毎晩、目を閉じると聞こえてくるのは、家の奥の部屋へと去る母の足音だった。半開きのドアから私は、母がスカーフ[訳註:原語shamiはアルバニアの高齢女性(特に未亡人)が頭に巻く布。必ずしもムスリムというわけではない]の両すそをほどき、両掌で顔を覆う様子を見ていた。そして、母の沈んだ声が、私をまどろみの中から呼びさますのだった。
その家で、私は母と二人きりだった。母は木製のフープで刺繍をしていて、私は母が絹地に針を刺し、そこから細い糸を通していく様子を眺めていたのを憶えている。とすかさず、布地の表には再び針の先端が姿を現す、それはまるで、未開の地をさまよい歩きながら様々な形あるものを生み出していくように見えた。そうして私は何度も、布地の表に流し込まれた図像の上に影を投げかける、母の白い顔を目にしていたのだ。
二人の周りには、高い石の壁が立っていた。誰がそんな壁を立てたのかは分からない。その恐ろしいほどの高さは、二人をその向こう側にある世界から隔てていた。私は中庭の、むき出しになっている地面に穴を掘っていた。地球の内部の、闇に包まれた迷宮の謎を解き明かしたいという、大いなる願望が私にはあったのだ。だがそこには期せずして、犠牲者を生む可能性もあった。それは地中の昆虫たちで、彼らはこの隠された居住地の古代からの住人として、私の前に姿を現した。私はその空隙が生まれたところに、自分だけが抱える秘密を詰め込み栓をした瓶を突っ込んだ。母はそれを見て、私の他愛もない幻想を笑ったものだ。そうやって笑った時の母が見せる表情は格別だった。その背後には憂いが追いやられているかのようだったとはいえ、それはずっと美しいままだった。しばしば私は、母の頭に巻かれた長いスカーフの、母の惹きつけるような美しさを覆い隠しているその両すそに苛立ちを覚えた。時に私はそのスカーフを隠してしまい、たとえ母に叩かれてもそれを出そうとはしなかった。だがその度、先に音を上げるのは私の方だった。母はしつこく家中を探し回った挙げ句、ぐったりと椅子に腰を下ろし、そして私を刺すような目で見つめた。
「あなたが隠したんでしょ?もしそうなら、隠した場所から持ってくる方が身のためよ。あのスカーフはね、それは綺麗な、神聖なものなのよ。あなたにはそれが分からないのかしら。後になって分かることって多いのよ。一人ぼっちの女にとってあのスカーフにどんな意味があるか、あなたにもいつか分かるわ。あなたとお母さんは友達でしょ、ね?」
「うん」そう返事して、私は自分が大事なものを隠した場所へ走っていくのだった。
その後は、何もかも全く普段通りになる。夕食になると二人はテーブルを囲んで座った。テーブルにはいつも三枚の皿と三つのワイングラスが置かれていた。母はグラスにワインを注いだ;一つは父に、もう一つは母自身に、そして最後に私のグラスにも、ほんのちょっぴりだけ注ぐのだった。私はじっと座ったまま、その夜毎の儀式を見つめていた。互いのグラスをカチンと合わせた後、母はまず父のグラスをぐいと飲み干し、続いて母自身のを空けた。
「イリア、あなたの健康のために!もしあなたが生きているのなら。そしてあなたと、あなたと共にいる人達のために。でも私には分かっている。あなたが何処かで生きていて、物音もしないこの玄関の奥へ、もうすぐ姿を現してくれることを」
私は聞き耳を立てていた。母はしばしば、父と会話していた。父は遠いところに閉じ込められているらしい。父に関する私の記憶は僅かなものだった。父がいなくなった時、私はずっと小さかったに違いない。思い起こすと、それでも記憶に残っているのは、父が私を両手で抱き締め、そっと撫でてくれた時のことだ:
「よしよし[訳註;原語“Cimcimca, cimcimca”は恋人を呼ぶ際にも使われ、歌にもなっている。次の段落で「その歌」とあるのはそのため]、かわいい子だお前は」
そうして父は夜明け前に出かけては、一日の終わりに戻って来るのだった。何故だか今でも、その歌の一部を聴くだけで、私は父を思い出すのだ。
だがいつの日か、父は帰って来るのを忘れてしまった。その時から、母はこの壁の中に閉じこもり、母と共に私もそうした。そしてその日から、母は普段通りの儀式を執り行うようになった:朝はフープで刺繍して、夜は三人分の食事を並べたテーブルで祈り、そうして私は度々、あの悲しげに上がる声で目を覚ますのだった。私はベッドの上で、頭に枕をかぶり、両掌で耳を塞いだまままんじりともしなかったが、母の声は私の体内深くに押し入り、私は拷問のような儀式に引き込まれるのだった。母は、ノロジカの毛皮の柔らかいマットの上で少しだけ眠っていた。夫婦で寝ていたベッドは手つかずのままだった。
「あれは神聖な場所なの。だからそのままにしておかなければならないの。それはずっと話してるでしょ」そう母は言った。私はいつか一度だけでも、そのベッドで寝てみたいと夢見ていた。そこでならたぶん、両親の温かみに包まれるような気がした。だが三月の冷気で、ベッドはその平穏な形状のままで凍りついていた。母は鹿皮の上で、そして父は山のふもとの、監獄の鉄格子の向こうで、まどろんでいるのだった。
それでも、母について悪いことを言う人は一人としていなかった。それどころか、たくさんの人が母の手を求めてきた[訳註;「手を求める」は「言い寄る」「求婚する」の意]。私の心に浮かぶのは、家にいる母の柔らかく温かい掌を握り締めようとする、一本の長い腕だった。すると突然、母は白鳥に姿を変え、空高く羽ばたいてしまう。空っぽになった掌は宙に伸びたまま、冷たい風に揺られているのだ。
母は刺繍を続けながら、果てしなくもつれる長い糸を編み続けていた。何故だか夜になると母は、自分が編んだ大切な刺繍をほどいてしまった。恐らくその作品に編み込まれていた、古くから伝わる模様や、様々な聖書の文句が、共産主義体制の法律やあの時代の社会慣習からすれば、それ自体タブーとされていたのだろう。だから、昼間に見た時は樹の下に座って、編み物の魔術に魅了されたようになっているのに、夜は夜で反対に、泣きながらそれをほどいているのだった。
「あの人はいつか帰って来てくれる」とりとめのない孤独の中で、母はそう言っていた。[訳註;ここで「とりとめのない」と訳した形容詞shthurësの原義は「ほどけた」で、すぐ前のshthur「ほどく」の派生語]
母の作品の中で一つだけ、手を触れないまま、いやそれどころかひどく大切にとってある品があった。その作品には、「最後の晩餐」のキリストの姿が描かれていた。キリストの顔には、終わりのない悲しみが表れていた。まるでキリスト自身が何かの苦しみを噛みしめているように見えた。その周りには使徒たちが集い、好奇心に満ちた目で見つめていた。
「誰が私を裏切ろうとしているか、私には分かっている」というキリストの言葉は、ほとんど理解できないような昔の言語で書かれていた。「そうだ、一方の手でパンをキリストのワインの杯に浸し、もう一方の手で金貨を隠した棺を摑んでいる者、それはユダだ、裏切り者だ」
「ユダだ、裏切り者だ」私は一人繰り返した。たぶんユダは、私の父も裏切ったのだろう、そしてとうとう父を、暗い監獄に閉じ込めてしまった。
あの時代、アルバニアで宗教を信じることは禁じられていた。それに取って代わったのがイデオロギーへの信仰だった。だから自宅にイコンがあるなど、極めて危険なことだった。夜、町の最後の灯りが消え、路上に墓場の静けさが支配する頃になると、私たちは互いに肩を寄せ合った。蠟燭の弱々しい光の下、私たちは祈りの言葉を声に出して繰り返した: