色の分厚いノートを開き、赤いペンを手に取ると、私にこう言った:
「さあ書いてくれデムカ!え、紙がないのか?だったら、私のメモ用紙から少し分けてあげよう。何か書いてあったりしないだろうね、あったらそれはうちの蔵書で書き留めたものだ。デムカ、君もメモとカードを使って系統立てて仕事をするのに慣れることだよ!メモには番号を振っておくといい!引用文の最後には作者、書名、ページと出版年を書くこと!で私が書き込んだカードやメモは入ってないだろうね・・・」
 それらを繰ってみると確かに、表に書き込みのあるカードが四枚見つかった。
「君がくれたメモ用紙だが、この四枚は君のだろう」そう言って、私は彼にそれを手渡そうと腰を浮かせた。
 ズュロ同志は微笑んだ。
「それは何て書いてあるかね?」
 私は一枚目を読み上げた:
 サクソフォンは125年目の誕生日を迎えた。それが噂に名高い楽器職人アドルフ・サックスによって生み出されたのは1845年のことだ。サックスは生みの親の名字であり、「フォン」は音色を意味するのだろう。
 ズュロ同志は手を振った。
「もういいよ!その話題はディオジェンのために書いておいたんだ!子供たちには、私はおとぎ話を話して聞かせる気はなくてね、科学の話にしたんだ。次は?」
 私は二枚目を読み上げた:
 人間は眠っている時でさえ、かなりのエネルギーを消費する。測定したところ、人間が睡眠時に行う運動の結果として消費するエネルギーは相当なもので、日中の活動時に要するエネルギーに比すると、500キロの重りを民家の一階から二階へ持ち上げるぐらいのものだった。
 ズュロ同志はまた手を振った。
「もういいよ、それはバルヅィのために書いたんだ!バルヅィは知ってるかね?八歳の男の子なんだが、動物学と植物学にめっぽう目がなくてね。実にすごい子なんだよ!で次は?」
 私は三枚目を読み上げた:
 生命は、そのありようとして、それ自体のうちに死の萌芽を擁している。ヘーゲル、哲学百科事典[訳註;邦訳名『エンチュクロペディー』で知られるヘーゲルの主著]より
 ズュロ同志は両掌で頭を抱えた。
「おやおや何てこった!そのメモを失くしてしまうところだったよ!それはヘーゲルの思想の一番重要な部分だ、エンゲルスも『自然の弁証法』の『生と死』の章で触れているよ!で次は?」
 私は四枚目を読み上げた:
 人類で最も背が低いのはポーリン・マスターズで、その身長は56センチだった。
[訳註;Pauline Mustersは19世紀後半に実在したオランダ人女性で、ギネス認定されている史上最も背の低い女性]
 私は笑った。ズュロ同志は顔を曇らせた。
「高いと思うかね君は?」
 私はさして気にも留めず返答した。
「高いね」
「ふざけてるのかデムカ?ディオジェンが生まれた時は54センチだったんだ、つまり成人時のポーリン・マスターズと同じだぞ!」ズュロ同志が言った。
 私は赤面した。
「悪かったよ!低いって言おうとしたんだ」
「ほうら、な、そうやって私を驚かすんだからな君は」とズュロ同志は笑いながら、既に書き込みのある分の埋め合わせとして、別のカードを手渡してくれた。私がそれらを調べてみると、更に五枚、表にメモを書きつけられたカードが見つかった。
「どうなってるんだこりゃ?どれもこれも何かしら書いてるんだな私は」そう言ってズュロ同志は笑った。「何を書いたんだっけな?」
 私はその中の一枚を読み上げた。
 思想は飛翔する、鳥の如く。その鳥を我々は見る、その思想を感じる。そこに差異がある。ズュロ・カンベリ。エッセイ。
 私は驚いてズュロ同志を見つめた。私が読んだのは、彼のエッセイだったのだ。
「まあまあ、いいんだよ、そいつはね、概念的現象に関する私論だよ。たしか全部、そういう現象の部類についてだよ。具体的現象に関する分は家にあるんだ。いや何てこった、そっちの方は机の上に置いてきてしまったなあ!で次は?」
「何て書いてあるかわからないよ」私は言った。
「ちぇっ。どうにも読めやしないな!えーとなになに、こう書いてあるな:私は音を愛する、教会の鐘の音だけでなく・・・人々の声を愛する、だがそれはホヂャの声ではない。ズュロ・カンベリ。エッセイ」とズュロ同志が読み上げた。
 私は声を上げて笑った。ズュロ同志は、自分が私に笑われていることに気付いて顔を赤らめた。それから私に、笑いながらこう訊ねた:
「ユーモアを交えたエッセイだってあるのさ。で次は?」
 私は読み上げた:
 音は歌の父。ズュロ・カンベリ。エッセイ。
「反対かね?」彼が訊ねた。
「いいや」私は言った。
「で次は?」
 私は読み上げた:
 なぜ植物の世界には男性名と女性名がないのか?例えば犬のように。雄性の犬を我々はオス犬と呼び、雌性の犬はメス犬と呼ぶ[訳註;原語で「犬」はqenで「オス犬」もqen。「メス犬」はbushtër]。なぜオス樫とかメス樫とか言わないのか?雄性の樫はオス樫で、雌性の樫はメス樫ではないのか[訳註;原語で「樫」はlisで「オス樫」もlis。「メス樫」はliseshëだが、こんな語はない]?ズュロ・カンベリ。エッセイ。
 それは今まで読んだ中でもとりわけおかしなエッセイだったので、私は涙が出るほど大笑いした。ズュロ同志は私の手からそれを引ったくると、これは具体的現象の部類に関するエッセイの一部で、たまたま概念的現象の方に紛れ込んでいたのだと言った。そして、もうこの件はここまでだと言わんばかりに、私に指示してきた:
 「さあ書いてくれ!私が要点を言うから、君はその要点に集中して、『知識人と文化施設』に関する私の調査に必要な資料を集めるんだ」
 私はペンを手に取り、待ち構えた。ズュロは腰を下ろすと、灰色の表紙のノートに書きためたメモを読み上げることに取りかかった。
「メモしてくれ!我が国には数多くの文化施設がある;数多くの知識人がいる;数多くのホヂャや司祭が、かつてはいた;文化施設や文化の家の現状はどうか;農業技術のコーナーはどのように活用されているのか、文化施設が穀物庫に転用されている事例はあるのか;ただの村の飾り物として、或いは全く活用されないでいる事例はあるのか?何処で、どのように、いつから。村名、村長名、図書は何冊あるか、読まれているのかいないのか;どんな歌を若者は文化施設で唄っているのか、我らの新しい歌か、或いは所謂『黒服のあの娘は誰』なのか[訳註;原題O ç’është ajo që zbret me të zezaはアルバニア南東部に伝わる民謡。「山から下りてきたあの娘は誰(O ç’është ajo që zbret nga mali)」とも →🔉。悲劇は社会主義の中に存在しない。旧習の鉤爪は、新しい社会主義社会で切り落とすのだ。『先鋒隊長』こそ唄われるべきだ。そんな『黒服のあの娘は誰』などおしまいにすべきだ!・・・黒が呼び起こすのは悲観主義だ、ましてやその黒が歌の中に盛り込まれては尚更だ。何故このようなものが唄われるのか?黒い服を着て山から下りてきただの、ドレノヴァから来て草の上で待ってるだの[訳註;南東部の民謡「或る日僕はドレノヴァへ行って(Një ditë shkova nga Drenova)」を指すと思われる →🔉。歌詞はこうだ:ドレノヴァよ、ドレノヴァの娘よ、僕の心を奪った君よ!ともうまるで他にすることもないように、何も手につかず、今も心を奪われているとは!もうたくさんだ!このコルチャの連中ときたらそのドレノヴァの娘だか、或いは山から下りてきたその娘を諦めきれないとは。さあデムカ、ここまで私が言ったことをまとめてくれ!新時代の歌のため道を切り開くのだ!」ズュロ同志はそう指示してきた。
 私は機械的に書く手を動かしていたが、思いは既に自分がまとめねばならない報告の全体像へと飛んでいた。私に書き取らせたそれらの要点をひっくるめてズュロ同志は論文と呼んでいる!そうか、そうか。我が命運は決した。我が人生はこれからもずっと報告書の中を駆け抜けていく。哀れな妻ゼネペよ、あれは俺たち夫婦が救われたと思っているのに!
 ズュロ同志は長々と読み上げた。私は彼から貰ったメモ用紙を全て使い切った。「そんな『黒服のあの娘は誰』などおしまいにすべきだ!」なる彼の考えを私が書きつけたカードの、その裏にはまたエッセイが書かれていた。私はそれに気付いてズュロ同志に謝罪した。彼は手をひらひらさせながら、別に構わないさ、別のカードに書き直せばいいと言った。ただ私に、読むだけ読んでくれと指示してきた。
 そこにあったのは、ただ警句めいた二つの文だけだった:タバコを口に咥えている、ならば唇を掻くまでもない。
 私は声を上げて爆笑した。
「気でも狂ったのかデムカ?」私の笑いが止まないのを見かねて、ズュロ同志がそう言った。
「こりゃ最高だ!」そう言いながら私は、笑い過ぎてまともに口をきくのもままならなかった。
「呆れたな、私には笑うところなどないようなことで、君が笑うとはな」彼は言った。
 私は笑うのを止めた、ズュロ同志が腹を立てているのに気付いたからだ。
「今日はここまでにしよう。君は資料集めの仕事に専念してくれよ!悲劇に関する問題は、深く探究してみたまえ。今日の生活において、悲劇なる概念はだね、現実の社会主義哲学のプリズムを通せば、農村の知識層の意識の中に存在するはずもないのだからね。悲劇とは、そのように分類されるものがあるというに過ぎない。生活の喜び――それこそが基礎となる概念なのだ」と彼は言った。
 私は口を挟まずにいられなかった:
「それでは快楽主義に陥ってしまうのではないかな?」
 ズュロ同志は右肩をすくめた。
「君が社会主義の条件下で生活を享受するなら、それは快楽主義ではないよ。私の見るところ、君はキャベツ持ちらしい[訳註;アルバニア語で「頭の中にキャベツがある」は「妄想、偏見がある」の意]。そんなキャベツ、私としては頭の中の畑から取り去ってもらいたいものだな、君が私の調査のために渡してくれる資料の中にまで、うっかりそんなものを紛れ込まされてはかなわないからね。まあそのうち、何かしらの国際会議で使えそうな資料にでも役立ててくれればいいさ!さあこの件はもうしまいだ[訳註;逐語訳は「川が我々を連れ去るように」]!政治路線の逸脱だよ!」
 私は打ちひしがれて部屋を出た。ズュロ同志は厳格な人だ。実に厳格だ!
 彼は私が用意した報告の中に、何かしらイデオロギー上の誤りを見つけ出すかもしれない。こん畜生め!何だって彼はよりにもよって、この私に悲劇として分類されるような問題を扱わせようなどと考えついたのだ?そういう類のものと農村の知識層に、関係があるというのか?
 ズュロ同志がドアを開け、私を呼び戻した。
「デムカ」彼は言った。「君はシェムシェディンとはね、まあ彼は今日テペレナに異動になったが、彼との時はずっと気楽だったろうな。彼は君に適当に資料探しを頼んでいただろう。私が求めるのは、科学と哲学のプリズムに照らした資料だからね。私が求めるのは哲学と、科学と、文学における参考資料だよ。それと、哲学って語のLは一つだとか言わないでくれよ、あれは二つだからね。正書法が何だ!君にはこういう、人間の精神の生産という分野で勉強して欲しいんだ。精神の生産は物質の生産につながり、活動する力につながることを、君は知るべきだよ。だが君たちは私に休暇に行けと言う!この私が仕事を中途半端で放ったらかして、砂浜に身を横たえに行くだろうなんて、何を考えてるんだ君たちは?シェムシェディンがこの部署にいた時なら、彼は砂浜に身を横たえていたんだろうな、そうして事態を悪化したまま放置しておいたんだ・・・でその後は、上部機関から我々の部署の状況を調査するための諮問会が来るのを待つわけだ。一体どうして、そんな状況で私が骨休みなんかできるんだ?
「いや何にせよズュロ同志、君は休息しなければいけないよ!」
「君が私のように責任ある立場になったら、その時に相談しようじゃないか!」そう言ってズュロ同志は、もの思いに耽るように首を振った。
「そんなの私にはわからないよ!同志たちは君のことを心配しているんだ」私は言った。
「私の原則としてはね:同志諸君の言うことは聞くよ、でも今回の場合、自分の休暇のこととなれば君たちの言うことは聞けない、申し訳ないがね。それはそうと:君、明日は何かあるかね?」
「いや」私は言った。
「だったらバキルを連れて、夜うちに来たまえ。膝を突き合わせて、お互いのことをもっと知っておこうじゃないか。遠慮なんかすることはないさ!我々のような上司のところへ来ることなんて今までないだろう。だから来たまえよ!我々皆が人民の子だ。我々の間に溝はないよ」とズュロ同志は言い、こう付け加えた:「休暇の件はもう触れて欲しくないからね。以上だ。仕事に戻りたまえ!」
 私はズュロ同志の部屋を出た。ところがドアを閉めたところで、中から彼に呼ばれたのだ:
「おうい!」
 私は引き返した。
「メモを忘れてるじゃないか!頼むよ!君に一つ注意しておこう。シェムシェディンはぼんやり気味なところがあったかも知れないがね。私と仕事をするなら、シェムシェディンの時と同じでは困るよ。さあカードを持っていきたまえ!」ズュロ同志は不機嫌そうに、いかめしい口調でそう言ったが、すっと表情を和らげると、顔に笑みを浮かべ、こう付け加えた。「なあデムカ、明日の晩は家で待っているよ、君とバキルをね。この機会に私の生活の別の面を見てもらって、お互いのことをもっと知っておこうじゃないか!・・・」


ズュロ同志、客をもてなす の巻

「俺たちが部屋に入ったら、ディオジェンは楽譜にかかりっきりだし、ズュロ同志は分厚い本で勉強に没頭しているだろうな」ズュロ同志のアパートのドアの前で、バキルが謎めいた口調でそう言った。
「何でわかるのさ?」私は訊ねた。
「わかってるとも」彼は言った。「ディオジェンは外に出て遊びたいが、ズュロ同志はそれを必死で押しとどめるんだ、そうして俺たちに息子を会わせて、俺たちはその子の尋常ならざる意志の強さに感嘆してみせる、というわけさ」
 私とバキルはしばらくドアの前に立っていた。階段には、弱々しい灯りが輝いていた、静かだった。バキルは呼び鈴を鳴らした。人の気配はなかった。もう一度鳴らした。静寂。
「ズュロ同志は読書に夢中なんだな!」バキルはそう言いながら、三度目の呼び鈴を鳴らした。
 今度は足音が聞こえてきた。ドアが開いた。我々の前に姿を見せたのは、肩からシルクのショールを羽織ったアディラだった。アディラは青い合成繊維[訳註;原語teritalはイタリア製のポリエステル繊維の商標]の、程よくカットされたドレスを身につけていた。彼女の卵形の顔は、つやつやした肌と大きな黒い瞳、ぷっくりとした美しい唇を備え、溌溂とした喜びに光り輝いていた。たとえ面識のない人でも、このアパートの、この夫人の背後には喜びと楽観主義が支配し、苦悩も苦痛もない人生の百合が花咲いていることを理解できるだろう。その楽観主義の百合から漂う芳香が、私とバキルの頬を、誠実なる同僚にして我が友バキルの頬を、そして従順なる論文書きである私の頬を撫でた。アディラは知っているだろうか、この幸福の百合の香りが彼女のアパートの部屋に漂う頃、私のペン先が紙の上を走り、彼女の夫であり、親愛なること大なるズュロ同志の調査論文のための「資料」をまとめているということを?アディラは知っているだろうか、どれだけのページ数を私がシェムシェディンの傍らにいつつ埋めてきたのかを?しかも惨めなシェムシェディンには、私が書いた報告書についての哲学的定見すらなかったのだ。彼は、単なる説明だとズュロ同志言うところの内容でさえ通してしまう。ページが数字と出来事で埋まってさえいれば満足していた。だがズュロ同志は哲学的論証を求めてくる、評価や考察や、それどこか格言や慣用句まで求めてくるのだ。
 私はアディラの美声で我に返った。
「さあどうぞ、どうぞ!バキル、元気だった?デムカも元気だった?ズュロが発表した会議以来ねえ、お久しぶり!」と彼女は言った。それから夫の方に声をかけた:「デムカとバキルが来たわよ!まあどうしましょう?素敵、素敵!」
「はいどうぞ!」奥の部屋からズュロの声が聞こえた。
 ズュロ同志はソファに身を伸ばし、外国語の分厚い本を読んでいた。彼は軍装で、厚手のズボンと上着を着込んでいた。壁には帽子が掛けられていて、これまた軍の制帽だった。我々が入ってくると彼は立ち上がり、片手で軍用ズボンを直した。それから目をこすり、まるで重大な決断を下そうと思案しているように、ひとしきり沈黙していた。そして遂に、眉間に皺を寄せたと思うと、指をぴんと立て、その格好で身じろぎもせず、こう言ったのだ:
「さっき戻ってきたところなんだ。ダイティ山にQ同志と行っていてね。野鳩を撃ちに出かけたんだが・・・」そこで彼は、テーブルについて楽譜と睨めっこしている、まるで小さな大人のようなディオジェンの方を向いた:「もうその楽譜はいいだろう、身体を壊してしまうよ」
「好きにさせておきましょうよズュロ、作曲してるんだから!さあママの可愛い子、作曲なさい!」アディラが言った。
 ディオジェンはペンを片手にテーブルに座ったまま、我々には一切目もくれず、幾つもの五芒星の中にガシガシ書き込んでいた。
 とその時、アディラが思いもよらない動作を見せた。両手を広げ、そしてパンと勢いよく両掌を叩いたのだ。そのしぐさは何か意外な、何か驚くべきことを意味していた。
「ズュロ、あなたベルトから拳銃を外すの忘れてるじゃないの!」彼女はそう言った。
「あ本当だ!」ズュロ同志はそう言うと、拳銃のホルスターを外した。「ほら、掛けといてよ!」
 アディラは拳銃を幅広のホルスターごと受け取ると、それを壁に掛けた。バキルは私に目くばせして、首をかしげてみせた。そして私に近付くと、ゆっくりこう言った:
「あの拳銃、今ベルトにしてただろ!あれは俺たち二人に見えるようにしてたんだぜ。アディラは気付いてないふりしてたけどさ!」
「よせよ、聞こえるだろ」私はびくびくしながら言った。
 ズュロ同志は更に我々の傍まで来ると、肩をポンポン叩いた:
「時間通りに来てくれたね。見上げた態度だ、私も満足だよ!」それから、ほんの少し沈黙し、こう付け加えた:「君たち二人だけかい?」
「ツテ・バブリャにも誘おうとしたんだが、来なかったんだ、『ダイティ』で外国の民俗楽団のパーティーがあるとかでね」バキルが言った。
 ズュロ同志は額に手をやった:
「おやおや、何だって今夜、パーティーになんか行くんだろうな!ツテ・バブリャは気持ちのいい奴だよ、ユーモアのある男だからね。彼がここに来てあの、地方紙に載った珠玉の数々の幾つかでも披露して欲しいものだな!素晴らしいものだよ、あのジョークの数々ときたら、いや実にね!特に出色のジョークは、『渓谷の雷鳴』紙に載っていた奴だよ。ん?たしかこういう文だったな:
畑に住む鼠の相当数が、職人技で仕上げた罠にかかった!あと、こんなのもある:マッチで遊んでいた鼠が雄猫の家を燃やしてしまった。とまあこんなことを言ってるのさ、ツテ・バブリャは。
 バキルと私は、ズュロ同志が書斎と呼ぶ隣室に入った。ディオジェンも楽譜片手にやって来た。ズュロ同志が灯りをつけると、我々の前に芝居の場面のように、彼の書斎が姿を現した。目の前の壁には、古めかしい剣を組み合わせた柄の、大きなタペストリーがあった。剣の両側には拳銃が二挺あり、一挺はグリップに銀の装飾をあしらった燧石式、もう一挺は回転式のナガン[訳註;ロシア製の拳銃。名は発明者の兄弟に因む]だった。右側の壁には大きな本棚があり、古い本から新しい本まで、アルバニア語のものからそれ以外の言語のものまで揃っていた。その本棚の上の壁面には、防腐処理を施された鹿の頭部が飾られていた。机の両側には大量の本とノートが積み上げられ、それとは別に、海貝の殻のような形をした灰皿が二枚。机の隅にはカタツムリのような形をした大きな黄色のランプがあった。
 私は、まだ腰掛けることなく、タペストリーの布地に掲げられた拳銃二挺をもう一度見ようと引き返した。ディオジェンがそれを目ざとく見つけて、澄んだ高い声でこう言った:
「パパは機関砲も持ってるんだよ!」
 ズュロ同志はそれを聞いて振り返った。
「ディオ、言い方に気をつけなさい。第一に、あれは機関砲じゃなくて機関銃だ。第二に、そしてこっちの方がもっと大事だが、お父さんたちの武器を自慢するのはいい、しかし大袈裟に言うのはよくないな!・・・」
 アディラがドアのところから声をかけた:
「はい、もうそこまでにしてちょうだい!本当に呆れたものね!ズュロ、あなたったら、ディオジェンと本気でやり合ってる[訳註;逐語訳は「歯で噛み合う」]んだから。まだ子供でしょ・・・」
 ズュロ同志は腰に手をやり、やれやれといった風にアディラを見つめ、こう言った:
「君が子供呼ばわりとは!この子は交響曲なんか作ってるじゃないか!」
「才能は才能で別の部類でしょ、年齢とは関係ないわ。みんな言ってるでしょ、弁証法のこととなるとあなたには敵わないって」そう言ってアディラは若い娘のような声で笑ったので、これにはバキルも私も大いに気分を良くした。
「わかった、わかったよ!その件はもういいよ!」そう言ってズュロ同志は肘掛け椅子に座った。「君らも座りたまえよ。どうだい最近は?調子はどうかね?午後は何をしていたんだい?」それからアディラの方を向いた:「彼らはね、我が両腕だよ。彼らがいなければ私は足止めを喰らって、おしまいさ、これっぽっちも飛べやしない」
 アディラはドアのところで微笑んだ。
「ズュロはしょっちゅう同僚の話をしてくれるの。私にはわかってるわ、この人がアルジェリア大使の件を断る理由がね。友達のいないところでは暮らせないのよこの人」そう言いながら、アディラは肩にかけたショールを羽織り直すと、ズュロ同志と私の間、バキルの傍に腰掛けた。
 バキルが、小卓の上の大きなタバコ入れを取ろうと手を伸ばした。ズュロ同志は立ち上がり、箱を手に取って我々に手渡しながら、言い訳した:
「こりゃどうも、気がつかなくて・・・」
 しばし、部屋に沈黙が訪れた。私は本棚に、タペストリーに、拳銃に、鹿の頭に目をやった。バキルがタバコの灰を貝殻に落とした。ズュロ同志は、家の調度品から自分へと移る私の視線を感じると、ビロードのように柔らかい声で言った:
「あのグリップが銀仕様の拳銃はね、私の曾祖父のものだったんだ。それから祖父に引き継がれてね、その祖父というのが、ずっと若い頃にトルコとの戦いで使ったんだ。もう一挺の、回転式の方は父が持っていたものだ。父はあれを祖父から受け継いだ。ゾグの時代に父は憲兵隊や、体制の手下たちにあれを使ったんだ。ねえ、父さんは何処だい?」彼はアディラの方を向いて訊ねた。
「バルヅィと一緒に、叔母さんのところよ」アディラが言った。
「マクストのご老体はお元気のようだね」バキルが言った。
「元気だよ。だいぶ痩せたがね。生まれてこの方戦争ばかりだからね。二十代の時に1920年のヴロラ戦に参加した。それからフランスのリヨン鉱山で働いて、そこでフランス共産党に入ったんだ。マルセル・カシャンとは親友で・・・」とズュロがにこやかに話している時、バキルは私に皮肉めいたしぐさをしてみせた。[訳註;Marcel Cachinは仏共産党の創設者の一人で、党機関紙「ユマニテ」の初代編集長]
「おじいちゃんは勇敢だったんだよ、バキルおじさん。セラム・ムサイと一緒にドラショヴィツァで戦った、副司令官だよ」ディオジェンが言った。[訳註;Selam Musaiは1920年のヴロラ戦でイタリア軍を撤退に追い込んだアルバニア軍指揮官の一人]
 ズュロ同志は険しい視線を息子に向けた。その目つきはディオジェンに、もうやめなさいと言っているようだった。
「前にも一度言っただろう、ディオジェン!私はね、お前に自惚れ屋や自慢屋の仲間入りなんかして欲しくないんだ!おじいちゃんの自慢話はそこまでにしときなさい!・・・」
「でもパパどうして?おじいちゃんはセラム・ムサイの副官じゃなかったの?」ディオジェンが訊いた。
「副官だったけど、お前は謙虚でなければいけないよ、おじいちゃんだってそうだったよ!」ズュロ同志は言った。「前におじいちゃんが『バシュキミ』[訳註;アルバニア民主戦線(当時)の機関紙]の取材を断ったのを憶えてないかい?おじいちゃんは自慢話が嫌いだったんだ。戦いは人民のもので、おじいちゃんは人民に奉仕する立場だったからさ!」それからズュロ同志は我々の方を向いた:
「父は謙虚な人だったから、『アルバニア史』のヴロラ戦役の章にも自分のことを書かれたがらなかったんだ。実を言うとね、父は歴史学者たちにも自分の名を出さないでくれと頼んでいたんだよ。他にもそういう人たちはいると・・・」
 と最後まで言おうとしたところで、電話のベルが鳴った。ズュロ同志は我々の方を見ながら立ち上がった。電話があるのは隣の部屋だった。
「みんなズュロを休ませない!夜中の12時にも電話がかかってくるのよ。責任の重い人を夫に持つと、女は大変だわ本当に」アディラが言った。
「何でもパパに訊きたがるんだ、自分たちで何とかしようって頭がないみたい」
アディラが唇を噛んだ:
「シッ!パパに訊かれたら大変よ![訳註;逐語訳は「彼はあなたを殺す」とかなり物騒]」それから我々の方を向いて、夫の方に聞かれないほどの小声でこう言った:「ズュロはね、人間の自惚れや慢心は子供の内に刈り取るべきだって言うのよ。あの人はディオジェンを増長させないの!あの子の人間性がねじくれないかって、それが心配なのよ」
 その時、ズュロ同志が電話を終えてきた。誰からの電話かという妻の問いに、彼は返事の代わりに肩をすくめるしぐさをしてみせてから、続けてこう言った:
「Q同志の家に、今夜招待されたよ。気が塞ぐから話し相手になって欲しいと言うんだ。でもたぶん何か問題があって、私に相談したいんだろうな。でも繊細で上品な人だからね。バキルとデムカを夕食に呼んでいると話したら、随分恐縮されていたよ・・・」そう言ってズュロ同志はアディラの方を見た:「さてと、ラキをグラスで持ってきてくれないか、大臣がペルメトで買ってきてくれたあれをね」
「いやお構いなく!ちょっと寄っただけなんだから!」と言いつつバキルは私に目くばせした。
 ディオジェンがそれに気づくと、辺りも憚らずこう言った:
「僕見ちゃった、バキルおじさん、今デムカおじさんにウインクしたでしょ!」
 バキルは真っ赤になり、窮地に陥った。しかし彼はすぐさまその状況を脱した。彼はタバコをひと吸いして、煙をもうもうとさせながら、咳払いしつつ、笑ってこう言った:
「タバコの煙を吸っても、目を開けていられるのかいディオジェン?」
「違うよ、煙なんか吸ってないよ!」ディオジェンが言った。
 ズュロ同志が口を挟んだ:
「もうやめなさい、この悪戯っ子め![訳註;原語karagjozは「道化師」]
 我々は揃って声を上げ笑った。アディラが飲み物を取りに行った。ズュロ同志は立ち上がり、本棚へと近付いた。そして扉の一つを開け、そこからぶ厚い書類を取り出した。
「十五年前にね、私も物語を書いたことがあるんだ。その時タイプ打ちして、出版の用意もしていたんだが、出版社へ渡そうというその日になって気が変わってね。出版社の連中には泣き付かれてね、うちにまでこれを取りにやって来たんだが、私は取りつく島もなしさ、そういうわけでこの、題して『山うずら』の原稿はこの棚にて休眠中というわけさ。妙なもんだな。私はこの本の中で因習からの解放と電化に関する諸問題を取り上げているんだ、今となっても差し迫った問題だがね」
「真の芸術は先を行くものさ」バキルが言った。
「確かにね。この物語の中に別に大した芸術はないが、問題は深刻なものだ。そこかしこ、書き方の様式が古びている話もあるが・・・」
 私は書類を手に取り、タイプ打ちされた原稿をめくり出した。巻頭は、書名にもなっている「山うずら」の物語だった。これに続けて「男たちは膝まで血に浸かり」「揺るぎなき石巌」「鉱婦よ、顔を上げよ」「荒丘に咲く花」「茶と海賊」その他となっている。
 めくりながら私はその物語集が、その紙の黄ばみ具合からして明らかに、相当昔に書かれたものであることに気付いた。青い紙や、白い紙、赤みがかった紙もある。これはつまり、年月ごとの紙の流通過程の歴史を物語るものだった。五十年代に流通した或る種の紙は、六十年代とは種類が異なっていて・・・
「持って帰って読みたまえよ!」私が興味を示しているのに気付いて、彼がそう言った。
「ねえ憶えてないのパパ、あの作家の人、何て言ったっけ、アデム・アダシだよ、あの人にそれ読んでもらったら、その中から一つ泥棒して本出してたでしょ?」ディオジェンが言った。
「本当かい?!」私は訊ねた。「アデム・アダシが君の作品を盗んだって?!どの話だよ?」
 ズュロ同志は、我関せずという表情だった。その話は、彼に何の影響も与えていなかった。
「どうでもいいね。時が来ればわかることさ」ズュロ同志は言った。
「私には、それがどの話なのかが気になるよ」私は言った。
「アデム・アダシは、ほら確か、『汝、荒丘より戻りし時』という小説を出していたな」
「ああ、読んだことがあるよ。物語としては平均的な出来だったが」
「当然さ、摸倣者というのは平均的なものだ。果たして君たちは、模倣者をめぐる大ヘーゲルの格言を知っているかな:『壮大なる自然は象の如し、その模倣者は象の背に這う芋虫の如し』とね。この言葉には大きな意味があるよ。私の書いた物語に恐らく普遍的な価値はあるまい。だが私の模倣者がやったことといえば、まるでありふれた書きもの[訳註:独訳では「落書きの捏造」]」だ。その小説の土台にあるのは、私が『荒丘に咲く花』で書いた寓話さ。アデム・アダシは我が寓話を台無しにしたんだ。君らも読めばわかるだろう・・・」
 我々がそんなことを話していると、アディラがグラスを手に入ってきた。彼女は話を聞きながら、私とバキル、そして夫の方を交互に見た。そして我々のやりとりがひと息つくのを待っていたかのように、グラスと瓶を小卓の上に並べた。
「ズュロだって悪いわよ。あれじゃお話が全部盗まれてしまう。作家たちに読めと言って渡したら、連中、題材を持っていってしまうでしょ。もし出版すれば、盗作ということになるわね。そうすると連中は摸倣者というわけよ。でも今ズュロが出版すれば、ズュロ本人が摸倣者だって言われるわ。模倣者って誰の摸倣なのよ!アデム・アダシを模倣したってことよ!全く、何て作家なのかしら!十人殺される物語もある。十五人の女が夫と別れる小説もある。二人が腕を切り落として国のために働くと誓いを立てる掌編も!でもこの人はそれを出版しないのよ、偉大な芸術を追及したいんだって![訳註;独訳では「何故ならズュロは高い芸術規範を自身に課しているから」と若干意訳されている。ズュロの「私の書いた物語に恐らく普遍的な価値はあるまい」という発言を受けてのものと思われる]」とアディラは燃えるような講演を行った。
「アデム・アダシって本当はそれほど重要な作家[訳註;逐語訳は「(銃の)口径の作家」]じゃないけど、嫁さんは美人だな」バキルが笑った。
「クレオパトラか!」ズュロ同志は嘆息した。
 アディラが細長い指先をピンとさせた。
「気をつけてよズュロ、アデム・アダシがあなたから盗むのは物語の内容だけど、クレオパトラはあなたの心を盗んで・・・」
 ズュロ同志は顔をしかめた:
「おい、よりにもよってクレオパトラかよ!」
「冗談よ、私のは冗談・・・でも小説のことはあなた自身のせいよ」
「時が来ればわかることさ」ズュロはまた繰り返した。「で、つまみも出してくれよ。あと、僕が仕留めた鳩も何羽か炒めて・・・」
 私は原稿の束をテーブルの端に置いた。ズュロ同志の言葉は私の思いを、野鳩が飛翔する山々へ、洞窟へと誘った。私は、猟銃を手に鳩を追うズュロ同志を思い浮かべた。鳥の羽ばたきを目にして歓喜する彼を思い浮かべた。
「七羽ぐらい鳩をQ同志に渡したよ。Q同志は猟の名人だが、今回はついてなかったね。仕留めたのはたった三羽だった」ズュロ同志は言った。
「もうフライパンに入れたわよ」少ししてからアディラが返事をし、また部屋を出て行った。
 ズュロ同志はもう一度立ち上がり、大きな本棚の引き出しの一つを開けた。そこに手を突っ込んで古い雑誌を幾つかと、タイプ打ちされた紙の束を取り出した。そうこうする内、鳩の焼ける香りがキッチンの方から漂ってきた。
「いい匂いだろバキル、なあ?」雑誌と原稿を手にしたままズュロ同志が問いかけた。
「ああ、ツテ・バブリャもいたらなあ!あいつはこの鳩となると、てんで目がないんだ!そうそうあれはコルチャに行った時だ。マリチの保護区の近くで私が二十羽ぐらい仕留めてね。そこの営林署へ持って行ったんだ。ツテ・バブリャが二十羽のうち十一羽も一人で食いやがった[訳註;以前の版では15羽仕留めて15羽とも「クリストフォル」に食われた、とある]。しかし愉快な奴だよ。愉快な奴なら、鳩を食われちまっても嫌な気はしないものだね。さあ召し上がれだ!えーっと、それで何の話だっけ?」そこで彼は雑誌を差し出した。「この二冊は1946年の『新世界』[訳註;戦後初期に発行されていた作家同盟機関誌]だよ。この二冊目の方に『社会主義リアリズムと時代』という論文を出したんだ。社会主義リアリズムについて書いたのはこれが初めてでね。はっは!この手法にかけては我が国における創設者と言えるだろうね」そう言ってズュロ同志は、自分の言葉にどうにか冗談めかした色合いを加えようと、大声で笑ってみせた。
 雑誌を受け取ると、確かに二冊の方の一冊に、言った通りの論文が載っていた。雑誌三、四ページ分ほどの短い文章だった。
「家で読みたまえよ!」ズュロ同志が言った。「それは私が1946年に、芸術の責務について発表した演説でね。その演説の二箇所ほど『バシュキミ』に載っている。見ての通りさデムカ、私が携わっていたのは十九世紀までの文学でね」
「携わってたけれど、今は携わってないでしょ」アディラが言った。
「時が来ればわかることさ」ズュロ同志は言った。「さあ兄弟諸君、鳩肉をご賞味あれ!」そしてグラスを満たし、自分のを掲げ、我々と杯を合わせた。
「仕事と人生の成功を!我が家の饗応を受けられしことに感謝して!」
「乾杯!」私とバキルが言った。
 我々は鳩をつまみに、飲み食いにかかった。
「これが最後でありませんように!」とアディラは言いつつ、歓待の心地良さを味わっていた。
 アディラは肩にショールを羽織り、無口になったディオジェンの横に座っていた。ディオジェンは鳩肉の切れ端を前に、フォークでの食事に格闘していた。
「パパ」ディオジェンが言った。「どの銃でこの鳩をやったの、自動式、それともいつもの?」
「自動式の方だ、いいから食べなさい!」ズュロ同志が言った。
「わあい!」ディオジェンが声を上げた。「こんな小さい鳩に自動式が必要なの!」
 ズュロ同志は口をナプキンで拭い、そしてこう言った:
「お前は名人だから、輪ゴムでやるんだな!だがお前が私ぐらいになったら、その時は・・・」
 その時、再び電話が鳴った。アディラは我々を見渡し、そして自分の夫へと視線をやった:
「またQ同志に決まってるわ!」彼女は口紅を塗った唇を曲げ、溜め息をついた。
 ズュロ同志は首を振り不満げな、かつ、社会の上層部からもたらされた電話に誇らしげな素振りを見せつつ、立ち上がった。
「もしもし」彼の声が聞こえてきた。「どなた?ここにいるって何でわかった?・・・え?・・・セルマン?・・・ああ、わかった・・・今呼ぶから待っててくれ・・・」
 彼は手をひらひらさせながら憤懣やるかたない様子で部屋に戻ってきた。そして私に向かってこう言った:
「デムカ、セルマンが君に用事だ・・・」
「きっと、芸術分野における到達点をめぐる何かしらの発表の件だな・・・」バキルが言った。
 私は皿の上の鳩の、ハシバミの実のように小さな心臓の上にフォークを置いたまま、憂鬱な思いで立ち上がった。
「今度はセルマンよ!いやな人!」アディラが言った。
「パパが悪いんだよ、仕事を減らしてあげないから」とディオジェンも口を開いた。
 ズュロ同志はフォークで皿をカンカン叩いた:
「黙りなさい![訳註;逐語訳は「お前の口を切ってやる」]私が何だっていうんだ、毛沢東か?ふん!減らしてやるさ仕事ぐらい!」
[訳註;原文の動詞shkarkojは「荷物を下ろす,負担を減らす」が本義だが、「解雇,解任する」の意味でも使われる]
 私は受話器を取った:
「はい?文化拠点についての原稿ですか?・・・わかってます、わかってますよ・・・ずっと時間がなくて・・・わかっています・・・週末には・・・大丈夫ですよ・・・」
「何て奴だ!私の報告じゃ不満だったと見えるな!あのセルマンときたら、私の報告も寄越せと言ってきたんだよ」
「ふう!」私は溜め息をつきテーブルに戻った。
「もし何なら・・・」とズュロが言いかけた。
[訳註;セルマンの電話とそれを巡るやりとりは初版にない]
 だが彼の言葉が最後まで終わらないうちに、玄関のベルが大きな音を立てた。アディラが立って廊下を急ぎ足で向かった。ズュロ同志はフォークを手にしたまま取り残された。電話や呼び鈴にはもう慣れていたにもかかわらず、またしても何やら嫌な感じがした。
 廊下の方から大声が聞こえてきた:
「大変、お父さんが!大変、お父さんが!」
 ズュロ同志は声の主に気付いた。叔母の声だ。[訳註;原文でも「叔母」とあるが、これはあくまでディオジェンから見た呼び方であり、ズュロにとっては姉妹に当たる]波のように押し寄せるその叫び声の中、彼は金縛りに遭ったようになっていた。だが完全に硬直しきらないうちに、血相を変えた叔母が部屋に転がり込んできた。
「大変、お父さんが!大変、お父さんが!」
 ズュロ同志にはわかっていた。我が父、老マクストの身に何事かが起きたのだと。彼は立ち上がり叔母の方へ歩み出た。
「落ち着いて、落ち着いて!どうしたんだ?」
「お父さんが倒れて、意識不明なのよ!」
 ズュロ同志は我々の方を向いた:
「どうも申し訳ない[訳註:原文të më ndieniは逐語訳「私を理解してくれるように」で、謝罪表現の一つ]、諸君!」
 我々も立ち上がった。
「心臓発作か?神経の錯乱か?」ズュロ同志は、困難な状況ではいつもそうである通り、冷徹に問いを発した。[訳註:原語gjakftohtësiは文字通り「冷血」]
「わからないわ。お医者さんに往診を頼んだところなのよ」ズュロ同志の叔母が言った。
「ああ何と思慮の無いことを!まず先にこっちへ来ればよかったのに!」 そう声を上げたズュロ同志も落ち着きを失ったまま、隣の部屋へ電話をかけに出ていった。我々はどうしたらいいかわからなかった。黙ったまま互いを見やっていた。
「まだ意識は戻らないんですの?」アディラが訊ねた。
「戻ったわ、だけどうわごとみたいなことを喋ってて」叔母が言った。
 そこへズュロ同志が戻ってきた。
「病院長の自宅に電話してきたよ。本人が来て診てくれるから、ほら行こう!どうも申し訳ないが」そう言って彼はまた我々の方を向いた。
「ズュロ、お義父さんが喋ってるって・・・」アディラが言った。
「喋ってる?何を喋ってるって?」ズュロ同志は訊ねた。
「うわごとで喋ってるのよ:『我らは自由のために闘争し、働いてきた、我らが人民権力万歳!』そんな言葉を繰り返してて」叔母が言った。
 ズュロ同志の目に涙が溢れた。先ほどまでの冷徹さは維持しようもなかった。
「可哀想に!父にとってはその言葉は大きいよ。[訳註;逐語訳は「その言葉は父にとって影になっている」]二十代の頃からセラム・ムサイと共にドラショヴィツァの鉄条網に向かっていったんだから」そう涙まじりで言い、彼は我々を見つめた。「まあ、人生というのはそういうものだ:喜びもあれば、悲しみもある」
 我々は何も言えずうなだれていた。しばらくの間はそうしていた。そしてズュロ同志に手を差し出した。
「どうかお大事に!」
「いいから、ここにいたまえよ!」ズュロ同志が言った。
「我々は失礼した方がいい。君も大変だしね」バキルが言った。
「客観的に見れば、そうだな」そう言って、ズュロ同志も手を差し出した。


ズュロ同志、病院に父親を見舞う の巻

1.
 科学文化指導局の執務室には、ズュロ同志の父親が病に倒れたとの一報がまたたく間に広まった。誰もがその事態にいたく同情したが、わけてもタチは格別だった。彼はもう半泣きだった。老マクストが病院に担ぎ込まれた次の日、タチは、老マクストは知り合いで深く尊敬している人だから見舞いに行くつもりだと我々に話した。私にも病院へ行かないかと誘ってきたが、日をあらためて行くと私は答えた。それでタチは一人で行った。以下、病に伏せる老マクストや、ズュロ同志の深い苦悩や、タチの悲しみについて私が書く内容は、そのタチ自身の話に基づいている。そこには幾らか不正確なところや誇張が含まれているかも知れないが、それは私のせいではない。私は我が同僚にして善良なるタチから聞いた話を再現しているだけなのだ。
 タチはこう語る:
「気の毒なのはズュロ同志だよ。一日でげっそりとなって、顔も真っ白になっていた。目は落ちくぼんで、まぶたは青黒くなっていた。それでも彼は元気でね、これっぽっちも悲観などしていなかったよ;悲観主義は彼の嫌うところだからね。彼の人生のモットーはこれだ:楽観主義、楽観主義、常に楽観主義、さすれば人生は花咲くだろう!こういう原則的な感性は驚嘆に値するね。私は胸痛む思いで病院へ、老マクストの見舞いに行った。ズュロ同志に呼ばれてきたと守衛に伝えるや、その当人が両開きのドアを開けて私を招き入れ、私を立たせたままにしていたその二分間が申し訳ないと言ってくれたのだ。
 私は白衣を両肩に羽織り、病棟の廊下を通って老マクストが寝ている部屋へと入った。彼は清潔なベッドの上にいた。その周りを、院長を筆頭に五人の医師が囲んでいた。医師たちは互いにやりとりしていて、老マクストに、その幼少期から現在までに経験した全ての病気について質問し、相談していた。老マクストは論旨明解かつ快活に、よく通る声で答えていた。
 私は老マクストのベッドに歩み寄り、そして彼を抱擁しようとしたが、それは医師たちに許可されなかった。腕や首に触れて彼を刺激してはいけないと言われた。
『一体どうされたのです?ご老体、みんな心配しましたよ。我が部局の職員はみんなあなたの話で持ちきりですよ!』私は言った。
『何てことはないさ、我らが権力万歳だ!』老マクストは誇らしげにそう言った、まるで何の災難も起こっていないかのようにだ。
『ご気分はどうです?』私は訊ねた。
『保養施設みたいなもんだね。見たまえよこの、周りを固める船長たちを!死神だってこれには恐れおののくさ』そう言いながら老マクストは、院長率いる医師たち全員を手で示した。
『光栄です』と院長が言った。
 そこへズュロ同志が入ってきた。彼は医師たちと握手を交わし、父親の枕元に腰掛けると、その額に軽く口づけして微笑んだ。
『父さんは私たちの誇りなんですから、寝たきりになんてさせませんよ』ズュロ同志は言った。『すぐ立ち上がれるようになりますよ、父さん!ヴロラで戦った時だって、五発も喰らったのに立ち上がってたじゃないですか、今だって、起き上がれないはずがありませんよ、それもこんな朝っぱらに。しかも何百も病院があって、何千人も医者がいる今この時に、どうして起き上がれないなんてことがあるもんですか。流感をこじらせて人がばたばた死んでいく、そんな時代は終わったんですよ!このまま父さんを記念碑みたいにはしておきませんよ!』
 老マクストは口元をほころばせた。
『案ずるな、ズュロよ!何でわしが起き上がれんものかね!保健省だって総出でわしを見守ってくれるようになっているのだからな!』そう言った。
『今日は長官本人も来るはずだったんですけど、国外で
[訳註;初版では「首都の外で」]急ぎの公務がありましてね』とズュロ同志は言った。『その代わり、明日はQ同志が来てくれますよ。父さんが病気だと聞いて、それは心配していましたからね・・・』
『お前にはそんな偉大な同志たちがいて、わしは嬉しいよ、ズュロ!いや、こう気分がいいとすぐに治りそうだな!』老マクストは言った。
 私は、ズュロ同志の顔に不満の影がさしているのに気付き、ズュロ同志とその父親の間に何かしら誤解があるのではないかという不安を感じた。だがズュロ同志の返事を聞いて、私は彼に対する賞讃の念に包まれた。
『父さん』ズュロ同志は言った。『父さんはいつだって控えめで、私にも、ごくありふれた勤勉な人間であれと説いてくれたでしょう。私に偉大な同志がいて嬉しいなんて言わないでくださいよ。私の同志たちはまず何よりも、ありふれた庶民なんです。ほら、このタチだって』そう言って彼は私の肩をポンと叩いた。『父さんの見舞いに来てくれたこのタチだって、ごくありふれた、役職なんかないけど、仕事好きな男なんですよ。タチは今日、父さんのことを心配して、見舞いに来てくれたんですよ・・・』
『本当に心配で』そう言った私の目には涙が溢れた。
『それに、父さんが偉大だと呼んだ人たちだって、庶民の家の息子たち、大衆の代表者ですよ。ほら院長だって』そう言って彼は院長の肩をポンと叩いた。『この院長だって、庶民の息子たちの一人ですよ。我々が彼を育て、我々が彼に学校教育を与えたのです・・・』ここまでズュロ同志が語るのを聞きながら、私は彼の賢明さと、我々には殆ど把握しきれないような根幹のところをしっかり捉えている彼の度量の深さを思った。その一方で私は、ズュロ同志が日々の生活の中の基本原則として保ち続け、今も保っているその思慮深さにも気が付いた。自分達の誰かが自分の父親の口からこんな自慢話を聞かされたら、抗弁などせず、受け入れてしまうだろう。それどころか気を良くしてしまうだろう。気を良くこそまではしなくとも、父親に抗弁などはしないだろう、そうでなければ父親が立腹し、機嫌を損ねてしまうのではないかと不安になるからだ。それなのにズュロ同志は病身の父親に、発作で倒れた自分の父親に反論している。何という人だろう、君たちに理解できるかい?このような人物がいる我々の部局は運がいいよ。ズュロ同志を批判する連中もうちにはいるがね、実にくだらないよ!彼こそ人格者だ。何度でも言うぞ:我々の部局にこのような人物がいてくれたとは運がいいよ」

2.
 タチの話は続く:
「医師たちはずっと立ったままだったので、ズュロ同志は気の毒に思って、休憩するようにと言ったが、彼らはそれを受け入れなかった。かく言う私も心配だった。『まさかズュロ同志の父親は』私は思った。『危険な病状で、だから医師たちは彼を放っておけないのではないか?』だがそうではなかった。『医師たちがそうしているのは名誉からであり、誇りに思っていたからなのだ』
 医師たちが老マクストを囲んで立っていると、階段を駆け上がってきたツテ・バブリャが息せき切ってやって来た。彼は医師にも、ズュロ同志にさえも握手をしようとしなかった。彼の頭の中は老マクストだけで、ただただ老マクストの方しか見ていなかった。
『1920年のドラショヴィツァでイタリア軍にも屈しなかったあなたが、何だってこんなベッドに横たわって、こんな白衣の連中に取り巻かれてるんですか?』そう叫ぶとツテ・バブリャは、老マクストの髭をむんずと摑んだ。『いや良かったこちらの草原は無事で!』そう言いながら彼は満足げに歯をギリギリ鳴らした。
 ズュロ同志は顔色を曇らせた、というのもツテ・バブリャが、医師たちの目の前で自分の父の髭を摑んだことが気に入らなかったのだ。そうだ、そりゃズュロ同志の方が正しい!このツテ・バブリャときたら、程度というものをわきまえないし恥というものを知らないんだ。ところが老マクストはというと、雪のように真っ白な枕から少しだけ頭をずらし、笑ったのだ:
『おうツテよ、まったくこの悪党が!』
『指導部はあんたをパリで療養させるとばかり思ってたんだがなあ俺は』と言ってツテ・バブリャはズュロ同志に目くばせしてみせた。
『おいツテよ、わしはな、しわしわの年寄りなんだ。パリにしわしわは似合うまい!』と、顎まで髭でごわごわの老マクストは言った。
[訳註;「しわしわ」の原語pastërmaは「干し肉、燻製肉」で、原文は「パリが干し肉なんか食うもんか!」]
『あんたが何で年寄りなもんかね? Q同志の親父さんだって年寄りだが、パリで一番と評判の病院で親知らずを抜いてもらったじゃないか。そうじゃなかったかい、なあズュロ?』そう言ってツテ・バブリャはズュロ同志の方を向いた。
『確かに親知らずですが、加えて乱杭歯も七本あったんですよ!』ズュロ同志が言った。
『ひゃあ!乱杭歯が七本だって!』老マクスは驚きの声を上げた。
『そう、そうなんですよ!』と返事し、更にズュロ同志は続けた。『私だって、Q同志に頼まれたんですよ、お父上をウイーンの病院で治療させて欲しいって、いや断りましたよ!』それから彼は医師たちの方を見たんだ!『我が国の医師たちだって腕は確かですがね。Q同志のお父上は話が別ですよ。親知らずに乱杭歯が七本ってだけじゃなくて、顎に感染症まで起こしてたんです。僅かながら、顎に壊疽も起こしてましてね!そりゃ厄介な手術で!それをまあ口さがない暇人どもときたら、噂するのは指導者やその家族たちのことですよ!たかがおでき一個だの扁桃一個が腫れただので親族を欧州の病院へ入れてやっただの何だのと・・・』
『扁桃は一個じゃなくて二個で!・・・』とツテ・バブリャが言った。
[訳註;扁桃腺の数を巡るこれとそっくりなやりとりが、アゴリの中編『裸の騎士』にもある]
『せめて三つだろ!』とズュロが遮った。
『そう、そうとも!扁桃が三つある人だっているさ!』ツテ・バブリャは笑った。
 ズュロは顔を曇らせた:
『なあツテ、そうやって何でも笑いごとにするのは・・・』
 そんなやりとりの中、老マクストは眠りに落ちていた。ツテ・バブリャはその枕元に身を寄せ、起こさぬように髭を軽く撫でた後、医師たちとズュロ同志に手を振り、白いドアから外へ出て行った。
 ズュロ同志は、一時間と少しばかり枕元に腰掛けていたが、やがて立ち上がると、父親の額にキスをし、帰り仕度をしながら私に言った:
『じゃ行こうか、タチ?』
 私は、もう少しだけ老マクストの傍にいるつもりだと言った。しかしその時ドアが開いて、アディラとディオジェンが入ってきた。アディラはベッドの上の老マクストに覆いかぶさり、おいおい泣きながらキスをし始めた。
「お義父さんたら、私たちを家に残してこんなところに!」と涙ながらに言うアディラだったが、ディオジェンはと言えば、悲しげにその場に立ったままだった。
「お前もこっちにおいで、お爺ちゃんがキスしてやろう、カンベリ家の白鳩ちゃんや!」老マクストはそう言いながら起き上がり、毛布の上で手を握り締めた。
 ディオジェンは祖父を抱き締めると、枕元に腰を下ろした。
『みんなが
[訳註;原語は「全世界が」]お義父さんの様子を聞きに、うちまで来てくれているのよ!地区の人たちも、ズュロのお友達も、退役軍人の方々だって!・・・』そう言いながらアディラはマクストの額を掌で軽く撫でた。
 私は、かくもみごとな調和に満ちた嫁と義父との関係を見たことがない!
『みんなが
[訳註;ここでも原語は「全世界が」]よ!』とアディラが繰り返した。
 ズュロ同志は眉をひそめ、まず医師たち、それからアディラを手招きした。
「誇張はよくないな。そりゃ勿論、みんな容態を聞きに来てくれているがね。そういう作り話は気に入らないよ」
「ズュロの言うことももっともだ。わしはもう年寄りだからね。それほど世間に名は通っちゃおらんさ」
 ズュロ同志は、ばつが悪そうに苦笑した。
「いやそういうつもりじゃないんですよ、父さん。父さんは世間に名の通った人ですとも。僕はただ、物事を大きく騒ぎ立てるのが嫌なだけで」とズュロ同志は言った。
「騒ぎ立ててなどいるもんですか。何百人もうちにやってきたのよ。それなのにズュロ、あなたときたらそうやって落ち着き払って、癪にさわるわね。どうしてありのままにものを言えないのかしら?」そう言ってアディラは医師たちの方を見た。
 我々はもうひとしきりそこに留まった後、立ち上がり、部屋を出た。ズュロ同志は医師たちに何やら指示を与えていた。その後、彼は院長と共に病棟内を歩き回り、多くの患者たちを見舞ったのだ、自分の父親に対すると同様の関心を持ってね。彼のそうした気高い振る舞いは、一同に深い感銘を残したのだ」

3.
 かくしてタチは物語りを終えた。
 それを聞く我々も微笑んでいた。バキルが私を肘でつついて、例の如く、外にまで聞こえるほどの大声を上げて笑った。
「ズュロ同志ほどの大した男はいないだろう!それで、かのクレオパトラは老マクストの見舞いには来たのかい?」バキルが言った。
 タチは苦々しげに答えた:
「俺たちが病室を出た時、大きな箱を抱えたアデム・アダシを連れて、やって来たよ」
「おい聞いたか!クレオパトラがかい?」バキルは好奇心に顔を輝かせた。「そうすると、アデム・アダシは老マクストを小説に書こうと準備してるんだな・・・それで思い出話を集めようと急いでるんだ、でないといずれ老マクスが・・・」
 タチが声を上げた:
「何と恥知らずな!病人を馬鹿にするとは」
 バキルは、『放っといてくれよ!』とでも言わんばかりに手を振った。
 アラニトはいつものように、肘掛け椅子に身を沈めたまま、重々しく、眉間に皺を寄せていた。彼は憂鬱そうだった。
「ああ、何たるかな、あのマクストに対して!どうかしてるぞ君は!」と急にタチが言った。
 タチは青ざめた顔で、ドアの方に目をやり出した、まるでそこからズュロ同志が入ってこないかと恐れているかのように。
「あの人はズュロ同志の父親だぞ。それにヴロラで戦った退役軍人だ」タチが言った。
「そのマクストとズュロもろともどっか行っちまえよ!」アラニトが言った。「退役軍人だと!あれはヴロラになんか行ったことないぞ!昔も行ってないし、今だってそうだ」
 タチは口をもごもご動かしたが、ひとことの声も出てこなかった。
 アラニトは立ち上がると、無言のまま、さっきよりも更に憂鬱そうに部屋を出て行った。
「どうかしてるなあいつは!」とタチは、アラニトが立ち去った後でようやく言った。


ズュロ同志、民謡歌手を招待する の巻

1.
 父親の病気でズュロ同志はいたくショックを受けたが、取り乱すようなことはなく、職務上の能力を失うこともなかった。父親が病院に入っても、彼は幅広く業務をこなしていた。あらゆる方面から電話がひっきりなしだった;科学文化指導局の入口で、そして廊下で、人々は彼との面会を待っていた:執務室を配達係が出たり入ったりしていた・・・ズュロ同志は調査し、執筆し、会議に出席し、指示を出していた。時間は分刻みの僅かなものだったが、それでもズュロ同志の活動において、それは決して無価値な時間の単位などではなく、そこには勉励刻苦が満ち満ちていた。
 彼は私の部屋にベルを鳴らし、私を自分の執務室へ呼びつけた。室内にはタバコの煙が充満していた。ズュロ同志はもうもうとタバコをくゆらせていたが、それは彼を敬愛する者たちからすれば大いに心配のタネだった。わけてもタチはひどく気にかけていた。ズュロにタバコを控えさせるよう万策を講じるべきだ、でないとしまいには彼の健康を損なうことになる、タチはそう言っていた。
 私がいつものようにズュロ同志のところへ行くと、仕事部屋は霞んでいた。その調査に深く没頭していたズュロ同志には、ドアが立てる音も、私の足音さえも聞こえていなかった。私が『ズュロ同志、何か用かい?』と言った時、初めて彼は顔を上げ、身振りでそこへ座れと促した。
「私の調査用の資料集めはどうなってる?」彼が訊ねてきた。
「今集めているところだ」私は言った。
「手間取らないでくれよ!」彼は不機嫌だった。
「努力しているよ」
「『努力している』とは抽象的な表現だな。私を不機嫌にさせないようにしてくれよ。私が欲しいのは資料なんだ!部屋から部屋をうろつくのも、軽口冗談を叩くのも程々にしたまえ、それより仕事だ、行動だよ!」とズュロ同志は憂鬱そうな顔で、それでも活力に満ちた声で言った。
 うなだれたまま私は、ズュロ同志の要求と指示を聞いていた。耳元をズュロ同志の力強い息遣いが吹き抜け、それは馴れ合いの上っ面を千々に吹き飛ばした。
「国内の優れた民謡歌手を十二人招待するならどう対応したものだろう?」ズュロ同志が訊ねてきた。
「この部屋に呼ぶんだろう」私は言った。「バキルに、歌手たちの業績について少し喋らせればいい。その後で君が方針を出すんだよ」
 ズュロ同志はペンで机をコツコツ叩きながら、うっすらと目を閉じ、そのままひとしきりその姿勢で座っていた。再び目を開いた時、彼はペンを机の隅に押しやり、私の方を向いてこう言った:
「歌手たちが来る前に、君に急ぎの仕事を頼もうか」とそこでひと息ついてから「諺を探してきてくれ、マレスィア・エ・マヅェから三つ、ペシュコピから三つ、トロポヤから三つ、クカスから三つ、ミルディタから三つ、クルヴェレシュから三つ、ゴラ・オパリから三つ、コロニャから三つ、コソヴァから三つ、チャメリアから三つだ」
[訳註;マレスィア・エ・マヅェ(Malësia e Madhe)はモンテネグロと国境を接する北西部、ペシュコピ(Peshkopi)はマケドニア国境に近い北東部、トロポヤ(Tropojë)とクカス(Kukës)はコソヴァに近い北東部、ミルディタ(Mirdita)は中部北寄り、クルヴェレシュ(Kurvelesh)は南部、ゴラ・オパリ(Gorë-Opari)はマケドニアとギリシアに近い南東部、コロニャ(Kolonja)はギリシアに近い南東部にそれぞれ位置する。コソヴァはご存知の通り。チャメリア(Çamëria)はギリシア北西部のアルバニア人が多く住む地域]
 私は少々呆気にとられ固まっていた。ズュロ同志がそんな私の様子に気付いて訊ねた。
「何をそんなにぽかんとしてるんだい?」
「何の必要性があるっていうのさ、その諺に?」
 ズュロ同志の顔から血の気が引いた。
「君だってわかってるだろう、仕事に要るんだ、それ以外に何の必要性があるのさ。それだけだよ」
 私は部屋を出ようと立ち上がった。するとズュロ同志に呼び止められた。
「忘れてたよ。バキルに言っといてくれ、民謡歌手十二人の作品から、特にいいものを十二編、見つけておいて欲しいんだ、招待した時に役に立つようにね。作品はね、内容の崇高さと形式の優美さが備わったものを頼むよ。以上!」

2.
 バキルはアラニトの部屋にいた。彼は椅子に座ってタバコをふかしていた。アラニトは相変わらず、憂鬱そうな目つきで、赤ペンで何か書きつけていた。黒髪が、汗で濡れた額に貼りついている。妙な男だ、沈鬱な性格で、実に独自の意見の持ち主だった。誰に何を言われても、相手が正しくないと思えば反論できる男だった。何があっても取り乱さず、物怖じすることもなかった。独自の意見を恐れることなく、たとえ相手が大臣でも、言いたいと思えば口にした。我々も皆、彼に敬意を払い、上司であるズュロ同志よりも多く意見を求めるのだった。元々私は、自分が彼に軽蔑されている、主体性のない、軽率な男と見られているような気がしていた。その後彼とは親しくなったが、そういう先入観は残っていた。私はバキルの方を向いて言った:
「ズュロ同志から君に指示だ、今日招待することになっている民謡歌手十二人の作品から十二編選んでおくようにって」
 バキルはタバコの火を消すと、肘掛け椅子の中で僅かに身を動かした。アラニトは上目遣いに、軽蔑したような目つきで、こちらを見た。私は気分が重くなった。
「またあいつか!何に要るんだよ、そんなもの!」バキルが言った。
「栄誉ある民謡歌手たちの作品について論評しようというんだろう」アラニトが神経質そうな口調で言った。
「こっちだって、地方の諺を三十個見つけて来いと言われたよ」私も言った。
 アラニトは立ち上がると、ポケットに手を入れたまま我々の方に近寄ってきた。
「では私も、うちの機関から出してきた諺をズュロに提供しよう」彼は先程の口調のまま言った。
 私はアラニトに興味なさげな視線を向けた。本当のところはどうかと言えば、彼の言葉に興味がないどころではなかったが、そういう風にしたのだ。アラニトは私の視線に気付いたが、話を続けた。
「我が科学文化指導局の組織内には、私の知る限り、ズュロの秘書はいない。彼は規則に違反しているな」アラニトは言った。
「それはどういう意味だ?」私は訊ねた。
「誰が君を、ズュロの個人秘書に任命したのかね?」アラニトは『ズュロ』と『個人』の部分を強調しながら言った。
 科学文化指導局で『ズュロ同志』を『ズュロ』呼ばわりする奴など、アラニトしかいなかった。
「私は彼の秘書じゃないぞ!」私はかっとなって言った。
「上司の指示や命令を伝えにくるのは秘書ぐらいなものだろう」アラニトはそう言うと、ドアをバタンと鳴らして部屋から出て行った。
 私はバキルと共に、ずっと黙り込んでいた。まだ耳元にアラニトの言葉が、軽蔑したような言いぐさが鳴り響いていた。アラニトは全てに苛立ち腹を立てているように見えた。
「理解できないな、あのアラニトときたら」しばし沈黙の後、私はそう言った。
 バキルは肩をそびやかした。それから額を掌で拭うと、ため息をつき、新しいタバコに火をつけた。
「あいつはズュロ同志をカーニヴァル呼ばわりしていたな」
バキルが言った。
「カーニヴァルだと!」
[訳註;原語karnavalは原義通りキリスト教の「謝肉祭」の意味でも用いられるが「奇抜な格好の人物」や「不真面目な仕事ぶり」を指す比喩として用いられることがある]
 そうこうする内にアラニトが戻ってきたが、表情は先程にも増して憂鬱そうだった。ドアのところで上着を脱ぎ、それを釘に掛けると、一言も発しないまま、自分の椅子に座った。我もバキルも口をきく気にならなかった。おかしな話だ!俺たちとこいつは、役職でも、賃金でも、仕事の面でも対等なんだ。何故こいつがいるせいで俺たちがビクビクするんだ?!
「君も、ズュロ同志が民謡歌手たちを招待する場に来るのかい?」バキルが訊ねた。
 アラニトはぶるっと身を震わせた。その顔からは血の気が失せ、手元もぶるぶる震え始めた。椅子から立ち上がると、必死で怒りを抑えながら、こう言った:
「俺はカーニヴァルになんか興味はない。それでも、このカーニヴァルの只中で生きていかざるを得ないんだ!たとえどんなカーニヴァルだとしてもな!カーニヴァルに舞台芝居か!遊ぶがいいさ、おお、人間どもよ!遊ぶがいいさ、おお、おかしなおかしな役者どもよ。アレクサンダル・モイスィウが、我らの住むこの地に生を受けたことは偶然ではない!偉大なる役者たちの地だ!君たちのせいでおかしくなりそうだ、わからないのか?頼むから、私の部屋から出てってくれ!」
[訳註;アレクサンダル・モイスィウ(Aleksandër Moisiu)は20世紀初頭のオーストリアで活躍したアルバニア人俳優。ちなみに出生地はアルバニアでなくイタリアのトリエステ]
 私とバキルは連れ立って、機械仕掛けのようにドアへの方と向かった。ところがそこへズュロ同志が入ってきた。アラニトは、それまでずっと立ったままだったが、自らを誇示するように腰を下ろした。
「アラニト同志、忙しいかね?」ズュロ同志が訊ねた。彼は相手を単なる『アラニト』でなく『アラニト同志』と呼んだ。
「忙しいね」アラニトは素っ気なく言った。
「君にちょっとした仕事を頼みたいんだ」とズュロ同志はいった。「君ならうまくやってくれるだろう、民謡歌手たちと、彼らの唄う時の言葉、そこにあるはずの多様性、各地方の方言の保護について話せるよう、準備してくれないかな、それで彩りを添えたいんだ・・・」
 アラニトは目を見張り、拳を握りしめた。
「嫌だね」彼は切りつけるように言った。
「それは何故なのか知りたいな」ズュロ同志は静かに訊ねた。
「何故って、そんな思いつきはくだらないと思うからさ」アラニトは言った。
 私とバキルは動けなくなっていた。ただ嵐の巻き起こるのを待つしかなかった。ズュロ同志は黙ったまま、アラニトの幅広な顔をじっと見つめていた。
「そうかね?」ズュロ同志は言った。
「ああ」アラニトも言った。
「民謡歌手のことが気に喰わないのかい?」ズュロ同志が訊ねた。
「あんたのことが気に喰わないんだ!」アラニトは真っ青な顔で言った。
 ズュロ同志は押し黙った。そして、やっとのことで微笑んだ。
「大した喜劇役者だな、君は!」彼は言った。
「その茶番劇の台本を私に書いたのはあんたじゃないか!」アラニトが言った。
 このままでは済むまい。私も、そしてバキルも、困難な状況下に置かれていた。しかしズュロ同志は努めて冷静さを保っていた。
「私の命令を、君は茶番だと言うのかね、アラニト同志?」
「茶番劇で済むものか」アラニトは言った。
「どこがそういう茶番に見えるのかね?」ズュロ同志が訊ねた。
「あんたは歌の中にもっと方言の特色が欲しいと言う。だったらあんたこそ、うちの部局で方言で喋ればいいじゃないか、それであんたの執務室の彩りも保護できるさ」アラニトは身を震わせながら言った。
 部屋は重苦しい沈黙に包まれた。ズュロ同志はドアの方へ一歩進んだが、立ち止まり、アラニトの方を向いた:
「君はその、数世紀にわたる我が国の民謡に対する不適切な見解の責任を負うことになるだろうな!・・・」
 アラニトは、持ちこたえようとでもするように机に両手をつき、ズュロ同志に射るような視線を向け、そして言った:
「私だって、民謡は好きだ。民間歌謡の形式で詩を書いたことだってある。巻頭に選んだのは、こういう二行詩だ:

  ガラン、ゴロン、大きな鈴が鳴る、
  ミルクは半オカ!・・・
         」
[訳註;オカ(okë, okar)は重さの単位。1オカ≒1.4キロ]

 ズュロ同志は目を見張った。初めは私を、その次にバキルを見た。
「ああ、要するに、君は我が国の社会主義経済を中傷するんだな。ミルクなら、地区の商店に欲しいだけあるだろう」ズュロ同志は言った。
「地区の商店ならミルクはあるだろうさ、だが私の頭の中の商店は・・・民謡ってのは、時に容易には理解しがたいものなんだ」アラニトは荒々しい口調でそう言った。
 それは予期せぬ雹の襲来だった。ズュロ同志はドアの前で立ち尽くしていた。私とバキルを、完全に押し黙ったまま、驚きに満ちた目で見つめた。それから、何事かを思い出したように、足早にドアを開け、混乱もそのままに携え出て行った。ズュロ同志に続いて、私もバキルと共に外に出た。
 バキルは廊下で立ち止まり、アラニトのことを考え考え言った:
「彼の勇気と論理には感服するよ」
「同感だ」

3.
 午後五時になると、ズュロ同志の広い執務室にその名を知られた国民的民謡歌手十二人が集まり始めた。ズュロ同志はドアのところまで出てきて彼らと心のこもった握手を交わし、そして肩を叩き、称賛の言葉を送った。ズュロ同志と共にいたのは私とバキルだったが、アラニトの姿はなかったか、或いは招待されていなかった。
 長テーブルの上には、コニャックの瓶が一本と、15個のグラスが並べられていた。
 民謡歌手たちはにこやかに微笑んでいて、その顔には、自分らに与えられた大いなる栄誉への喜びが輝いていた。ズュロ同志は彼らに、その長テーブルを囲んでT字形に座るよう指示した。彼らはチフテリ[訳註;アルバニアを含むバルカン半島で用いられる、弦二本から成る細長い楽器。本作冒頭第7節で既出]を抱えていたが、それを部屋の隅の椅子の上に置いた。
 ズュロ同志はグラスを取り、それを掲げた。
「乾杯!ようこそお越しくださいました!その指先と口で以て歌い上げる方々とお目にかかれるとは、私にとって大きな喜びです!」そう言ってズュロ同志は十二人の民謡歌手たちとグラスを鳴らした。
「乾杯!私たちにとっても大いに名誉です!」と彼らも声を揃えて言った。
 こうして始まった後のやりとりは、民衆詩歌、特にズュロ同志がよく通じている叙事詩についての、極めて真剣なものだった。
「あなた方はまさに詩歌を代表する方々ですな。あなた方からこそ、詩人たちは範を得るべきですよ。我が国にも優れた作家はいますが、一部には、あなた方の詩歌に基礎を置かないが故に誤りを犯している者もいます。そう例えば、作家ヅィモ・シュカは『側溝』という小説で誤りを犯し、現実を逸脱してブルジョワ修正主義芸術の溝に嵌まってしまいました。何故か?何故なら、民衆という基盤に根差したあなた方の詩歌を念頭に置いていなかったからです。あなた方の歌一つでさえ、何十という作家の作品とは比べようもありません。あなた方はできるだけ多くの歌を本に書き、世に出して、作家たちに学ばせるべきでしょう。官僚的な出版社が横やりを入れてくるかも知れませんが、それに怯んではなりません。連中があなた方に横やりを入れてくることは我々も知っています、連中はこう言うのですよ、あなた方の歌は古めかしい八音節の形式で書かれているとか何とか、ええ私にだって見当がつきますとも。ですがその八音節こそ国民的詩歌を作る上での基礎中の基礎なのです。我々に必要なのは八音節であり、放縦[訳註;原語shthurjeは「編み目をほどくこと」]ではありません・・・韻律の規範こそが必要なのです!」
 この演説が終わると、民謡歌手たちは騒然となり、彼らの中にはズュロ同志の見解に同意するものさえいた。
「あなたのおっしゃる通りです。私は出版社に十巻の詩を送って、一つも出版されていないのです」ジョク・チョクという背の高い、顎髭をたくわえた民謡歌手が言った。
「私も十二巻分送りましたが、ようやく出たのは二十編入りの小冊子でしたよ」アリ・アリヂャフェリという鷲鼻の男が言った。
「いやわしは二巻分まるごと送り返されてね、そこに入っている詩を、歌うのはいいが出版することはできないと言われたよ」コチ・ジュレという小柄で冴えない顔色の民謡歌手が言った。
 するとズュロ同志は憤慨し、拳をテーブルに叩きつけた。グラスがかち合い隅にずれ動いたが、中身はこぼれなかった。
「申し訳ありません、こんなところをお見せして」ズュロ同志は言った。「ですが到底我慢できなかったのです、お教えいただいた事実にいてもたってもいられなくて」そして彼は私の方を向くと、メモを取るよう指示した。「ですが同志諸君、あなた方も間違っていらっしゃる。なぜ私の部屋にあなた方の詩作と、出版社からの返事を持っていらっしゃらなかったのですか?それはどんなものですか?官僚主義的な出版社の連中はどうやって、あなた方の栄誉ある詩作を貶めたのですか?何故、何を思って連中はあなた方にミニスカートだのフラフープだの、秋だの紅葉だの、歩道だの濡れたアスファルトだのを歌うよう求めたのですか?」
 憤激したズュロ同志は電話の受話器を取った。人差し指で番号を回し、そして待った。民謡歌手たちは互いに顔を見やり、首を振った[訳註;首を振るのは否定とは限らない。横に振るのはむしろ肯定の意]
「こんな男がいるとは!」民謡歌手ジョク・チョクが言った。
「うむ、実に大したものだ!」民謡歌手アリ・アリヂャフェリが言った。
「靴一足を一本足にはかすことになるぞ!」
民謡歌手コチ・ジュレが言った。
 民謡歌手ジョン・ジョクがその脇腹をつついて、言葉を訂正した:
「靴一足を一本足に、じゃないよ、二本足を靴一つにだ」
「そりゃそうだ、わしが間違ったんだ!」民謡歌手コチ・ジュレは言った。
[訳註;「靴一つに足を二本入れる」は恐らく「無理なことをさせる」の意だが、中国語版の註によれば中国語にも“给某人小鞋穿”という表現があり、「誰かに小さい靴を履かせる」転じて「誰かに嫌がらせをする」の意味で用いられる]
 ズュロ同志が振り向いた:
「いいえ!あなた方はこれっぽっちも間違ってやしません!」
 私とバキルは噴き出した。ズュロ同志は電話にかじりついた:
「ズュロ・カンベリだが。編集長のメルスィン・トゥファニを頼む・・・え?君かい?・・・どうかね調子は?・・・仕事かい、そりゃそうだ。何の用かわかるね?・・・ああ、民謡歌手の件はどうなってる?・・・いや歌ってるのは知ってるさ、だが出版しないのは何故かね?何を出版したんだ君たちは一体?ちゃちな本が二冊とは!指示に逆らうつもりかね君たちは?君たちはジョク・チョクに十巻分を突き返したろ、アリ・アリヂャフェリのは十二巻分もだ!君たち気は確かか!何たる恥さらしだ[訳註;逐語訳は「黒い面」]!・・・もういい、もういいよ。君がいる時に社長も交えて話すとしよう・・・いいかねメルスィン・トゥファニ、君の風は然るべき向きに吹いていないぞ[訳註;ここでズュロは名詞tufan(風、嵐)と編集長名のTufaniをかけている]。ではまた!」ズュロ同志は顔を真っ赤にし、語気荒く喋った。
 民謡歌手たちはずっとうなづき合い、ささやき合っていた:
「うん、うん、うん!実に誠実な!」
 私はといえば厄介なことに、笑い出したい衝動に襲われていた。バキルも必死で唇を噛みしめていた!
「おかげで助かりましたよ、ズュロ同志!」民謡歌手アリ・アリヂャフェリが言った。
「私ども、この御恩は決して忘れませんぞ!」民謡歌手ジョク・チョクが言った。
「これが私の仕事ですから」とズュロ同志は言った。「しかしわが国にはいまだ官僚主義者どもがいるんですなあ。我々の部局だってそうですよ。つい数時間前にも同僚の一人と話していたんですが、あなた方の歌曲に必要な脚色にすら公然と反対してきて・・・」
 バキルが私の脇腹を小突いた。ズュロ同志はアラニトが持論を譲らなかったことを当てこすっているのだ。私には、それは褒められたものとは思えなかった。
 その時、フロク・マルティニという民謡歌手が声を上げた:
「どうだろうね本当のところ、我々は出版社にも、国の機関にも支援してもらってるじゃないか。これだけは言っておきたいが、我々は余り騒ぎ立てるべきじゃないよ。我々が望むのは、全てが出版されることだ。何故、当然にも、全てが出版されねばならないのか?」彼は冷静に問いかけ、そして続けた:「歌われし歌は、出版されし詩と同種のものだ。ですから余り大袈裟に騒ぎ立てないでいただきたい、ズュロ同志、何もかも通常通りなんですよ。メルスィン・トゥファニ同志が出版社で準備してくれた詩歌集の中には、ジョク・チョクの詩も、アリ・アリヂャフェリの詩も、コチ・ジュレの詩も、それに私のもあるんですよ。そうだろう同志諸君?何故こんなにしてズュロ同志の手を煩わせる必要があるんだ?
 民謡歌手たちは互いの顔を見合った。その中の何人かは、フロク・マルティニの言葉に賛同しているように見えた。ズュロ同志は、その口出しが望んでいたものではなかったにもかかわらず、微笑した。ただ返事は一言も発さなかった。彼はその後、来るべき祭典の問題点に話を移し、作業上の主題設定について取り上げた。自身の着想を描写するために、彼は幾つかの諺と、民謡歌手たちの美しい節回しに言及した:
「労働なくして外套なし![訳註;原文は“pa punë, s’ka gunë”と韻を踏んでいる。働いてこそ初めてその果実が得られる、といった意味]とは民衆の語るところです。これこそがあなた方の歌の主題でもあるべきでしょう」と彼は提案した。
 全員がその意見に同意した。そこでズュロ同志は幾つかの節を引用してみせた:
「これは見事ですな、アリ・アリヂャフェリがお書きになっていますが:

 労働――それは背骨の髄
 労働――それは春の花
 労働――それは双頭の鷲
 労働――それは人類の歌!・・・

                 」

 バキルがまた私の脇腹を小突いて、緩慢な口調でこう言った: 「あの詩を聞き取ってきたのはアラニトだぞ!」 民謡歌手アリ・アリヂャフェリは、自分の詩を耳にすると、テーブルから身を浮かせた。彼は微笑んで言った: 「最後の節はですな、ズュロ同志よ、私の方では『労働――それは人類の歌』でなく『労働――それは人民の祭典』でしたよ」
「『労働――それは人類の歌』の方がいいですよ」ズュロ同志は言った。「そこは正確にいきましょう。『労働――それは人民の祭典』と言ってしまうと、誤解されますからね。労働はお祭りではありません。お祭りとは、労働の結果なのですよ」
「なるほど、大したものだ」民謡歌手ジョク・チョクが満足げにつぶやき、そして声を上げた:
「私なら更にこう言いたいですな、ズュロ同志、そこの節はこうすべきでしょう、『労働――それはプロレタリアートのこぶし』と」
 ズュロ同志がそれを遮った:
「そうなると、その前の節『労働――それは双頭の鷲』も変えなければなりませんよ、だって韻を踏んでませんからね」
「前の節はこうしましょう、『労働――それはみなぎる炎の跳躍』」と民謡歌手コチ・ジュレが言った。
「それはいい!」ズュロ同志が言った。「それでは、このくだりはこうですね:

 労働――それは背骨の髄
 労働――それは春の花
 労働――それはみなぎる炎の跳躍
 労働――それはプロレタリアートのこぶし

                      」
[訳註:日本語に完璧に置き換えるには限界がありますが、原語では確かに韻を踏んでいます]

「よろしい。内容においても形式においても勝利しましたな」ズュロ同志が締めくくった。
 会談は長く続いた。私は山ほどメモをとっていった。何度も目に入ったのは、民謡歌手フロク・マルティニが顎に手をやり、じっと考え込んでいる姿だった。彼は窓越しにダイティ山を見つめたまま、何かに苦悩しているようだった。そして不意に彼は口を開いた:
「そう、そうだよ!」
 一同、少々驚いて彼の方を見た。ズュロ同志が訊ねた:
「はい?『そうだよ』とはどういう意味で?」
「そうだよ!」民謡歌手フロク・マルティニは言った。
「そう、そうですな!全てにまさる肯定ですな、兄弟諸君!」ズュロ同志が言った。
 民謡歌手たちは笑った。
 締めくくりに、ズュロ同志は民謡歌手たちと握手を交わし、彼らを階段まで見送った。
[訳註;この後に続く椿事は初版にはなく、決定版で大幅に加筆されている。そもそも初版ではアラニトとすれ違うだけで、アフリカ出張を巡るやりとりもない]
 その時、思いもかけずツテ・バブリャが姿を現したのだ、こう口ずさみながら:

 オドリエよチャユピの谷間よ
 こそ泥 小夜啼鳥の寝ぐら
 寝ぐら
 寝ぐら
 こそ泥 小夜啼鳥の寝ぐら!

                」
[訳註;「オドリエよ」と訳した原語Odrijeはアルバニア南部ジロカスタル郊外のOdriaと思われる。チャユピは、そのジロカスタル近くの山名]

 彼は歌いながら民謡歌手ジョク・チョクに近付くと、手を伸ばし、相手の髭を摑んだ:
「やあ何とご立派なものをお持ちか、このような荒地を!髭なき民謡歌手など、さまにならんて!そうじゃないかねズュロ・カンベリよ、我が友にしてアルバニア民謡のイデオローグよ!」
 ズュロ同志はさっと顔を曇らせたが、この場は笑ってやり過ごすことにした:
「いやお前こそ、ツテよ、民謡歌手に何の用がある!」
「俺に無いのは髭だけさ。いやはや、これは何とみごとな荒地をお持ちか!」そう言ってツテ・バブリャはまたしても、階段の上で呆気に取られ立ち尽くしたままの民謡歌手ジョク・チョクの髭を引っ掴んだ。
 他の民謡歌手たちはこの、ズュロ同志との荘厳なる会談をぶち壊しにかかる人物を、驚いた顔で眺めていた。しかし彼らはツテ・バブリャのことも知らなかったし、彼とズュロ同志との間柄も知らなかった。ただ民謡歌手アリ・アリヂャフェリだけが、怒りをみなぎらせてツテ・バブリャの前に立っていた。何だこいつは、一民謡歌手の髭を摑みにかかるこの男は?彼は肩をすくめ、細い首を伸ばして歩を進め、ツテ・バブリャと民謡歌手ジョク・チョクの間に割って入った。そして無言のまま肩で両者を押しのけ、静かに階段を下りていった。ズュロ同志はツテ・バブリャに、民謡歌手たちを刺激するなと首を振ってみせた。ツテ・バブリャにはその意味がわかった。民謡歌手には洒落が通じないのか!・・・それでも、彼はその民謡歌手らと連れ立って階段を下りながら、特に教養があり、進歩的な民謡歌手であるフロク・マルティニの手を取った。
 我々は戻ってくる途中の廊下で、アラニトと出くわした。ズュロ同志は何も言わなかった。彼は相手を見もしなかった。私は歩みを緩めた。アラニトは私の背後で振り向き、こう言った:
「ズュロからもらった指示はメモしたかね?」
「したよ」私は言った。
「素晴らしい!君は好かれているな」そう言ってアラニトは笑い声をあげた。
 彼が声をあげて笑うのを見たのは初めてだった。何故だ、一体何を笑ってるんだ?
 ズュロ同志がまだ執務室のドアを開けないうちに、電話の鳴る大きな音が聞こえてきた。それを耳にするや彼は腕白小僧のごとく駆け出しながら、私にもついて来いと手招きした、まるで私が彼のペット[訳註:原語manarの原義は「羊飼いになつく子羊」]ででもあるようにだ。
「もしもし!ええ!ズュロ・カンベリです!ああ、Q同志ですか?何か御用でしょうか・・・延びた?」そして私にも近くに来いと手招きした。
「いつのことです?追って通知する?ということは我々は、地方出張に行けるんですね!そりゃそうでしょう、アフリカがそういうことでは・・・ええ、ええ・・・はい、はい、ブルジョアジーも手をつけている・・・つまり、修正主義もということですな・・・いずれにしても、我々には我々のテーゼがあります・・・申し上げましょうか?・・・今までお伝えしていませんでしたが・・・ここにありますとも!・・・できる限りの探・・・はっ、勿論ですとも!Q同志、それではまた・・・!」そして彼は私に振り向いた――アフリカの国際会議が延期になった!君にもわかるだろうデムカ!会議のテーマは「アフリカ文化とヨーロッパ文化との関連性」だ。我々はアフリカでも対決することになるだろう、それもヨーロッパのブルジョア修正主義文化の主導者たちとだ!いやはやデムカ、高いヨーロッパ水準の講演が必要だよ・・・それは考えるとしよう。いずれにしてもだ、今はとりあえず、ティラナの外に出張といこうじゃないか・・・労働と活動――それこそ歴史の教訓だ!・・・


ズュロ同志、現場へ向かう の巻

1.
 アフリカでの国際会議への招待も、そして父親を襲った突然の病も、ズュロ同志が自ら語る通り、彼が現場に下り、大衆の懐に入り、大衆に学び、大衆を彼の能う限り適切に支援することにおいては、僅かな妨げでしかなかった。だが彼の父親が快方に向かい、重病を克服しつつあり、またアフリカ会議が延期になったこともあって、ズュロ同志は僻地への出張に向かうための真剣な準備に取りかかった。もはや執務室に留まる理由はなかった。
 彼が住むアパートの入口には、一時間も前からミルク色の乗用車が待っていた。ディオジェンとバルヅィがその周りで騒いでいた:
「パパの車だ、パパの車だ!」
 窓からアディラの声が聞こえた。
「車にいたずらしちゃだめよ!」
 アパートじゅうで、こう囁かれていた:
「ズュロ同志が出張だ!」
 アディラは部屋から部屋へ出たり入ってりしていた。彼女は、ズュロ同志の出張専用に買ったスーツケースの支度をしていた。夫のワイシャツ、肌着、夜着、靴下をたたんでいた。ズュロ同志は大きなカバンにメモ用紙とノート、「農村知識人と文化施設」の論文、研究に必要な本、鉛筆に万年筆を入れていた。
 アディラはスーツケースを閉じると、テーブルの上に置いた。ズュロ同志もカバンを閉じ、そのスーツケースの上に置いた。それから私の肩を叩き、コーヒーを飲んでから出発しようと言ったが、その時何か思い出したらしくアディラのほうを向いた:
「で、小型ラジオは荷物に入れてくれたかい?」
「あら、忘れてたわ!」アディラが声を上げた。
「おいおい、それは最初に入れておいてくれよ!僕を十日間も政治から遠ざける[訳註;逐語訳は「政治において聾にする」]つもりかい?政治は気まぐれにして重大だが、君にはその気まぐれさがわかってない。政治は時々刻々[訳註;逐語訳は「時々日々」]追っていく必要がある、そうでなければ置いていかれるぞ。ああ、政治の気まぐれさたるや!いや君、今日の世界にどれほどの混乱があるか、わかるかい?この混沌を追いかけていこうとは思わないかね君?」
 アディラは隣の部屋に入ると、小型ラジオを持ってきて、スーツケースはパンパンだから手で持っていってちょうだいと言った。
「手に持って!僕を何だと思ってるんだい?トランジスタラジオ片手に道端をうろついてる連中だとでも?」ズュロ同志が憤慨したので、アディラは自分の思考の慌てっぷりに気づいた。
 アディラはコーヒー用のヂェズヴェ[訳註;トルココーヒーを淹れるための、長い柄のついたコーヒーポット]をコンロにかけた。我々とズュロ同志は待っていた。
「昨日、あのアラニトは私に随分腹を立てていたが」ズュロ同志が言った。
「君が何かしたんだろ」私は言った。
「私が何をしたっていうんだ?彼は祭典や競技会の方針に反対していた。だがその方針は委員会が全員で決めたものじゃないか!」ズュロ同志が言った。
 私はひとしきり考え込んだ。その方針については懸念があったのだ。しかし懸念を表明するにも巧みにやるのが私の常だ。
「そう、ズュロ同志、祭典が多いということはないかな?」
 ズュロ同志は背筋を伸ばした:
「多くはないね。年に四つだからね。それに地区や地方ごとの祭りが入ってきて・・・」と言った。
「やっぱり多いよ」私は言った。
 アディラがコーヒーを運んできた。我々はタバコに火をつけ、カップを手にした。ズュロ同志は妻の方を向いた:
「私はこれから十日間だけ留守にするからね。父さんのことは気をつけてくれよ。何かあったら、テペレナの執行委員会に電話するように。子供たちにも特に注意すること!週三回、学校で勉強の進み具合と学習態度について聞いてきてくれ!ディオジェンには、あんまり交響曲の作曲ごっこばかりさせないように。ご近所の奥さん方とぺちゃくちゃお喋りするのも、無しにしてくれよ!そういう話が広まったら、道を通行止めにしなきゃならんからね!君は『何も知りません』って言うんだよ。何だろうなあの奥さん方ときたら!幹部組織とご近所に何の関係がある?」そしてズュロ同志は私の方を向いた。「ご近所は大騒ぎさ、まるで私がアルジェリア大使になったかのような・・・アフリカ会議のことなんか一言も・・・」
「大使の件なら私も聞いたことがあるよ」私は言った。
 ズュロ同志は手をひらひらさせた:
「そうかい?それはまだ議論の段階だよ、それなのに噂が広まってしまった」
 彼は時計を見て、立ちあがった。
「時間だ。さあ行こう、遅くなってしまう。Q同志には彼の車を十日間使っていいと言われているが、今夜には返すつもりだよ、自動車で村から村を回りたいとは思わないからね。人間、車の中にふんぞりかえって威張りくさるもんじゃないよ」ズュロ同志は言った。
「でもそれじゃ足が血だらけになるわよ!あなたの車は故障してるし。そんなことまで質素にしてたら命とり[訳註;逐語訳は「その簡素さがあなたの首に手をかける」]よ!」アディラが言った。「Q同志があなたに車を貸してくれるって言ってるのよ、それを!・・・」
 我々は階段を下りて、アパートの入口に出た。女性や老人たちがバルコニーに出て眺めている。アパートじゅうが囁いていた:
「ズュロ同志の出発だ!」
 ズュロ同志はバルコニーに出ている人々に手を振り、車に乗り込んだ。そこからドアを開けると、子供たちとアディラにキスをし、またドアを閉めた。私は運転手の隣に座った。ズュロ同志は前の方に座りたがらなかった。ズュロ同志がそうするのは自分を重要人物に見せようとしているからだ、という声も一部にはあったし、運転手の隣は通常、案内人の席だからだ。
[訳註;この車には運転手がいる。ズュロが党幹部ということもあるが、そもそも労働党時代のアルバニアは車の個人所有が禁じられており、運転免許を所持する人も限られていた]
 ところが、まだ車が出発しないうちに、アデム・アダシとクレオパトラが急ぎ足でやってくるのが見えた、クレオパトラは手を振り、一方アデム・アダシはいつもの書類挟みを小脇に抱えていた。ズュロ同志の表情がぱっと明るくなった。
「来てくれないはずがないよな!」そう言ってズュロ同誌は車外に出た。
「もう少しで行ってしまうところだったわね、ズュロ同志!」とクレオパトラが叫んだ。
「客観的にはそうだね!」ズュロ同志は言った。
「一時間も前からアデムに早く早くって言ってたのよ、なのにこの人ったらもう、一文書き終わったと思ったらもう、まだ一文だなんて!」と言いながらクレオパトラはアデム・アダシに険しい視線を投げかけた。
「ひとたび思索の嵐が吹き荒れたら、そうは止むまいよ」ズュロ同志は笑った。
「いや本当に遅くなってしまったよ、『ドリタ』に載せる小説を書き終えたくてね。君がこんなに早く出発するとは思わなかったんだ」そう言いながらアデム・アダシは、小脇に抱えた書類挟みを取り出した。
 ズュロ同志は不安げに、その書類挟みを見つめた。
「まさかその小説を一緒に読んでくれというんじゃあるまいね?」
 アデム・アダシは口元をほころばせた:
「君は旅行だろ。まあそれでも、一部手渡させてくれないか」そして書類挟みを開けようとした。
 ズュロ同志は後ずさりした:
「これから数日は山ほど仕事ずくめなんだ。ラジオぐらいしか聞く時間がないよ。君が小説をマグネトフォンか何かで録音してくれるならともかく、でなければ厄介だな」ズュロ同志は笑った。
 クレオパトラは再び、殲滅じみた視線をアデム・アダシに向け、それからズュロ同志に微笑みかけた:
「ああ、それにしても羨ましい!母なる自然の胸へいらっしゃるなんて!山々に、川に、田園に!あなたみたいな運のいい人は!」
 アディラがクレオパトラの腰に手を回して言った:
 「まあクレオパトラったら!この人は大忙しになるのよ!あっちでも会議、こっちでも会議!誰かと対決、別の誰かと対決。何処に自然をのんびり眺める暇が、このズュロ同志にあるのよ!」
 ズュロ同志は額に皺を寄せた:
「おいおい君もか!ズュロ同志だって!何で僕のことをズュロ同志なんて言うんだい?」
 アディラは軽く身をよじらせた:
「だってみんなそう言ってるじゃないの。クレオパトラだって・・・」
 アデム・アダシが会話の流れを逸らせた:
「私も君と一緒に行きたいと思っていたんだ、でも人民劇場の芝居があってね。上演に立ち会わなきゃならないんだ」
 ズュロ同志は指を振った:
「芝居に専念したまえよ、アデム・アダシ!戻ったらゲネプロを見せてもらうよ!話はまた今度だ、アデム、また今度な!」
 またもクレオパトラがしなを作るように軽く身をよじらせて、その細く長い指先をぴんと伸ばした:
「ズュロ同志、アデムのゲネプロにあんまり辛辣なことは言わないでね。あなたが戻ってくるその時は、人生経験の詰め合わせを持って帰ってくるんでしょ!そうしたら『嵐は打ち倒されし』の評価にもますます現実的になさるんでしょ」
 アデム・アダシが車体の屋根に手を置いた:
「クレオパトラの言う通りだよ。私の芝居の中の事件が起こるのは農村だが、そこを君は見に行くわけで・・・」
 ズュロ・カンベリは微笑した:
「君は、農村で事件が起こるなんて観客には思いもよらないことだと思っているかも知れないな。現実の中の真実は、芸術上の真実とは別だよ。芸術における真実は、現実における真実を再構築する。これは長い議論になるが、これを続けるなら私が出張に行くのは明日にしなければね!」そう言うとズュロ同志は一同に手を振った。
「何て素敵な言い方なの!」クレオパトラは小さく拍手した。
 車が動き出した。ズュロ同志は車の窓からもう一度手を振ると、タバコに火をつけ、こう言った:
「私には私の考えがある、アデム・アダシもまた然り!以上、でアハメト、誰と喋ってるんだ!」[訳註:このアハメトは恐らく運転手]

2.
 我々が車を降りたのはドゥシュク村[訳註:首都ティラナから南約80km先に実在する村]だった。空は曇っていたが、まだ暑かった。農業協同組合の事務所がある建物の窓ガラスが、陽の光を浴びていた。蝉が大きな声で鳴いていた。[訳註:原語gjinkallëの第一義は「セミ」だが、「コオロギ(oecanthus pellucens或いはgryllus campestris)」を指すこともある。仏訳(cigale)と伊訳(cicale)は前者、独訳(Grille)と中国語訳(蝈蝈)とトルコ語訳(cırcır böceği)は後者を採用している]
 運転手が車を停めた。ズュロ同志は座席の背もたれに身をゆだねたまま待っていた。運転手がドアを開けると、ズュロ同志は上着を手にして外へ出た。彼は麦藁帽子をかぶり、事務所の前に立った。建物の前に三、四人の男たちがいた。ズュロ同志が会釈すると、彼らは近付いてきた。
「議長はどちらに?」とズュロ同志は訊きながら握手した。
「畑に出ていますよ」男たちの一人が言った。
 ズュロ同志は丘陵の方に、その議長を探すかのように、或いはそこと自分との隔たりを示すかのように目をやった。
「作戦行動中、ということだね、つまり」彼は笑った。
「ええ」村の男が言った。
「君は何の仕事をしているのかね?」
「私は会計室長です」
「要するに、君は人民の財産と日常的に接しているわけだ」ズュロ同志は再び笑って、相手の肩を叩きながら、私と運転手の方を向いた:
「そら、かつての牧童の子たちが会計を掌中に収めているぞ、これなくして社会主義もあり得ない、何故なら社会主義とは証明書類であり会計なのだから・・・」
 日よけ帽をかぶった会計室長は、ズュロ同志の傍らで立ったまま微笑んだ。その会話の内容から初めて彼は、自分が重要な人物と関わりになろうとしていることを理解した。
「中へどうぞ!」彼は言った。「お疲れになったでしょう」
「いやいや逆だよ、我々はこの秀麗なる大地と谷間の清浄な空気のおかげで疲れも取れたと感じているのさ」そう言いながらズュロ同志は会計室長の後に続いて歩き出した。
 我々は生い茂るアカシアとその下にベンチの置かれた玄関を通って、広いヴェランダのある平屋へと入った。そこは協同組合のクラブだった。我々はヴェランダの、真っ白で清潔なクロスがかけられ、その上に大きな字で「予約席」と書かれたカードが置かれたテーブルの前に腰を下ろした。ズュロ同志が麦藁帽子を脱いでテーブルの端に置いた。会計室長はそれを手に取ると、ヴェランダの隅の壁のフックに掛けた。
「この美しさ、そしてこの行き届き様を見れば、心が満たされるね!これは田舎ではなく都会だよ!」とズュロ同志が言った。
「見事なものを建てたものだ!」私は言った。
 隅の方に、丸く赤ら顔の太った男が立っていた。彼は驚いたような顔で、私とズュロ同志をじっと見つめていた。
 会計室長は、その男の方に視線をやると、我々の方に向き直ってこう言った:
「彼は二年前までデルヴィシュだったんです」
[訳註:原語dervishはベクタシ派の修道士。人名にも用いられる]
「ああ、デルヴィシュか!さあさあこちらへ来たまえよ、デルヴィシュ君、さあ!」ズュロ同志が言った。
 その男は笑いながら我々の方へ近付いてきた:
「昔の話ですよ、昔の・・・」
「で、どうかね調子は?すっかり健康を謳歌しているように見えるね。今のその健康こそ、協同組合あってのものだよ!そうとも!『嬉しいな、お坊さんになれて嬉しいな』とはもう思うまいね!嬉しいといっても、組合に入れて嬉しいわけさ」
 デルヴィシュの顔に微笑みが広がった。
「こちらの旦那のおっしゃる通りで」
「ああ、それはいかんな!よしたまえよその修道僧の言い方:『旦那』だの『南無三』だの、何だねそりゃ!」
[訳註:「旦那」と訳したzotroteは年長の男性に対する古風な呼びかけ。「南無三」と意訳したhejvallahは感嘆や感謝を現す表現で、英語のOh, God!に相当]
「よします、よしますとも」デルヴィシュは言った。
「そういうのは髭を剃り落とす時に捨ててしまうべきだよ、癖になってしまってるんだからね。そうとも、デルヴィシュ君、そうだとも!」そう言いながらズュロ同志はまた相手の手を取った。
[訳註;次のズュロとデルヴィシュとのやりとりは決定版で加筆されている]
「それで君、どこの修道院にいたのかね?」
「ここです、このドゥシュクの修道院に!」デルヴィシュが囁いた。
「いや別に小声じゃなくていいよ、デルヴィシュ君!それじゃ修道院を取り壊したのが悪いことみたいじゃないか!いやあの修道院ときたら酷かったよ!どんちゃん騒ぎはするは、ラキは樽ごと飲むは、ナイムの『カルバラー』を唄うは・・・」と語るズュロ同志も奇妙なことにそのデルヴィシュ同様、小声になっていた。
[原語“Qerbelaja”は近代アルバニアの国民的詩人ナイム・フラシャリが1898年に発表した叙事詩。680年にイラクのカルバラーでシーア派のフサインがウマイヤ朝の軍勢に敗れた「カルバラーの悲劇」が題材となっており、イスラーム圏の歴史・文化に対する近代アルバニア知識人の関心の高さを示しているが、国語教科書に載るような大作家の作品も労働党体制下では推奨されていなかったことがうかがえる]
 私は自分の耳を疑った、その囁きの中に、哀れなデルヴィシュを涙ぐませるような、郷愁めいたものを感じ取らざるを得なかったからだ。しかしズュロ同志はすぐさまはっと我に返り、顔を赤らめた:
「まあ修道院にしても、モスクにしても、教会にしても、取り壊してよかったよ!アルバニア人の宗教はアルバニア人であることだ、と民族復興の偉大な担い手たちも言っているからね!だからデルヴィシュ君ね、君の修道院の件だって、その成果なんだよ!そうだとも!・・・そう、迷信だよ、迷信!我々、無神論者にとっても脅威なのさ、やれやれ!」ズュロ同志は手をひらひらさせた。
 デルヴィシュが立ち去ると、ズュロ同志は会計室長に、この村にああいう種類の人間は多かったのかと訊ねた。会計室長は三人ぐらいだと答えた。
「仕事は何をしているのかね?」
「二人は畑仕事で、一人は羊飼いをしています」会計室長は言った。
「巨大なる変化だな!」とズュロ同志は呟くと、ひと呼吸おいて、こう続けた:
「とは言え、密かに宗教イデオロギーが広まることのないよう注意しなければならない。こういうイデオロギーは即座に消えてしまうものだと思ってはいけない。これは長い闘いだよ!デルヴィシュたちは思われているほど愚か者ではない。むしろ洗練されている、数百年の知見があるからね。彼らは結婚してるかい?」
「結婚はしていません」
「何とかして結婚させるんだね、家庭があれば、それがまとまりになる。独り者のままでいると落ち着きそうにない気がするね・・・」
 会計室長は笑った。彼にとって、ズュロ同志から聞かされることは思ってもみないことだった。それでも、そういう考えは会計室長にも正しいものであるように思われた。その時、彼はデルヴィシュがコーヒーを手にしてヴェランダの隅に腰を下ろすのを目にした。そこで初めて、彼[訳註;デルヴィシュ]が我々に何を注文したいか訊くのを忘れたままでいることに気付いた。私と運転手はコーヒーを、ズュロ同志はオレンジジュースを注文した。
 ヴェランダに爽やかな涼風が吹き始めた。ズュロ同志が胸元をはだけて涼みながらため息をついた。周囲に広がるこの丘陵、このそよぐ風、遠方から聞こえるこの鶏の鳴き声に馬のいななき、それらによって彼は誠実なる世界へと、活き活きとした自然の中へと引き込まれるのだった。彼は、給仕がテーブルの上に置いてくれた冷たいオレンジジュースにも気付かなかった。彼は真の叙情性にすっかり圧倒されていた。
「そうだな」と彼は誰に向けるでもなく言った。「我々をとらえているのは、この自然の満ち溢れる慈愛なのだ、自然は我々の感情を和らげ、我々の荒々しさを取り除いてくれる。人生の苦悩が、人と人との諍いが、数限りない厄介事が、我々を憂鬱にしてしまう。そしてこの恵みに満ちた自然など存在しないかのように、我々はこの普遍的な美しさに無関心になるのだ、なあデムカよ!だから人間にとって必要不可欠なのは、自然との同盟[訳註;原語でもaleanca]なんだ」
 彼の視線は、うっすらとヴェールのようなもやに覆われている緑の丘陵地へと向けられていた。我々は黙ったまま、叙情性の海に浸るズュロ同志を見ていた。
 会計室長がオレンジジュースの瓶を取り、コップへと注いだ。ゴポゴポと鳴る瓶の音にズュロ同志は我に返った。
「おっと」彼は言った。「ジュースが来ていたのかい?」
 彼はコップを手に取り、口元に持って行った。ジュースはよく冷えていた。
「どこにしまっておいたら、こんなに冷えるのかね?」ズュロ同志は訊ねた。
「クラブの裏の林の中に、泉があるんですよ。ビールだってオレンジジュースだって、それ以外の飲み物だって、そこに入れて置いておくと・・・」会計室長が言った。
「それは素晴らしいことだな。そんな命の恵みの泉の前では、冷蔵庫など無に等しい・・・」と言うズュロ同志は大いに満足げな様子だった。
 向こうに二人連れの姿が見えた。うち一人はかなりの長身だった。頭の上にはズュロ同志のと同じような麦藁帽子があった。
「議長が来ましたよ」会計室長が言った。
「どっちの方?」ズュロ同志が訊いた。
「麦藁帽の背の高い方ですよ」
 二人の男はクラブの階段のところまで近付いてきた。議長は足を伸ばし、三段を一気に駆け上がった。四段目がヴェランダだった。ズュロ同志は議長の足を見ると、自分のと比べた。
「なあデムカ、自然というものは、人間の体躯を大いに成長させるのだね、樫の木やポプラが伸びるようじゃないか、栽培された樹木とは比較にならんよ」とズュロ同志は言った。
 その話が終わるや、議長が更に一歩進んで、我々のテーブルの前に立った。
「ようこそ、お集まりの皆さん!」と彼は言った。
 ズュロ同志は立ち上がり、手を差し出した。私はズュロ同志を紹介し、名前と担当を説明した。議長は、お知り合いになれて嬉しいと言い、連れの同僚と共に腰を下ろした。
「それで、道中どうでしたか?多少はお疲れになったでしょう?」議長が訊ねた。
「気分は実に最高ですよ」ズュロ同志は言った。
「それは光栄ですな!」そう言って議長は会計室長の方を向いた:「ペトロ、運転手を車庫に案内してくれ。車は中に入れておくんだ、子供たちがいたずらしないようにな」
 ズュロ同志は運転手に目をやり、それから議長を見た:
「私は車をティラナまで送ることになってるんですよ。ここに置いておくつもりはないんで。これから十日ばかりは歩いて回りたいと思っているんですよ。車は仕事仲間に返します。情報の貧困をもたらすものこそ自動車ですよ。官僚らは車の窓ガラス越しに情報を受け取るだけで、大地に足を踏み入れないのです」
「残しておいた方がいいですよ」議長が言った。
「構いませんよ。帰る頃になったら戻してくれるでしょう。あった方が面倒ですし」ズュロ同志は言った。
 議長は微笑んだ。
「人間には変化が必要ですな」彼は言った。「それで同志諸君、何か飲み物をご所望ですか?」
「もういただいてますよ」ズュロ同志が言った。
 議長は会計室長を、そしてオレンジジュースの瓶と我々のコーヒーカップを見た。
「おいおいペトロ、オレンジジュースなんぞでこちらの同志諸君をもてなしたつもりかね?カソ[訳註;給仕の名]に言って、ビールを八本とビフテキを六人前持ってこさせるんだ」
 ズュロ同志が間に入った:
「有難うございます、もう充分ですよ!そこまでは結構です!」
「ビールを八本に、ビフテキ六人前だ、ペトロ!私の言う通りにするんだ!」議長は命じた。
 ズュロ同志が口を挟んでも、議長は譲ろうとしなかった。
「命令は断固たるものです。光栄なことです!」と議長は言った。
 会計室長は立ち上がってクラブの屋内に入ると、給仕を呼び、親愛なる客人たちにビールとビフテキを用意するように言った。議長は一同にタバコを勧めた。テーブルについていても、彼はその度外れた長身のせいで、ずっと立ったままでいるように見えた。私はズュロ同志のカードに書かれていた、世界一背が低いという、身長56センチのポーリン・マスターズの話を思い出していた。


「農業のお仕事はどうですか?」ズュロ同志が訊ねた。
「今までのところは悪くありません。トウモロコシの出だしも順調です。小麦はこれから収穫ですが、ヘクタール当たり20キンタル[訳註;1キンタル=100kg]はいけると思いますよ」議長が言った。
「素晴らしい!」ズュロ同志は言った。「それで文化活動についてはどうです?」
 議長は居住まいを正した。彼は自身の同僚であり、テーブルの隅で黙っている農技師の方を見た。農技師は顎に手をやり、思案しつつ言った;
「どうかと言われましても。今は収穫期ですからね。小麦も貯蔵しなければならないし、トウモロコシも、耕して水をやらねばなりませんし」
「要するに、我々には娯楽に興じる暇がないのです」議長が言った。
 ズュロ同志はそういう言葉を耳にしたくもなかった。彼の顔には憂鬱な表情が浮かんだ。だがそれからやっとのことで微笑んでみせた:
「あなたとは議論せざるを得ませんな、議長」と彼は言った。
「そうですな、ズュロ同志」議長も真面目な顔で言った。
「文化が、小麦やトウモロコシの後方に追いやられたままではいけません」
 議長はタバコの灰を灰皿に落とした。ハンカチを取り出し、汗を拭った。
「小麦を放っておいて、収穫も済んでいない穂の周りで踊れとでも?」と彼は言った。
「踊るのは夜でいいでしょう」ズュロ同志が言った。
「日中ずっと収穫して、脱穀した、その足で踊れというんですか?」議長が言った。
「苦労してする文化なんてないでしょう。文化は軍事訓練じゃないんですよ。もっと違うものですよ、文化というのは!」彼はいきり立った。
「落ち着いて、落ち着いて!私が相手しているのが反文化だとはね」とズュロ同志は笑った。
「ズュロ同志!・・・勘弁してくださいよ、ズュロ同志!・・・」議長は再びいきり立った。
 私は、彼がひどく神経質になっていることに気付いた。ズュロ同志にもそれがわかったので、会話の調子を改めた。
「組合員たちが楽しめるような、寸劇の上演とかなら、企画できると思いますが」と彼は言った。
「あちこちで、アマチュアのグループが冬に芝居をしていますよ」議長は静かに言った。「ですがそれはまだ文化とは言えません」
「今うちで、大きな民俗祭の準備をしているんですよ。そちらのアマチュアの方々も参加すべきだと、私は思いますがね」ズュロ同志が言った。
 議長は再び苛立ちをあらわにした。
「こっちは収穫でてんてこまいですよ。祭典の準備なんかする時間はありません」と彼は言った。「祭典といっても、民謡のじゃないし!・・・」
「議論になりそうですな、議長!」ズュロ同志は再びそう言った。
「そうですな、ズュロ同志!」議長も繰り返した。
 そうこうするうちに、ビールとつまみがやって来た。
 ズュロ同志と議長はグラスを鳴らし、互いに祝福し合った。二人は文化をめぐって、互いを煽らぬよう、最大限注意しつつ会話を交わした。我が上司[訳註;デムカから見たズュロ]は礼節において抜きん出ていた。
「文化とは」彼は言った。「人類だけが持つことのできる財産です。家畜や他の生き物たちは、この財産からは締め出されている」ズュロ同志は、農技師に同意を求めるように、そちらの方へ首を振ってみせた。「他の生き物たちに財産としてあるのは、ただ野生のみです。人類には、文化もなく生きていた頃、即ち野獣だった頃から、或いは獣の皮を脱するまでの間、ずっとこうした野生が残っていたのです。[訳註;次のサルをめぐる発言と、それに対する議長の態度の描写は、決定版で追加されている]或る作家も言っていますが、最初の書物が世に出た時、びりびりに破くのでなく手に取ったそのサルたちこそがヒトとなったのです。びりびりにしてしまった者たちは、サルのままでした。今この時、あなたがサルたちに書物を与えれば、奴らはびりびりに破いてしまうでしょうな、奴らにはヒトになる気などないのですから」
 この演説に圧倒され、議長は最初のうち唖然とし、やがてゲラゲラ笑い出した。だがズュロ同志は続けた:
「偉大な知識人たちの中には、とりわけ文化を愛好する人々がいれば、文化という面でこそ革命が成し遂げられると考えてきました。そう、この点で彼らは誤っていて・・・」
 議長が飛び上がって声を上げた:
「そう、あなたこそそうだ!」
 ズュロ同志は、その叫びが予想外だったので、呆気にとられた。
「何ですって?」と彼は問いかけた。
「だから私の言った通りじゃありませんか、小麦は文化の講釈なんかで実るわけじゃないって。小麦に必要なのは技術です、農耕技術文化なんです、民謡じゃない」
 ズュロ同志ははっとした:
「ああ、いや失礼、これは話が違う!文化と革命に関する知識人らの偏向した哲学概念を侮ってはなりませんな。我々は異なる条件の下にある。さあ、議論といきましょうか、議長!」
 このやりとりは、我々が席を立ち畑に出るまで続いた。

3.
 夕食は、議長の自宅でとることになった。ズュロ同志は窮地に立たされた、議長から栄誉ある客人として夕食に招かれたとあっては、論争するわけにもいかないからだ。礼節あればこそ、文化の問題をめぐって家の主人とやり合うことなど許されない。だがその一方で、御馳走を言い訳に原則を踏みにじるわけにもいかない。こうした状況下に置かれて、ズュロ同志は思った、議長は目的があって自分を夕食に招いたのではないか;もしや議長は、ズュロ同志が農村の文化的後進性に妥協するようになることを望んでいるのではないだろうか?
「それでも私は、議論はするよ」とズュロ同志は私に言った。
「今夜はやり合わない方がいいよ、ズュロ同志」私は言った。
「いや、粉砕してやるとも!」と私に言う彼の眼がきらりと光った。
「御馳走の前で喧嘩なんて、そんなのよくないと思わないのか?」私は自分が知略に優れた人間であろうと努めつつ、そう言った。
「原則のためさ!」ズュロ同志は言った。「とは言え、君は私の隣に座っていて、それで争いが激化した時は、私の足をちょいと踏んでくれたまえ、社会全般の問題で持論をぶつと、つい我を忘れて熱くなってしまうからね」
 そう言ってズュロ同志は私に笑いかけた。私は誰も見ていないかと辺りを見回した。ズュロ同志は、私が一行の傍らを通り過ぎるデルヴィシュの方を見ていることに気付いた。
「あのデルヴィシュ、どうも気に入らないな!」ズュロ同志はゆっくりとそう言った。
「何故だい?」私は訊ねた。
「あいつは寄生虫だよ。我々がここに来た時からずっと、周りをうろうろして・・・」彼は言った。
「何か陳情でもあるんじゃ・・・」私は言った。
「デルヴィシュなんかに何の陳情があるっていうんだ?」
「彼だって人間さ」私は言った。
「人間か、それもそうだな!」彼はそう言うと、そちらに顔を向けた:
「やあデルヴィシュ君、疲れたかね?」
「南無三、とんでもないことで!」デルヴィシュが言った。
「聞いたか?またあの『南無三』だ」ズュロ同志は私の方を向いて言った。「おいデルヴィシュ君、その『南無三』ってのはよしてくれよ!」彼は声をかけた。
 デルヴィシュは狐のような視線を向けた。
「旦那が私のことをデルヴィシュとおっしゃるから、私も南無三とお答えしてるんで。その二つでひと揃いなんで」
 ズュロ同志は一瞬固まっていた。それから緩慢な口調でこう言った:
「抜け目のない奴だ、こいつめ!」[訳註;原語qerrataは「狡猾な人物」「詐欺師」と訳されることもあるが、子供に対する悪意のない呼びかけとしても用いられる]そしてデルヴィシュに言った:「では何と呼んだらいい?」
「私を何と呼ぶかですって?アブデュラハ同志と呼んでください、アブデュラハ・ミュライメリ、それが私の名です」デルヴィシュはそう言って、先へと歩いていった。
「なあ」ズュロ同志は呟いた。「人民に接するにも知略が必要だってことさ!」
 会計室長がやって来て、議長宅へ行って夕食をとって欲しいという。村の陽は暮れかけていた。山から戻ってくる羊と山羊の鈴の音が聞こえた。夕べの風が吹いてきて、遠くの川の方からは蛙の鳴き声が響いてきた。村人たちが土埃の舞う道を行き交い、我々と挨拶を交わした。ズュロ同志はそんな暖かい夏の夜の中、もの哀し気に歩いていた。
「ここの社会文化施設はどうかね?」とズュロ同志が会計室長に訊ねた。
「素晴らしいですよ。風呂に、託児所に、パン焼き窯に・・・」会計室長が列挙した。
「村人たちは風呂に入ってるかい?」
「ご存じなんですか?嘘はつけないな、お恥ずかしい話で!なかなか行かないんですよ。家で行水する方が多くて」会計室長が言った。
 ズュロ同志は相手を遮った:
「行かないだって?言って聞かせるべきだよ。何のために当時風呂を作った?飾りか?馬鹿騒ぎのためか?それで君たちは入ってるのかい?君に、議長に、婦人担当の責任者はどうなんだ?」
「入る時もあれば、入らない時もあります」会計室長は答えた。
 ズュロ同志はひとしきり、考えをまとめようとでもするように黙り込んだ。
「どうだろう!小一時間ばかり、その風呂に入らない連中を集めることはできないかな?話がしてみたいんだが・・・」彼はそう言った。
 会計室長は初め、目を見開いた。それから顔をほころばせた:
「いいですとも、ズュロ同志!」
 会計室長は何か事務所に忘れ物をしたとかで我々に5分待ってくれと詫びた。ズュロ同志と私は道路脇の、大きな柳の樹の枝の下に立っていた。
「デムカ、明日は村の風呂を使いに行こう。これは村人たちに効果的だよ。風呂に行かない連中からすれば、こういう行動は肯定的な役割を果たすことになる。それに、我々にとってもいいことだよ、何しろ全身埃まみれだからね」ズュロ同志は言った。
 私からすれば、そんな発想は思いつきすらしないことだった。ズュロ同志の社会活動、その創造的発想の奥行き[訳註;原語diapazonは仏語diapason(音叉)に由来し、「音域」転じて「範囲、広がり」の意味]は広い・・・彼は欠けているものに気付くと黙ってはいられない。人の信念を確立し、それを正しき道筋に導こうとする闘争は、彼の生涯の事業における基本的なモットーなのだ。欠けているものを前に、ズュロ同志の目は決して閉ざされることがない。風呂の問題が表に出てくるや、すぐさまそれを捉え、風呂に入らない人たちとの会合を持とうと提案するわけだ。
 柳の下で私は、風呂に入らない連中との会合など相応しくないのではないか、と言いたくなった。ズュロ同志は小石を手に取ると、それを溝へと転がし、私の方を見ないまま、こう言った:
「なあデムカ君、君が会議について持つイメージは一面的だな。君は、会議というのは厨房のコンロの傍でこしらえた報告によって準備されなければならないと思っているんだ!我々だって大したことじゃなくても会議をするのに、どうして風呂に入りたがらない連中のために会議をやっちゃいけないのかね?いいかね、私は指導部のメンバーとの会談に忙しくなるだろうし、明日やる会合のことを考える暇などないんだから、君には、入浴の重要性と、温水で毛穴が開くことの効用に関するメモを紙に書いておいて欲しいんだ。科学的視点に立ったものをね。意見は短めにまとめて明日渡してくれ、後でそれを長くするから」ズュロ同志はそう言った。
 私は彼の前で身動きできなかった。抗議することもできなかった。私は柳の小枝を折り、口に咥えて噛み出した。こんな山河の中でも、俺は報告や発表に追われるのか!・・・
「デムカ、君はまだ若い!」そう言ってズュロ同志は溜め息をついた。
 空には星々が出ていた。ズュロ同志は顔を上げ眺めながら、煙の輪を吐き出した。
「宇宙か!」と呟くと、彼は哲学的思索に耽り出した。「宇宙に比べたら、人間なんて砂粒だ。ところがこの砂粒は、決して自分がそうだとは思っていない。この砂粒からすれば、自分自身こそがこの宇宙全体の中で最も偉大なものなんだ。自覚していないのは幸いなことさ、でなければ悲観主義に陥って、行動感覚さえ失ってしまうだろう。[訳註;旧版ではここに改行があり、発言がいったん途切れたようになっている]こうしたこと全てを我々は哲学的手法で概念化しているんだ、何故といって、実践的な概念化ができれば震えも止まるだろうからね」とズュロ同志は言葉を継いだ。
「地球だって、宇宙に比べたら砂粒だよ」私は言った。
「そりゃそうさ。私が人間について話す時は地球のことも考えているよ」ズュロ同志が言った。
 私はズュロ同志のタバコに火をついだ。
「おいデムカ!」ズュロ同志が言った。「君は私のことを理念と宣伝のことばかりで頭が一杯の、無味乾燥な人間だと思っているんだろうな!」
 私の前に一瞬、抒情的なたたずまいの、これまで見たこともない別人が姿を現した。
 我々は夜のヴェールに包まれていた。月の光の下を丘陵は流れ、地平線は四方から閉ざされていった。夜の静寂のヴェールに、乾いた草と刈り取った麦藁の中でひそやかに鳴く幾千匹のコオロギ[訳註;原語bulkthはヨーロッパクロコオロギ(Gryllus campestris)]の声が染み通っていった。あちこちでその鳴き声に混じって、途切れ途切れに夜鳥の鳴く声、そして川辺や、青々と茂るトウモロコシ畑の間をサラサラ流れる用水路でクワクワ鳴く蛙の声が聞こえていた。そんな夜の声と共に、刈り取られた草とアルファルファ[訳註;原語jonxhëは和名ムラサキウマゴヤシ(Medicago sativa)]の芳香が漂ってきた。
 ズュロ同志は干し草とアルファルファの香りに酔いしれんばかりだった。彼はできればその柳の下に一晩中いたかったらしいが、いかんせん、議長からのご招待を受けているとあっては・・・
 星々を眺め、目には見えない物体の背後から聞こえてくる声を耳にしていた時、ズュロ同志は不意に批評家のザイム・アヴァズィとミトロ・カラパタチを思い出した。
「うちの科学文化指導局でね、デムカ、全力を挙げて優良な幹部を見つけ出そうじゃないか。文学批評家のザイム・アヴァズィやミトロ・カラパタチがいてくれたら、仕事だって思うがままさ。彼らがいてくれたら、ちょっとした研究グループだって作れるぞ。彼らは文学・社会現象の知識が豊富だし、問題をしっかり科学的に扱う術も心得ているしね。我々に必要なのは、掘り下げた研究なんだよ、デムカ!」と語るズュロ同志は、大いに感極まっていた。
「彼らの働いてる部署が手放さないと思うが」と私は言った。
「ああ、有能な幹部を、人はそうそう簡単には手放すまいね」ズュロ同志はいまいましげに言った。「Q同志に申し入れをしてみよう」
 ズュロ同志は倦むことを知らなかった。こんな静かな、目に見えぬ物体や生物の鳴き声で満たされた夜でさえ、彼は幹部や、重要な問題について考えているのだ!
 それから彼は来たるべきアフリカ文化会議に話を向けた。[訳註;アフリカ会議に関する二人のやりとりは決定版で追加された]
「人体に対する風呂の効用について、そう科学的視点でだよ、幾つかメモを用意してくれたら、アフリカ文化会議での演説についても考えておいてくれ、ヨーロッパのブルジョア修正主義文化の代弁者たちと大激論になるだろうからね」
「考えるって、何を?」私は訊ねた。
「思いつかないかね?如何にしてマルクス主義の世界観でアフリカ文化を評価するか。ホモサピエンスは先ずアフリカに出現した。これでも足りないかね?我々はアフリカ人民の文学と文化について何を出版してきたか。我が社会主義農村はアフリカにどのような知見をもたらし得るのか・・・まだ足りないかね、デムカ?」
 その時、会計室長の咳払いが聞こえたので、我々はアフリカから引き戻された:
「すみません遅くなって!議長が自宅でお待ちかねですよ!」


ズュロ同志、農村の兄弟らと汗だくで[訳註;逐語訳は「蒸留鍋の傍で」]語らう の巻

1.
 議長宅の広い部屋は隅から隅まで人で一杯だった。窓はすべて開け放たれていた:生ぬるい夜の人いきれのせいか、蒸し暑く、息が詰まりそうだった。
 我々が入っていくと、全員が立ち上がった。ズュロ同志は年長の男の方へ歩み寄り、その手を取り、肩を叩き、そして他の人々に向き直った。私もズュロ同志と同様にした。彼はそれから上座に座り、私もそれに続いた。議長はズュロ同志と私を交互に見た。村人の一人がタバコの箱を膝の前に差し出してきた。ズュロ同志は箱を開け、タバコを一本引っ張り出した。タバコを引っ張り出しながら、集まっている人々に問いかけた:
「ええ兄弟、本日はいかがでしたか?」
[訳註;逐語訳は「どのように日が暮れましたか」]
「上々でしたよ」という声が聞こえた。
「皆さんの村に来たいと度々思っていたのです。この村についても、皆さんについても、大いに評判は聞いていましたからね」彼は言った。
「足をお大事になされよ!」年かさの男が言った。
「ここの自然は美しい。このなだらかな丘ならスプーンで食べられますよ」[訳註;原文の形容詞i butëには「柔らかい」の他に「傾斜が急でない」の意味もある]と彼は笑った。
 村人たちもどっと爆笑した。年かさの男だけが首を振った[訳註;既述だが、首を横に振るのは否定ではない]。彼はズュロ同志を、殆ど目に見えないほどの微笑をたたえつつ見つめていた。ズュロ同志の言葉の一つ一つに唇の端を噛みしめるたび、薄い口髭が微かに歪んだ。だが何かしら予想外のことを聞いた時は、ゆっくりと人差し指で頭を搔きながら、何やら一人ごちていた。
「皆さんの議長はいかがですか?些か官僚的ということはありませんか?我々指導者というのは官僚的なものです。我々について気付いたことがあれば、批判していただきたい。我々は皆さんというフィルターを通り、より精練されフィルターを出てくるのです。そう、そうです、臆せず我々を批判して欲しい!我々を打ち直して欲しい!我々を痛めつけるのです。痛みなくして誕生はない!」とズュロ同志は笑った。
 村人たちは微笑しつつ互いを盗み見し始めた。私はうなだれた。議長が真剣な視線を送っている。部屋の中にズュロ同志の声だけが響いていた:
「基盤あればこそです。私は基盤に下りていこうとしてきました。こうして皆さんのところへ来て、普通の人々と手に手を取って働きたいのです。かの同志らにもそう頼んできましたが、叶いませんでした。だからこう言ってやりましたよ:『何故です、何だって私の視察の権利を奪うんです?』そうしたらこう言われましたよ:『いや、我々には君が必要なのだ』。ほらね、この『君が必要なのだ』こそが我々の首を絞めている、我々を官僚主義者たらしめているのですよ。私はね、よろしいですか、協同組合の議長になりたくてやって来たんですよ」ズュロ同志は熱っぽく語った。
「だが今いる議長は、どうするんだ?」と村人の一人が言った。
 ズュロ同志は一瞬、虚を突かれ固まった。それから語気を強めこう言った:
「議長には、私のポストに就いてもらいます」 村人たちはざわつき、視線を交わし合った。議長は真剣な顔のまま座っていた。
 その中の一人、太って赤ら顔の、羊飼いらしき男は、ただ笑っているだけだった。彼はズュロ同志から目を離さず、その視線と開け放った口元とが我が上司を苛立たせた。諸君に全身を向け、口をぽかんと開けたまま、げらげら笑い続ける人物を想像してみるがいい。いや本当に奇妙だから!ズュロ同志は何も笑うようなことは言っていないのに。だらだら続くこの哄笑は何だ?イカれてしまったのではないか?
 玄関の方から、犬の吠える声と、馬のいななきが聞こえてきた。ズュロ同志は絨毯地のラグマット[訳註;原語minderは、床に敷いたクッションやマットレスを指すトルコ語由来の語]に両足を伸ばした。
「足が痺れたんですかい、旦那?」村人の一人が言った。
 ズュロ同志はその相手を見やった。
「足が痺れるなんて、官僚主義のあらわれですよ」彼はそう言って笑った。
「うまいことを言う」と議長も同意した。
「いやあ、あなたとは議論になりそうですな」ズュロ同志は笑った。
「そうですな!」そう言って議長は眉間に皺を寄せた。
「お互い、位置に着いたらどうです?」村人の一人が言った。
 年かさの男は唇の端を噛みしめ、薄い口髭を歪ませた。
 議長はプッと噴き出した。彼はその時までずっと笑わないでいたのだ。全身がブルブル震えていた。座っている椅子がギシギシと鳴った。彼の笑い声は村人全員へと行き渡った。部屋が轟音に包まれた。ズュロ同志が予期していたのはこんな爆笑ではなかった。私は赤面した。村人たちがズュロ同志の第一声で笑うだろうとは思っていたが、彼らは笑いを堪えていた。そして今頃になって噴き出したのだ。村人の中で、面長で尖った顔つきの男が一人、壁にもたれることなく突っ立っていた。彼は笑いもせず、皮肉めいた顔もしていなかった。それどころか、大いに腹を立てているように見えた。タバコを吸う時も、タバコの煙を手で払いのけるその憤怒の様は、まるで蠅も蜂もまとめて追い払おうとするかのようだった。彼はこの部屋の中にズュロ同志がいることさえ知りたくないといった風だった。
「旦那は甘美なことを多々弁じられますな」年かさの男がそう言った。
 ズュロ同志は返答しなかった。どうも聞こえていなかったらしい。でなければ申し訳なく思ったかだろう。彼は溜め息をつき、顎に手をやった。その時、ドアが開いて女が二人、長テーブルを一つ運んできた。二人はそれを部屋の真ん中に置くと、我々の方を向いた。そしてまずズュロ同志に、続いて私に手を差し出した。
「ご機嫌いかがですか、お二人とも?」ズュロ同志が訊ねた。
「どうもご丁寧に」
「この大地の男たちは、またしてもあなた方に苦労をかけているのですか?何故、男たちがテーブルを運ばないのです?解放こそ必要ですな、お二方!あなた方こそ真に解放の闘士ですよ。我々男どもを批判してください、何しろ我々ときたら暴君で、自惚れ屋で、独善家で、保守的で、家父長的ですからな!」ズュロ同志は言った。[訳註;「解放」の原語emancipimは英語emancipationに相当し、主に「奴隷解放」や「女性解放」の文脈で用いられる]
「本当にそうですわ!」と背の低い方の女性が笑ったが、それが議長の妻だった。そしてさり気なく[訳註;逐語訳は「身を伸ばすことなく」]首を振り、若い男たち数人に皿やラキの瓶を取りに行くよう促した。二人は議長の隣の椅子に座った。二人とも手をさすり、初めは所在なさげにしていた。がやがて落ち着いた。
「あなた方にはご苦労をおかけして」それまで無言だった私は、こう言葉を発した。
「あら、構いませんのよ!ご指導よろしくお願いしますわ!」議長の妻が言った。
「喜んでお願いしますわ!」ともう一人の女性も言った。
「うちの妻たちなんて、客が多い日には唇を尖らせるのですよ!」と言ってズュロ同志は笑った。
「まあまあ、御冗談を!」議長の妻が言った。
 ズュロ同志は席を揺らした:
「いや、いや、唇を尖らせるんですよ!皆さんの方がずっと清らかですな!」
「今は我が村にも浴場があって、毎日入っていますからね」議長は笑いながら言った。
[訳註;ズュロは“e pastër(清潔な)”を「正直、率直」の比喩で用いているが、議長はそれを文字通り受け取っている]
 ズュロ同志は顔を曇らせた。村人が風呂に入っているというのは事実ではなかった。会計室長からついさっき、浴場は不人気だと聞かされたばかりだったのだ。
「これは議論になりそうですな、議長!」ズュロ同志が言った。
「そうですな!」議長も言った。
 そうこうするうちに、若い男たちが長テーブルにラキの瓶とつまみを持ってきた。
[訳註;ここは村事務所でのやりとりの再現になっている]

2.
 私はズュロ同志が議長とグラスを鳴らし、酒を飲むのを見ていた。今までこうした饗宴の場での彼を見たことがなかった。ここでもまた彼は輝いていた。全員と平等に飲み交わしていた。グラスの鳴る音を聞くうちに、彼が何か抑制のきかない言葉を口走って議長とやり合うのではないかと不安になってきた。『ラキというものは』と私は思った。『大衆文化の運動における偉大な理想を忘れさせる。ただ彼なら、たやすく理想を忘れはすまいが・・・』
「これは議論になりそうですな、議長!」ズュロ同志がそう言った瞬間、私は気付いた、彼が何もかも忘れていることに。
「そうですな、ズュロ同志!」議長がそう言うと、椅子が彼自身の体重でギシギシと音を立てた。
「あなた方は文化芸術活動を軽んじておられますな、何となればあなた方は、その効果に思い及んでおられないからだ。その効果を知るやあなた方は、足のなえた者たち[訳註;原語çalamanは「両足の長さが異なるもの、片跛」]さえ舞台へ出して躍らせ、聾唖者にさえ歌わせようとするでしょう」
[訳註;「聾唖者」の原語shurdhmemecはshurdh(聾)とmemec(唖)の合成語。ちなみにmemecはスラヴ語からの借用語だが、ロシア語немецやセルビア語nemacは「言葉のわからない者、よそ者」、転じて「ドイツ人」を意味する]
 議長は声を上げて笑った。議長に続いて、まるでコーラスのように村人全員が笑った。
「足のなえた連中は舞台で踊ろうにも踊れませんよ、何故って一日中、路上か畑をうろついているのですから」議長が言った。
 村人たちの中で年かさの男が頭を掻き、片目をつぶってみせた:
「聾唖の者どもは笛の音色も聴こえまいし、足の曲げ伸ばしとて知るまいて!」と彼は初めて言葉を発した。
「足の曲げ伸ばしなんて、他の人と同じようにすればいいんですよ。連中に目までついてないわけじゃないんですから!」ズュロ同志は笑いながら付け加えた。「皆さんは、足なえ者の踊りというのをご覧になったことがないのでしょう?それはユーモアに溢れたものですよ、偉大なる人民の、繊細な味わいある創作ですよ。そしてこの偉大な教師[訳註;人民]は、足のなえた者たちをさえ踊りの場に連れ出すことを躊躇いはしないのですよ。他方、我々はですね、自らの叡知を振るってあれやこれやの理論化を・・・」
 私はいたたまれない感覚に襲われた。何かしら面白くないような、恥ずかしいような予感。何を好き好んでズュロ同志は唖者のことなど言い出したのだ?!
 その時、村人の中で年かさの男が急に高く、鋭い声を上げた。それは独特の笑い声で、部屋中をげんなりさせるものだった。ズュロ同志は呆気に取られて、その笑いのせいで歪んだ顔また顔を見ていた。
「この世に婚礼で踊らぬ者などおりますか!」そう言いながら男はハンカチで涙を拭った。
「そりゃ例えばだね、例えば・・・」ズュロ同志は口ごもりながらも、相手の誤りを正そうとした。
「いや実に饒舌でいらっしゃる、ズュロ同志は」と議長が言った。「ともあれ、乾杯!」そう言って彼は客人のグラスを鳴らした。
 村人の一人が、向かいにいた相手に何か促すと、間もなく室内に歌声が湧き上がった。それはかのいにしえからの抒情歌の一つであり、ドゥシュク村の饗宴の場では常に歌われるものであった。ズュロ同志は額を高々と上げた。なみなみと注がれたグラスがテーブルの端にあった。私は立ち上がりその場を離れた、彼が急に手をふらふらと動かして倒れるのではないかと思ったからだ。
 歌声の入りは最初こそ平穏だった。やがて炎は勢いを増した:

 金の首飾りの愛しのあの娘
 一人なのか、それとも誰かもう一人?
 もう一人は義理のお姉さん。
 褥の支度は上々、
 赤々として、旗幟高々。
 さあさあ褥の支度は万全だ、
 手を伸ばし、上衣を解き放て。
 銀の釦の上衣の、
 見るがいい、そこに秘められたるを!
 甘い林檎の実が二つ。
 ああ、ひたひたと滴り落ちる瓶の
 何とまあ見事なラキであることよ
 おいらは気が遠くなりそうさ!


 ズュロ同志は、この歌にもみくちゃにされてしまった。ふらふらになりながら、腕を頭上に高々と掲げた。それから手を腰にやり、拳銃を取り出した。彼はそれを天井に向け、ぶっ放そうとした。[訳註;中国語訳ではここに「アルバニアの習俗では、祝日や婚礼の場で銃を撃ち、慶祝の意を表す」との註釈がある]だが議長がその腕を摑んで、窓の外に撃った方がいいと言った。
「怖いんですか、何処かに穴をあけやしないかとでも?」ズュロ同志は言った。
「穴があくのは大歓迎ですとも、あなたの銃にまつわる記念になるでしょうよ、ズュロ同志」議長が言った。
「だから?」
「私が心配なのは、弾が煉瓦に当たって跳ね返って、誰かを死なせやしないかってことですよ」と議長が言った。
 しかし、ズュロ同志は窓から銃を撃つことができなかった。そうする気が失せてしまったのだ。拳銃とはむら気なものだ。ホルスターから抜かれると共に発砲するや、冷え切って再びホルスターへと戻りたがる。そんなわけで、拳銃の代わりにズュロ同志はグラスを空けることにした。
[訳註;「銃を撃つ」と「グラスを空ける」の動詞はどちらも原文ではzbraz(空っぽにする)]
「兄弟諸君の口に幸いあれ!」
「ご健勝を![訳註;逐語訳は「血と脂を」。たんと食べて飲んで健康に肥え太れ、ぐらいの意味]」議長が言った。
「デムカ、君、何だって飲まないんだ?」そう言ってズュロ同志が私の脇腹をつついた。
「飲んでるさ、ズュロ同志」私は言った。
 彼は議長に、それから屋内にいる男たち全員に視線をやった。
「デムカは、こういう宴会の場でも私が責任を負うものと思っているんだな。ここでは我々は平等だよ。我々は上司でもなければ責任者でもない。私は仕事でだって人々を抑圧しないよ。人々の好きに行動させるし、人々の考えも尊重する。もし君がだね、デムカ、一杯やるのに何か考えがあるというなら、披露してみたまえよ!」ズュロ同志が言った。
 私は立ち上がり家の主人に挨拶を述べた。
「そうそう、先ず隗より始めよだ!」ズュロ同志が言った。[訳註;逐語訳は「それがイニシアティヴだ」]
 この挨拶に続いて、議長の妻がグラスを手に立ち上がった。彼女が夫に首を振り合図すると、議長は彼女の方へ身を屈めた。どうやら、彼女は我々の名前を知りたかったらしい。
「親愛なるお客様方、ようこそいらっしゃいました!このグラスはズュロ同志のために。お子様たちと奥様のご健康を!」彼女は杯を飲み干した。「そしてこれはデムカ同志のために。私たちの家までお越しいただいたその足腰にご多幸を!」そしてもう一杯を飲み干した。「そして三杯目の祝福は私たちの村のために。四杯目は親愛なる全ての人々に。五杯目はこの語らいの場に・・・」
 議長の妻はこの五度の乾杯を終えると、更に一杯を満たし、ズュロ同志と杯を合わせた。
「ズュロ同志、どうかごゆるりと[訳註;逐語訳は「我々のところにあなたがいますように」]!ご来訪を賜り光栄です!」
「おお議長夫人よ、その口と喉のお健やかならんことを!」村人全員が一斉にそう言った。
 彼女はその時までずっと村人らと杯を交わしていた。ズュロ同志に杯を掲げたのは最後になってからで、それも彼に対する敬意ゆえのことだった。そのことは私も最初から気付いていた。村人たちも、ずっと前からそれに気付いていた。ところが例の尖った顔の男は、ひどく険しい一瞥を送っただけで、議長の妻とはグラスを交わそうともせず、それもあってか議長の妻は一層大胆にズュロ同志へと向かっていった。
 ズュロ同志はついに窮地に立たされた。議長の妻は彼に大いなる挑戦をしかけ、五回も乾杯の挨拶を繰り返した。ズュロ同志はこの危機を回避することが全くできなかった、それは自分が敗者だと認めるようなものだったからだ。
「勝負ですな、議長殿!」と彼はグラスを手に言った。
「そうですな、ズュロ同志!」と議長も言った。
「だがあなたは、鉄筋コンクリートで保護されている・・・」
「私が、保護されているですと!・・・」
「奥様を先鋒にしかけてこられた」ズュロ同志は議長に言った。ふそして議長の妻には「さあさあようこそ!これは私からの挨拶ですが、あなたの健康のため、私がいただくとしましょう」言って、遂に勇猛果敢に杯をあおった。
 そんな勇猛果敢ぶりでズュロ同志は五杯目をあおった。そして更なる一杯を満たすと、それを議長と打ち交わした。
「逃しませんぞ、議長殿!」
 私は尋常ならざる何かを、ここ数日来想像だにしなかった何事かを予感した。ズュロ同志は再び自身の原点に遡ろうとしていた。彼の父も、祖父も、曾祖父も、農村に生き、小麦を収穫し、ラキを作っていた。ズュロ同志はそれを原点と呼んでいたが、遠くから不明瞭に響くその声が何処から来るのかは、彼にもわからなかった。今、彼の動作、言葉、思想の全てに一つの源泉があった:それは畑地や葡萄畑に由来していたのだ。だがそれらは民謡の様式化にも似ていた。様式化された運動、様式化された言葉、様式化された思想・・・えい、畜生め、何だって頭に浮かぶのがこんな考えなのか!
 挨拶の五杯、そして議長と交わした最後の杯がズュロ同志にとどめを刺した[訳註;原語は「殺した」]。遂に彼の言葉には制御が効かなくなり始めていた。おまけに、徐々にではあるが、言葉の様式化すらも失い出していた。今や身体の平衡さえ失われていた。上半身が或る時は一方へ、また或る時は他方へと傾いた。村人たちはそれを眺めつつ、ひそひそ囁いていた。だが飲んでいる本人というのは往々にして、自分がしらふ[訳註;原語esëllは本来「飲まず食わず」だが、「(酒を)飲まず」転じて「素面」の意味でも用いられる]だと殊更に思っているものだ。
「お・・・おかしいですかな、た・・・立場のある者がこのように飲んだくれるとは?いや、私は飲みますとも、私もじ・・・人民でありまして、げ・・・原則があるんですな、哲学の範疇における、い・・・言わば、人民と共にあれと」そう言いながらズュロ同志はテーブルの真ん中を指さした。[訳註;ここでもズュロは“filozofi(哲学)”を“fillozofi”と発音している]
 彼はぴんと伸ばした指先で己が身を指し、傍らにいた村人の一人に向かってこう言った:
「では、私の歌をばご堪能いただきたい、私は歌いたいのです」
「どうか心ゆくまで!」村人らが声を上げた。
 そしてズュロ同志は歌い出した:

 おお、オレンジの乳首、
 八月の熱が俺を刺す、
 熱が、
 熱が、
 八月の熱が俺を刺す!


 村人たちはこんな大昔の歌を聞くのが久しぶりだったから、ズュロ同志に大いなる歓喜をもって応えた。諸君に想像できるだろうか?ズュロ同志はこういう歌を批判してきたのだ、それなのに農村という原点が、彼をラキを飲む方へと呼び寄せ、批判的思考を搔き乱してしまった・・・
「え・・・素敵でしょう、ねえ?」とズュロ同志は歌について語りつつ、再びテーブルに身を屈めた。
「そうですな」議長が言った。
「私もですな、え、ぎ・・・議長殿、明日はこの我が助手と共にですな」と彼は私の肩を叩いた。「村の浴場へと、ひとっ風呂浴びに参りましょうや。そこであなたにお願いだが、戦線の議長に、青年同盟部の書記に、女性同盟の議長も集めていただきたい、そして私と一緒に風呂に入っていただきたいと思っているのです、きょ・・・協同組合の、清潔化の方針に後れを取っている者たちに範を示したいのです。そう、だから申し上げているのですよ議長殿!あなたもいらっしゃるんですぞ、奥様とご一緒に、風呂に入って!」そう言って、ズュロ同志はがっくりとうなだれた。
[訳註;原文では「前線(front)」「青年(rini)」「女性(grua)」としか言っていないが、当時の翼賛組織「民主戦線」「労働青年同盟」「女性同盟」を指している]
 そんな演説はドゥシュク村で前代未聞だった。部屋中がどっと笑いに包まれた。村人が二、三人腹を抱えて倒れていた。
「まあひどい!」議長の妻が叫んだ。
「ひどいどころじゃありませんぞ!」ズュロ同志は言った。「いらっしゃると私にお約束なさい、実行されぬ限り、私はこの村を離れませんぞ」
[訳註;原文では議長の妻が自分を「カッコウ(qyqe)」だと言い、ズュロが「カッコウさもなくばシラコバト(guguçe)だ」と言っている。前者には「孤独な人」、後者には「清楚な美女」という比喩がある]
「わかりましたよズュロ同志、行きますよ!」議長がそう言って彼を宥めた。
 私は恥じ入ってしまった。ラキで多少ぼんやりしているし、恥ずかしさもあったが、すっかり取り乱していた。ズュロ同志の権威は真っ逆さまに斜面を転がり落ちていた。
 ズュロ同志はもはや辛抱できなくなっていた。彼は椅子に身をもたせていたが、ぐらりと揺れるとそのまま倒れてしまった。議長と私が彼の腕を摑み、立ち上がらせて、廊下へと引っ張り出した。議長の妻は大急ぎで寝室へベッドの用意をしに行った。村人たちは騒然となった。
「飲み過ぎたんだ、お気の毒な!」年かさの男が言った。
 ズュロ同志はむにゃむにゃ言っていた:
「勝負ですぞ、議長殿・・・」
「いいですとも、ズュロ同志・・・」議長は気の毒そうに彼を宥めるのだった。

3.
 ズュロ同志はその晩じゅう、窓際のベッドにのびたまま、途切れ途切れに喋っていた。私は自分のベッドで、痛々しい思いでそれを聞いていた。私自身くたくただったにもかかわらず、眠れなかったのだ。聞こえるのは叫びと呻きの入り混じった、途切れ途切れの言葉の数々だった。たまにはうわごとに聞こえないような喋り方もあったが、意識不明の状態の中、まるで重病人のように不平を訴えていた。ただ、重病人であれば己が不運なり体質なりを嘆くところ、ズュロ同志が呪い混じりに不平をぶつけるのは彼自身に対してだった:「えい、のろまめ!どうすりゃいい!・・・えい、議長殿!・・・人とは!・・・歌とは!・・・」
 私にはわかった。彼は恥ずかしさを感じているのだ。その恥の感情は、飲んだせいで肥大化していた。君は目を閉ざし、人々を見まいと思っているのだな。あの馬鹿げた状況で君を見ていた連中から、君は離れたいのだ、そして会いたくもないのだ、全てが忘れ去られるまでは・・・
 空が白み出した頃、ズュロ同志は起き出して、枕もとの小卓にあった水差しの水を四杯も飲んだ。私はそれに気付いたが、横たわったまま眠ったふりをしていた。彼の姿を見るのが恥ずかしかったのだ。家人が全員畑へ行ってしまったら二人して起き出して、誰の目にもとまらず出ていこうと考えていた。
 ズュロ同志はズボンを履くと、ベッドの端に腰を下ろし、足をぶらぶらさせていた。彼はそんな風にしばらくの間、靴下も履かずに座ったまま、「えい、えい!」と言っていた。その叫び声の後は、何かぶつぶつひとりごちていた。が最後には快活さを装って声を上げた:
「起きろ、寝坊助め!君がここの議長の協同組合員だったら、労働日数を引かれてるぞ!・・・」
 私は目を開けた。ズュロ同志は靴下を履いているところだった。
「ゆうべは飲んだなあ、え?」
「御馳走に呼ばれたからには、飲むだろうよ」私はそう言って彼を宥めた。
 ズュロ同志は一瞬沈黙した。靴下を足の途中まで履いたまま、額に掌を押し当てた。私を前にして不安そうにしていた。何か私に言いたいことがあるような気がした。
「良い夜だったよ。我々は村人と交流した[訳註;逐語訳は「溶け合った」]。ああいう機会で距離を取っていてはいけない。村人たちは庶民的な付き合いを好むのだ。我々の振る舞いは悪くはなかったと思うよ、デムカ」と彼は言った。
「我々は近しく接したんだ」私は言った。
「私は少々ラキにやられたよ。そう思ったから、ひとしきり宴の場を離れたんだ」彼は言った。
 私はズボンのベルトを締めた。
「実際、もう晩餐も終わりだったからね。我々は一緒に席を立ったんだ。みんな満足していたよ。議長も二、三人の村人も立っているのがやっとだった。それに、我々が寝室に入った時、誰かが床に倒れるのが聞こえたよ。きっとあれは議長だな」私はズュロ同志を元気づけよう、彼の恥ずかしい感情を取り除こうと、話をでっち上げた。
「そうだったのかね?ああ、彼は私より飲んでいたな・・・それに、ラキは肉体を酷使する人の方が酔いの回りが早い。筋肉が疲労しているからね。ラキは筋肉の神経を弱らせて、ぐちゃぐちゃ[訳註;原語pelteは粥状のもの、或いは果物を煮潰したもの]にしてしまうんだ・・・」そう言いながらズュロ同志は気分を持ち直していた。
 我々は服を着替え、庭にある蛇口で目を洗いに外へ出た。その時、玄関口に議長とその妻が姿を現わした。議長は我々に挨拶し、よく眠れたかと訊ねてきた。
「素晴らしくね!」とズュロ同志が言うと、前夜の酒でやられて青ざめた頬の上に朱がさした。
「かなりのラキの飲みっぷりでしたよ、ズュロ同志!」議長が言った。
「いやいや。いささか朦朧となりまして・・・」
「いや何をおっしゃる!決してそんなことは!」議長が言った。
「しゃきっとしてらっしゃいましたよ」議長の妻が言った。
「ああ、何です私にあれだけの乾杯を受けさせておいて!いいですか議長夫人、私はあなたにもティラナの我が家にお越しいただきたい。私もうちの妻を呼んできて、ご主人に杯を上げさせたいですよ、それも五杯と言わず、十杯はいきたいものですな」ズュロ同志は笑った。
「私たちが用心してそちらに行かないだろうとは思わないんですのね、だって仕返しなさりたいんでしょ!」議長の妻も笑った。
[訳註;ここと前述「しゃきっと」云々の発話で、議長夫人はズュロに「旦那(zotrote)」と呼びかけている]
 我々が庭に出ると、蛇口から冷たい水が流れていた。ズュロ同志はようやく微笑んだ。恥ずかしいという感情は去りつつあった。彼はまるで子供だった。耳当たりの良い言葉で痛みや絶望を忘れれば、それでよかったのだ。
「率直な人たちだよ!」そう言いながら彼はシャツの袖をまくった。「なのに残念だよ、これほど善良な、これほど品行方正な人たちと一戦交えようというんだから。市民としての自覚と、友好は別ものだからね。馴れ合いに堕することはできないよ。任務が私にそれを許さない・・・」


ズュロ同志、一戦交える の巻

1.
 我々が村の浴場に入ることを決めたのは、村人たちが畑から戻ってきた時のことだった。我々がこの機会に風呂に入れば、先入観に陥った人々に強い感慨を与えられるだろう。ズュロ同志の考えによれば、これは村全体を揺るがすものとなるはずだった。彼は、こうした行動には村の幹部数名も加わるだろうと期待していた:女性同盟の幹部、戦線評議会の議長、協同組合の議長にその妻、それに青年同盟の書記も。旅団長[訳註;原語brigadierはここでは軍隊の「旅団」でなくbrigadë prodhimi(生産旅団または作業班)の長を指す]や農技師も風呂に入りに来ることを期待していた。彼の信念は揺るぎないものだった。私は、いや本当のところ私は、にやにやしていた。ズュロ同志はそれに気付くと、これは笑いごとではないぞと言い、展望を欠いた、浅慮な技官じみた態度だと私に注意した。勿論、私へのこうした愚痴も、要職に在る指導者にありがちな猫撫で声で囁かれたものだった。そんな愚痴に続けて、彼は私にシェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』の一節を朗誦してみせた:

 アガメムノンはアキリーズを
 指揮しようとするからばか、
 アキリーズはアガメムノンに
 指揮されるからばか、
 サーサイティーズはそういうばかに
 仕えるからばか、
 パトロクラスは理屈ぬきのばか・・・

[訳註;『トロイラスとクレシダ』(Troilus and Cressida)はシェイクスピアの諷刺悲喜劇。元ネタはギリシア神話そのものではないが、トロイア戦争に材を取っている。訳は小田島雄志訳(白水社版)「第二幕第三場」に拠る]

 朗誦が終わるや、ズュロ同志は声を上げて笑い、そしてハンカチを取り出すと涙を拭き始めた。彼の笑いはまるで流感のように、私にまで伝染した。どうしてこんな引用を思いついたのか!ズュロ同志は全く突然にこういうことをやってのけるのだ、まるで未来派の詩の登場人物のように・・・[訳註;芸術における「未来派」「未来主義」は労働党体制下で「リアリズムを否定する形式主義、退廃的潮流」と評価されていた。つまりデムカが言っているのは褒め言葉ではない]彼と私と、往年の偉大な劇作家の台詞に一体何の関係があるのか?えい、ズュロ同志ときたら、何度だってこの私を驚かすんだ、哀れなデムカよ、従順なる苦労人よ!
 それからズュロ同志は、退屈と悲痛をめぐって哲学的思索を始めた。
「私はね、デムカ、うんざりしているんだよ。うんざりしていることが山ほどある。だが私のうんざりは措いておこう、出処がまるで見当たらないんでね。『その泉に流るる水はありや、おお我が撫子の唇よ』という歌を知ってるかね?はっは! [訳註;原題“A kanë ujë ato burime, o moj buzë karafilja ime”はアルバニア南部の民謡。→🔉 karafiliは所謂カーネーション(Dianthus caryophyllus)を指し、それに似た唇を持つ女性に呼びかける内容]我が泉の流るる処はどこだ?[訳註;「出処」も「泉」も原語はどちらもburim(源泉)]なあデムカ、この世は熱々に焼けた鉄鍋[訳註;原語saçは大きな蓋のついた鉄製の大鍋、というか深底のフライパン]さ。我々は焼かれるしかないんだ、ラクロルやビュレクやクラチのように、その鉄鍋の中でね。[訳註;ビュレク(byrek)は最も一般的な具入りのパイ。ラクロル(lakror)は野菜入りの南部風パイ。クラチ(kulaç)は丸い大型のパン。いずれも先述のsaçで作る]
 我々は浴場の近くに来ていた。私はズュロ同志の大きなカバン、それに着替えとタオルを手に持っていた。村人たちが群れ集まり、畑から戻ってきた。我々を見かけると、挨拶をしてきた。夕方になっていた。
 ズュロ同志は立ち止まり、浴場のある広場に視線を向けた。建物を上がった先には、一人しかいなかった。
「あそこにいるのは、村の幹部の誰かに違いないよ」ズュロ同志が言った。
「かもね」と言いつつも、私は半信半疑だった。
 浴場の煙突から煙が上っていた。ズュロ同志はこの煙が好きだった:それこそ、この一角が活発であることの証しだったからだ。
 我々は近付いた。浴場の建物の隅に立っていた人物が、我々に会釈した。それは昨日会ったあのデルヴィシュだった。
「デルヴィシュ君、調子はどうかね?」ズュロ同志が言った。
「南無三!」とデルヴィシュが言った。
「またしても南無三か!」ズュロ同志は言った。
「そちらがデルヴィシュと言いなさったから、こちらも南無三と申しましたんで。この私はアブデュラハ・ミュライメリと申すんで」
 ズュロ同志はにやりとした。
「で何をしてるんだね?何で風呂に入りに行かないんだね?」そう訊ねた。
「昨日入りました」
「もうひと風呂浴びたまえよ」
「旦那は貧乏人をからかって楽しいですかね」
デルヴィシュが言った。
「私は本気で言ってるんだよ。風呂は身体にいいんだ」ズュロ同志は言った。
「塩は旨いが程々に、ですよ」とデルヴィシュが言った。[訳註;逐語訳「料理には塩、塩には節度」]

2.
 我々は浴場に入った。女性が一人いて、風呂場は使用中だから別の小部屋で待つようにと言った。
「誰が入っているのかね?」ズュロ同志はその女性に訊いた。
「学校の先生たちです、すいませんね!」
[訳註;「すいませんね」と訳した“të keqen!”はこの後の発話にも何度か出て来る。「あなたに悪いことをしたかも」といった意味で、本来は親子などの近しい間柄で用いられる]
「ふむ!」ズュロ同志は声を上げた。
 小部屋の中は蒸し暑かった。ズュロ同志は上着を脱いだ。我々は二人、タバコに火をつけた。ズュロ同志は疲れを感じたが、顔には出さなかった。
「やれやれ、何だって幹部の一人も来てないんだい!何て連中だ!わかっていないんだな、どんな些細なことも自分で手本を示すべきだってのが。田舎じゃあ、一つ処で体を洗うってのに馴染みがないんだ。君も幹部として、そういうことは強く勧めて、習慣になるまで教え込まねばだめだ。村の人たちが体を洗わないと言ってるんじゃない。家では洗ってるさ。だが風呂の方がずっと簡単だからね・・・」ズュロ同志は言った。
 そうしていると、廊下から一人、女性の声が聞こえてきた。声の主は風呂場の係に、ティラナからの客が来ているかと訊ねていた。ズュロ同志の顔がぱっと輝いた。
「彼女だな」ズュロ同志が言った。
「誰のこと?」私はぼんやりと訊ねた。
「女性同盟の議長だよ」ズュロ同志が言った。
 我々のいる部屋に入ってきたのは小柄な女性で、頭に白いタオルを巻いていた。彼女は我々と握手を交わし、それからドアの前に立ったままでいた。
「お掛けになって」ズュロ同志が言った。
「大丈夫ですよ、すいませんね!」
「他の女性は、誰もお連れじゃないんですか?」ズュロ同志が訊ねた。
「あらどうしましょう?すいません」と彼女は言った。「私だって来たくなかったんですよ、恥ずかしいんですもの、誓って本当ですよ[訳註;逐語訳は「あなたの頭に対して」]!」
「何の、恥ずかしがることなどありませんぞ!」ズュロ同志は言った。
「私たちは苦情を言い慣れてませんのよ、すいませんね、うちはね!なるほど、お二人とも、私たちにお会になるつもりでいらっしゃったのでしょ。まあ何てことかしら!うちには驢馬がいましてね、すいませんね・・・よくうちの夫が薪木を載せて、町まで連れて行ったもんです。薪木を売るんですわ、すいませんね。今となってはそういうのは誤りだったんですけど、慣れっこになってたんですよそういう闇商売に。それに素寒貧で仕方がないんです、すいませんね!協同組合で一日働いて受け取った5レクで、何ができましょう?食べて、着て、履いて・・・ほら、それに私の下着だってもう、びりびりで」そして彼女は憂鬱そうに眉をひそめるズュロ同志の前でワンピースを持ち上げてみせた。「それで更に歌おうだの祭りをやろうだの言われるんですよ!まあまあ結構ですこと![訳註;下着云々の話は決定版で挿入されている]・・・あのですね旦那、或る朝、道端でうちの議長が驢馬に出くわしたらば、拳銃を抜いて撃ち殺すんですよ。驢馬が斃れるんですのよ、すいませんね、道の真ん中で、額を撃ち抜かれてね。うちは驢馬なし状態ですよ。それで私が苦情を言いに行ったら、議長が言うんですよ:『どうすりゃいいのかって、奥さん?驢馬の皮を剝いでコートにすればいいさ』そう言うんですよ、すいませんね。でも私が食い下がると、向こうも約束してくれるんですよ、驢馬に手間賃込みで値をつけて、協同組合の金から払ってやるからって。今日だか、来年だか[訳註;つまり払われずじまい、という意味]。でも何だって殺すんです?いつになったらうちは代金を払ってもらえるんです、すいませんね?うちは酷い目に遭って、金も貰えず損ですよ。まあどうです、すいませんね?」そう言って彼女は発表を終えると、ズュロ同志をじっと見つめた。
 ズュロ同志は陰鬱として、しばらく沈黙していた。いやいや、ズュロ同志には、議長たる者が拳銃で驢馬を殺したなんて話が初耳だったのだ!これは異常なことだ、何とグロテスクな・・・
「そりゃ驢馬を殺したのは良くないですが、あなたのご亭主だって町まで薪木を売りに行っている、他の人たちが協同組合で働いている時にですよ、それは正しいことではありませんよ」そしてズュロ同志はメモを取るためのノートとボールペンを取り出した「あなたお名前は?・・・ええと、ファティメ?どちらの?バヨ?・・・結構、その件は考えておきましょう」
「有難うございます、すいませんね!」そう言って彼女はその小部屋から出て行った。
「ふう!」彼は汗だくになっていた。「どうなってるんだここの連中は、全く!デムカ、これは一戦交えることになりそうだよ!」
 浴室の方が騒がしくなった。教師たちが出てくるところだった。次は我々の番だった。
 浴室に入る用意をしていると、小部屋に痩せて長い顎髭を生やした年配の男が入ってきた。男は「こんばんは」と言いながら窓際の長椅子に腰掛けると、タバコの箱を取り出し、太いタバコの一本に火をつけ出した。
「そちらもお風呂ですか?」ズュロ同志は訊ねた。
「うちの婆さんがここの浴場におりましてね。あれがここで働いている時は、毎晩一緒にひとっ風呂浴びるんです。わしはですな、ええ旦那、わしはここの湯と蒸気が気に入っておりましてね。うちの婆さんにぼろ布でごしごしやられるもんだから、茹で蟹みたように真っ赤っ赤ですわ。ゆうべあんた方は議長のうちに招かれておいででしたな?わしも行くつもりだったんですが、つい億劫になりまして・・・」男は言った。
「村の皆さん浴場へいらっしゃるんですか?」ズュロ同志はいつも通り訊ねた。
「まあ今のところはそうそう身に馴染んではおりませんが、風呂には参りますよ。若い娘たちはずっとしょっちゅうですな。日曜日なんぞ来てごらんなさい、耳がつぶれますぞ。それで何の話をしているかと思えば、これがまた何たることか!一度、日曜日にうちの婆さんと風呂を使いに来てえらい目に遭いましたよ。うちの婆さんにはとんだ毒で!」[訳註;後半の逐語訳は「何かしら気が動転した。何という皮肉が妻に投げかけられたことか!」]
「ふむ!」とズュロ同志は言った。「で、女性同盟の議長も浴場には?」
「来ますとも。しかし家で済ます方が多いですな。前に、一緒に浴場へひとっ風呂浴びにどうかと申し上げたこともあるんですが、うんとは言われませんでしたな」髭の男はそう言った。
 私はぷっと噴き出した。ズュロ同志はにこりともしなかった。彼は私に身を近付け、ゆっくりとこう言った:
「何たる道徳の退廃だ!」
「だが何だって風呂に入らんのでしょうな?彼女も議長、わしも議長ですが」男が言った。
 ズュロ同志はすっと身を引くと、不思議そうな目つきで髭の男を見つめた。
「わしは民主戦線評議会の議長で、アスラン・ガイタニと申します!」
「やあ、これは一本取られましたな!」[訳註;逐語訳は「ご自身の腕だったとは!」]ズュロ同志は笑った。
「いやいや何の!」
「我々は今夜、あなた方、村の幹部連と会うつもりだったのですよ。議長殿からお聞き及びでは?」ズュロ同志が訊ねた。
「さて存じませんな」相手は言った。
 ズュロ同志は顔を曇らせた。ことは明白だ:議長が忘れているのだ。それこそ事の要因だ。ズュロ同志に言わせれば、議長は手の施しようのない自惚れ屋[訳註;原語kapadaiはトルコ語kabadayıに由来する]だ。なるほど自惚れ屋が忘れっぽいのも当然だ。他人の言うことにも心ここにあらずで、他人の頼み事もろくに聞いていないから、忘れてしまうのだ。
「勝負ですな!」ズュロ同志は声を上げた。
 髭男氏には全くわけがわからなかった。
 それからすぐ、風呂係の女性に呼ばれて我々は浴場へと入った。[訳註;明言されていないが、この風呂係の誰かがアスラン・ガイタニ議長の妻ということになる]

3. 
 濡れた髪と、少しだけ赤く染まった頬で、我々は協同組合のクラブのヴェランダに落ち着いていた。目の前には冷えたビールの瓶が一本ずつ置かれていた。我々はタバコをくゆらせたまま、押し黙っていた。ヴェランダの前のアカシアの葉が夜風に軽くざわめいていた。その向こうの広場の方から、ボール遊びに興じる子らの声が聞こえていた。考えていた、ズュロ同志は考えていた。ティラナを出発した時、こうも万事予想外のことにばかり出くわすとは思ってもみなかった。嗚呼、満ち足りた農村の生活が矛盾の谷間に!一方には自然の美しさ、心尽くしの歓待、生産手段のメカニズム;他方には偏見、大言壮語、そして文化の軽視!どうしたらズュロ同志にこの矛盾を解決する救いがあり得るのか?いや、取り敢えず解決はできそうな気がする・・・だがズュロ同志が村を離れれば、再び矛盾がその姿を現わし続けるだろう。おお、現れし矛盾よ、お前は何と無慈悲なのか!・・・しかしズュロ同志がお前に手を広げっ放し[訳註;お手上げ、降参の意]ということはあるまい。
「矛盾か!」彼は言った。
「実際、矛盾のあるところでは、矛盾自体のありようが暴露されるものですよ」私が言った。
「矛盾の一面はその対立物なしで存在し得ないとはよく知られた言説だよ、林檎を半分食べておいて林檎全体をその手に持つことが不可能なのと同じことさ」そう言いつつズュロ同志の思考は哲学へと、対立物の統一と闘争の大いなる法則へと没入していた。
「我々にとってまずいのは、矛盾を前にして混乱することだよ」私は言った。
 ズュロ同志はコップに口をつけ、ほんのちょっぴりだけ飲むと、軽く笑って、こう言った:
「原則的な矛盾を前にしてなら混乱などしないさ:我々が混乱するのは、幾つかの周辺的な矛盾か、或いはそれが現れた場合だけだよ。確かに、我々は混乱するだろう、或いはこう言った方がいいかな、老婆の驢馬が議長の拳銃で殺されたことに驚くだろう。それは矛盾の予想外にして想定せざる現われで・・・わかるかねデムカ?」
 我々はなおも深く、対立物の闘争の哲学法則に没入していて、それこそアカシアの向こうの広い中庭の方から聞こえる協同組合議長の声でさえ思考を途切れさせることがなかった。
「お楽しみでしたかな?」議長が遠くから呼んでいた。
「おやどうされてたんです、議長殿!」ズュロ同志は言った。
「失礼、村にいなかったもので。シェムシェディン同志に呼ばれて町へ行っていたんですよ」
 ズュロ同志は居ずまいを正した。彼はシェムシェディンがテペレナ市まで異動になっていたのを忘れていた。妙な話だ、あれだけ長年同僚だったのに忘れていたなんて!シェムシェディンはかつて、今のズュロ同志がいる地位を握っていたのではなかったか?
 私は、シェムシェディンがするつもりだった報告をズュロ同志がしたティラナの大会議を思い出していた。ズュロ同志だって間違いなく、それを思い出していたはずだ。
 議長は我々と並んでテーブルについた。
「シェムシェディンはどうしてます?」
「お二人によろしく伝えてくれと頼まれましたよ。機会があれば会いに行きたいともおっしゃっていました。ゆうべの愉快で楽しいお喋りの話もしましたよ。その場にいなかったことを残念がっておられました。あいにく御存知なかったんですからなあ、でなければおいでになってたでしょうとも」議長は言った。
 ズュロ同志は悲しみに打ちひしがれた。彼は昨晩の醜態を思い出したのだ。当然この小悪党はシェムシェディンにその話をしているに違いない。
「いや、何処でだって我々[訳註;地方自治体の]議長らはやいのやいの言われる[訳註;逐語訳は「耳を引っ張られる」]んですな!農業では高収量を求められ、文化では進歩を求められる!」議長は溜め息をついた。
「シェムシェディンにもやいのやいの言われたんですな、要するに」ズュロ同志は言った。
「社会文化活動の有効利用に関する会合ですよ:風呂に、文化の家に、理容室に」議長は言った。
「つまりそれは、ゆうべ我々が話し合った話題ですな」ズュロ同志は目を輝かせた。
「まあそうです」
「勝負ですな、議長殿!」そう言って彼は議長の無精髭の残る顔をはっしと見据えた。
「もう慣れましたな」議長は言った。
「あなたも慣れっこですか[訳註;逐語訳は「あなたの皮膚が馴染んだ」]・・・事実はこうです:昨晩私たちは一緒に浴場へ行こうと話しましたな。そしてこの社会文化事業をこの目で見よう、そして入浴して自ら範を示そう、と。あなたはそれを村の幹部連中に伝えなかった。ええと!こういう態度はどう評価したものですかな?」彼は言った。
 議長は指先でテーブルを、トランペットを吹くような調子で叩いた。彼はズュロ同志の目を見ようとしなかった。くわえタバコのまま、クラブのヴェランダの隅を見つめていた。
「その、おっしゃっていることが冗談にしか聞こえませんな、ズュロ同志」沈黙を破って議長が言った。
 ズュロ同志が放ったその言葉は、柵越しに伸びた筒口から不意に飛び出した銃声のようだった。その時、驢馬の太く間延びした鳴き声がした。
「あなたには冗談に聞こえるのですか、この驢馬の鳴き声も?」ズュロ同志が訊ねた。
「は?」議長は呆気に取られた。
「例の驢馬だって、あなたの拳銃さえなければ鳴くこともできたでしょうに」ズュロ同志はぴしゃりと言った。
 私はその厳しさの中に、吹き出したくなるような何かを覚えた。それで笑いを噛み殺しながら建物の方に顔を向け、ズュロ同志に気付かれないようにした。
「要するに、どうして驢馬を殺したんです?驢馬を殺すのに、国からいただいた拳銃を使われたとは?」ズュロ同志は、監査役のような厳しい口調で言った。
 議長は赤面した。思わず知らずベルトに手をやり、ホルスターの中の銃があるか探すような仕草をした。
「気が立って、殺してしまったんです。矛盾なんですよ、協同組合の誇り高い仕事と、ひっきりなしの商売事に汚れ仕事[訳註;原語xhambazはトルコ語cambaz(綱渡り師、馬術師)に由来するが、ここでは「賭博屋、いかさま師」のような否定的な意味で用いられている]とのね。その殺した驢馬の持ち主にしたって、商人根性あればこそですよ。町で薪木なんか売って組合の仕事もしやしない」議長は言った。
「現代の農村生活における矛盾は、拳銃で解決などできませんよ。あなたの行動は混乱を惹き起こし、同時に人心を動揺させるものだ。どういうことですかこれは、一体全体!」ズュロ同志は言った。
 テーブルに、張り詰めた沈黙が訪れた。ズュロ同志も、議長も、何も言わなかった。この沈黙はズュロ同志の方に利があった。ズュロ同志は議長を追い詰め、今や手負いの相手が望みなく身悶えする様に内心歓喜していた。その沈黙の中、何処かしらに身を潜めもの悲しげに歌う梟[訳註;原語hutinは語義上ノスリ(Buteo buteo L. )と訳すべきだが、ここでは先行訳に従う。中国語訳では“猫头鸟”]の声が聞こえた。ズュロ同志はその歌声に耐えがたいものを感じたが、にもかかわらず、これを自らの有利な状況に活かすことにした。
「そら、あれに銃を向けるべきですよ、可哀相な家畜に向けるのではなくね!」そう言ってズュロ同志は建物の向こうの、梟の声が聞こえてくる方に腕を伸ばした。
 議長も私も大爆笑した。ズュロ同志も我々に釣られて笑った。
 笑い泣きしていると、クラブにあの太ったデルヴィシュが入ってくるのが見えた。彼はヴェランダの真ん中に立ち、ズュロ同志に恭しくお辞儀した。[訳註;「お辞儀」と訳したtemenaは右手指を胸元から額や口元に動かし頭を下げる仕草]
「このデルヴィシュには何か心配事があるに違いないよ」ズュロ同志はそう言うと、こちらに来るよう手招きした。
 デルヴィシュはこちらに来ると、我々と握手を交わした。
「何か心配事でもあるのかな?どんなものか、まあひとつ伺ってみようじゃないか」ズュロ同志は言った。
「お察しの通りで旦那。私は、よろしいですか、ここの楽団に入れて貰えんのです、アマチュア楽団と言うんですかな。私はズルナも上手いし、カラデュゼンだって弾けるんです。何もできない奴は入れて貰ってるのに。何処もそんな調子ですよ。[訳註;ズルナ(zurna)は複簧式の管楽器、カラデュゼン(karadyzen)はマンドリンに似た二弦または四弦の弦楽器]私は受け入れて貰えないんですよ。何故かって?そりゃ、私はデルヴィシュでしたからね!旦那がいらっしゃってくれたからにはね、お願いです、議長を説得してもらえませんか」とデルヴィシュは言った。[訳註;「そりゃ」の原語demekはトルコ語demek(言う)に由来する間投詞。動詞の感嘆法と共に用いられることが多く、話者の不満、驚き、念押しを表す]
「心配はいらんよ」ズュロ同志は言った。
 デルヴィシュは満足して立ち去った。それを見つめる議長の目は怒りに満ちていた。何だってこのデルヴィシュに、カラデュゼンを弾かせるなんてことが思いつけるのか?!
「保守的ですな!」とズュロ同志が議長に面と向かって言った。「だったらあなた、カラデュゼンを弾ける人物を何処から探してくるんです?村のオーケストラを豊かにできるんですよ。それなのにあなたは、人々と共に勤しむでもない、あなたは芸術と文化を毛嫌いしているんだ、梟が日光を毛嫌いするように・・・」
「舞台にデルヴィシュを上げるわけにはいきません、勘弁してくださいズュロ同志」
「彼は敵ではありません」
「敵ではありませんが、笑い者ですよ。あれを舞台に出したら、みんな腹を抱えて大笑いですよ」議長が言った。
「笑わせておけばいいでしょうが!笑いは健康な人間の特性ですよ。病人が笑うのを見たことがありますか?あのデルヴィシュには生の情熱が必要なんですよ。さもなければ彼はまた信仰の情熱に戻ってしまう。音楽の情熱なら、信仰の情熱を打ち負かすに違いないんです!」ズュロ同志は言った。
 議長は目を見開いた。彼にとって、そんな考え方は思いつきもしないものだった。その考え方に揺り動かされて彼は、ズュロ同志の言う通りだと思った。デルヴィシュはアマチュア楽団に入れてやるべきだ。『何たる真実か、こんな小狡いデルヴィシュが、ラデュゼンやズルナを上手く奏でるとは』議長はそう思った。
「このデルヴィシュ君のズルナを聴いてみたいものですね」ズュロ同志が考え深げに言った。
「今夜は彼を夕食に呼んでもいいんですが」議長が言った。
「デルヴィシュ君の好きにさせておきましょう。明日は村の人を集めてください、暮らしの中の文化水準向上についてお話ししたいので」ズュロ同志は言った。
 私は胸が痛くなった。またしても私はズュロ同志の談話を用意することになりそうだ。この村での素晴らしき数日間を、協同組合の本部事務所に閉じ籠って、原稿を書いて過ごすことになりそうだ。長々と会合をやるぐらいなら、風呂に入らない村人と話してくれた方がまだましだ。この田畑の中でも、私は報告や発表の影に追われていた。
「村の集会は、私には出来ませんな。今は収穫の真っ最中ですよ。婚礼に行って薪を集めろというんですか?」議長はそう言って眉を曇らせ、不満の感情を顔に表してみせた。彼は、我々のように交友の中で成長していきたいとは思っていない種類の人間らしかった。彼の表情からして、我々がそんな話に時間を浪費しても意味のないことだった。おまけに彼はズュロ同志の提案をお笑い草だと言い立て、冗談の部類に落とし込もうとしていた。
 ズュロ同志の顔には、議長が表したような不満はこれっぽっちも表れていなかった。それ以上にズュロ同志の顔には公然たる憤りがあった。
「ええ、あなたは集会をやりたくないというんですか?私は抗議しますぞ。私の抗議は、議長、あなたも属している執行委員会の、その委員長のシェムシェディンへと達することでしょう。私の声はそこから更に先へも届くでしょう。この村の住人、あなたのことで私に不満を申し立てたあの彼女の言う通りですな。あなたは昨日、驢馬を拳銃で撃ち殺した。一年後にはあなたが驢馬よりも重要な生き物を殺さないと、誰が私に保証してくれるのでしょうな?」
 そこまで言ってしまうと、大声で笑わないでいるのは無理だった。だが笑いがあれば会話の深刻さを、論争の激しさを打ち消すことができるかも知れない。それで私はズュロ同志の許しを得て立ち上がった。彼は首を振って合図し、私は彼を議長と二人きりにした。
[訳註;デムカは二人が先程同様、ユーモアでうまく話を収めることを期待して中座したと思われる。が結果は次の通り]
 二人は摑み合いの大喧嘩になった。私は既にその席にいなかった。私は刈り取られたアルファルファの区画の端でズュロ同志を待った。
 ズュロ同志が来て私を見るなり、こう言った:
「とっちめてきたよ」
「集会はあるのかい?」私は訊ねた。
「集会は分散させる:部隊毎にやるんだ」
「今夜は何処に泊まる?」
「戦線評議会の議長のところさ」ズュロ同志は言った。
「毎晩、村の浴場に奥さんと一緒に入りにいく、あの人かい?」私は訊ねた。
「そうさ!まだましだろう。あちらは清潔だし」とズュロ同志は言った。
 我々は畦道に腰を下ろした。アルファルファとシロツメクサの香りにむせ返るようだった。その刹那、ズュロ同志は自然と融け合い、万物について思索を深めたいと思った。[訳註;以下のくだりは決定版で追加された]だがそんな瞬間でさえも、彼はすぐさま具体的な現実へと戻ってくるのだった:
「浴場の重要性に関する例のメモはまとめてくれたかね?」
「だが、集会がもし出来なかったら・・・」と私は言った。
「大きな集会なら皆したいに決まってるじゃないか?今夜、戦線評議会の議長との夕食の時に、科学的視点から入浴の重要性についての話ができなかったらどうする?その夕食には村の半分が来るんだぞ・・・ひと休みしたら、メモを二つ三つ加えといてくれよ」とズュロ同志は指示を出してきた。
 実際、食事の席でズュロ同志は私のメモを手に入浴の重要性について語ったが、それは私が丘の下、ズュロ同志から離れてプラタナスの木陰で書いたものだったのだ。


ズュロ同志、エッセイ草稿を書いて憂さを晴らす の巻

1.
 おお摘みたてのシロツメクサよ!お前の香り、それを深く味わうのは、先祖の代から村に根を下ろした者のみ、その香りに酔いしれ、村の若き魂の抒情的ありさまへと回帰する!思考も、論理も、瞑想も、陽に干され、その香りに満ちたシロツメクサの上を飛び回る。刈り取った茎から流れ出る汁は全て、魂へと流れ込み、それ転じて思想の糧となる。
 ズュロ同志は刈り取られたシロツメクサの傍らの大きな樫の下に仰向けに寝そべり、草や、花や、葉や、水路や、枯れることで新たな一本に芽吹く余地を与えているその茎からの、不思議な音に耳を澄ましている。私はズュロ同志の頭の傍に座り、その茎の一本を齧っている。
「私はね、デムカ、この茎と同じようなものだ、まだ幾らかは汁が残っている。だがこの汁は他のものに与えたい。新しい茎が伸びるまでには、この汁も出尽くしてしまうだろう。そうしてその新しい茎が私と同様、自身の汁を与えることになれば、私は幸せなのさ」とズュロ同志は、大きな樫の茂った葉の下で、刈り取られたシロツメクサの束を枕に、そう言う。
 私はそれを聞いてうなづきつつ、思考が途切れることはない。そのシロツメクサの中、一頭の牝馬が、美しい仔馬を連れた、脚の長い、ヴェルヴェットのように明るく柔らかな毛並みの牝馬が、草を食んでいる。ズュロ同志は向きを変え、その牝馬と赤毛の仔馬に目をやった。仔馬は駆け出し、母馬の周囲を行ったり来たりし始めた。それからズュロ同志の方に鼻先を向けて立ち止まると、白い三角形の斑紋のある美しい頭部を振ってみせた。
「さあおいで、健全さと誠実さの象徴よ、私ごとき官僚など恐れることはない!さあおいで、君の痺れるような健康の、乳とシロツメクサの汁の匂いを嗅がせてくれ!」とズュロ同志は仔馬に言うと、今度は私に向かってこう言うのだ:「私がこんな言葉を口にしたからって、何か異端派[訳註:原語paganは「異教徒」とも]めいた、或いは何か汎神論めいた思想を表明してるとは思わないでくれよ、なあデムカ!君なら、時代毎の知識人や思想家たちが積み重ねてきた理論には通じているんだろうな。だがしかし、或る時点で為された発言を、理論の枠組みに押し込めてしまおうなどとは思わないことだ。私は異端派でもなければ、汎神論者でもない。私は自然に酔いしれ、そして一時でも、その空気の中に完全なる誠実さや健全さを見出すことを考える、一人の人間なんだ。畢竟、我々は自然の産物さ。君にも見えているあの仔馬だって我々の遠い、遠い親戚だ。あの牝馬の古い先祖は我々の先祖なのさ、なあデムカ!だがその我々に自然は、自然そのものを変えよと呼びかけてきた、一方で見たまえ、我々の先祖だ、あの祝福された獣たちは何ひとつ変えることができなかった、最高段階に組織化された物質を獲得しなかったからね、脳のことさ。螺旋形の運動だよ、デムカ!螺旋は進歩の形式だ」そうズュロ同志は締めくくった。
 思索に耽る瞬間は、ズュロ同志の生活の中に常にあった。私はそれらの瞬間がはっきりと表れるのはいつも、彼が自然の胸元に抱かれている時だということに気が付いていた。ただ一つ、わからないでいることがあった:これほど巧みに思考を表現する術を知っている人物が、何故この私に発表や報告を書くことを任せているのだろう?私は幾度もそのことを考え、そしていつも彼の秘密の外衣を引きはがすことができないのだ。これについては他の人にも話したことがある。バキルだけがうまいことを言っていた、もっともそれを私は信じていないが。バキル曰く、ズュロ同志は発表や報告を書くことに頭を悩ませる[訳註;逐語訳は「思考を殺す」]気がない。昔は何だって自分で書いていた。どうも今ではそれらが余りにもお役所じみたものに思えるらしく、自作のアフォリズムやらエッセイやらに取り組んでいるのだという。無論、人がものを考え得る機会は排除できない、ただ発表を書くことができないのだ。
「見たまえよ、デムカ、あの仔馬が母馬の胸から乳を飲んでいる様を。私だってあれくらい小さかったならば、このシロツメクサの中で乳を飲んでいただろう。いやデムカ、我々はどうも成長が早かったらしい!人間は動物よりも、つまり、仔馬や仔牛や仔羊よりも長い時間、母親の胸から乳を飲む。人間は一年、或いは二年、乳房から乳を飲み、しかもこの一年間だか二年間だかさえも、母親の乳房に対する満足感を覚えるには不十分なのだ。
 乳房に対する満足感はただ人間だけが長く覚えているものだ。ツテ・バブリャがそうだ、あいつは母親の乳を十歳まで飲んでいたんだからね」
「ズュロ同志、君、今日は随分と自然や人生について思索を深めてるじゃないか」私は言う。
「君は私のことをわかっていないな、デムカ。私はいつもこうして現象への思索を深めるのさ・・・」ズュロ同志は言う。
 彼は起き上あがり、ポケットに手を突っ込むと白いカードの束を取り出し、それを膝に置いて何やら書いている。それから私の方を向いて:
「デムカ、私を一人にしてくれ!ここにいて考えたいんだ、この美しい仔馬と、その母とを前にしてね・・・いくつか思いついたことがあるんだ、これは紙に残しておかないわけにはいかないよ。ほらあっちに行って、人と会うなり、玉蜀黍畑を散歩するなり、焼き鳥でも食うなり、一杯やるなりして、二、三時間したら戻ってきたまえ。思索を巡らせたいんだ、なあデムカ、思索を巡らせたいんだよ!」
 それで私はその場を離れた、デムカの考え事の邪魔にならないようにだ。

2.
 三、四時間経って私は戻った。見ると彼はうつ伏せになっていた。彼の傍らにはカードの束があり、その上には風を防ぐための石が載せてあった。三メートルほど先で、母馬が仔馬と共に草を食んでいた。二頭ともズュロ同志を恐れていなかった。まるで昔からの顔見知りのようだった。
 彼は私を見るや、向きを変え起き上がった。
「こんなに遅れていいとは言ってないぞ!」彼が言った。
「君の邪魔になりゃしないかと思ってね」と私は言った。
 ズュロ同志はカードの上の石をどけると、それを手に取り、私の方を向いた:
「新しいエッセイとアフォリズムと、あとはスケッチだ、幾つか読んでやろうか、デムカ」
 仔馬が再びシロツメクサの中に潜り込み始めた。ズュロ同志は読み始めた。

第一のエッセイ
 鼻は嗅覚器官である。鼻の数を増やすということは可能だろうか?否。増設する鼻に合わせて臭覚の水準と臭覚の質を向上するようにしなければならない。

第二のエッセイ
 ミナレットは物理学の敵であると同時に電から身を守るための救いであると言える。その先端には避雷針が据えられている。

第三のエッセイ
 評論家ザイム・アヴァズィが私に言った:
「性格劇を書いてみようと思うんだが」
「もし君自身に性格があるなら、どうやってあれやこれや性格を付与できるんだ」と私は言った。

第四のエッセイ
「中傷これすなわち:小魚が大魚を喰らう」

第五のエッセイ
 保守主義者:缶詰の中の魚
 自由主義者:海にいても網に捕らわれ最後は缶詰になる魚。

[訳註;「保守主義者」の原語はkonservatorだが、konservëなら「保存食」]

第六のエッセイ
 編集者:駝鳥の卵を待ちかねながらも、雀の卵で満足する人物。

第七のエッセイ
 官僚主義者:紙を食うが、時には耳を食うことも辞さない山羊。

第八のエッセイ
 牧人が犬を幼いうちから殴っていると、勇敢にはならず、臆病者に育つ。

第九のエッセイ
 耳:真っ先に責任者の声を聴く器官。

第十のエッセイ
 形式主義者:中核がない胡桃の実。

第十一のエッセイ
 白い歯を見せてるからって笑ってるとは限らない。

第十二のエッセイ
 歯のない者はスモモで痺れる心配がない。歯はあった方がましだ。痺れは耐えられる。

エッセイ-対話:
「俺は高い壁だ」
「お前は高い壁だが、俺が礎石を取ってやる」

二つの語をめぐる思索:
友達、無花果。
[訳註;原語は“miq, fiq.”]

スケッチ
 私は一人の農夫とカフェ「ティラナ」の前にいる。農夫はパイプを口に咥えている。私は山高帽
[訳註;原語republikëは「共和国」と同じ。翻訳では概ね意訳されているが中国語訳だけ“共和国帽”]を頭に載せている。農夫がカフェに入る。出てくる。
「何て言われた?」私は彼に問う。
「俺が保守主義者だとさ」と答える。
 私は農夫のパイプを取り、カフェに入る。山高帽も頭に載せてだ。出てくると・・・
「何て言われた?」農夫が問う。
「現代的ですねってさ」と私は答える。
 奇妙な!同じパイプでも、私と農夫とで与えられる意味が異なるとは。

第十三のエッセイ
 犬は忠実な家畜だ。なぜ我々は犬と呼ばれると憤るのか?

第十四のエッセイ
 無髭
[訳註;原語qoseは「生まれつき生えていない者」の意]:髭を剃るという行為の悦楽を味わったことがない者。

第十五のエッセイ
 涙:善き時に流れ、悪しき時に流れる液体。その二つとも具体的には同じ味がする。だが抽象的には別々の味がする。

第十六のエッセイ
 根:木の履歴。腐った根-それは腐った履歴。

第十七のエッセイ
 ツラと顔は同じ身体部位を指す名だが、同じ意味を指すわけではない。顔は善なるものに、ツラは悪しきものに・・・

[訳註;原語では“surrat”と“fytyrë”で、前者には「銃口」の意味もある]

スケッチ
 うちの家には猫が一匹いる。従兄弟が自分の幼い息子を連れてきた。その子が猫にちょっかいを出した。
「猫をいじめるんじゃない!」子の父親が言った。
「だってパパ、僕ら従兄弟みたいなもんだろ!」その子は言った。

スケッチ
 私の従兄弟には小さい子が二人いる:男の子と女の子だ。或る日、その二人が騒いでいた。従兄弟は二人を𠮟りつけ、こう言った:
「うるさいから二人は別々にする。アリアナはジロカスタルへ連れていく、アギム、お前はここに残す。別々に暮らしなさい、でなきゃ私の耳が破れちまう」
 アギムは大声を上げて泣き出した。アリアナが言った:
「何泣いてんのあんた?あんたはティラナにいられるのよ・・・」

スケッチ
 友人の一人が本を開き、それを自室で読んでいた。隣人がやって来て、友人が部屋にいるのを見るとこう言った:
「ずっと一人でいたのかい」
 友人は本を閉じ、こう言った:
「たった今、一人になった」
子どものメタファー
 三歳の子が、月にうっすらと雲がかかっているのを見て、母親にこう言った:
ママ、お月さまが汚くなっちゃった。

3.
 エッセイのカードを読み終わると、ズュロ同志は、私がそれらを気に入ったかどうか探るように、じっと見つめてきた。
「大いに胸打たれたね」私は言った。
 彼は溜め息をついた:
「思想あるもの全てが私を捉えて離さない、そうさデムカ!全てに勝るものは思想だ、感情を忘れることもないが。一体全体どうしてこの第四エッセイに『中傷これすなわち小魚が大魚を喰らう』と書こうなんてこと、思いついたんだ?何かの予感じゃあるまいな?潜在意識、つまり意識下の意識というのは不思議だな。私の潜在意識に予感があるのではないかな?」
 私には、ズュロ同志のそういう考えが混乱したものに思えた。何と声をかけたらいいかわからず、ただ茫然とたたずんでいた。
「あいつだ、アラニトは、どうも何かうしろ暗い、善からぬことを隠している気がする。まさに小魚、つまりアラニトがだよ、大魚を、つまりこの私をあいつの中傷によって喰らおうとしているんじゃないか?ええ?第四エッセイの定式化は偶然のものじゃないんだ。何かしら予感があったんだ、何かしら私を突き動かすものが」ズュロ同志はそう言った。
 その時、私は気付いた。ズュロ同志は我らが苛烈なるアラニトを恐れているのだ。シロツメクサに溢れたこの田畑の中でも、彼の中には自分とアラニトとの諍いの辛い記憶が蘇る。執務室を遠く離れた今も、アラニトが自分の悪口を言い、自分に関する忌まわしき論調を作り上げようとしていると彼は思っているのだ。その論調をズュロ同志は恐れている。無慈悲で激しいものなのだ、その論調は・・・アラニトは黙ってなどいない、アラニトは鍬を手に論調の畑を耕し、整地するのだ、ズュロ同志を「喰らう」ために。たぶんそれはQ同志のところまで行っているだろう。だがQ同志はアラニトの話を聞いて信じてしまうほど未熟でも幼稚でもない。とは言え、幾百もの言葉の銃弾が雨あられとなると、まんざら効かないわけでもない。そら、ズュロ同志が考え込んでしまったぞ、抒情的なシロツメクサの中、抒情的な仔馬の傍で!
「アラニトは分別もあるし、実に真面目な男だよ」私は言った。
「その意見を信じたいところだがね」とズュロ同志は言った。
 その時、我々の方に近づいてくる一人の村人が目に入った。走ってきて疲れている様子だった。
「ズュロ同志」その村人が言った。「シェムシェディン同志がおいでです」
 ズュロ同志はすっくと立ちあがった。
「いつだね?」
「三十分前です」村人が言った。
 ズュロ同志がズボンをはたき、私に首を振ってみせ、我々二人は抒情的なシロツメクサと、抒情的な仔馬と、抒情的な母馬をその場に残して立ち去った。

4.[訳註;旧版では「ズュロ同志、急ぎティラナへ召喚さる」と別の章になっている]
 ズュロ同志は極めて抒情的かつ極めて瞑想的な精神状態にあった。その状態は、村に来たのが彼の元同僚にして今はテペレナの執行委員長であるシェムシェディン同志であり、しかもその委員長が自分に会いたがっていると聞かされた時も、何ら変わることがなかった。シロツメクサも、母馬も、額に三角形の斑紋のある仔馬も、彼の頭から離れることはなく、あの反抒情的な男たるシェムシェディンに取って代わられることもなかった。
 彼の抒情的で瞑想的な精神状態が変化したのは、かつての友人と会ったことによるものだった。ズュロ同志の抒情的・瞑想的精神状態が変化した原因は、シェムシェディンの氷のような応対であった。シェムシェディンは椅子から僅かに身を起こし、のろのろと手を差し出すと、ぼそぼそと、ありふれた言葉を呟いた。そして私にも、同じ口調で挨拶してきた。それから、我々のことは全く知らぬといった風で、協同組合の議長や村の教師数名との中断された会話を続行した。ズュロ同志はその冷淡さを感じて表情を曇らせ、テーブルの上のタバコの箱を弄び始めた。
「要するに議長、私の実験耕作地ならヘクタール当たり40キンタルの小麦が採れるわけですよ」とシェムシェディンは言った。
[訳註;ドゥシュク村への訪問初日、ヘクタール当たりの小麦の収量見込みをズュロに問われた村議長は「20キンタル」と答えている →☞。1キンタル=10 kg]
「40以上とは」議長が言った。
「私ならもっといけるでしょうかね、或いは党の第一書記の方でしょうか」シェムシェディンが再び訊ねた。
 議長は口元に笑みを浮かべた。
「私が思うには、あなたなら・・・」と彼は言った。
 ズュロ同志は甚だ注意深く、その言葉のやりとりを追っていた。こうした言葉のやりとり、或いは、文学・文化用語で言うならば対話だが、それは彼に良い印象を与えるものではなかった。シェムシェディンのような幹部が議長に対して、実験用地でしか得られない生産性を問いつつ、農業協同組合全体で得られる収穫高に関心を払わないとは!それは些か粗暴な話だ。彼は、即ちズュロ同志は、自分の用地にしか興味がないシェムシェディンの話を聞いていた。これは例外だ。幹部の誰一人、自分自身のことなど興味がないのに。
 その気付きに駆り立てられ、憤怒にも駆り立てられて、ズュロ同志はシェムシェディンをも押し潰してやることにした。彼は話に割って入った:
「私が自分の用地で自分の同僚よりたくさん採れたって、それが大した問題かね。私が、そう例えばだ、ヘクタール当たり40キンタル採れて、同僚が35キンタル採れるわけだよ。その40キンタルも35キンタルもちっぽけな、顕微鏡的な用地で採れるものだ。で、君どう思うかね、シェムシェディン、協同組合が持っているあの2000ヘクタールのことだがね?我々は自分たちの用地でヘクタール当たり45キンタル採れたことに満足している。私が議長にね、彼には昨日も訊いたんだが、彼の協同組合でヘクタール当たり何キンタルの小麦が採れるか訊いてみようか。ヘクタール当たり20キンタルも採れていなかったよ!親愛なるシェムシェディン、君どう思うかね?この村はヘクタール当たり20キンタルの小麦と、一労働日につき5レクか6レクで満足している、タバコふた箱分だ、なのに我々幹部ときたら自分の実験用地でヘクタール当たり45キンタルの小麦にご満悦とは!私はティラナに、君はテペレナにいて、それが何の経験をもたらすというんだ?君が経験をもたらすというなら、君自身の活動の発展の場にこそ、それをもたらすべきじゃないかね」そうズュロ同志は結論付けた。
 シェムシェディン同志がズュロ同志の足を踏んだ。ただ踏んだというのではなく、痛みを感じるほどに強く踏みつけた。
「あうっ!」ズュロ同志は声を上げた。
 再びシェムシェディン同志は、我関せずの体で会話に戻った。彼はズュロ同志の方を振り向きもしなかった。
「聞いた話ですが、こちらの村では宴会や婚礼の際には随分飲み食いされるそうですな。そういうのは家父長制の象徴として一掃すべきです」そう言って、シェムシェディン同志は実験用地から伝統慣習へと飛び越えた。
 私は、ズュロ同志の鋼鉄の論理に魅了されっ放しで、宴会や婚礼に関するシェムシェディンの指摘には何の印象も受けなかった。
「おおシェムシェディン!おお友よ兄弟よ!お、お、お前という奴は![訳註;原文“Ty-ty e tra-la!”は恐らくフランス語をそのまま書いている。不信や嘲笑の表現]」と突然ズュロ同志が声を上げた。
 協同組合議長と教師は互いに顔を見合わせた。
「植物の病気も村では少なくなりましたね。小麦もやられていないし」とシェムシェディン同志は冷静に言いながら、ズュロ同志は酔っているのだなと思った。「しかし、私は自分の用地を見に行ってみましょう、皆さんも小麦の様子をご覧になって・・・」と付け加えた。
 ズュロ同志も地区の指導者として自分に実験用地があればと思っていただろう、それでも用地について厳しく批判をしたのだ。畢竟、ズュロ同志も指導者だ、なぜ実験ができるような土地を持てないことがあろうか?なのに何だこのシェムシェディンという男は?かくしてズュロ同志の推論の網がこいつを捕らえたこと、ご覧いただけたろうか?
[訳註:この段落はどの翻訳を見てもわかりにくいが、要するに『ズュロ同志だって自分の実験用地を持とうと思えば持てるし、収穫量だって上げようと思えば上げられるが、敢えてそれには触れず、あくまでも農村の現実に即して議論しようとしている。そんなズュロ同志の深慮にも気付かず、自分の実験用地の自慢ばかりしているシェムシェディンがいかに浅はかな奴か、皆さんにもおわかりですよね』という、「私」ことデムカから読者への問いかけと思われる。実際、最後の動詞は二人称複数になっている。]
「しかし暑いですな!」ズュロ同志は会話に入り込もうと、そう呟いた。
「新しい教科書で、生徒たちは学んでいるのですか?」シェムシェディンはズュロ同志とは目を合わせないまま、教師の一人に問いかけた。
 そのことがズュロ同志を更に憂鬱な気分にした。シェムシェディンはわざと、彼の権威を落とすつもりで、彼の話を聞いていないように振る舞っていたのだ。
「新しいもので学んでいますよ」教師が言った。
「内容はよく出来ていますか?」シェムシェディンが訊ねた。
「いいですよ」教師が言った。「動物学の教科書は、昆虫の章の内容が些か足りませんが」
 そこでズュロ同志は決意し、割って入った。
「そう、そう、昆虫の章は弱いですな。挙げるなら、例えばですね、蚊の扱いですよ。この昆虫の扱いは解放前、蚊が我が国に災厄をもたらした頃の教科書と同じですよ。今や蚊はいなくなっている。何のために勉強するんでしょう?勉強しても無駄ではありませんか?」と彼は言った。
 教師は口元をほころばせた。
「我が国には象が一頭もいませんが、それでも動物学では習いますよ」教師は言った。
 ズュロ同志は赤面した。シェムシェディンは苦笑いだった。
「協同組合の店では卵はいくらで売られているんです?」シェムシェディンが議長に訊ねた。
「70チンダルカです」議長が答えた。
「素晴らしい!」とズュロ同志は言った。「ですが私の思うに・・・」
 シェムシェディンがそれを遮った:
「マルメロは栽培していますか?」
[訳註;「マルメロ」の原語ftuaは学名Cydonia oblonga Mill.。西洋花梨、木瓜とも]
 それは品の無さ[訳註;原語harbutはオスマン帝国で下層階級の異民族に対する蔑称。転じて「蛮人」「無作法者」]故の態度だった。ズュロ同志は、シェムシェディンめまた別の話題に飛躍したな、と思った。こんなあからさまな侮辱はズュロ同志も予期していなかった、この村の只中で、それも自分が格闘し打ち負かした議長の面前でだ。どういうつもりなのだこのシェムシェディンは、自分が何かしら重要人物だとでも?
 シェムシェディン同志はテーブルの上で動き回っている蝿を手で払った。
「殺虫剤は町から持ってきていますか?」と彼は議長に訊ねた。
「はい、はい」議長が言った。
「結構、では行きましょうか?」とシェムシェディン同志は言った。
 だが彼は立ち上がらなかった。座ったまま夜空の星を、それから給仕と瓶ビールを眺めていた。
 シェムシェディンは実際的な人間らしかった。その顔には脂っ気がなく、両頬の真ん中は大きくくぼんでいる。人相学的にこういう人間からは、生涯を通してタバコを吸い辛酸を舐めていそうな印象を受ける。その顔はまるでニコチンが染みついているようだ。人差し指と中指[訳註;アルバニア語には特別な語がないらしく、原文は「人差し指とその隣の指」]は、ニコチンで赤みがかった黄色になっている。こういう人間は出ていくたびにタバコを吸う。たぶんタバコへの何かしら強い欲求などないが、習慣になっているから吸っているのだ。こういう連中は、職場を-就業時間通りに正確に-引ける時でさえ、職場の中央口で君を見つけようものならとっつかまえて、仕事を始めとして人生の何かしらを語って聞かせようとする。連中は言うのだ、某所へ行った時は問題点をよくわかっていない何某を粉砕してやったと・・・その黄ばんだ鼻の両側で汗ばんでいるのはごく僅かなものだ。ところどころに汗の玉が点々と吹き出している。それ以外の顔の部分には汗ひとつかいていない。腋の下はびっしょりだ。こういう人間の大部分は役者みたいなものだ。君をからかうというその役割を演じているかも知れない。こういう連中が君を罵るのは、君を嘲笑してのことかもしれないし、君と親密であろうとしてのことかもしれない。それどころか君を「けだものめ」「厄介な奴め」「犬畜生め」[訳註;逐語訳は「家畜」「俺たちの頭を悩ませるな」「犬よ犬の子よ」]とまで呼ばわるのだ。そしてそれらの言動で君を催眠術にかけるので、君は諍いを避け、連中の言うことを受け入れるのだ。だが連中と連れだって散歩なぞすれば、こういう困難に直面する:話しながら君は小突き回され、進むこともままならない。君が何か意見を言おうものなら連中は声高に反駁し、最後まで話すことすら許さない。そうして、そんな態度が習い性になってしまっては、たとえ一緒にいるのが大物だろうと、連中はその相手に反駁し、罵声を浴びせる。だがそれがじゃれつくような反駁の仕方なものだから、大物はこう言うのだ:『まあまあ、こういう奴なんだよこいつは!』
 そんなことを、ズュロ同志はシェムシェディン同志について考えていた。私にそれを話してくれたのは後のことで、一緒にティラナに戻る途中のことだった。最初、その手厳しい見解を聞いた時私にはどうもピンとこなかった。だがやがて、ズュロ同志こそシェムシェディン同志のことをよく知っているのだし、それが客観的な見方に違いないと思うようになった。それに忘れてはいけない、ズュロ同志は熟練の心理学者でもあり、人の心の機微にはことのほか精通しているのだ。当然、こういう見解の中にも、客観主義の一端が顔をのぞかせているに違いない。シェムシェディン同志がズュロ同志を相手にしようとしなかったことで、ズュロ同志は私の眼前にその解剖所見を示してくれたわけだ。言葉の脱穀場でもシンプルな算術を用いて、我々は一般的な論調の中からその見解の主観主義的な部分を差し引いていく、そうすれば残りの取り分が同志シェムシェディンにぴったり合うというわけだ。
 こうして、ズュロ同志が人間の性格に対する研究分析を深化させている間に、シェムシェディン同志は協同組合議長の腕を摑んで我々より先に出た。
 ズュロ同志と私はその後に続いた。階段のところで、議長はシェムシェディン同志を先に遣り、その後に彼自身が続いた[訳註;独訳では「議長はシェムシェディン同志に先を譲った、我々にではなく」と意訳されている]。だが教師たちの方は、ズュロ同志と私の二人が先に出るまで待っていた。
 何なのだ、一体、議長とシェムシェディン同志の側におけるこの敬意の欠如は?もしや議長はシェムシェディンに、農村生活の社会的・文化的水準の向上を巡る話題での諍いや、ズュロ同志からの直言について話したのではないか?これはまた何と恥知らずな!ズュロ同志よりもシェムシェディンなんぞの言うことを聞くとは!
 我々二人は数歩後の距離を保っていた。ズュロ同志が近付いてきて私の腕を摑むと、他人の話など聞かぬかの如きのんびりした口調で語った:
「我々は自分が精神病かと気にすることはない。そんな恐ろしい病が迫っている感覚もないし、自らを守るための予防策を講ずることもない。だが時に我々は賢明さを以て振る舞っているつもりでも、その実、精神病者のごとく振る舞っている。終わったことを時間が経ってから気になり出して、誤りを犯したように思う人たちもいる(実際それは精神の病が引き起こした誤りなのだが)。だが、自分の精神病が重症でもそうは思わない人たちもいて、それゆえ誤りに誤りを重ねてしまう。個人の誇大妄想狂だって或る種の精神病で、それに罹った者が笑いものになるどころか、社会にも相当な害を及ぼすかも知れない。そういう病を背負った者、患者と呼んでもいいがね、それは何の先ぶれもなく害を為すんだ。どうもシェムシェディンは精神の病を抱え込み始めているようだ;彼は誇大妄想の感覚に苦しみ出している。誇大妄想どころか、愚昧にもなりかけている。彼の乾杯の辞を聞いたかね?乾杯の辞は弁論を学ぶ場でもある。乾杯を通して村人は演説を学んできた・・・」
「そう、そうだ、もっと違う態度で我々に接するべきだよ」私はズュロ同志の意見に、とりわけ乾杯を巡る立論に思うところ大で、感服して言った。
「もしあの態度が精神病の結果としてのものなら、性急に彼の責任を問うべきではないよ。ただ一つ、責任を問うべき点がある:どうして予防策を取ろうとしないか?だ」ズュロ同志は言った。
「たぶん病気と思っていなんだ」私は言った。
「君の言うことも一理ある」彼も同意した。「だがシェムシェディンについては、私は例の民謡の二行詩で特徴付けられると思うね:ガラン、ゴロン、大きな鈴が鳴る、ミルクは半オカ![訳註;この歌詞は「ズュロ同志、民謡歌手を招待する の巻」で既出→☞」そして大声を上げて笑った。
 私は目を見開いた。ズュロ同志はアラニトの言ったことを引用している。ほんの少し前に、その二行詩をアラニトがズュロ同志に語っていた。不思議な話だ、ズュロ同志はそれを憶えていたのだ、彼はその詩が気に入らなかったし、それが原因でアラニトと揉めていたというのに。
 その時、シェムシェディン同志が振り向き、立ち止まった。議長も、教師らも立ち止まった。ズュロ同志は私に目配せした。
「気付いたな!」
「ほら行くぞ、ズュロ、もうくたびれたのか?」シェムシェディンが声を上げた。
「今行くよ、シェムシェディン、今行くとも」と冷淡にズュロ同志は言った。
「行くぞ、浴場に火も入っている。一緒にひとっ風呂浴びよう」シェムシェディン同志が言った。
 議長と教師らが笑った。その笑い声がズュロ同志には気に入らなかった。ふん!こいつら実際のところは、ズュロ同志が組織化しようとした活動本を示そうという活動を、笑いものにしているじゃないか!確かに、シェムシェディンは知性的なことも嫌がっている。彼はこういう類の活動が重要だと思っていないのだ:やれよ、シェムシェディン、やるんだよ!
 だがズュロ同志はそれを顔には出さず、彼らの笑いを沈黙でやり過ごした。彼はシェムシェディンの傍まで行き、腋から手を回してきた。
「おい、議長との話はどうだった?」とシェムシェディンが、今度は底意なく訊ねてきた。
「悪くないね」ズュロ同志は言った。「ちょっとした衝突はあったが」
「仕事のためですよ」議長が言った。
「なあズュロ、聞いたかね?ティラナから電話があったんだ。君に緊急で戻ってきて欲しいんだとさ。さっきの席で言わなかったのは、君のユーモアを邪魔したくなくてね。ここ数日、農村文化の諸問題について緊急の会議が開かれているんだ。君なら報告できることもあるだろう」シェムシェディンは言った。
 私は落胆した。あらゆる報告が私の両肩にかかっている。この村の山や野原で平穏を感じつつ、だがここでも度々、報告書の影がちらつくのだ。ああいや、勿論、Q同志に頼んで暇を貰って、「記者論壇」[訳註;原語Tribuna e gazetaritはアルバニア記者同盟の機関誌]で編集員として働かせて貰わねばなるまい。私は半人前だ!道を間違えたのだ!
「だが、そんなに緊急とは?」ズュロ同志が訊ねた。
「さあてね」シェムシェディンが言った。
 議長と教師らは、また後で会いましょうと言って立ち去った。我々三人は畑の中を歩いた。小麦がところどころで束にして積まれていた。シロツメクサを収穫したばかりの広い畑地で、牝馬と美しい仔馬は草を食んでいなかった。
「シェムシェディン、仕事はどうかね?退屈してないかね?君、家族は連れてきてないんだろ。家族なしは辛いよな。数日前に奥さんと会ったよ。元気だったよ」とズュロ同志は言った。
 シェムシェディン同志は嘆息した。
「またティラナに戻れるだろうという話は出回っているんだ。上から呼ばれて、通知らしきものもあった、だが全然何も決まっていない」とシェムシェディン同志は言った。
 ズュロ同志の右手がぴくりと動いた。どこで働くというのだ、シェムシェディンが?彼の座にはズュロ同志が座っている。一体シェムシェディンは元の場所に再び戻れるのか?ならズュロ同志はその時どうするのだ、ええ?
「誰に呼ばれたのか、よかったら聞きたいんだがね」そう訊ねつつ、ズュロ同志はシェムシェディンの脂っ気のない顔をじっと凝視した。
「そりゃQ同志さ」シェムシェディンは言った。
 ズュロ同志は心をぐさりとやられた。
 上層部でQ同志は文化とイデオロギーを担当している。なるほどそうか!シェムシェディンはイデオロギー部門に行くんだな。Q同志の手助けがあったのか?いや!まるでそれは・・・え?するとズュロ同志の代わりに・・・
「官僚機構の力学か・・・」とズュロ同志は溜め息をついたが、シェムシェディンはうっすら狡猾な笑みを浮かべていた。
「官僚機構の運動、官僚機構の調和・・・」と言葉を継いだシェムシェディンの、狐のような薄ら笑いはそのままだった。
「何?何だって?ええ?」ズュロ同志は何気なく訊き返した。
 そんな問いかけがひとしきり行き交った。それらはまるで玉蜀黍とシロツメクサの畑から飛び出して、彼の前に投げ出されたかのようだった。それらはまるで真っ赤な西瓜の中心から、メロンの種の塊の中から出てきたもののように、彼の頭の周りに群がり、心落ち着かせることがなかった。
「うまくいくといいな」ズュロ同志は言った。
「こういうのには慣れたよ、ズュロ!離れ離れとは残念だな、そうだろ?」シェムシェディン同志が言った。
「勿論さ」
 私の頭は報告書の件にかかりきりで、二人の会話は霧の中を通して聞いているようだった。
「テペレナまでは私の車で行きたまえ」シェムシェディン同志が言った。
「頼むよ。こっちの車が来るのは四日後なんだ。帰してしまったからな。何だって運転手を無駄に引き留めておけるかね?」ズュロ同志は言った。
 我々が長々と散歩をしていると、議長がやってきて、自分の家で休息して、何か飲みながらお喋りでもしないかと誘ってきた。
[訳註;ここから先は決定版で加筆された]
 人生において、緊急の場合を完全に取り除くことはできない。会議もまた緊急に開かれることがある、この記録の中で言及するまでもないようなその他のことも同様だ。私とズュロ同志は急いでティラナへ戻ることになった。実際、ズュロ同志は会議について考えている時は私より落ち着いていた。落ち着いていなかったのは他のこと、例えばシェムシェディンがティラナにまた戻ってくるという話題について考えているような時だった。だが、テペレナからティラナまでの道中、我々二人は別のことについても思いを巡らせていた。緊急に呼び出されたのは、アフリカ会議の件があるからではないのか?恐らくシェムシェディンには秘められた事実を知らせたくなくて、それで会議を一つでっち上げた・・・そんな事柄が起きたのだ、しかもその問題が対外政策に関わることなら尚更だ。
「ことによると、我々はアフリカに出発しろと言われるかもな!」ズュロ同志が考え深げに言った。
「私も、アフリカ行きはありそうな気がするな!」私も言った。
「そう思うかね、ただ演説についてはまだ考えていないし[訳註;逐語訳は「火に水を入れない」、転じて「気にしない」「頭を悩ませない」]・・・」ズュロ同志は言った。
「浴場の重要性の演説の件はどうなったっけ・・・」
[訳註;原文は「演説の水はどこへ行ったやら」で、トルコ語訳では「演説の原稿は採用されなかった」と意訳している]と私がまぜ返すと
「デムカ!」ズュロ同志は憤慨した。

(第2部につづく)


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