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イスマイル・カダレ 『石の町の記録』



 ここは奇妙な町だった。まるで、と或る冬の晩に谷間に突如出現した有史以前の生物が、精一杯に這い回り、山の面にしがみついているように見えた。何もかもがこの町では古く、そして石造りで、道路や噴水を始めとして、年代物の大きな家の屋根に至るまで、巨大な鱗にも似た灰色の石板で覆われていた。その強靭な鎧の下に、命を持った柔らかな肉体が息づき、新生されているとは信じ難いものがあった。
 初めて訪れたどんな旅人にも、この町は比較への欲求を起こさせたが、じきに旅人は罠に嵌まり、町は比較を放棄させてしまうのだった、何故ならここは何処とも似ていない町だったのだから。ここは比較をしても長くはもたず、雨も、雹も、虹も、望楼の上に現れては消える色とりどりの外国の旗も長くはもたないのと同様、一過性で非現実のものであり、かつ永続的にして確たる存在がこの町であった。
 ここは急勾配の町であり、たぶん世界一勾配が急で、どんな都市計画法でも匙を投げてしまうほどのものだった。この勾配の大きさ故に、或る家の屋根の位置に別の家の土台が来るようなこともあったし、通行人が転んで落ちるのが道端の穴ではなく何処かの高い家の屋根の上かも知れないという点でも、確かにここは世界で唯一つの場所だった。こうしたことは誰よりも、酔っ払い連中にはよく知られた話だった。
 実際、大いに驚くべき町だった。君が通りを歩いていて、もしも望むならだ、腕を少しだけ伸ばせばミナレットの先に帽子を被せることだってできるだろう。ここでは多くのことが信じ難く、そのどれもが夢の中にいるようなものだった。
 人間の暮らしをその手足と石の殻の下で保護することは困難を極め、町は望まぬとはいえ多くの痛みを、擦り傷や打ち身を引き起こしていたが、それは、ここが石造りの町であり、どう触れようとざらざらとして冷たいものである限り、当然のことだった。  この町で、子供である
[訳註;原文は2人称単数]のは難しいことだった。





第1章

 外では冬の夜が、あらゆるものを水と霧と風で包み込んでいた。毛布に頭を突っ込んだまま私は、我が家の大きな屋根に当たる雨粒の、くぐもった単調な音を聞いていた。
 私は思い浮かべていた、無数の雨粒が今、傾斜した屋根の上を転がり、我先にと大急ぎで地上へと落下し、そこから蒸発して再びあの高く、真っ白な天へと駆け上ろうとする様を。雨粒たちは知らない、屋根の軒先にはブリキの樋という、未知なる罠が待ち構えていることを。軒先から地面へ落下しようとしたまさにその瞬間、雨粒たちは突如として狭い樋の中に身を置かれ、幾千また幾千の仲間らと、不安げに訊ね合う:『ここから何処へ行くの、私たちは何処へ連れていかれるの?』そして、狂気じみた奔流に身を立て直す暇もなくいきなり、深く真っ暗な牢獄へ、我が家の水貯めへと落下していくのだ。
 こうして雨粒の自由かつ歓喜に満ちた人生は終わりを告げる。その暗く、音も届かぬ水貯めの中で、雨粒たちは以後、悲しみと共に、二度と再び見ることのない天空の広がりを、眼下の驚嘆すべき町々を、稲妻に満ちた地平線を思い起こすことだろう。ただ、私が時に遊びがてら、手鏡の面から掌ほどの小さな空の欠片を送ってやるようなことでもあれば、それが大空の僅かな名残りとして、水面を跳ね回ることだろう。
 そんな雨粒たちが、うんざりするほど何日も何か月もかけて流れ落ちると、今度は私の母が桶を使い、その暗闇で怯えおののいている者たちを汲み上げ、そうして私たちの衣服や、家の階段や廊下を洗うのに使うのだ。
 だが今この時、雨粒たちは何も知らぬままだ。今、雨粒たちは歓喜と喧騒に溢れて石の屋根板を駆け回る、そして私だけが夜具に頭を被ったままそれを哀れんでいる。
 雨が三、四日も降り続くと、父が雨樋をずらして、水貯めが度を越えて溢水しないようにしていた。水貯めは大きなものだった。それは我が家の面積のほぼ全体を占めていて、もし決壊しようものなら浸水は先ず家の丸屋根に、そこから家の土台にまでも押し寄せるだろう、何故なら我が町は傾斜が急だし、この町ではどんなことでも起こり得るのだから。
 そんな中、牢屋を辛抱するのが難しいのは人間と水とどちらだろうなどと私が考えていると、祖母の足音と、続いてその声が隣の部屋から聞こえてきた:
「起きて、起きてちょうだい、樋を外すのを忘れてたわ」
 両親はぎょっとして眠りから飛び起きた。父は暗闇の中を駆け出し、白く丈の長い下着姿のまま、角窓を開けると細長い棒で樋をずらした。水が中庭の方に落ち始める音が聞こえた。
 一方、母は石油ランプに火をともし、父と祖母と一緒に階段を下りていった。私は窓際に近付き、どうにか外を見ようとした。風が雨を激しくガラスに打ちつけ、家の古いひびが唸り声を上げた。
 私は我慢できなくなり、下がどうなっているか見てみようと階段を下りていった。三人は不安げで、私にも気付いていなかった。水貯めの上の木製の覆いを外して、中がどうなっているか覗いてみようと四苦八苦していた。母はランプを持ったままで、父は底の方を見つめていた。
 私は体が震えるのを感じて、祖母の服にしがみついた。祖母は私の頭に手をやった。外側と内側の門が風でバタバタ音を立てた。
「まあひどいもんだこれは!」と祖母が言った。
[訳註;「ひどいもんだ」の原語kiametはトルコ語kıyametに由来し、「審判」「黙示録」から転じて「混乱」「悪天候」]
 父は、身を屈めたまま、水貯めの中を覗こうと苦心していた。
「ちょっと新聞持ってきてくれ」父は母に言った。
 母が新聞を持ってきた。父はその新聞を束ねて火をつけると水貯めの中に放り込んだ。母が小さな声を上げた。
「水が縁のところまで来ている」父が言った。
 祖母はぶつぶつと祈りを唱えていた。
「早く」父が叫んだ。「ランタンをつけて」
 母は、蠟のように青白くなって、ランタンに火をつける手も震えていたが、父は頭から黒い外套を被り、ランタンを受け取ると、門を開けに行った。母も古着を頭から被り、後に続いた。
 外で、雨音に混じって、かすかに門のきしむ音が一つ聞こえた。そして一つ、また一つ。
「心配しなくていいよ」祖母が言った。「ご近所さんが水を汲み出しに来てくれるよ、水貯めも大丈夫だよ」祖母の口調はあやすような、殆どお伽話か何かを語るようなものだった。「どんなこの世の悪いことにも癒しがあるよ。ただ死だけはね、どうしようもないよ、坊や」
 私は水貯めの縁に近付いて、底を覗き込んだ。暗闇。暗闇と不安。
「おうい」私は小声で呼びかけた。だが水貯めは何も答えなかった。返事をしてもらえなかったのはこれが初めてだった。私はこの水貯めが大好きで、何度もいろんなことを、縁に身を屈め、話して聞かせていた。水貯めはいつも待ち構えていて、深く、引きずるようなその声で、私に返事をしてくれたのに・・・
「おうい」もう一度呼んだが、水貯めは今度も黙ったままだった。これはつまり、ひどく腹を立てているから返事をしたくないのだ。
 その時私は、無数の雨粒が互いに自分たちの怒りを、その下にある水貯め目がけて集結させている様を思い浮かべていた。ずっと前から臥せっていた年老いた雨粒たちも、若い者ら、今夜の嵐に猛り狂う雨粒らと共に結集し、悪事を為そうとしているのだ。父が樋を外し忘れていたのは、実にまずかった。暴風雨の水が我が家の忠実なる水貯めになだれ込み、反乱を引き起こすなど、決して許してはならなかったのに。
 門の方で物音がして、一人、また一人、びしょ濡れで入ってきた:ヂェヂョ、マネ・ヴォツォ、そしてナゾとその嫁だった。それから父が入ってきて、その後に続く母は、寒さに身を震わせていた。門がまたきしむ音を立て、ヤヴェルがナゾの息子マクストと共に、めいめい大きな桶を手に駆け込んできた。それだけの人数を見た時、私は心が温かくなった。綱が、鎖が、桶がきしんで音を立てた。私は、それら容器の鳴る音が自分の心から不安を取り除いてくれるような気がした。私は階段のところで、人々が騒々しく立ち回る様を見ていた:マネ・ヴォツォは、長身でひょろりとしていて髪は真っ白、ナゾの息子と美人の嫁は眠そうな目をしていて、ヂェヂョは、息も絶え絶えだった。マノ・ヴォツォとヂェヂョとナゾは桶を次から次へと引き上げ、父や他の者たちは、それを中庭の入口にぶちまけていた。外では雨がずっと土砂降り[訳註;原語は「水差しの雨」]で、時折ヂェヂョは鼻声でこう言っていた:
「あらまあ、ひどいもんだこと!」
 容器が空になるたび、私は水に向かってひとりごちていた:『行っちまえ、こいつめ、うちの水貯めにいたくないんなら』どの桶も、幽閉された水の粒で満たされて、私は、まずは特にたちの悪い、厄介者の雨粒たちが取り出せるならいいのにな、そうすれば危険も少なくなるのに、と思うのだった。
 ヂェヂョは休憩のため脇に退くと、タバコに火をつけた。
「聞いたかい」ヂェヂョは祖母の傍に来て言った。「チェチョ・カイリの娘に髭が生えたとさ」
「まあ馬鹿々々しい!」[訳註;逐語訳「場を動かせ」]祖母は言った。
「この両眼に賭けてさね」ヂェヂョは言った。「真っ黒な髭がね、まあ、まるで男みたようなね。そいで親父さんが表に出させないんだとさ」
 私は聞き耳を立てた。私はその娘を知っていたし、確かにもう長いこと路上で彼女を見ていなかった。
「ふう、ねえセルフィヂェや」ヂェヂョは呻き声を上げた。「縁起でもない、まあ縁起でもないよ!何とまあ良くないしるしを寄越したもんかねえ神様も!そら、今晩のこの忌々しい雨だって」
 3か月前に結婚したナゾの美人嫁を目で追いながら、ヂェヂョは何やら小声で祖母に話していた。祖母は唇を噛み締めていた。私は話を聞こうと近付いたが、ヂェヂョはタバコを捨て、井戸の縁へと歩いて行った。
「もう何時かね?」マネ・ヴォツォが訊ねた。
「夜半過ぎだ」父が言った。
「じゃコーヒーでも淹れるよ」祖母はそう言うと、私を連れて行った。
 私と祖母が階段を上っていると、門がきしむ音が聞こえた。
「まだ人が来てくれたね」祖母が言った。
 誰が来たのか見てやろうと首を伸ばしたが、無駄なことだった。廊下は薄暗く、壁伝いに動く影の輪郭はぼんやりとして恐ろしく、まるで悪夢の中のようだった。
 私と祖母は三階に上がった。
 祖母は冬の間[訳註;伝統的な家屋の、壁に暖炉がある部屋]で火を起こした。私は眠りに就いた。
 外では暴風雨が咆哮を、煙突たちが生き物のように呻き声を上げていて、私は、我が家の土台の下にあるのが強く確かな大地ではなく、水貯めの中の真っ黒で不実な水である様を思った。
 悪しき時、混迷の時、ああ、敬愛する貴女よ、この不実の時代。混迷そして混迷、だが炎が発する心地よい音の中、眠りは私を包み込み、そこかしこで大人たちから聞こえてくる言葉や会話の端々は憶えていたが、その意味するところは水のごとく流れ去るのだった。
 目覚めた時、家の中は静まり返っていた。父も母も寝入っていた。私は物音を立てないように起き出し、時計を見た。九時だった。隣の部屋へ行ってみたが、祖母も眠っていた。家族全員がこんな時間まで寝ているのは初めてだった。
 嵐は止んでいた。私は広間の窓際に近寄り、外を見た。空は高く寒々として、灰色の、微動だにしない雲に覆われていた。水は、夜の間に水貯めから汲み出され、恐らくもう蒸発して、あの高い雲へと上り、そこから陰鬱に重々しげに、屋根と暗灰色の大地を見つめているだろう。
 下の街並みに視線を落とした時、最初に目に入ったのは氾濫した川だった。確かに、氾濫もするだろう。あんな夜だ、それ以外のことなど起こりようがない。一晩中、川はいつも通り、まるで乗り手を振り落とし殺そうとする暴れ馬のように橋を取り払おうと試みていた。その夜の川の野蛮な試みを何よりも物語っていたのは、その血まみれの背中だった。橋こそまるで取り払えていなかったが、川はいつも通り、自動車道を水没させ、吞み込んでいた。もう道路は見えなかった。そして道を呑み込み桁違いに膨れ上がった川は、自らの腹の中でその消化までしてしまおうと悪戦苦闘していた。だが道路は頑強だった。道路はそうした不意の攻撃には慣れっこで、今も確かに、興奮して真っ赤になった水の下で冷静なまま、相手が退くのを待っていた。
 馬鹿な川だ、私はそう思った。冬になるといつもこの町の足に噛みつこうとする。だが必死になって危険に見せようとしたところで、それは大したものではなかった。もっと危険なのは、山から流れてくる細流の方だった。それらも川と同様、町に噛みつこうと躍起になることがあった。ただ川が膨張し、傲慢にふんぞり返って町の足元へ押し寄せるのに対し、細流は卑怯にも町の背後から襲い掛かるのだ。この細流たちには普段は水がない。山の面にあるその姿は、息絶えて干からびた蛇に似ていた。ところが或る嵐の夜、突然、細流たちは息を吹き返し、膨れ上がり、シューシューと息を吐き、ピチピチと鳴き、咆哮を上げる。そら、ついに山の斜面を駆け下る、怒りに己を忘れ、犬の名みたいな短い名前(ツロ川、フィツォ川、ツファカ川)を携え、壊れた土手や石を巻き込みつつ、足早に、町の上層の方から押し寄せるのだ。
 夜の間に一変した景色を見て私は思った、この川は橋を憎み、自動車道は確かに川を憎み、細流は壁を憎み、風は自分の怒りに立ちはだかる山を憎んでいる、そしてそれら全てが、こうした破壊的な苛立ちの渦中、それを意にも介さぬまま濡れて横たわるこの町を、憎んでいるのだと。私はこの町が好きだった、何故ならこの戦いの中で、この町は孤独だったから。
 彼方に視線を向けたまま私は、ゆうべの嵐とチェチョ・カイリの娘の、不意に記憶に蘇ってきた真っ黒い髭の間に何の関係があるのか、一所懸命考えた。それから、頭に浮かんだのは水貯めのことだった。私は起き出し、階段を下りていった。渡り廊下は水浸しだった。桶と綱が脇にまとめて置いてあった。それもあってか、全てが一層沈黙の中にあるような気がした。私は水貯めの縁に近付くと、覆いを外して頭を屈めた。
「おうい」私は、化け物か何かを起こしはしないかとびくびくしながら、ゆっくりと呼びかけた。
「おううい」と水貯めが、耳慣れない、かすれた声でしぶしぶ返事をした。それはつまり水貯めが腹を立てているということなのだろう、とは言え完全にわかったわけではない、というのもその声は普段より聴き取りづらかったからだ。
 再び三階の広間に上がった私は、どれほど遠くか定まらぬ彼方に虹が出ているのを目にして微笑んだ、それはまるで山と、川と、橋と、細流と、自動車道と、風と、町との間に交わされたばかりの和平条約のようだった。それがかりそめの和平なのだと理解するに難くはなかったが。





「そらフランスとカナダだぞ、俺にはルクセンブルクを寄越せ」
「おい何だ!お前ルクセンブルク欲しいのか!」
「そっちがよければな」
「お前のアビシニアくれよ、代わりにポーランド二つな、それだったら考えてやる」
「アビシニアはやらないよ。フランスとカナダ持ってけよ」
「ダメだ」
「だったらインド返せよ、昨日ベネズエラの代わりにお前にやっただろ」
「インド?ああ持ってけよ!何でインドなんか欲しがったんだ俺?本当言うとさ、ゆうべはしまったと思ったよ」
「トルコのこともしまったとか思ってないだろうな?」
「トルコはお払い箱さ、お前に返すつもりだったんだ」
「じゃあいいや、俺もドイツはやらないぞ、昨日言ったけどな。びりびりにしてお前にはやらん」
「おい今頃かよ、俺はドイツなんて!」
 私たちは小一時間も言い争い、道の真ん中で切手の取り合いをしていた。私たちの諍いが頂点に達したその時、通りかかったヤヴェルが笑いながらこう言った。
『何だ、世界の再分割か?』






第2章

 訪ねてきたのはヂェヂョとカコ・ピノだった。二人は広間のマットレスに座り、コーヒーを啜りながら祖母と話していた。ヂェヂョは、落ち着きがなかった。祖母はまだ落ち着いている方だったが、それでも心中の乱れをまるで隠していなかった。カコ・ピノは華奢で、全身黒づくめで、小さな頭を絶えず揺らしながら、ヂェヂョが何か言うたび、こもった声で『ひどいもんだ』と繰り返していた。その会話に興味を惹かれて、私は耳をそばだてた。話題はマネ・ヴォツォの長男イサのことで、そのイサが先週、前代未聞のことをやらかしたという:眼鏡をかけたのだ。
「話を聞いた時はね、信じられなかったよ」ヂェヂョが話していた。「飛び起きてスカーフをかぶって慌ててマネ・ヴォツォのところへね。哀れなマネはしっかりしてたけど、女たちは顔色も失せてたよ。呆けたように固まっててね。訊こうにも訊きようがないよ。何を言おうったって思いつきゃしない。そこにあんた、入ってきたんだよイサその人が。眼鏡がまあ、ぴかぴか光ってて。やあどうも、お元気、ときたよ。私にゃ真似できないって思ったよ。まるでお通夜さ[訳註;原文M’u bë një komb në grykë.は「民が喉元に集まった」だが、それほどの沈黙と悲しみが周囲を覆っているという意味の慣用表現]。私は持ちこたえて、泣きゃしなかったよ、ああそうとも[訳註;ここは様々な翻訳で「どうして自制し泣かずにいたか知らない」となっているが、原文に否定語はない]。イサは壁の本か何か見てから、こっちに来て窓のところで止まってね、あんた、眼鏡を外してマットレスに置いたのさ。それで目を手でごしごしやったさ。母親も姉妹らも目が離せないさ。唇なんかぶるぶる震えててね。私はさっと手を伸ばして眼鏡を取ってかけてみたよ。まあ何て言ったらいいかね、あんたたち。気が遠くなるよ、って言ったさ。あれはそうさ、呪われたガラスだったよ。そこら辺ぐるぐる輪っかだらけ、まるで地獄の輪っかだったよ。ぐらぐら、がちゃがちゃ、ぐるんぐるん、何もかもがひっくり返ってひっかき回されて、まるで悪魔に呪われたようなもんだよ。大急ぎで外して、立ち上がって、狂ったみたいに逃げ出したのさ」
 ヂェヂョは深く息をついた。祖母がカップをひっくり返した。[訳註;トルココーヒーを飲んだ後、カップを皿の上でひっくり返して、流れた粉の筋で占いをする]
「何でそんなことをするかねイサも」祖母は悲しげに言った。「あんな利口な、賢い子なのに。あのラメ・カレツォ・スピリみたいなごろつき[訳註;原語birboは伊語]ならまだしも、ほらねえ、イサがねえ・・・」
「ひどいもんだ」カコ・ピノが言った。
「そういうわけでね、セルフィヂェや」ヂェヂョが話を継いだ。「だから言いたいのは、何だって私らにこんなわるいことばかり起こるのかってことさ。自分らが悪いんだよ、私らがね。昨日は紙で家を造った、今日は息子らが眼鏡をかける、明日はさて一体何が起こるやら。あちらの上の方にいらっしゃるお方がだよ」ヂェヂョは天を指差し、そしてその声は脅しめいたものになった。「あのお方は何もかもお見通し、何もかも書き留めてらっしゃる。そのうちしっぺ返しを喰らうだろうよ[訳註;原文は「鼻から引っ張り出す」転じて「仕返しをする、弁償金を払わせる」等]
「ひどいもんだ」カコ・ピノが言った。
 ヂェヂョが紙の家に触れた時、私は思わず「ジョベク」地区の方を見た、そこにあるのは炭殻コンクリ製の[訳註;英訳に拠る。原文では「繊維製の」]異様な家で、数週間前にイタリア人が自国の修道女たちのために建てたものだったのだが、今、石造りの灰色の家々の中に立つそれは、よそよそしく、浮いた感じだった。その建築は長いこと大勢の心をかき乱した。何なんだこの紙の家は、と世間を渡りトルコにさえも行ったことがある老女たちは言った。いろいろ見聞きしたけど、紙でできた家なんてまるで聞いたことがないよ。こりゃ悪魔の所業だね。
 今、彼女らはその恐ろしげな言葉でマネ・ヴォツォの息子を評していた、まるであの時の紙の家を評していたように。何だって、ああ恐ろしい子だよ、世間を何だと思ってるんだい[訳註;逐語訳「世界を別に見たがった」]?!何でそんな無法な真似をして、あたしたちの肝を冷やす気だい?!
 彼女らはその件についてずっと喋り、そして私は終始聞き耳を立てていた、というのもマネ・ヴォツォの息子がやらかしたことは、私自身の秘密とも関わりがあったからだ。私もまた、あの呪われしガラス製のものを幾度か目にかけてみたことがあるのだ。それを見つけたのは祖母の古い衣装箱で、それで遊んでいた或る日、目にかけてみた。驚くべし、私は目にしたのだ、たちまち世界がぐらぐらとなるのを。世界の境界線は容赦なく伸長し、収束し、鮮明なものになった。長いこと手で持ったガラスを目の前にかざしつつ片目をつぶって、私は家の外に広がる光景を見つめていた。それは奇妙なものだった。まるで目に見えぬ腕が、霧で曇った鏡のような世界を拭ったかのように、そこは今や私の眼前に、新しく、鮮やかに広がっていた。それなのに、この世界が私は気に入らなかった。噴き出る蒸気越しに、常にものを見ることに慣れていて、その姿形は境界線を確定させる規則に頭を悩ませることなく、自由に離合集散していたのだ。家々の屋根、路上、電柱に対して、その安易な移動を注文する者など誰もいないように思われた。それが今、丸いレンズ越しに世界は、その昔の姿のまま縮まり、貧相になってしまったように見えた。それは一軒の家に似ていた、そこでは油も水も小麦も一粒に至るまで計り上げられていて、超過することも、偶然に漏れ出すことも一切ないのだ。
 もっとも、このレンズは私が映画を見るのには大いに役立った。映画館へ行く前に、それを水で洗ってポケットに入れた。映画館で、照明が消えるやすぐさま取り出し、それから左目をつぶってレンズを右目の前にかざすのだった。映画館から家に帰ってきた時、どうして私の片方の目だけがいつも充血しているのか、誰にもわからなかった。或る晩、映画館までついてきたジプシー二人はひどく興味津々で、映画の間も何度か二人で囁くのが聞こえた:『あいつスパイじゃねえの?』
[訳註;「ジプシー」の原語は一般的なciganでなく、「エジプト人」に由来するとされるevgjit]
「ひどいもんだ」とカコ・ピノがまだ言ったが、今度は彼女らも経済難に関するありふれた退屈な会話を始めていて、それはこれっぽっちも聞く気になれなかった。それで再び、人間が目でしかものを見ることができず、指や頬やその他の身体の部分では見ることができないのはどうしてだろうと考えていた。結局のところ、目とは私たちの肉体の一部分でしかない。どうしてこの世界は目に入ってくるのだろう?どうして人間は、これほどの量の膨大な光と空間と色が、目を通して絶えず流れ込んできても破裂しないのだろう?長いこと私を悩ませたのは、見えるという謎だった。特に私を悩ませたのは盲目についてで、それをひどく恐れていた。そんな不安が生じるのはたぶん、話に聞いていた呪いの大部分が常に目に対して向けられてきたからだろう。前に洗面台[訳註;原語lavamanの由来は恐らくトルコ語lavmanだが、更に遡ると仏語lave-mains(手水鉢)]の排水孔が詰まったのを見た時は、それが視力を失った目のように見えた。そらこんな風に目が詰まっている、そう思ったものだ。光という水が、その中にたっぷり溶け込んだ光景共々、眼窩へは一切流れ込まなくなる、それが盲目ということなのだ。町の詩人[訳註;原語bejtexhiは二行詩を吟じる民衆詩人]ヴェヒプ・チョリはその眼窩の中に、まさにそういう濡れた暗闇を帯びていた。
 見ること。何と不可解なことだ!そうだ、私が町の下の地区に顔を向けると両眼は、まるで強力なポンプ二台のように、光と様々な景色を吸い込み出す:煙突、ぽつんと立つ無花果の樹、通り、通行人。彼らは私に吸い込まれているとわかっているのだろうか?目を閉じる。ストップ。流入が止まる。目を開く。流入が続く。
 疲労困憊の一夜の後で、家々の屋根は不自然なほど互いに接近しているように見えた。屋根板は濡れていた。石板が耐え難いほどの繰り返しで並び広がっていた。その上には薄暗い光が差していた。その下に曲がりくねった通りと路地の、そこを歩く人姿はまばらで、馬を連れた農夫、司祭、黒衣をまとい出歩く老女たちぐらいだった。
 ヴァロシ通りが必死の登り坂になっていた一方、右側のジョベク通りは勢いよく下っていて、それはイタリアの修道女たちのための炭殻コンクリ製の家を、まるでそこでペストが出たかのように離れた後、ヴァロシ通りとぶつかり、そしてその衝突で両者はねじ曲がってしまっていた。その先の愚者の小路、盲目で頑固なそれは、ほっそりとしたギムナジウム通り目がけて突き進んでいたが、相手はその寸前で巧みに衝突をかわすように、ほんの少し曲がっていた。そこで愚者の小路は下り坂になり、住宅地の只中を、まるでぶつかる相手を探し求めるかのように進み、そしてその動きの中でも、時に実に意外な、予想外な蛇行を見せるのだった。
 そんな蛇行の中に私は、マネ・ヴォツォのもう一人の息子で、私の大の親友イリルが姿を現わすのを待っていた。彼がやってくるのが見えると、私は階段を駆け下り、路上に出た。
「屠場へ行かないか?」イリルが言った。「まだ行ってないよな」
「屠場?そこで何するのさ?」
「何するって?牛とか羊をバラすところを見るんだよ」
「肉屋に何があるってのさ?僕ら市場で見てるじゃないか。肉が鉤からぶら下がってて、上向いてる足とか、下向いてる足とかだろ」
「市場のは違うんだよ」イリルは言った。「屠場はまた別さ。そこでは牡牛をバラすのが見られるんだぜ。そこには値段でもめる厄介な買い手連中なんか全然いないんだ。わかるかい?それこそ屠畜場なんだ」[訳註:「屠場」は動詞ther(切る)の派生語thertore、「屠畜場」はトルコ語に由来するkasaphanë]
 「屠畜場」という言葉は近頃は常に、一層頻繁に使われる言葉の一つで、一つの意味を持ってはいたが、余りはっきりとしたものではなかった。
[訳註;kasaphanëには「虐殺」「殺戮」の意味もある]
「先週、牡牛が肉屋から逃げ出してさ、恐ろしい勢いで走っていって」イリルの話は続いていた。「肉屋の連中総出で追いかけて力任せに叩きまくって、とうとう牡牛が階段から落ちて背骨を折ったんだ。それを大人たちが大勢出ていって、何が起きたか見てたのさ」
 確かに、町で何か見物できそうな場所といったら、片手で数えられそうなものだった。映画館のような不真面目で薄っぺらい奴らが行く場所を別とすれば、殴り合いの喧嘩を、それも日曜日に見られる確実な場所が二箇所あった:ジプシーの居住区と、荷役人夫が市場での儲けを分け合うモスク裏の広場だった。それ以外で殴り合いとなると時たまで、場所の予想もつけようがなかった。それに近頃は、殴り合いの大半が、当事者らが乱闘前に宣言した通りのものにならないのだった。二、三度こんなひそひそ話を聞いたことがある:『やれやれ、俺たちの頃なら、へし折ってやったもんさ[訳註;逐語訳「木がところどころ鳴った」]』そしてがっかりし立ち去るのだった。ただジプシーと、そしてとりわけ荷役人夫だけは、何の深謀遠慮もなく殴り合い、開始時の約束をほぼ完全に守ってくれるのだった。
 屠場はどうやら、新しい娯楽であるように思われたので、私はそれ以上反論しなかった。
 石畳の路上を上っていくと、ヤヴェルと、ナゾの息子マクストが下りてくるのに出くわした。一言も口をきかず、腹を立てているように見えた。私たちにも何も言わなかった。ナゾの息子は少しだけ目が突き出していて、それを見るたびとても嫌な気分になるのだった。いつぞや一人の女が隣にいる相手に「どこに目つけてんの」[訳註;逐語訳は「あんたの目玉は出ていった」]と二度も続けて言っているのを聞いて、すぐさま思い出したのが彼の目のことだった。今では道で彼に会うたび、その目が飛び出して地面に落っこちそうな気がした、そうなったらそれらが石畳の上をころころ転がっているところを私がつい踏んづけて、目玉を破裂させてしまうだろうと。
「何だ?」イリルが言った。「何で顔をしかめてる?」
「ナゾの息子のせいさ。あいつを見るとどうにも嫌な気分になる」
「イサもそう言ってた」イリルは言った。「この前も、あいつの名前を言ったら顔をしかめてね、そら、今のお前みたいにさ」
「そうか?てことはイサも、あいつの目玉が飛び出て地面に落っこちるとでも思ってるのかな?」
「何言ってるんだそれ?」
 その話はもう続けたくなかった。
 私たちのいる方に、肩に毛布を羽織り、手に布巾にくるんだパンを抱えて歩いてきたのは前科持ちのルカンだった。
「ようルカン、牢屋から出てきたのかい?」通りすがりの誰かが声をかけた。
「出てきた、出てきたさ」
「今度はいつ戻るかな?」
「そうさな、牢屋は男たちのもんだからな」
 トルコの時代から今日まで、前科持ちのルカンは何十回も微罪で牢屋に入れられてきた。それでみんな彼が、牢のある通りを、茶色の毛布と、布巾に包んだパンを片手に下りてくることを知っていたのだ。
「ルカン、出てこられたのか?」また誰かが訊ねた。
「出られたさ、おかげさんで」
「何でその毛布を牢屋に置いていかないんだ、お前さん、どうせまたあっちに戻るんだろ?」
 ルカンは何やら罵り出した。離れていくほどにその声は大きくなった。
 私たちは町の中心部へ歩いていた。通りは耳慣れない喧騒に溢れていた。市場の日だった。あちこちの農夫が中央広場に押し寄せていた。馬たちの蹄がごろごろ鳴り、滑り、石に当たって火花が散った。上り坂で農夫たちは馬の手綱を摑み、自らの身体を、汗を、荒い息をその家畜らと一つにし、馬が坂を駆け上がるのを手助けしていた。
 道の両側の、大きな家々の窓は固く閉ざされていた。その窓の奥の、柔らかな敷布をまとい横たわる高貴な夫人らは今頃きっと、通りから漂ってくる農夫たちの臭気に不満を訴え、鼻を手で押さえ、顔色を失い、嘔吐しそうになっているのだ。彼女らは太っていて、顔は色白で丸くて、町なかを出歩くことも非常に稀だった。今はひどく不機嫌らしい、というのもギリシアとの国境が閉じられていて、痛風に効くヨアニナの鰻が食べられないからだそうだ。更に農夫たちのことを彼女らは誰かれ構わずキチョという名で呼んでいて、そのキチョなる名の前には欠かさず、まるで手洗いに立つ時のように「失礼ながら」とつけるのだったが、他方では自分らが生きるこの時代にひどく苛立っていて、並んでマットレスに座り、コーヒーを何杯もすすりながら、王制時代の復活を待ち望んでいるのだそうだ。
 映画館の広告の前に立ち、通行人を目で追うイタリア兵が数名。店の看板が並んでいる。錫メッキ。床屋。居酒屋「アディスアベバ」、製油。時計修理[訳註;旧版では「馬具、酢」]。「命令」の言葉で始まる貼り紙が一枚。「布告」で始まるものも。
 私たちは先へ進んだ。賭場は既に近くだった。羊の鳴き声は聞こえず、血の臭いもせず、屠畜を告げる看板もどこにも一枚も見当たらなかった;それでもその場所がもう近いことはわかった。そこかしこに静寂と、そして十字路の或る種の人けの無さは、他でもなく、それがすぐそこまで来ていることのあらわれだった。私たちはセメント仕立ての階段を上り始めていた。濡れたその階段は磨き上げられていて、普通の石造りの階段とはまるで似ていなかった。ひどく急な階段で、蹴り上げ部分には何の装飾も意匠もなかった。私たちはやっとの思いでそこを上がっていった。その先には墓場の静けさがあった。人の声も、獣の鳴く声もない。だが何をしているのだ、彼らは?私たちは遂にたとり着いた。万事は済んでいた。彼らは立ったまま、無関心な表情で、そして何かを待っていた。身なりは上等で、白いシャツの襟を留め、ネクタイをしていた。うち何人かはボルサリーノ帽をかぶっていた。古びたシリンダー帽をかぶっている者もいた。その人物は時計を見ていた。
 水のしゅるしゅる流れる音が聞こえた。一人が黒いゴムホースで広場を洗っていた。別の一人がそれを箒で側道へ押し流していた。水の流れは私たちの足元に当たって分岐した。私たちは下を見るや飛びのいたが、しかし手遅れだった。広場は血の海だった。全てが私たちの到着する前に為されていたことは明らかだった。だがしかし、人々はそこを動かなかった。それはつまり、また別の解体が準備されているということだ。大きな血だまりの上で激しく泡立つ水は、セメントの階段から血を取り除き、その立ち上がることを許さぬまま共に連れ去った。
 そうして私たちは全てを見た。周りを囲む平屋建ての建物はこれまたセメント造で、広場を四方から隔てていた。頭上に鉄製の鉤が数百本ぶら下がっていた。その下に羊たち、そしてその間で農夫らが、全身を黒い毛皮の胴着[訳註;原語shajakは下着と上衣の間に着る袖なしのヴェスト]と外套に包み、家畜の背にもたれて、その毛をしっかりと摑んでいた。彼らもまた何かを待っていた。
 立合人たちも急いではいなかった。その中の二人は数珠[訳註;原語rruzareはロザリオ様の装身具]を取り出し、ゆっくりと動かしていた。私が一度も見たことのない顔だった。シリンダー帽の男が時計を見た。どうやら、その時が来たらしい。
 突如姿を見せた屠畜人たちは、白衣をまとい、その両手は瘦せ細り、赤く腫れていた。彼らは、広場の真ん中にある噴水のそばに立っていた。屋内の至る所から農夫たちが家畜を彼らのところへ追い立て始めたが、彼らは動かなかった。私たちは、何千頭もの家畜の蹄が静寂の中でこすれ合って引き起こす、ごろごろと押し殺したような音が聞こえたような気がした。その音は低く、単調で、長いこと続いた。家畜たちが並んで屠畜人の待つ場所までたどり着くと、その両手に突如としてナイフがきらめいた。始まったのだ。
 私は右手に痛みを感じた。イリルの爪が私の身に喰い入っていた。私は吐き気を覚えた。
 帰ろう。
 どちらともその言葉を口にしなかったが、しかし盲人のように両目を手で覆ったまま、私たちは階段を探し求めていた。
 やっとのことで階段を降りた。私たちはその場を離れつつあった。屠場から離れるほどに、道は活気を取り戻していった。市場から戻る人々はキャベツを手にしていた。まだ市場へ向かう人々もいた。この上で何が起きているか、果たしてこの人たちは知っているのだろうか?
「何処にいたんだお前たち?」不意に、天から降ってきたような声が響いた。私たちは頭上を向いた。目の前に、イリルの父親であるマネ・ヴォツォが立っていた。トウモロコシのパンと、生の玉葱が入った袋を手にしていた。
「何処にいた?」彼は繰り返した。「何を青い顔してる?」
「その・・・屠畜場に」
 彼の手にした生玉葱が、蛇のように蠢いた。
「屠畜場で何の真似だ?」
「別に何も、父さん、見てただけさ」
 生玉葱はおとなしくなり、その尻尾の先はゆっくりと垂れ下がった。
「もうそんなところへは行くんじゃない」マネ・ヴォツォは穏やかな口調で言った。
 彼の指先が黒い上着の中で何かを探っていた。ようやく見つけ出したのは、半レクだった。[訳註;イタリア占領下で流通した0.5レク紙幣か硬貨と思われる]
「ほら、二人とも映画にでも行きなさい」
 マネ・ヴォツォは立ち去った。徐々に私たちは金縛りが解けていった。市場の景色を見ながら歩くうち、私たちは落ち着きを取り戻していった。板の上に、葦籠の上に、そして時には直接地面の上に、私たちには未知の緑の世界が広がっていた。キャベツ、香草、玉葱、草原の微笑、ミルク、朝露、チーズ、パセリ。その只中で鳴る硬貨の音。値段を問う声。答える声。いくら?と問う声。いくら?いくら?いくら?つぶやき。罵り。「こんなもん食えるか!」「薬代がかかりそうだな」「いくらだ?毒のあるのがサラダ菜、キャベツの上を這ってるぞ。虫が這ってたぞ、いや死んでるな。いくらだ?」
 私たちは帰ることにした。広場の隅でイタリア兵が一人、ハーモニカを吹きながら、行き交う娘たちを眺めていた。私たちは映画館の広告の前を通った。映画はやっていなかった。
 私たちは家に戻った。階段を上がると、若い方の叔母の笑い声が聞こえた。ヂェヂョはカコ・ピノとまだそこにいた。叔母は椅子に座ったまま、片足をぶらぶらさせ、大声で笑っていた。ヂェヂョは二度三度祖母の方に目をやったが、祖母はただ口をきっと結んでいるだけだった、まるでこう言っているように:「しょうがないさねヂェヂョや、今どきの娘どもはこんなものさ」
 父が入ってきた。
「ねえ聞いた?」叔母が言った。「ティラナでヴィットーリオ・エマヌエーレが撃たれたって」
「カフェで聞いたよ」父は言った。
「犯人は拳銃を薔薇の花束に隠してたんだって」
「そうかい?」
「明日、縛り首になるらしいわ。十七歳なんですって」
[訳註;イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ三世はイタリア占領下のアルバニアの国王を兼務しており、1941年5月のアルバニア訪問時、実際に銃撃に遭っている。ただし犯人のヴァスィル・ラチ(Vasil Laçi)は事件当時19歳で、絞首刑が執行されたのは事件の十日後]
「おやおや、母親もあろう子供がねえ」祖母が言った。
「ひどいもんだ」
「でも何てことかしらね、結局当たらなくて」叔母が言った。「薔薇に邪魔されたのよ」
「何処で聞いたの一体そんな話?」母が非難めいた口調で言った。
「まあその辺よ」[訳註;逐語訳は「それを得たその場で」]叔母が言った。
 ヂェヂョは頭のスカーフをかぶり直すと、祖母とカコ・ピノに挨拶して出ていった。その後すぐにカコ・ピノも帰っていった。
 私は三階に上がった。路上には活気らしきものがあった。市場から帰る最後の客たちがいた。ナゾの息子マクストが、ひと玉のキャベツをまるで切り落とした首のように小脇に抱えていた。私には、彼がひとり微笑んでいるように見えた。
 農夫たちも引き揚げ始めていた。ほどなくしてヴァロシ、パロルトの通りが、ハズムラト、チェテメル、ザルの通りが、大通りが、そして川にかかった橋の上が、彼らの村々へと向かう黒い外套で溢れ返り、その先は見えないほどだった。彼らがもたらした実りを、今夜この町は嚙み砕くことだろう、繋がれた馬のように。彼らがもたらしたあの緑色で柔らかなものも、あの草原の露も、あの家畜たちの鳴らす鈴の音も、ここの過酷さをいくばくかでもやわらげるには、余りにもささやかで無力なものだった。農夫らは去りつつあった。彼らの黒い外套は今、夕靄の中を舞っていた。石を敷き詰めた道々は、馬たちの蹄の下で最後の怒りの火花を飛ばしていた。もう遅い時間だった。彼らも急いで自分の村にたどり着こうとしているに違いない。彼らは町を、石に共に孤独にたたずむこの町を、振り返って見ることすらしなかった。そら、城砦の方から、くぐもったような音が鳴り響いてくる。毎晩のように、看守たちが監獄の窓の鉄柵を、一本また一本と叩いて確かめているのだ。
 今まさに川に架かる橋を渡る最後の農夫たちを見ながら私は、農村と都市とにおける人々の分断の奇妙さについて考えていた。農村とはどんなところなのだろう?それは何処にあり、どうして見えないのか?実際のところ私には、村というものがあることさえ信じられなかった。私には、今去りつつあるあの農夫たちは、村へ帰るようなふりをしているがその実、何処へも行かず、ただ散り散りになって河岸の灌木の背後に、町の周囲に身を潜め、そして一週間をやり過ごし、次の市の日が来ると、再び私たちの町の路上を、活気と蹄と微笑みと共に埋め尽くすような気がした。
 私は考えていた、何がどうなって人間は、こんなにたくさんの石や木を集めてきて、それで壁や家といったものを作って、そしてその大きな道路や屋根や煙突た庭の集まったものに、町と名前をつけようなどと思いついたのだろうかと。だがそれよりも私にとってわからなかったのは、しょっちゅう頻繁に大人たちの会話に出てくる「占領された町」という言葉だった。私たちの町は占領されていた。それはつまり、この町には外国の兵隊がいるということだ。それは私も知っていたのだが、私を悩ませたのは別のことだった。占領されていない町などというものがあり得るのか、それが私にはまるで理解できなかった。それに、もし私たちの町が占領されていないのだとしたら、この道も、この噴水も、この人たちも存在しないのではないだろうか、私のあの父も、あの母も、訪ねてくるヂェヂョも、カコ・ピノも、ヂェモおばさんも、いつもやって来るあの人たちも、いなくなるのではないだろうか。
「お前たちにはわからんだろうな、自由な町というのがどんなものか、何故ってお前たちはくびきにつながれて育ってるんだからね」私が或る日そのことについて訊いた時、ヤヴェルはそう言った。「俺にも説明が難しいんだがね、いや本当にさ。そうなったら何もかもが本当に別もので、本当に美しくて、初めはきっとみんなくらくらしてしまうほどだろうさ」
「じゃあたくさん食べられるの?」
「食べられるさ、勿論。そう、そうさ、勿論だとも。だが他にもいろんなことがあるぞ。おう、たくさんいろんなことがあるんだ、俺にもよくわからないぐらいに」





 雲の隙間から時折、太陽が輝いていた。雨がぱらぱらと降っていて、まるで忍び笑いでもしているようだった。木造りの門が開くと、そこからカコ・ピノが姿を現わした。華奢な身を黒一色に包み、赤い小物鞄を小脇に抱え、軽い足取りで道を歩き出す。雨は軽やかに、楽しげに降っている。何処かで婚礼がある。カコ・ピノはそこへ行くところなのだ。彼女は町じゅうの花嫁の着付けをしていた。彼女のしなびた腕が、鞄の中からピンセットやら針金やら糸やら小箱やらありとあらゆるものを取り出し、花嫁の顔をきらめく星々、イトスギの枝、天球のしるしで埋め尽くし、全てをおしろいの神秘の中に漂わせるのだ。
 私の呼吸で窓ガラスがうっすらと曇り、カコ・ピノの姿もぼやけた。見えるのは通りの端の方で動く彼女の黒い輪郭だけだった。こんな風にしていつの日か、彼女は私の花嫁の着付けにも出かけるのだろうか。あんたはその顔に虹を描けるのか、カコ・ピノよ?ずっと前から私はそんなことを考えていた。
 そうこうする間に彼女は別の通りに入ったが、そこでは、耐え難いほどに高い家々に挟まれた彼女は更に小さく見えるのが常だった。青銅の鋲が打ち込まれた重い門の向こうには、美しい花嫁たちがいた。






記録断片
我々は再会した、今度はニュルンベルクで。嬉しい知らせだ、間もなく我が国にアルバニアの偉大なる友、ファシスト党のエットーレ・ムーティ書記長が来訪する。我が町もまた、ムーティ氏を歓迎する準備を然るべく整えている。裁判。執行。財産。我が市民L・ヅアノはハンコナタ家とカルラシ家の裁判で証言する予定だったが、殺されて川に沈んでいるのが発見された。60年前から続くこのいにしえの裁判は我が市民に多大なる不幸をもたらしている。ファシスト・イタリアの報道で明らかになったこと、アルバニアの人喰いスルタン、アハメト・ゾグ[訳註;初代「アルバニア国王」だが、イタリア軍の侵攻に伴い国外へ脱出]は愛人ミッツィのためヴィーンに18万レクで宮殿を買ったという。現時点で町の最重要人物はアチフ・カシャフ、106オカ[訳註;1オカ≒1.4~1.5 kg つまり体重150キロ余ということ]。高校で騒ぎを起こした生徒らが放校処分に。今なお無許可で武器を所持している市民は武器を持って司令部に出頭すること。最終期限は今月17日。本市、ブルーノ・アルヂヴォカーレ司令官。我が市民ビド・シェリフィが昨日、十日間滞在したティラナより帰還した。出生。結婚。死去。A・ヅラミ、Z・バシャリに息子、M・ヂクに娘。N・フィツォとE・カラフィリ、F・ドビとDh・ヅァルバンが結婚。死去、Z・ババメト





第3章

 起こった幾つかの出来事、それらは始めのうち互いに関係のないものと思われていた。顔を隠した女が一人、城へ続く通りの十字路にうずくまって何やらかき混ぜている様が目撃された。その後女はそれをその場にぶちまけて足早に立ち去り、追う者たちから行方をくらませてしまった。見知らぬ老婆が一人、ナゾの家の窓の下にいたが、そこでは若い花嫁が爪を切っていた。老婆はその花嫁の爪を一つ一つ拾い集めて、一人笑いつつ立ち去った。ビド・シェリフィは夜中に飛び起き、雄鶏のように二度三度と叫び声を上げると、再び寝入ってしまい、朝になると何ひとつ憶えていなかった。二日後、カコ・ピノは庭先に黒ずんだ灰と、そこに水がかけられているのを見つけた。しかしマネ・ヴォツォの妻に起きた出来事の後、全てが明らかになってみると、それらの出来事が始めのうち思われていたような互いに別々のものであるとは誰にも思えなくなっていた。昼間、マネ・ヴォツォの家をノックする浅黒い顔の女が一人あった。その女は一杯の水を所望した。マネ・ヴォツォの妻が水を差し出すと、見知らぬ女はそれを半分飲んだ。妻が手を伸ばしコップを引き取ろうとすると、見知らぬ女は突然『何であたしに不潔なコップで水をくれた』と声を上げ、妻の顔に水を浴びせた。マネ・ヴォツォの妻は怒りで真っ青になった。見知らぬ女は瞬きするほどの間に姿を消した。マネ・ヴォツォの妻は湯を沸かすと、頭から足まで洗い流し、身に着けていた衣服は燃やしてしまった。
 今や全てが明らかだった:町に呪いが広まっている。見えざる手から、それは至るところに放たれていた;玄関口に、壁の内側に、軒先に、日付を書きつけた[訳註;英訳では「震えあがるような」]古い紙片や布切れに包まれて。噂では呪いがかけられているのはツテ家らしく、そこでは兄弟が互いに憎み合い、諍いが絶えることがなかった。呪いは、町でただ一人の発明家であるディノ・チチョの家にもかけられており、今やその呪いのせいで発明でも計算を間違えっ放しだった。それだけでなく、近頃の若い娘たちの振る舞いも、魔術の影響としか説明のしようがなかった。
 我が家はヂェヂョの来訪を受けた。彼女は例によってふらりと現れ、門をきちんと開けきらぬそばからその鼻にかかった声で喋り出すのだった。
「聞いたかい、まあ気の毒な話さ[訳註;原語korbë(雌烏)は「孤独で薄幸な女」の比喩]、ババラモの嫁さんの乳が干上がっちまったんだと」
「おう、お気の毒に[訳註;逐語訳は「大地に祈りを」]」母はそう言って青ざめた。
「ありゃ何てことだろうね、あんたたち、ありゃ何てことだろうね!呪い探しだよ、屋根裏に床下に。ベッドはひっくり返すは衣装箱はひっかき回すは。家じゅう大騒ぎして[訳註;逐語訳は「ウールとリネンにして」]ようやく見つけ出したさ」
「見つかったのかい?」
「見つかったさ、そうとも。それも坊やの揺り籠の中にね。死人の爪や毛と一緒にね。何てこと、何てことかね!もう叫ぶはわめくは、言うに堪えない悲惨さよ、そこにようやく一番上の息子が帰ってきて、警官に知らせたのさ」
「魔女め」母が言った。「何だってその魔女どもが見つからないもんかね?」
「で、あんたたちの方は何ともないのかい?」とヂェヂョが訊ねた。
「ないよ」祖母が言った。「今のところはね」
「やれやれ」
「魔女どもめ」母は同じ言葉を繰り返した。
「ナゾの息子は何ともなかったのかい?」ヂェヂョが再び訊ねた。
「そっちもね」祖母が言った。「二度ホヂャを呼んだけど、今のところ何もなしさ。呪いの方もくまなく探し回ったけど、一切見つからずじまいさ」
「罪な話さ」とヂェヂョは言った。「あんな子がまったくねえ」
 私もナゾの息子マクストにまつわる件は知っていた。彼は結婚したばかりだったが、今や呪いをかけられたともっぱらの噂だった。イリルが家でその話を聞いてきて、私たちに何もかも話してくれた。私たちの好奇心を大いにかき立てたのは、呪いをかけられた後の家ではどんなことが起きるのかということだった。私たちは度々、何時間もその家の門前に陣取っていたが、しかし、どうも見たところ、特に変わったことはその家で何も起こっていないらしかった。窓際は普段通り静まり返っていて、ナゾは花嫁と一緒に庭先で服を干しており、灰色の猫が屋根の上でひなたぼっこしていた。
「これのどこが呪いなんだ?」私たちはめいめい言った。「言い合いもない、殴り合いもない」
 或る日、私は祖母に訊ねた:
「お祖母ちゃん、ナゾのとこの子って、呪いにかかってどうなっちゃったの?」
「いいかい」祖母は言った。「それはそれは恥ずかしいことだからね、あんたたち子供に教えるわけにはいかないんだよ。わかったね?」
 私がみんなにそのことを話すと、みんなはますます不思議がった。
 晩になると、ホヂャがモスクで祈りを捧げ、コウノトリの巣はまるで黒いターバンのように、煙突やミナレットの先に被さっていたが、私たちはナゾの家の前で、新婚の花嫁を見ようと行ったり来たりしていた。花嫁はナゾと共に門前に座っていた。指先で太い三つ編みをいじっていたが、その瞳には時折、奇妙な、不思議な光が宿るのだった。今までこれほど美しい花嫁がこの地区に来たことはなかった。私たちの間では彼女を「綺麗な花嫁」と呼んでいて、ナゾの家の門前を走り回り、夕暮れ時に蛍を追う私たちを見つめる時の彼女が好きだった。彼女はもの思いに耽るように座ったまま、その大きく、美しい灰色の瞳で私たちを見ていたが、心はどこか別の場所にあるようだった。そしてマクストが市場なりカフェなりから、小脇にパンを抱えて戻ってくると、花嫁は義理の母親ともども中へと入り、重い門はもの悲しげな音を立てて閉ざされるのだった。
 石造りの敷居の向こう側では呪いが始まっていた。私たちは、毎晩その憂鬱な門の奥に閉じ込められる綺麗な花嫁を気の毒に思った。既に通りは人けもなく、遊ぼうという気分もたちまち失せてしまった。ナゾの家の中で石油ランプに火が灯るのが見えたが、その揺れ動く黄色い光には誰しも気が滅入りそうだった。
「ああそうさセルフィヂェ」ヂェヂョが言った。「万事あたしたちの蒔いた種さ。大袈裟だよここの連中は、大袈裟なんだよ。それで何日かしたら町じゅう男も女も集まって、旗だの音楽だので路上に繰り出して『糞ったれ万歳!』と大はしゃぎらしいじゃないか。今まで一度だってあったかいこんな不義理な話が?」
[訳註;「糞ったれ」の原語mutiは文字通り「糞」、転じて「悪党」だが、実は前述のエットーレ・ムーティと発音が同じ]
 母は頬をつねった。[訳註;英訳では「それは彼女が動揺を見せる時のしぐさだった」と補われている。このしぐさは以降も頻出する]
「世も末よ」[訳註;逐語訳「我々は生きる限り聞く」]
「惨めだよ、惨めなもんだよ」祖母が言った。
「やれやれ、これから何を見せられるやら」ヂェヂョが言った。「でもあちらの上の方にいらっしゃるお方はね」と彼女は、神の話になるといつもそうするように天を指差した。「あのお方は遅れはしても、お忘れにはならないよ。昨日はチェチョ・カイリの娘に髭を生やした。明日は私たち全員を棘と蔓だらけになさるだろうさ」
「あら、それは勘弁だわ」母が言った。
 帰る前に、ヂェヂョは私たちに幾らか忠告もしてくれた(その忠告の時はますます鼻声だったので、私は注意して聞いたものだ)。
「爪を切る時はそこいらに散らしとくんじゃないよ、燃やしちまいな、見つからないようにね」
「どうして?」
「呪いは爪でやるからだよ、坊や。あとあんたもだよ、奥さん、櫛を使ったら、髪の毛一本その辺に残さないよう気をつけなさい、悪い奴がそいつを狙ってるからね」
「それは勘弁だわ」母が言った。
「それと暖炉の灰もだよ、集めたら、地面に埋めてしまいなさい」
 ヂェヂョは来た時と同じように出ていったが、その深い溜め息が、相変わらずの不確かさと不安を後に残していった。それで私は彼女がいつだって落ち着きなく、不安に満ち溢れて、愉快なことはこれっぽっちも語らず、縁起でもないことばかり喋っていることを思い出したが、それを旺盛に語ること自体が彼女を活き活きさせるのだった。イリルは、彼女こそが呪いをかけた張本人なのではないかと疑っていた。
 呪い談義は今や家じゅうのものになっていた。事態が起こった直後は、或る種茫然自失と言った感だった。それから、こういう場合の常として、最初の茫然自失状態が過ぎ去ると、人々はこの不幸の原因や根源を見つけ出そうとした。こういうこととなると頼りになるのが「長生き婆さん」たちだった。それは大いに歳を重ねた女たちで、何ものにも動じず、何ものをも恐れなかった。彼女らはもうずっと家から出ていなかった、何故ならこの世が煩わしく思われたからだが、それというのも彼女らにとってはあらゆる出来事が[訳註;英訳ではここに「疫病や」]動乱や戦争といった大事件も含めて、単なる繰り返しでしかなかったからだ。彼女らは王制時代から年寄りだったし、王制より前、共和制時代でさえ年寄りだった。[訳註;1912年にオスマン帝国から独立したアルバニアは 公国→共和国→王国 と揺れ動いた。この「共和制」はヴィート公ヴィルヘルムが亡命しアハメド・ゾグが初代首相に就任した1925年から、ゾグ自身が初代国王に即位した1928年までを指す]彼女らは第一次世界大戦の時でも年寄りで、それより前、世紀の初めでさえ年寄りだった。ハヂェ婆さんは22年間も家から出ていなかった。ゼカテ家の或る老女は23年だった。ネスリハン婆さんは、最後の孫を埋葬した18年前から外出していなかった。シャノ婆さんが31年ぶりに外に出たのは、家の前の通りをほんの数メートル、それも自分の曾孫にまとわりついていたイタリア兵を引っ叩いた時だけだった。長生き婆さんたちはとても頑健で、骨と筋ばかりだったが、何しろとても小食で、一日中、タバコとコーヒーばかり飲んでいるのだった。シャノ婆さんがイタリア兵の耳を引っ摑んだ時、ちょっとでも動いたらちぎられかねないと思ったその兵士は悲鳴を上げた。気が動転したままそこで拳銃を抜き、金属製のグリップでシャノ婆さんの手を殴りつけた。ところがシャノ婆さんは摑んだ耳を放すどころか、そのがりがりに骨ばった掌で兵士の顔面をバシバシやり始め、遂には路上に倒してしまった。長生き婆さんたちには肉も、痛い場所もほんの僅かしかなかったからだ。彼女らは防腐処理されるのを待つばかりの、柔らかく腐りやすい部分もすっかり抜き取られた遺体のようなものだった。余分な脂や肉と一緒に、彼女らの体からは、好奇心や不安や無駄話や驚嘆や焦燥といった余分な欲望も流れ去っていた。以前ヤヴェルが言っていた、シャノ婆さんはその冷血ぶりでイタリア兵の耳たぶを引っ摑んだのと同じように、ベニート・ムッソリーニのことも引っ摑むかも知れないと。
 呪いに関して長生き婆さんたちは貴重な言葉を残し、古くからの事例にも言及してくれたが、それによると、多かれ少なかれこうした呪いの拡散は大きな出来事を機に引き起こされるのが常であり、そういう時期は人々の心が嵐の前の木の葉のように落ち着きを失うというのだった。
 多くの問いが答えられぬまま残っていたし、その中には重要な問いも含まれていた:誰が呪いをかけたのか?だが人々は、全般的な問いかけばかりで時間を浪費する代わりに、着実な方策を取り始めた。アチフ・カシャフの息子たちは、昼も夜も、入れ代わり立ち代わり、屋根裏に潜んで聞き耳を立てていた。花嫁のお色直しという技巧ゆえとりわけ呪いの攻撃に晒されていたカコ・ピノは、狼のような大型犬を買い、昼も夜も庭先に放しておいた。マネ・ヴォツォは地下室から、トルコの時代から残っていた小銃を引っ張り出してきた。町の墓地には、当局が追加の守衛を決めた。
 これ以外にも、人々は先立って防衛策を取った。女たちは暖炉の灰を、まるで高価な小麦粉のように鍵をかけて保管したし、男たちは今や床屋から帰る時には新聞紙を手にしていて、その中には床屋で切った髪の毛が注意深く集められていた。
 こうした対策により、呪いの勢いは落ちたように見えた。人々の会話の中には、一時は脇に追いやられていた日々の煩事も再び顔を出し始めた。そこには或る種の安定というか平静のようなものがあった。だがそれは一時的なものでしかなかった。呪いが消え去ったように見えたその時、それはこれまでにない勢いで広がっていたのだ。その兆候が見えたのは、砲兵アヴド・ババラモの家で或る晩、密閉・封印されていたチーズの樽が恐ろしい音を立てて破裂した時だった。新たな呪いの波が押し寄せると、多くの場所に当局の通知が張り出され、呪いをかけた主の捕縛に協力するよう住民に呼びかけた。だがそんなものは役に立たなかった。呪いは続いた。アチフ・カシャフの妻に、何者かが夜、天窓越しににやにや笑いながら、『おいで、おいで』とでも言うかのように手を振ってきた。チーズの破裂以来、アヴド・ババラモの上の息子は妻から冷たく扱われるようになった。だがそれ以上の大騒ぎを引き起こしたのは、カコ・ピノにかけられた三度目の呪いだった。それは別段変わった呪いではなく、むしろその逆だった(またしても灰で、今度は酢が振りかけられていた)が、呪いを発見した直後に私たち子供が[訳註;各国語訳では「呪いを発見したカコ・ピノが取り乱すのを見た私たち子供が」と補われている]騒ぎ立て、それが巡視中のイタリア兵の注意を引いた。巡視兵はこの不可解な珍事の発生について駐屯地に連絡したらしく、30分後、カコ・ピノの家に急行したのは、地雷探知用の道具や機器を携えた四人の技師だった。彼らは私たちの怯えた瞳と、自分で自分の頬をつねるカコ・ピノを目の当たりにすると、そのままじっと待つことも、詳しい説明を求めることもせず、私たち全員が視線を向けた場所での探索を開始した。巡視兵はこの不可解な珍事の発生について駐屯地に連絡したらしく、30分後、カコ・ピノの家に急行したのは、地雷探知用の道具や機器を携えた四人の技師だった。彼らは私たちの怯えた瞳と、自分で自分の頬をつねるカコ・ピノを目の当たりにすると、そのままじっと待つことも、詳しい説明を求めることもせず、私たち全員が視線を向けた場所での探索を開始した。
「ちぇっ」と彼らは何度も言った。「機械じゃ何も見つからないぞ」
 最後には腹を立てて立ち去った。去り際に、彼らの一人が大声を上げた:
「ケ・プッターナ!」[訳註;原文はイタリア語Che puttana!(売女め)]
 その言葉はカコ・ピノに向けられていた。
 それから毎日、夜が近付くにつれ、私たちの頭は呪いをめぐる思索でも一杯になった。思い浮かべるのはた易いことだ、今や夜が城塞から下へ、何処かの川の砂利まで、ありとあらゆるものを覆い隠せば、人けのない前庭を抜け、見知らぬ腕が爪や、毛髪や、煤やその他、目印となるものをかき集め、それをぼろ布で包むのだ、それもぞっとするような意味深げな言葉をつぶやきながら。
 偉大かつ憂鬱なこの町は、雨を、雹を、雷を、虹を見下すと、今度は自らを貪り出した。広がる屋根、曲がりくねった道、全てが町の苦痛を表していた。
「この町は熱を出している」そんな言葉を聞くのは二度目だった。どうやって町が病気になれるのか、どう考えても全くわからなかった。マネ・ヴォツォの家の庭で、私はイリルと二人、ヤヴェルとイサが呪いについて話すのを聞いていた。例によって、二人の間に使われる言葉は難解で聞き慣れないもので、その響きは呪いの秘めやかさとはまるで不似合いだった。時折二人は「神秘主義」「集団妄想」といった言葉を繰り返した。そしてイサがヤヴェリに訊ねた。
「ユングを読んだことは?」
「いいや」とヤヴェルは言った。「読もうと思ったこともない」
「俺はたまたま見たんだがね。まさにこの件について言っていた」
「何でユングが必要なんだ」ヤヴェルは言った。「こうなれば何もかも明らかだ。反動連中はこの妄想に興味津々さ、何故って人々の注意を今の問題から逸らしてくれたんだからな。そら、あの連中も新聞に書いてるぞ:『呪いも或る意味で民衆の民俗遺産の中に含まれる』」
「ファシズムの理論だな」イサが言った。
 ヤヴェルは新聞を放り出した。
「この頭に羽の生えた野蛮人どもは、中世の風習まで生き返らせやがったんだ、それで充分ムッソリーニの役に立つんだからな」
 ヤヴェルは二週間前にイタリア人教授の襲撃に加わったかどで放校処分になっていた。今はマク・カルラシの皮革工場で働いていた。
 彼は紙を取ると、傾いた字体でこう書いた:『呪いなどには関わるな。悩む事なら別にある』
「悪くないな」イサは眼鏡を拭きながら言った。「だが、それにしたってもう少しだけ科学的なやり方で説明できたらいいんだが」
 ヤヴェルはむっとした。だが二人はすぐに仲直りし、私たちがずっと聞いているのに気付いた。
「おや呪いの捜索隊じゃないか」ヤヴェルは言った。「盗み聞きかい?」
 確かに私たちは、大半の子供がそうであるように、呪いの捜索隊だった。日がな一日、私たちはそれらを何処ででも探していた:家々の軒下、屋根の上、壁の穴の中。探索の痕跡は至る所に見えた。それはとりわけ、雨が降り屋根から滴り落ちる時に一層はっきりしてくるのだった。私たちが特にあちらこちら探し回っていたのがナゾの家で、それはそこの美人の嫁のためにとしていたことだった。
 それにもかかわらず呪いは全く見つからなかったし、私たちも希望を失ったまさにその時に呪いを見つけ出せるだろうとは思っていなかった。  或る晴れた日、愚者の路地[訳註;原語はSokaku i [ të] Marrëve。ジロカスタルのカダレの生家近くに実在する]でのことだった。曲がりくねって凸凹したこの小路を、私たちはこの世のどの大通りとも取り替えたくはない、何故ならこの世のどんな道も自分の石や石板を引き剝がされ、それで昼日中に好き勝手なことをされるがままでいられるほど寛大ではないだろうから。愚者の路地は、まさに愚鈍そのもので、私たちにそうされるがままでいた。
 その日、私たちは石で遊んでいたが、突然その中の一人が悲鳴を上げた:
「呪いだ!」
 その場に駆け寄った私たちは全員恐怖に凍りついた。仲間の顔色は蠟のように真っ青で、地面を指差していた。そこには、石ころの中に、こぶし大ほどの大きさの呪物が見えた。私たちは怯えたまま互いの顔を見合い、言葉は喉のところでつかえていた(後にヂェヂョが、呪いによって言葉を奪われていたのだと私に説明してくれた)。だがそのうち急に異様な勇気が湧いてきた、それはしばしば夢の中で起こるようなものだ、人けのない薄暗い路上には君一人、他に誰もおらず、心臓は不安でドキドキし始める、この堕落した路上で何かしら良からぬことが起きるような気がして、悪しきものが姿を現わすのを今か今かと待っている、それは遅れてやってくるから、待ち続ける君の不安はいや増すばかり;やがてその向こう側で何か影のようなものが蠢く、その顔半分は光に照らされ、近付いてくる、君は膝から崩れ落ちる、声を失い、全身は硬直する、ところが最後の瞬間、不意に、君は異様な怒りにとらわれる、手足は解き放たれ、声は雷のように飛び出し、唸り声をあげながら、君は真っ先にその悪しき影へと飛び上がり、襲いかかろうとし、そこで目が覚める。
 それが私たちの身にも起こったのだ。
「呪いだ」突然イリルがあらん限りの声を張り上げて飛びかかると、それを手で引っ摑み、高々と掲げてみせた。
「呪いだ、呪いだ」と残された私たちも叫び声を上げ、わけがわからぬまま一斉に駆け出し、坂をを下りていった。イリルを先頭に、私たち全員が喜びと不安と恐怖がないまぜになって叫び、喚き、喘ぎながら走っていた。
 窓扉が音を立てて次々と開き、女たち老婆たちが不安げに頭をのぞかせた。
「どうしたんだいこりゃ?」
「呪いだ、呪いだ」私たちはあらん限り声を張り上げ、固まり合いもつれ合い、その地区を上へ下へと跳ね回った。
 カコ・ピノは窓際で十字を切りながら顔を出し、ナゾの美人の嫁は密やかに笑みをたたえ、マネ・ヴォツォは長い銃筒を屋根の穴から突き出し、そんな中イサは二つの太陽のような大きな眼鏡をかけ微笑んでいた。
「まあイリルったら」マネ・ヴォツォは声を上げ頬をつねり、私たちを追いかけてきた。「イリルたら、あんたって子は、捨てなさい呪いなんて、捨てなさいったら!」
 しかしイリルの耳には届かなかった。彼は目をかっと見開いていて、それはみんなも同じで、彼が先頭を走り、私たちはそれに続いた。
「呪いだ、呪いだ!」
 母親たちは窓から、家の門から、また壁越しに私たちを呼んだ。顔を引きつらせ、私たちを罵り泣きわめいていたが、私たちは走り続け、呪物を手放さなかった。おぞましいぼろ切れに包まれたその固まりの中、私たちはこの町の不安を手にしているような気がした。
 とうとう私たちは走り疲れた。鎖の広場[訳註;原語Sheshi i Zinxhirëve。これも実在する]で走るのをやめた私たちは汗とほこりにまみれ、息をするのもやっとだったが、この大きな喜びではち切れんばかりになっていたらしい。
「さてこれからどうする?」誰かがそう言った。
「燃やしちまおう。誰かマッチ持ってるか?」
 本当にマッチを持っている者がいた。
 イリルは呪物に火をつけると、足元に放り出した。それが燃えている間、私たちは再び叫び声を上げ、ズボンのボタンを外し、小便[訳註;逐語訳「薄い水」]をかけ始め、歓声を上げ、互いにひっかけ合い、はしゃいでいた。





 水貯めの水は泡立っていなかった。呪いがかかってるね、とヂェヂョが言った。すぐに水を替えるんだよ、さもなきゃあんたたちはおしまいさ。
 水の入れ替えは難儀な大仕事だった。父は逡巡していた。祖母も、うちの水を汲んでいる地区の女たちも、水を入れ替えることにこだわった。彼女らは幾らか金も集めていて、それだけでなく、清掃作業人らと一緒に一日がかりで働くつもりでいたのだ。
 ようやく事が決まった。作業が始まった。作業人たちは石油ランプを手に、ロープを上ったり下りたりしていた。バケツが一つまた一つと空になっていった。古い水が出され、新しい水がその場を取って代わった。
 ヤヴェルとイサは階段のところでタバコをふかしながら、何やら談笑していた。
「何がおかしいんだい?」ヂェヂョが言った。「桶でも持ってきたらどうなんだい」
「こんな作業、エジプトのピラミッドみたいなもんだよ」ヤヴェルが言った。
 ナゾの嫁が微笑んだ。
 バケツの鳴る音は耳をつんざくほどだった。
「必要なのは新しい世界だ、新しい水じゃない」ヤヴェルがまた言った。イサが大笑いした。
 マネ・ヴォツォはそんな二人を非難するように睨みつけた。祖母と母はひっきりなしにコーヒーを運んできた。
 作業人たちは立ったままコーヒーを飲み、やっとのことでひと息ついた。深い水貯めの底の空気不足のせいで、顔は青ざめていた。そのうちの一人は名をオメルと言った。彼が下りていくたび、私は水貯めの縁に顔を寄せ、こう声をかけた:オメル。
 オメエエル、と水貯めが呻った。空っぽになったその水貯めの声は力強く、まるで風邪でもひいたようにしわがれていた。
「誰だったっけ、そのオメロスだかホメロスってのは?」イサが訊ねてきた。
[訳註;アルバニア語ではOmerとHomerで一文字違い]
「さあ。何だっけそれ」
「あれは古代ギリシアの詩人だな、盲目の」イサが言った。
「誰に目を取られちゃったの?イタリア?」
 彼らは笑い声を上げた。
「そいつはすごい本を書いたのさ、一つ目の化け物と、トロイアという名の町と、木馬の話のね」
 私は水貯めの縁に首を伸ばした。
「ホメロス」私は言った。
 水貯めに光と闇のかけらが交錯した。
「ホメエエエロス」水貯めがその盲人の名を言った。私はその杖の音が聞こえたような気がした。






記録断片
その頃、日本はインドとオーストラリアへの侵攻を準備中。裁判。執行。財産。借金の不返済によりヴァロシュ地区のゴレ・バロマを裁判に召喚。L・ヅアノの家財品の競売は日曜日に実施。呪術使用容疑による老女H・ZとC・Vへの逮捕状発行。前号発行の本紙に誤りが多く低劣となった原因は、私が胃病を患っていたことにある旨、読者に申し上げる。編集長。逸脱した生徒らに更なる放校処分。チャニ・ケケズィ教諭に関し保護者からの苦情が当方に多数寄せられている。ケケズィ氏の教育方針は確かに驚くべきものである。解剖の授業の際、この人物は生徒の目の前で猫を切り裂き、気の毒な子供たちは震え上がった。最後に殺された猫が彼の手を逃れ、内臓が飛び出たまま生徒の机の上に飛び乗った。親愛なる皮革工場主マク・カルラシの令嬢、レイラ・カルラシは昨日イタリアへ出発した。この場を借りて、ドゥラス-バリ路線の汽船の時刻表を載せる。町内の産婆の住所一覧。パンの価格。出生、結婚、死亡通知



(つづく)


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