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エルミル・ニカ 『罪びとたちの夜』

他人の影

 遂に私は沈黙することを決意した。そんな決意をしようと思ったのは、路地を猫どもがうろつき回り、風が木の葉や、道行く人に無造作に打ち捨てられた紙切れを吹きやる日々の中、不眠と鎮静剤とに翻弄され、自分を知る者たちの声や視線から逃れたいとただひたすら願っていた、殆ど這いずり回っているに等しいようなそんな時間の中での、まさしく単なる偶然の産物による状況の故であったろう。ずっと前から私にはわかっていた、自分が、この世の狂気の中に漂い浮かぶ奇跡であれ偶然であれ、何ひとつ信じることができないでいる脆弱な生き物に過ぎないのだと。自分が生きてきた年月の全てにわたって、私の頭にのしかかっていたのは、人間という存在が、あらかじめ定められた運命に囚われたものでしかないという思いだった。ただ、ほんの一瞬、交差する人生の中で他者や他者の運命とすれ違った時や、その出会った状況が、己が意識をひとしきり昂らせるような、ありとあらゆるそんな考えに己を没頭させるのだ[訳註:ここでは「己」と訳したが、原文では2人称に呼びかける形で書かれている]。だが今や過ぎ去った時のエピローグにあっては実に馬鹿げたことだ、幾度も閃光のように私の脳裏をよぎるのは、こんな思いだ。誰であれ、一度たりとも、自らの過ぎ去りしことの何であれ、たとえそれがどんな些細なことであっても、そこへ引き返すことも、それを変えることもできはしないのだと。
 私は木製のチェアに腰掛けていた。足を窓台の上に放り出し、叔父の形見のパイプをくゆらせ、分厚い煙をたっぷりと吹き上げていた。塩と砂のしぶきに覆われたガラスに視線を注ぎつつ、海深く潜った漁師たちがようやく戻ってくるのを見つめていた。ヨウ素の雲が海岸線を覆い、そしてゆっくりと、山の頂上[訳註:原語kreshtëは「とさか」]へと迫りつつあった。浸食性の芳香が目にまで届き、むせ返るような重苦しさが喉に流れ込んでくることだろう。そして今度は時計の針が互いにぴたりと合わさり、振り子のリズミカルな動きが私の全身に衝撃を伝えるのだ。
 そんな疲弊した状態の中で私は、今夜はまさにこの世の暮れに他ならないという思いに酔いしれていた。果てしない海、広大な空、水平線、濡れた浜辺、そして、危険と隣り合わせに生きることに慣れきったこの恐るべき者たち、それらが私自身の内面を成しているのだ。これらがなければ恐らく、私はがらくたと化してしまっていただろう。これまで幾つもの愛の詩を作り、幾つもの書物で真偽様々な英雄の物語を書いてきて、私の周囲には、あらゆる場所から押し寄せる波の如く、謎めいた噂が集まっていたのに、今やその全ては自分の人生において、ただの閉じられた一頁に過ぎないのだ。
 私はくたくたに疲れ切っていた。もうこの世界の何一つとして、私の好奇心を呼び覚まさない。ソフィを早くに亡くし、息子のレニもアルゼンチンに移住してしまった後では、旅に出たいとか、誰かに会いたいという思いもことごとく薄れてしまい、もう何年も前から私は自分の殻の中に閉じこもっているのだ。
 父がよく言っていた、「人生は強度検査みたいなものだ」と。この年齢にまで老いさらばえた今、私には自分の父が正しかったと認めるより他のことは残されていない。父がそうした類の生涯を終えてから三十年近くになるが、時として私は、耳元で父の声が聞こえるような気がするし、夜になると父がのろのろとした足取りで、物音をさせながら家の中を歩き回っているような気がするのだ。そして、私とソフィが日々の厄介事を相談しているそのやりとりの中にレニの、十歳の誕生日に私と妻が与えてやった電車のライトが灯かないと泣きわめく声が響く、あの時のようになるのだ。
 私には過去を引き離すことなど到底できない相談だった。どう引き剝がしたところで傷を負う、だが私からすればそれ以上に困難なのは、人が自分自身を切り離さなければならない時のことだ。そうしたい気持ちとは裏腹に、今の自分にとってそれが負け戦になることはわかりきっていた。
 艱難辛苦の中で転げ落ちていくこの頃、私はかつて自分が書いた作品のページを繰ることさえも億劫になっている。詩作の時期は遠くに過ぎ去り、今や老年の黄昏の中で、日がな一日、大抵は小説か歴史書を読んでいる、そして幾度も革表紙の分厚いノートに記憶を巡らせているばかりだ。私が死んだら、息子にはこれらの手稿をどうでも好きにさせよう。自分が皆に[訳註:別れの]挨拶を送るであろうその時に、手稿の運命が後々どうなるかなど思い悩みたくもない。かつては重要なものだと評価していた多くのものが、今や無関心の中に埋没しているのだ。自分自身の葛藤に倦み疲れ弛緩しきったこの頃、人生を歩んできた足取りの一つ一つを分析するにつけ私は、自らを形作っていた情熱も繊細さも、もはや私自身の中に在りし日の場を残してはいないことを認めざるを得ない。屋根は雨漏りがするようになっていたが、湿気で傷んだ屋根瓦を取り替えるような手間のかかることをする気も私にはない。私にはただ、手足を伸ばせるベッド一つがあって、そして今となっては動きも鈍く、生きることに関しては飼い主同様に怠け者だが忠実なる我が愛犬、ミキがいさえすれば充分だ。日中のミキは玄関で寝ていて、夜になると私はミキが門のところに人が近付くたび、誰彼構わず吠えているのを耳にする。しかし私は不安など感じていないし、門は大抵の場合開けっ放しにしている。数年前に都会暮らしとおさらばして、この海岸沿いの村に移り住み、素朴な人々と接するようになってからも、私は、著名な作家である自分、その顔が幾度となく新聞の文化面の主要部を飾っていた自分自身に対する、彼らの気遣いと敬意の念を感じている。彼らは、間違いなく私の本など一冊も読んでいないとは思うが、私のことを聖なる石か何かのように賞賛し、尊敬してくれているし、それにきっと、私が自分たちの村の住人であり、日々の暮らしの中の喜びや憂いの一部となっているという事実に誇りさえ感じているのだろう。
 時折思うのだが、人々はまだ私のことを忘れていないようだ。数多くの自分の詩が広告・出版業者によってカレンダーに載せられ、日々の生活や重要な日にはたびたび引用されている、例えば聖ワレンティヌスの日に目にする祝いの言葉は、私の詩の一部を抜き出したものだが、それは私がかつてソフィに捧げたものだった、彼女がこの世を完全に去って少し後のことだ:

  君がいなければ・・・
  僕は壊れた十字架の片割れ。

 ソフィが死んでからというもの、私の暮らしからは張りが失われ、自分自身との沈黙の会話の中でだけ思い起こすことのできるような、奇妙な出来事に思いふけるのだった。そして、そんな時間の中で、私は自分の頭の中にかつてあった瞬間を再び生み出そうと努め、自分の意識の中に痕跡を残すことになるのだ。
 あの日の午後、漁師たちのバーに私がいた時もそうだった。彼らが語る海賊や、しけの夜や、鮫や鯨との格闘に関する最新の話題は、私にとっては、海の彼方からもたらされる唯一つの栄養源だった。晩はそうやってうらびれた[訳註:次の段落で示されるが、酒場の]屋内で、親しい人たちと交わり、夜が更けるまで、終わることなく続くやりとりの中で過ごすのだ。
 漁師たちの大声や、賭け事や、言い合いは、この土地では日常的なものになっていた。その晩も私は白熱するやりとりの中に浸っていた。時は無為に流れ、その中によどんだ空気が重く垂れこめていた。酒場にはその晩も盛んに人の出入りがあった。扉が何度も、また何度も開いて、激しく流れ込む涼しい風が自分の肩に当たるのを感じた。私は冷えたビールをもう一本頼んだ。給仕はすぐさま、私のテーブルに居合わせた全員用に大きな[訳註:瓶ビールの]箱を持ってきた。私は唖然とした。隣にいたピェタルが私に視線を向けてきた。ブルハンは伸びをして、漁網の引き上げで疲れた両腕をごしごしとさすっていた。
「どうだい、今日は七周目まで飲んでやろうじゃないか。あの海のど真ん中のうんざりするような一日の後だ、憂さを晴らして[訳註:原文では「復讐して」]やろうぜ、なあ兄弟たちよ」お調子者のブルハンは軽口を叩いた。私は口元に笑みを浮かべたが、そこに生まれた状況に笑い声を上げるようなことはまだなかった。妙なことに、先程の給仕がその場を立ち去らず、しかも女性のように繊細極まりない声でぶつぶつささやいてきたのだ。
「これはあちらの、『敗北者』の肖像の左側にいらっしゃる方からです」
 私は好奇心に駆られて首を伸ばし、知り合いではないかと確かめようとした。なるほど確かに、『敗北者』の左隣の、人で溢れかえった幾つものテーブルの向こうで、戦争の時に白旗を上げるように片手を上げている、そしてその下にあるのはメロン[訳註:原語pjepërはメロン(Cucumis melo)だが、特にマスクメロンを指す。場所によってはキュウリの意味も]のような色の、でっぷりと太った丸顔で、両の頬には赤い傷跡があった。そんな顔の中でもとりわけ私の印象に残っているのは、耳元まで伸びている顎髭だった。どうもどこかで会ったような気がした。私は考え込んだ。何も思い出せなかった。私はその男に会釈した。男は立ち上がり、私の方へ近付いてきた。私も席を立ち、手を差し出した。相手はにこにこしながら、私の両手を握ると、ぐいっと引き寄せた。私は一瞬ぎょっとしたが、すぐに気を取り直した。
「親愛なる詩人よ」その見知らぬ人物はありったけの声で喋り出した。「我が良き道しるべよ、ご機嫌は如何ですかな?常に変わらず、偉大なる、穏やかなる魂の人よ。それこそ、あなたが他の連中とは違うところですな。私こうしてずっとあなたのことを、陰ながらお慕い申し上げておりましたよ。どこまでもあなたを高く評価しておるのですよ、お分かりですかな!あなたにお会いしたいと私こうして、ヴラジヴォストクからここまで、この広大な土地を馳せ参じて来たのですよ。お目にかかれて光栄です!」
「何処かでお会いしましたか?」
「これはしたり、親愛なる友よ、私を憶えていらっしゃいませんか?!ヴラディミルですよ、テペレナのヴラディミルです」
[訳註:ソ連との関係が良好だった1950年代までのアルバニアでは、レーニンに因んでVladimirと名付けられた男児が多かった。テペレナはアルバニア南部の都市名]
「ああそうですか!」私は曖昧なまま返事した。「何処かで会ったことがありますね」そう言いつつ、内心ではずっとはっきりしないままだった。
「サンクトペテルブルクでお会いしましたよ」ヴラディミルは得意げに言った。
「サンクトペテルブルクで?」
「そう、そう、サンクトペテルブルクのツァーリの宮殿ですよ。年に一度の巡礼団[訳註:ここでは恐らく宗教的な意味で使われていない]の集まりで。いやあれは実に素晴らしかったですな!私はあれを一生忘れはしませんぞ。あの晩、あなたは黒いスーツを着ていらっしゃった。首には暗赤色[訳註:原語vishnjëは「ダークチェリー」]の蝶ネクタイをされて、白いワイシャツの襟が見えておりました。お目にかかるのは初めてでしたが、あなたの詩は学生時代からよく存じ上げておりましたよ。あなたのことは古代の彫刻のような方だと想像申し上げていたのですが、或る日突然姿をお見せになったあなたのお姿ときたら、年末の晩に見る聖職者のようでしたよ。遠くからあなたに声をかけさせていただいたんですが、私の呼ぶ声にはお返事いただけませんでしたな。一瞬、こりゃ人違いだったかなと思いましたが、しかし私は自分の勘を信じておりましてね。あの横顔はあなた以外にありませんでした。『このロマノフ家の宮殿にいるのが相応しいのは、ただ一人の詩人のみ[訳註:逐語訳は「詩人の影が差す」だが、「相応しい」という意味の慣用表現]』と思いましたよ。それから、あの外交会談や、世界中から来たあの著名人たちの顔ぶれたるや、どれもこれも驚くべきものでしたな。『あれこそあの方に違いない』と、初めてあなたの思想家ならではの陰のあるお顔を初めて拝見した時、私はそう思いましたよ。今拝見するとあの頃とは随分とまたお変わりになられましたが、しかし思想家の面影はしっかりとお顔に刻まれておりますな。宮殿前の中央広場でのことは憶えておりますよ、あなたは立派な白馬に引かれた二輪馬車から降りて来られましたが、その馬たちこそまさにああした機会に向けて育てられた一級の国産種ですよ。あの夜は、今は亡きマーシェンカもあなたと一緒でしたな。いや何とも、あの魅惑の美貌を、あの大理石のような[訳註:「なめらかさ」の比喩]顔を、手で彫り込まれたような身体つきを、風に揺れる髪を思い出すと私はゾクゾクしてきますよ!彼女も今はもう生きておりません。時々彼女のことを思い出します。私は思うのですよ、神様がマーシェンカをあのような若さで連れていかれたのは、マーシェンカをいつまでもこうして思い出の中で、若く、美しく、口元には花が咲くような涼やかな微笑みと共に留めておこうとされたからではないかとね。これは失敬、ついこのようなおしゃべりで、お気を悪くされたかも知れませんが、ですが親愛なる詩人よ、今日、この場所に足を踏み入れるやあなた様にお目通りをいただける[訳註:原文は「翼に包まれる、圧倒される」]とは、何とも不思議な気分ですな。前にお会いした時のことを憶えておりますよ。クリスマスの夜でしたな、自身の名を冠した、偉大な文化と伝統で世界に名を知られたあの古都[訳註:サンクトペテルブルク]で、その本人の銅像[訳註:地名の由来となった皇帝ピョートル1世の「聖堂の騎士」像]に、みな[訳註:原文では2人称複数]心を奪われておりました。あなたのことはよく憶えておりますよ。あなただけが、我が国の言葉で話していらっしゃった。十二月のロシアの寒空の下、もの思いにふけるあなたの眼差し、そしてそこの建物の、生気のない大理石の上へとゆっくり進んでいたあなたの足取りが目に浮かびます。やがてあなたは人混みに紛れ込み、私の前から姿を消してしまわれました。時が経ち、永久に去ってしまった人たちを思い起こし言葉を捧げるたび、しょっちゅう私の頭にそのことが浮かぶのですよ。我々はみな何年も興奮したまま、そして取り残された者たちだと思っていました。時は勝手に進み、我々は気づかぬ内に、ガラス細工の像の顔のようなひび割れを抱えているのです。遠くの方から魅惑的な調べが聞こえてきて、人々の視線を通り越して広がっていました。孤独な音の王国に引き寄せられる招待客もおりましたし、そんな人々の中、あなたもワルツのステップに身を委ね、くるくると回る度、まるで愛しのマーシェンカと連れ立って飛び去っていくようでしたよ。当時、私は大学の最終学年で、参加しないではその夜を過ごせそうにもなく、まして我が祖国の同胞のどなたかが栄誉を授けられると聞いては尚更でした。何もかも憶えておりますよ、まるで映画のように。あなたはその場におられた、燃え立つようなリズムのダンスの中、魂が二つの世界の間に留まってでもいるように。他大勢の者たちは横目であなたを眺めていた。しかしあなたは、そんな連中の視線に我関せずといった態度をとっておられた。その内には、ヴォトカでふらふらになる者もいれば、ホールの隅の方でのびてしまう者も出て来ました。娼婦どもは騎士どもをたぶらかし転がし、隅に隠れて見知らぬ者と罪を犯しました。かくて式典は進み、ヴォトカでへべれけになった連中の飛び込んだ先は、みめ麗しき、ブロンドの、青い眼の女たちの、やみつきになるようなロシア風[訳註:原語allaruskaはイタリア語alla turca(トルコ風の)に由来するallaturkaのもじり]の舞い踊り。まさしく、いにしえのギリシア人がデュオニュソス神の誉れを寿いでいた頃のようにね。我々の生きる遠くにも近くにも、このような伝説があるものですな!我々は偉大な時代を共に生きているのですよ。[訳註:原文では引用符が打たれていないが、恐らくここまでが未知の人物の言葉。ちなみに次の段落が終わると長口上が再開します]
 私は自分の身体じゅうに浴びせられるその声を痺れたように聞いていた、固く噛みしめた唇から一声たりとも漏らさぬよう、目の前の人物によって語られる一つ一つの言葉に聞き入っていたのだ。テペレナのヴラディミルのことは記憶の中で見失われていて、どこを辿ってみてもこれっぽっちも思い出せなかった。
「あの晩は」彼はまだずっと喋り続けていた。「締めくくりも些か変わっておりましたよ。憶えておいでですか?たしかあなたはダンスホールから戻って来られると、居場所を変えようと歩いておられましたが、見れば他の場所も物憂げに沈みきっていて、どこにも逃げ道がなさそうでした。向こうの方で、楽団員たちがチャイコフスキーの『小さな白鳥の踊り』[訳註:アルバニア語では「白鳥(mjellmë)」が単数形になっているが、恐らく「白鳥の湖」第二幕の「四羽の白鳥たちの踊り」を指す]を演奏しておりました。あなたはほんの少しばかりその場を離れて、グラスに冷えたシャンパンを注ぐと、半分までそれをぐいとお飲みになり、それから残った半分をグラスごとご自分の背後に放り捨てた。グラスが後ろの壁に当たって音を立てて割れましたな。そこには白い泡の染みだけが残っておりました。その後はというと、あなたはプーシキンの詩をロシア語でそらんじてみようと試しておられましたな。燃え上がるような詩の一節一節が、その広間の、押し黙った哀れな顔しか見えない、虚ろな空間を埋め尽くしていました。あの高貴な人々の金色に輝く様を目にしたあなたは遥か昔に引き戻されたのですな、ロシアが今のようなロシアではなかった、あの頃に。古き良き日々を想うと涙が出ますよ。とうとうあなたは黙ってしまわれた。そしてチャイコフスキーの調べも黙り込んだ。招待された客たちの割れんばかりの拍手が鳴り響きました。辺りは喝采で活気に溢れておりました。あなたは丁重に挨拶をなさると、外へ出て行かれたが、そこでは巡礼団の晩餐もお開きとなり、凍てつく広場の上でスケートに興じる者たちもおりました。するとあなたも全く躊躇うことなく、その中に加わると、すぐさまスケート靴をお履きになり、分厚い氷の層の上へと勢いよく滑り込んで行かれたのです。そしてほどなくあなたはイヴァン・アンドレーヴィチ大尉[訳註:原語kapitenには「大佐」「艦長」の訳もあり得るが、取り敢えず「大尉」としておく]のお嬢さんのタチアーナとぶつかってしまった。ターニャ[訳註:ターニャ(Таня)はタチアーナ(Татьяна)の愛称]はしばらくそこに立っていただけだったのですが、あなたにはそのことが目に入っていなかった。丁重に挨拶を交わすと、凍りついた広場の上をずっと滑り続けたのでした。その後、お二人の間には恋のお噂が立ったのでしたな、アルバニアの好ましい若者と、タチアーナ・イヴァノヴィチ・アンドレーエヴナ[訳註:イヴァン・アンドレーエフ(Иван Андреев)の娘なのでイヴァノヴィチ・アンドレーエヴナ(Иванович Андреевна)となる]との恋の噂が。
 さて一方マーシャ[訳註:マーシャ(Маша)もマーシェンカ(Машенька)もマリーヤ(Мария)の愛称]はと言えばその向こう側で、蒼ざめた顔で待ちわびておりました。遠くからあなたは、彼女に微笑みかけました。すると彼女もその広々と凍てついた場からあなたに微笑みかけました。神がかくまでの美しさでもって育まれたる生命を、いつか永遠に失ってしまうだろうなどと、あなた果たしてお考えになられましたかな?!いやそうではありますまい、でなければあの夜の、あなたのお喜びぶりに説明がつかない。お二人は休むことなく、夜更けまで滑り続けておられました。そしてあなたは、マーシェンカと共にその場を離れ、すぐ近くのホテルへと向かい、それからお二人はその夜遅くまで、ホテルの一室で過ごされた。あの夜、お二人は一つに混じり合ったのだと言う者もおりました。その時のことをあなたがご自分の本の中にお書きにならなかったとは、何とも不思議なことですな!日付が変わると、あなたは重い荷物を抱え、まだ夜が明けきらぬうちに出発してしまわれた。それ以来、私はあなたにお目にかかれなかった。それから数年後、向こうにいる友人から、マーシャが亡くなったと聞きました。私はこの上なく悲しみましたよ、それと同時に、あなたの痛みをも想像しようとしてみたのです。のみならず或る日、私はあなたに手紙を書いてみようとさえしたのですが、しかし気持ちが変わりました。そんなことをしては、心を痛めている人を更に傷つけるのではと思ったからです。  親愛なる友よ、こうして、あの時から歳月が流れました。再びあなたに会えて、私はどんなに嬉しいことか!この村に足を伸ばすたび、まずは何をするよりも先に、あなたのことを訊ねるようにしていたのですよ。ところが間違って或るパイロットの家に行ってしまいましてね、何でもその人は、村人たちの話によると、海軍の作戦中、黒海の基地のどこかで遺体が行方不明になってしまったんだとか。何年も前にあなたが教えてくださった住所と、ほとんど同じ場所だったのですよ。
 しかしたまたま通りがかった人に教えてもらったのですが、港の近くの、漁師が集まる古ぼけたバーの、小うるさい場所に行けばあなたに会えるというんですな。そんな場所で会えるとはこれっぽっちも思っておりませんでしたよ。いや時の流れとは速いものですなあ!あなたも随分とお痩せになっていて、気付きませんでしたよ!まあいいでしょう、それは大したことじゃない。人生、なるようになるものですな。また偶然でも、どこかでお目にかかれるよう願っておりますよ。それじゃまあ、どうぞお達者で![訳註:最後の一文は直訳すると「あなたが健康であり続けますように、この世で大いなる幸運がありますように」。なお、原文では引用符が打たれていないが、恐らくここまでが未知の人物の言葉]
 私は手を伸ばした。相手は私を両手で抱きしめ、両頬にキスをしてきた[訳註:アルバニアでは同性間でもこうした挨拶(と握手)が一般的]。私はテーブルに戻ると、友人[訳註:の漁師たち]と座っていた場所に腰を下ろした。身体中が震えていた。ゆるゆると、相手のいる方に振り向くと、かすれた声が聞こえてきた。
「運がありましたら、いつか私たちのサンクトペテルブルクでお目にかかりましょう!」
 私は冷え切った椅子に腰を下ろした。友人らは既に帰ってしまっていたが、私はずっとそれに気づいていなかった。私は悲しみに襲われた。濡れた眼をこすりながら、煙草に火をつけた。あの友に何か言いたかったが、既に姿は消えていた。耳元に、彼の最後の言葉がまだ響いていた。私は窓の方に目をやった。窓の外に動くものは何もなかった。あの向こうに、今は亡き我が兄弟、黒海で戦死したイェトミル・オクトロヴァの、空っぽの棺が置いてある。かつて、木製の旅行鞄を手に彼はロシアの平原へと出発したのだ、かの有名なロシア空軍のアカデミーで航空学を学ぶために。幼い頃から、天空駆ける夢をかなえたいという人並み外れた情熱をおのずから育んでいたイェトミルだったが、その天空から舞い戻ってくることは二度となかった。彼の生涯の全てが、一つの夢に似ていた。今に至るも、その運命と死の状況について確かなことは何も分かっていない。私と彼はふた粒の水滴のように似ていて、互いに余りにも強く結びついていたから、私は自分の人生の最後の年月をこうしてひっそりと、彼の家で、思い出と、何もない島に囲まれて、生きていくことに決めたのだ。時折、彼の影が今でもこの地に、安らぎを得られない魂のように残ったままでいるような気がする。彼が逝ってから、長い時間が流れ、痛みは、銀河の平原と大気を駆け抜ける相対性の中に溶けて紛れていった。父も、イェトミルのことを殆ど口にしなくなっていた。息子のことに触れるたび、いつまで経ってもふさがらない、自分の傷が痛むのが、父は嫌だったのだ。そんな何もかもに私は押しつぶされるような思いだった。まさに人生そのものは、あちこちがうねった長い長い旅路で、その先にあるのは謎ばかりだ。胸が悪くなるような混乱に襲われ、私は恐怖に駆られて背後に向き直った。終わりのない沈黙。私の頭の中で、滅茶苦茶な心象風景が、昨日と今日とをめぐる、生と死後とをめぐる、ありとあらゆる思いが息づいていた。私は自分自身とサンクトペテルブルクについて考えていた。その瞬間、私は立ち上がり、路上に飛び出し、遅ればせのため息の如く、夜の闇へと遠ざかる相手の影に向かって、こう叫ぶところだった。
「親愛なる友よ、私はサンクトペテルブルクに行ったことなど一度もないし、愛しのマーシェンカなどと知り合う機会もなければ、その有名なタチアーナ・イヴァノヴィチ・アンドレーエヴナなんて娘との恋物語など経験してもいないんだ」
 だが、私はそうはしなかった。私には沈黙の方がお似合いだった。そうして、疲れ果て、困惑したまま、私は帰路に就いた。

(つづく)


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